黒い外套《マント》
おやおや、これは宿屋のお嬢さん。
こんな夜ふけに、旅人の部屋に忍びこんできて何の御用で?
はい? 『あなたはどうして、部屋でも外套を着ているの』? 『部屋でくつろいだり寝たりするのに、どうして外套が入用なの』?
いやいや、これには訳がありまして……。
話さないと分かりませんな。僕は昔ね、あなたくらいに幼いころに、一人の死神と知り合いまして。
え? 死神です。いえいえ、おりますとも! 死神は本当にいるのです。
その子はいつでも黒い外套を肩からすっぽりかぶりましてな。その子がひらと手をかざすと、どれだけ美しく咲き誇っている花だろうと、どれだけたわわに実っている果物だろうと、みなみな黒く腐れてぐずぐずになって消えていってしまうのです。
そうしてその子は、どうやら僕にしか見えていないようでした。そうそう、僕はその当時ひどく虚弱な体質でしてね。その子は僕をお迎えに来たようでした。
しかしね、その子は半年経ってもまだ僕を連れて行ってくれないのです。長生きをあきらめていた虚弱な僕は、しびれをきらしてその死神に問いました。
『ねえ、いつになったら僕を殺してくれるのさ?』
その死神は、淋しそうに微笑って僕に答えました。
『連れてなんかいけやしない。私はお前に恋をしてしまったんだから』。
そう言いざまに死神は、あれほどまでに脱がなかった外套をばさっと大きくめくりました。そうしたらなんということでしょう、外套の下には何にもありませんでした。死神には首から下がなかったのです。
そうして外套はばさりとその場に落ちました。後には何にもありません。死神はきっと、僕を連れて行くかわりに自ら死んでしまったのでしょう。
僕はその外套を形見に、翌朝こっそり家を出ました。死神の生まれ変わりを探す旅に出たのです。……そうです。本当は僕も、死神に恋をしていたのです。
虚弱だった体質も知らぬうちに人並みになり、僕は今までこうして旅をしてきました。
ああ、この外套ですか? あの死神のですよ。信じられないことでしょうが、僕が羽織って旅をするうち、僕の成長に合わせてだんだん大きくなったのです。
もう、僕は人ではないのでしょう。死神の外套を羽織り続けて旅をするうち、知らぬ間に死神に成り果ててしまったのでしょう。
だからあの子の生まれ変わりに巡り逢っても、今度は僕がきっと相手を殺す羽目になってしまう。だから僕は、ここでこうして死にましょう。僕の幼い時にあの子が、自分で自分を殺したように――。
そう言って旅人は、ばさりと外套を引きめくった。布地の下には何もなかった。ふわりと部屋の空気が揺れ、黒い外套はぱさりと床に広がった。
宿の娘は、呆然とその外套を見つめた。
全てを思い出した幼い死神の瞳から、今さらのように涙が落ちた。(了)