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学年主任の憂鬱  作者: 弥生秋良
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「…………はぁ」

 こうして重い息を吐くのは今日だけでも何度目だろうか。両手で指折り数えたとしても指が足りないのは明白だった。

「……あれ、井筒先生まだ帰られてなかったんですかっ?」

 静かだった職員室の扉が開いた途端に上がる驚きの声。振り向くと目を丸くした小谷先生の姿が視界に入る。

「あぁ、小谷先生……」

 あはは、と乾いた笑みしか出て来ず項垂れていたら彼は席に着くなり「どうしたんですか?」と気遣うように言葉を掛けてくれた。

「何か言われました?」

 苦笑混じりに問われ素直に肯定すれば後は気持ちに任せて口が勝手に動いてしまう。

「先刻の人、田口君の……僕のクラスの子の母親なんですけどね、僕の教育に異議を申したいと言われまして。どうもこの前の田口君の試験結果が良くなかったみたいなんですよ。それが僕の所為だと……」

「え? 何故ですか? 別に社会科だけが悪かったわけではないんでしょう?」

「そうなんですけどね……彼女が言うには担任なのにメンタル面での気配りが出来てないからだ、ということを言われまして」

 言葉にしたら落ち込み具合に拍車が掛かり頭を垂れる。

「気にしない方がいいですよ。大体もう高校生なんですから親がしゃしゃり出てくるなんて事態が異常なんです」

 ピシャリと言って除ける彼の顔を見れば清々しい程の笑顔が浮かんでいて思わず背筋が凍る。

「それに僕達が口出ししたところで結局最終的にどうするか決めるのは本人なんですから」

「……そう、ですよね……」

 来年になれば彼らは嫌でも未来を見据えて選択することになる。もしも彼に悩み事があるならば自分で決断するということを覚える良い機会なのかもしれない。そう思ってみるが、ただ田口君の母親にどう報告するべきかが一番の難題である。

 僕も小谷先生ぐらいハッキリと言葉に出来て芯を通すことが出来たならこんなに悩むこともないだろうに……彼の自信を羨むばかりだ。

「……それか本人に直接訊いてみてはどうですか?」

「え?」

「意外とすんなり話してくれるかもしれませんよ」

 そんな素敵な笑みでそうご教授頂いたからには実行する他ないだろう。こんな僕にもアドバイスしてくれるのだから彼はやっぱりミスターパーフェクトだ。

 そんな風に考えるあまり僕は聞きそびれていた。その後に彼が『まぁ僕が思うに大したことないような気がするんですけど』と溢していたことを。



「何か悩み事でも……あったりするんでしょうか」

 次の日の放課後、早速僕は田口君を生徒指導室に呼び出し恐る恐るそう言葉を掛けた。その途端に彼の眉間に皺が寄る。

「急になんですか?」

「あ、いや、実は昨日お母様から呼び出されまして……」

 チラチラと彼の顔色を窺いながらも戸惑いつつそう答えると彼は理解したように「あぁ」と小さく呟いた。

「成績が良くなかったと仰っていましたけど……何かあるんでしょうか……」

「いえ特には」

「……えと、では、そのー……何か別に理由が……?」

 そう告げれば彼は観念したように一つ溜息を吐いて眼鏡を押し上げた。

「それは僕があるゲームにハマってしまって学業が疎かになってしまったからです」

「……え?」

「一週間に何度か塾に行く振りをしてゲーセンに行っていたんですよ。一度やり出したら止まらなくなってしまいまして」

 ばつが悪そうに顔を俯かせる彼に唖然とするしかない。暫く沈黙が続いた後に僕の口から出てきた言葉は、

「……ゲームも程々にして下さいね」

 だった。



「だから言ったでしょう? 大したことないと思うって」

「……はい。まさにそうでした」

「井筒先生は深く考え過ぎる節がありますからね。それだけ生徒を大事に想ってるってことでしょうけど。僕からしたら優し過ぎます。そこが先生の良いところでもありますが」

 褒められているのか貶されているのか……いや、彼のことだから前者だ。有り難く受け取っておこう。

「ありがとうございます……」

「でも優し過ぎるといつか潰れちゃいますよ」

 あれ? 貶されてた?

「肝に命じておきます……」

「あ、違いますよ? 僕は心配してるだけですからね? 決して先生のことを(おとし)めてるとかじゃないですからね?」

 此方の気持ちを察してか弁解し始める彼にちゃんと理解している胸を伝えれば珍しくホッとした様相を見せて微笑する。

「でも良かったですね、大したことなくて」

「そうですね。ただ気掛かりなのはお母様にちゃんと本当のことを話したのかどうかなんですが……その後大丈夫だったでしょうか」

「大丈夫でしょう。たとえ大丈夫でなくとも自分でやったことなんですから自分で片を付けるのは当たり前ですよ」

 そう口にすると彼は手元にある書類を手にして立ち上がった。

「彼らだっていつまでも子供じゃないんですから」

 そう言い残し職員室を後にする彼。その言葉がやけに耳に残り、それと同時に僅かなもの悲しさを感じて頭を振る。

「さ、授業授業っ!!」

 態と声に出して思考を散らし、僕も彼と同様にして職員室を出た。



「あー! イヅー!!」

 一際響き渡った声量に振り向かないわけにはいかず渋々と背後を見遣れば案の定見知った人物の姿があり大きく手を振っていた。

「……菅原さん、此処は廊下なんですからもう少し声を抑えて下さいね?」

 教師らしく諭すも彼女は悪戯っ子のように笑うだけで反省の色は全く窺えない。少しムッとして人差し指を出し言い分をもう一つ付け足す。

「それから、仮にも僕は教師ですよ。先生をあだ名で呼ばない」

「でも皆呼んでんで?」

「え?」

「イヅーは抜けてるとこあるから知らんやろうけど殆どの子らがイヅーって言うてんで」

「え?!」

 吃驚し過ぎて知らず大きくなる声。すると彼女はニヤリと唇の端を吊り上げ人差し指を立てた。

「此処は廊下なんですからもう少し声を抑えて下さいね、セ、ン、セ?」

 あぁ、やられた。苦虫を噛み潰した顔で渋々「はい」と答えると彼女は嬉しそうに笑った。

「ところで僕に用があったのでは?」

「あ! そうそう! イヅー……つセンセは明日お暇でゴザイマスカ?」

 使い慣れてない感がありありと表現されている敬語でそう告げてくる彼女に疑問符しか浮かばない。

「暇……ではないですが……」

「えっ!? 何か予定あんのっ?!」

 何なんだろうかその驚き具合は。僕にだって予定はある。……いつもならあるとも。

「……明日は偶々何もないですけど」

「あ、せやんな?」

 え、何ですかその『そうだと思った』って顔は。

「一体何なんですか?」

 多少刺のある言い方になってしまった。が、彼女は別段気にする様子なく満面の笑みを浮かべた。

「明日私らとデートしてくれへん?」


 …………は?






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