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Deathtiny  作者:
Chapter3「サウンド欠落ギタリスト」
18/19

#16「Sadistic drummer」

午後2時過ぎ。大抵の人間ならもう昼食を済ませているであろう時間帯。

「はい、どーぞ」

「おお」

そのテーブルに出されたのは、チェス盤程度の大きさをしたガレット。フランスの有名な郷土料理だ。

「…これ、正規のメニュー品じゃないの…?」

「正規っていうか、うちには裏メニューなんてないよ…」

この料理を作ったエプロン姿の看板娘---穂高琴音は半笑いで答える。

(…ふざけて頼んだつもりだけど、これは素人の手際じゃないだろ…)

内心そんなことを思いながら、僕は改めてその大皿に目を移した。

そば粉をベースとした生地は正方形で、外側は餃子の皮に似た焦茶色。その上には2層の同心円状に描かれたホイップクリーム。切ったバナナを数枚トッピングした後、垂直方向と水平方向に何往復かずつ、溶かしたチョコレートの曲線が通る。さらにその上に固形の小さなチョコがまぶされている。頂点にホイップクリームと共に添えられたハーブの緑色が、全体の綺麗な模様を引き締める。

ナイフで入刀するのが勿体無いくらいに、美しかった。僕はスイーツには明るくないが、それでもこのガレットが相当にハイレベルなのは一目瞭然だ。

「…いただきます」

右手前からナイフとフォークで一部分を切り取る。この手の料理は食べ慣れていないが、琴音がじっと緊張した目付きで僕を観察するので、下手なことはできない。

僕はそのまま、その一欠片を口に運んだ。

「…!美味しい…!」

「ホント!?やったぁ!!」

その台詞が僕の口から出るのは、食べる前から既に分かりきっていた。このガレット、間違いなく美味しい、と。

「これ、メニューとして提供すればいいのに」

「うーん…出してもいいけど、あくまで猫ヶ崎は猫カフェっていうのを枢軸に置いてるから」

「そっか…残念だなぁ」

宝の持ち腐れとはこのことなのだろう。とは言え、琴音にも確たる営業スタイルがあるのだ。それは他人がどうこう言うものではない。

「ところで」

「ん?」

続けてガレットを頬張りながら、僕は琴音に尋ねる。

「キーボードはまだやってるの?」

「勿論!それから最近、アコギも始めたんだ」

「へぇ」

琴音は高校に入る前からピアノを習っていた人間だ。昔スタジオ練で「革命のエチュード弾いて」と頼んだらさらっと弾いてしまうレベルには上手い。

だがそれでも、クラシックとロックというのはそれなりに乖離があるようで、バンドを結成してすぐの頃は彼女もかなり苦戦していたのを覚えている。これは彼女曰くの話だが、学校の部室に置いてあるキーボードは鍵盤が軽すぎて弾きにくいらしい。

アコギを始めたという話は今初めて聞いた話だが、彼女には大概の楽器は似合う。一人で舞台に立って弾き語りなんかしていたら面白そうだ。

「私、クラシック一筋で育ってきてたから部活に入るまでコードなんて概念さえ知らなかったし、本当大変だよ」

「コードが分かると、だいぶ楽だけどね」

僕も0からギターを始めた身だ。琴音の気持ちは分からないでもない。

すると、琴音が向かいの席に腰掛けて尋ねた。

「禊君はどうして軽音に入ろうと思ったの?」

「え?」

突拍子もない質問だった。僕はガレットの生地をフォークで刺そうとしたその手を止める。

「私は自分のピアノが弾けるっていう特技をどこかで活かしたかったからかなあ…。あと、週1でしか部活がないから店の手伝いもしやすいかな…って。禊君は?」

「…そうだな」

僕には琴音の考えが見え透いていた。訊いてもいないのに自分の理由を先に語ることで、あなたも話してくださいねと催促している。

何度も言っているように、僕は高校の思い出を大切にして来なかった人間だ。体育祭は勝敗しか覚えてないし、修学旅行は行き先が長崎であったということだけ、文化祭は僕らの演奏がそこそこ評判が良かった---それ位しか覚えていない。

「…発表系の部活で、且つ複数人で行えるから、かな」

「…何それ?」

「僕は自分の思っていることを他の人に知ってもらいたかったんだ。だけど、美術部や文芸部だと個人が目立ちすぎる」

「…吹奏楽は?」

「あれは人数が多すぎる。4、5人でひっそりとそれぞれが自己主張するのが、丁度良いんだ」

「…何だか、面倒な理由だね」

「そう思ってもらって構わないよ」

僕は普通の人と同じ生活を送りたかった。高校は一つの通過点でしかない。そして、大学も就職も通過点。

だが、僕の人生はその通過点が欠落したことで、仮ながらも終わりを告げた。




---()()()()()()()()|》《・》()()()()

