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「……えっと……郊外練習、でしたよね……?」
「え? そうですよ?」
そう返したのは、片手に着火剤とチャッカマンを持ち今まさに火をつけようとしている関さんである。
「……えー……」
突っ込みどころは満載だが如何せん先程の運転で幾分か酔ってしまった僕は兎にも角にも身体を休ませたくてその場に蹲った。
「井筒先生大丈夫ですかっ?」
そう言って声を掛けてくれたのは心優しき生徒……ではなく、微塵も酔った様子のないしっかりとした口調で且つ心配気な顔をした小谷先生だった。
そこでふと顔を上げ辺りを見回せばどうやら酔ってしまったのは僕だけではないようで、小谷先生の車に乗っていた彼以外の乗車メンバーは死屍累々と化し、ベンチに横たわっていたり柱に項垂れかかっていたりしていた。
「……あぁ……大丈夫、です……」
そうとしか返しようがない。生徒達を差し置いて引率者である僕が参っていては元も子もないではないか。……情けなさ過ぎる。
「でも顔色悪いですよ。ちょっと車で休まれますか? お連れします」
遠慮せずに肩掛けて下さい、と優しく言ってくれるものだからお言葉に甘えて肩を借りる。と、何やら視線が痛いので其方へと顔を向けると……
「おっとこれは今流行りのおっさんずラ」
「教師で変な妄想はしないで下さいっ」
菅原さん達が態と面白おかしくヒソヒソと話す姿が視界に入り思わず会話に割って入ってしまった。ニヤニヤとする女子達に顔が引き攣る。すると小谷先生が助け船を出してくれた。
「こら君達。弱ってる人をそうやって揶揄うのはどうかと思いますよ」
少し固い声で諭すように紡がれた言葉はどうやら生徒達には響いたらしく、彼女らは素直に「はーい」と返事して小さくごめんなさいと謝罪してくれた。
こういうのを鶴の一声と言うのであろう。
「……やっぱり小谷さんは凄いです」
「え? 何か言われました?」
ポツリと口から溢れた一言は彼の耳には届かなかったようだ。「ただの独り言です」と軽く流したその時、背後から全く見知らぬ人の声が飛んできた。
「あれ? 小谷やないか」
それに呼応するように僕も小谷先生も同じタイミングで振り返った。すると其処に立っていたのは眼鏡を掛けたスーツ姿の男性で。
「……南川、さん」
「何でこんなとこに……って、あ、そうかお前せんん……っ?!」
ガッと物凄い音がしたなと思った次の瞬間には何故かその男性は膝を抱えて蹲ってしまい、何事かと目を丸くする。
「えぇ、先生として日々精進させて頂いてますよ?」
常と同じ笑みが浮かんでいるのに何処か威圧感を感じてしまうのは自分が弱っているからなのだろうか……。そのちぐはぐさに違和感を覚えながらもとりあえず目の前の男性に気遣いの言葉を掛けた。
「あの……大丈夫ですか……?」
「大丈夫ですよ、この人頑丈ですから」
答えたのは彼ではなく小谷先生で、目の前の男性はヒラヒラと手だけ振った。「気にするな」ということだろうか。
「え、ちょっと待って。あそこで三角関係が繰り広げられて」
「その話題まだ引っ張りますか」
少し遠くからでも鮮明に聞こえたそれに言葉を返せば向こうも向こうで「気にするな」と手を振ってきた。
何なんだこの状況。
「あの、小谷先生。この方は……」
どうにも気になってしまい、吝かではあったが今一番気になってる問いを言葉にすると小谷先生は一瞬表情を苦いものに変えた気がした。が、次の瞬間には先程までの微笑を携えて紹介し始めた。
「この方は僕の知り合いで南川さんと言います」
「どうもー、いつも小谷がお世話になってますー」
「いや、貴方にそんな風に言われる由縁はないですが」
「え、ちょっと待って。そんな真剣に否定せんでもええやん」
ポンポンッと繰り広げられる軽快なやり取りにまたしても驚かされる。しかも小谷先生の表情が今までに見せたことのない苦々しい顔や呆れた顔になるので唖然とした。余程気心知れているのだろう。
「あれは元カレやな。あんなん見せ付けられたら現恋人としてはショックやろーなぁ」
「そうね。心なしか井筒先生の表情が切な気に映るわね」
「ちょっと其処の君達……勝手な解釈しないで下さい……」
イチイチ突っ込みを入れるのも疲れてきて嘆息すれば小谷先生はどうやらそれを違う意味で取ったようで「早く休まれたいですよね、すぐお連れしますので」と言って目の前の男性の存在を軽く流した。
「え、えぇ? 小谷先生大丈夫ですから! なんなら僕一人で車行きますし!」
「いえ、お連れします」
その物言いがあまりに頑なだった為僅かにたじろぐ。そんな応酬を数回続けた後、見るに見兼ねたのか男性の方から手を上げ去っていこうと声を掛けてきた。
「ほな小谷、また近々ー」
「はいはい解ってますよ!」
あまりの粗雑な扱いに彼が可哀想になる。が、後ろを振り返ってみれば当の本人は全く気にしていない様相で既に違う方向へと歩みを進めていた。
「……先輩なんですよ」
「え?」
「あの人、僕の先輩なんです」
