佐藤 錦、異世界を知る
いよいよ本編スタートです。
これは2017年10月ごろの話だ。
「皆聞いてくれ。ホンマに済まぬ。この店を閉めることになった。このレシピを君達にプレゼントする。俺の 流魂を受け継いでくれ。」『麺亭 流』の店主は店を辞めることにしたという。
採算が取れないわけではないのだが、店主は店を営業する為のメンタルがやられてしまったのだという。所謂スランプという状態に近い。
かれこれ2年間アルバイトをして来た佐藤錦は、そのノウハウをしっかりと身につけていた。寧ろ、学校の勉強よりも身についていたと言っても差し支えないだろう。
彼は大学の社会学部総合政策学科の2年生である。この大学では社会をより良くする為の実習として1年間の地域にまつわる職に就くことが求められている。
「地元の市役所で1年間雇ってもらおうかな。なんかやる気がないなぁ。」そんな風に思っていた。
2018年1月のある日、店主であった藤波流真より電話が掛かってきた。
「佐藤君。ちょっと用事があるからきて欲しい。場所はかつての流や。今はまぜそば屋 愛実となっておる。そこで啜りながら話そうじゃないか。」
「師匠。分かりました。テスト期間も終わったので、問題なく行けます。」
「明日の昼で良いか?そこは木曜定休でな。新作の研究をしているそうだ。そこを貸し切ってとある相談をしたい。」
「わかりました。明日の12時頃向かいます。」
「頼んだぜ。錦。」
3ヶ月ぶりだろうか。旧麺亭流に行くのは。
あれからあの場所には行っていない。暫くぶりに行くよ。
「待たせたな。錦。」
「お久し振りです。藤波師匠。」
久しぶりに会う師匠は心なしかやせていた。ちゃんと毎日の食事を食べられているだろうか。
『まぜそば屋 愛実』は女性店主の店である。ラーメン屋は基本的に男の世界のようであるが、女性らしく上品で入りやすい雰囲気を目指しているらしい。
暖簾をくぐった。元々寿司割烹が入っていたところを居抜きで譲ってもらい始めたラーメン屋だった為に、店内は和風の雰囲気である。それは店が変わっても相変わらずであった。
「愛実、店は順調か。」
「ええ。お陰様でね。そちらは?」
「元店員の佐藤錦という男だ。」
「師匠。この方とどういうご関係ですか?」
「彼女は俺の従妹で此所の店主をして居る。従妹ということで店を継いでもらったんだ。」
「どうも遠藤愛実です。今回はお知らせしたいことがあって流真君を通して呼んで貰いました。」
「詳しいことは俺の口から言う。俺のおごりや。錦、どれが食べたい?」
「ええと。燻製野菜混ぜそばでお願いします。」
「じゃあその二つで頼めるか?」
「勿論ですよ。ただいま作りますね。」
「単刀直入に言おう。異世界に行かないか?」
「はぁ?何言ってんすか。会わないうちに師匠は頭がおかしくなったんすか?」それもそうだ。異世界なんて存在しない。伊勢と甲斐は存在するが、異世界なんで信じられない。
「よし。よく聞いてくれ。異世界は存在する。しかし、それは藤原の血を引く者しかそこには足を踏み入れることが出来ん。厳格な審査がある。変な輩が藤原のエリア入ってしまったら、春日大権現のお怒りを受け、死ぬ事になる。もちろん苗字に藤が入って居ればそんなことはない。俺と彼女は遠藤氏として嫡流である藤原氏に仕えておったが、現在、藤原一族は危機的状況にある。つい先日、藤原氏の治める土地で伊藤一族が皆殺しにされる事件が起こった。相手は佐藤氏の客将、須藤義冬である。凶器は氷だ。散々村を荒らした後、そこには溶けた水が混じった血が川のように流れておった。」
「その異世界は現世と変わらないのですか?肉体は。」
「現世の肉体をベースにそこに見えない膜が覆われる。そのカバーが完全に剥がれた時ログアウトするようになってる。つまりは、殺された一族はこの世で生きている事にはなるが、異世界の姿をもう見ることはできない。」
「そこで佐藤氏を迎え入れ、独立する佐藤氏の恭順を促したい。協力してもらえぬか?」
「しかし、俺は来年1年間社会に出て働いて地域の問題点を考えていかなければなりません。」
「心配は要らぬ。藤原家の当主は藤原俊雅である。」
「藤原俊雅?もしかして学部長ですか。」
「あぁ。だからこそ参加して欲しいと直々に仰せられた。」
「それなら、行くしかありませんよ。」
佐藤は覚悟を決めてそこに足を踏み入れることにした。