それが、就職で大きな壁となって僕の前に立ちはだかった。




「…」

「…禊君?」

「ごちそうさま」

「あ、うん…って、もう食べ終わったの!?」

「そんな速かったかな」

口ではこう言ったが、よく考えれば速いと言われるのは少し納得が行った。その先を思い出すという思考を中止したくて、無我夢中て食べていたかも知れない、という懸念があったのだ。

「美味しかったよ。やっぱこれメニューとして出しなって…」

「で、でも、そんなすぐに作れるものじゃないし…」

まあ、店の事情もあるし仕方ないか。莇とは比較にならないくらいに美味しかったのに勿体無い。

僕は立ち上がってバッグを持つと、玄関へと歩みを進める。

「じゃあ、そろそろ行くよ。スタジオへの集合時間はさっき言った通り」

「うん」

琴音は笑顔で手を振る。僕も振り返す。そしてそのまま、店の扉を開いた。

---午後3時10分。奏幸の自殺まで、あと8時間。






***






---少年は、私の忠告を無視してこの部屋に立ち入った。

そこまでして奏幸に会う理由が、彼にはあるのか。そこは本当に、私の第一の疑問点であった。

(…今は関係ない)

振り切った。ここに私と奏幸以外の人間を混ぜてはいけない。親子の関係以外に、今干渉できるものはいない。

私は、その扉をゆっくりと開いた。






「…」






退廃的な目。その視線が、私をより苦しめる。

「…音無さん」

「そろそろお母さんって呼んでほしいな」

夕日が差して、奏幸の後ろが眩しい。近寄ることに身の危険を感じた。それでも、歩み寄る。

「それは…」

「…ん?ああ…」

奏幸は私が背負った後ろのものに興味を向けた。黒いカバーで覆われた、1mはある大きな荷物。

「奏幸のギター」

「僕の…?」

あの少年---禊は、バンドの話はしたと言っていた。今更追加の説明はする必要もない。

そして、こうも言っていた。僕は()()()()()()、と。

何をどう失敗したのから教えてくれなかった。だけど、相当な大失敗だったらしい。私は敢えて彼の名は口にしなかった。

「…今日、これを持ってスタジオに集まれって」

「これって…ギター?」

「ああ」

「嫌です」

他人行儀に接していた奏幸が、初めてきっぱりと言葉を口にした。自分の意見を無理矢理にでも押し通すかのように。

「どうして?」

「行く必要がないから」

「必要ならある」

ああ、駄目だ。言葉が出て来ない。自分の子供ならきっと説得できると思っていたけど、やっぱり私はこういう悟りには向いていない。

「僕は容器だけが残った空っぽの人間です。そこから何か行動を起こす気にはなれない」

筋は通っていた。成長した人間から記憶を除去すれば、それはただの話す生物だ。あまりに無個性で、無機物的。




---だけど、そもそも根底から間違っている。

「奏幸」

「はい」

私は投げ槍になっていた。投げ槍でもいいと思った。

感情的になって、思っていることを全て伝えて、意地でも私の意思を享受させろ。

「行動を起こす気になれないって言ったよな」

「はい」

「それは違う。奏幸は、怯えているだけだ」

「そうとも言います」

開き直り、というやつか。昔はこんなこと、無かったのに。

「僕は記憶を取り戻すのが怖いんです。新たに自我を形成しているような錯覚を受けて…」

「だからそれが違うんだ」

「え?」

私は背中のギターを側の壁に掛けた。




「記憶を取り戻すんじゃない。時を遡るんだ。やり直しをするんじゃない。中断していたゲームを、再開するだけなんだよ」




私は口下手だ。語彙力もない。その自覚は、ある。

だから、大して心に響くような台詞は吐けない。これが精一杯のココロの叫びだった。

「奏幸は確かに目覚めたけど、その体内時計は止まっている。だけど、0時に戻ったわけじゃないんだよ…!!」

「…!!」

奏幸は、自分がリセットされたと思っている。だって何一つ、事故以前の記憶がないんだから。

でも、それは違う。リセットされたように見えても、やっぱりどこかにセーブデータが残っている。そのパスワードをバンドメンバーや愛用のギター、そして私で見つけ出すのだ。