いつもと同じ朗らかな表情。空気感も和らいでいて安堵する。そしてやはり彼は優しい。僕が訊いても良いものかどうか躊躇しているのを察して先に答えてくれたのだ。その気遣いと余裕が僕にもあれば良いのだが……当分先のことだろう。
「そうだったんですか……」
流石にそれ以上は追及しなかった。教師としての先輩だろうか。ならば僕にとっても先輩だ。もしもまた出会えたら教師のノウハウを教えて頂こうか、などと考えてみる。
「着きましたよ」
その言葉で我に返ると目前に車があり目を瞬かせた。
「あ、えっと……態々すみませんでした……」
「違います」
「へ?」
「ここで使うべき言葉の【正解】は何ですか?」
人差し指を立てて問題提起され、慌てて答えを探した。
「それは……」
「正解は『ありがとう』です」
解答を待たずして返ってきた言葉に唖然としていたら「唱和して下さい?」と投げ掛けられる。
「あ、ありがとう、ございます……」
「はい、良く出来ました」
そう言って有無を言わせず強引に車の後部座席に押し込まれた。
「後のことはご心配なさらずゆっくり休んで下さいね」
顔は笑っているのに目が笑っていない。ここで解答を間違えたら怒りの鉄槌を食らう。いや、小谷先生が手を出すなんてことしないのは解り切っている。だからきっと彼が手を下すことはなくて、何か悪いことが起きるに違いない。そんな気がして首を縦に振るしか出来なかった。
***
「……あ、イヅーおかえりー」
そう言って手を上げ肉を焼いているのは菅原さんだ。その周りで同じように食材を焼き食している者もいれば、遊びに耽っている者もいる。一つ言えるのは誰一人として部活動に伴う練習に勤しんでいないことだ。
「え、ちょ……小谷先生はっ」
「あぁ、小谷先生なら急用とかで帰りましたよ」
「えぇぇぇっ」
急いで小谷先生に電話を掛けるが全く繋がらない。僕は頭を抱えた。
「イヅーも食べる?」
「……結構です」
「ちょっと井筒先生、どういうことなんですか?」
「そうですよ! 蓋を開ければ全然練習してなかったみたいじゃないですか!!」
勝手に押し付けてきたそれぞれの顧問の先生方が挙って僕を責め立ててくる。それがあまりにも自分勝手に思えて怒りが沸々と溢れてきて……気が付けば大声で叫んでいた。
「そんな勝手なことばっか言わないで下さいっ!!」
***
「……はっ!?」
自分の声に吃驚して目を見開いた。状況を把握出来ないまま身体を起こして周囲を見回せば其処は車の中で。
「……夢……?」
漸く理解した脳は僅かばかり心に余裕を齎す。ふぅ……と息を吐いてはみたが先程までの夢がやけにリアルに思い出されてしまい再び不安に苛まれれば居ても立ってもいられず慌てて車から飛び出した。
「…………っ!!」
そこで俺は眼前に広がった光景に言葉を失った。
なんと、夢とは全く真逆の世界がそこにあったのだ。
バスケ部は松岡君を筆頭に揃ってランニングしているし、サッカー部は浦川君が中心となって練習試合に励んでいるし、ソフトボール部は二人一組で投球の練習をしている。勿論その部に所属する菅原さんもである。
「……あれ? 井筒先生?」
僕の存在に気付いた小谷先生が声を上げたので其方に目を遣れば、なんと生徒会メンバーとカレーを作っている最中だった。
「もう大丈夫なんですか?」
エプロンを着けてお玉片手に問うてくるその仕草は世の女子には受けそうなものだが隣に立つ山崎さんが何故かそのお玉を奪い取った。
「小谷先生は何もしないで下さい」
「えー、どうしてですかー?」
非常に残念そうな顔をする小谷先生に山崎さんは渋い顔をした。
「先生にそんなことさせられませんから」
『流石会長!』と内心称賛を送る。そんな風に思っていたら小谷先生と共に座るよう促され「談笑でもしてて下さい」と言われ置き去りにされた。
「……それにしても驚きました」
「え? 何がですか?」
「皆、やる時はきちんとやるんだなって……」
生徒を信じられないなんて教師失格ですよね、なんて思わず洩れた弱音。小谷先生は相変わらずの笑顔のままそれに答えるように口を開いた。
「教師とか生徒とか以前に人間ですからね。疑うこともあります。だから、反省出来たんでしたらこれから信じてあげればいいんですよ」
その言葉に胸を打たれ、自分の器の小ささに悄然としつつも小谷先生の偉大さを再認識し直していたら、どういうわけかその話を密かに聞いていたらしい山崎さんが僕一人を指名して手招きしてきた。
「……何だか呼ばれてるみたいですよ?」
「……? ちょっと行ってきます」
そうして彼女の傍まで歩を進めれば突然ネクタイを引っ張られ、あろうことか耳打ちされた。
「先刻小谷先生凄く良いこと言ってましたけど、あの人中々に恐い人ですよ」
「……は?」
「皆に向かって超絶笑顔で『練習しないとどうなるか解ってますよね?』って言い放ったんですから」
「……え?」
「挙句の果てに『さて皆の為に昼食作りますか!』って言いながら出来た料理が殺人的に不味くて何人か小谷先生の車で寝込んでます」
「……えっ?!」
「だから彼に料理させずに私達が作ってるんですよ!!」
それで合点がいった。成程だから彼女は小谷先生からお玉を取り上げたのか……なんて思い返しながら徐に彼の方へと視線を向ける。
其処には屈託のない笑顔で此方を見る彼がいた。