「だけど…」

「分かってる、危険な橋かも知れない」

私はそう言うと、側に置いたギターケースからギターを取り出した。

「これが…」

黒い輝きを持って現れたそのギターは、1弦から6弦まで完全に錆びきっていた。一度ストロークしてみるが、チューニングもバラバラ。

でも、それらはすぐに直せる。時を遡るように。

「…何か、思い出した?」

「…僕のギターである、気がする」

「…!」

大きな発展だと思った。

私が、奏幸の---自分の子供の記憶を取り戻せそうな状態にあることに、私は深く感銘を受けた。やって良かったと思った。放置する気こそなかったが、それでも自分はまだ母親でいていいんだという思いが、胸の中で巡っていた。

「奏幸」

「はい」

「…スタジオに呼び掛けたのは私じゃない。行くも行かぬも奏幸の自由だ。…その上で、まずはその長い髪でも切って、時を遡ってみない?」

私は手を差し伸べようとして---やめた。

私には確かに、記憶を取り戻して欲しいという気持ちはある。だけど、本人の意思を尊重するのも大事だと思った。記憶喪失であっても、その苦難は人生における一つの通過点なのかも知れない。その時その時に、奏幸の心に潜在する思いを考慮する必要がある。

そして、もう一つ理由が。そこまでしなくとも、結果が目の前にあったからだ。





---曇っていた奏幸の目付きが、夕日のように輝き始めたから。






***






午後4時ジャスト。僕は再び両国に来ていた。

(…とてつもない時間ロスだ)

電車から押し出されるように降車した僕は、電工掲示板のデジタル時計を確認する。

最初、颯斗とここで会った時点で先に響子の居場所に見当をつけておくべきだった。両国、千駄木、両国という移動ルートは、本当に自分でも阿呆らしいと思った。まあ、もしかしたら琴音に会う前に考えていても昔のことなんか覚えていなくて、ここにいるという案自体思い付かなかった可能性はあるが。

僕は駅の階段を昇って、さっきのファストフード店とは逆方向に向かった。

(…そういえば)

奏幸のお母さんは、奏幸を説得しに行ってくれただろうか。僕は逃げ道を無くすためにあの人の返事を聞く前に電話を切ったのだが、あの人なら普通に約束を反故にしそうな気がした。それでも僕はやっぱり、親子の絆は僕の言葉より強い力を持つと信じたい。本音を言えば、持っていたら好都合、だが。

因みに僕は奏幸のお母さんに電話するついでに、スタジオの方にも電話した。高校時代にお世話になっていた、小さなビルの地下に門を構える古びたスタジオだ。煙草がOKな場所だったので未成年には少し窮屈な空間で、特に琴音は受動喫煙を嫌がっていたのを覚えている。

5年ぶりに電話しても相変わらず応答相手は同じで、50代後半のおじさん店長だった。当たり前だが音楽に造詣の深い人だったので、初心者だった僕や颯斗、琴音はあの人に色々なことを教わった。

厳しさは微塵もない。とても寛容的な態度で僕に接してくれて、時々割引サービスも施してくれた。最後に利用したのは卒業ライブの2日前、つまり奏幸が事故に遭う前日。後日、僕と琴音、響子の3人で奏幸が意識不明の重体になったこと、ライブに参加できなかったことを伝えた時は、ひどく悲しげな顔を浮かべていた。元々明るい表情しか見せてこなかった人なので、あの時の僕らはとても申し訳ない気持ちになった。そして、何故だか僕だけは、別種の《後ろめたさ》を心に秘めていた。

今日、予約の電話を入れた。奏幸が目覚めたことも伝えた。彼は大いに喜び、今日の演奏を聞かせてくれと頼んできた。練習もしてないですし、酷い演奏になりますよと返したが、そしたら、そんなことは気にしちゃいない、あの5人が音を重ねることに意味がたるんだと言われた。

僕も同意見だった。目的なのはライブの再現であって、曲の完成ではない。おじさんはきっと僕より深い意味を包含して言ったのだろうが、それでも成し遂げることの意義を見失ってはいけない。

(…おっと)

思考に没頭しすぎて、危うく目的地を見過ごすところだった。僕はある建物の前で立ち止まる。

狭い小道だ。車が2台、恐らくギリギリ通れないくらいの幅と思われる。昼間は殆ど人がいないが、夕方になると会社を上がったサラリーマンがぽつぽつと現れ、夜には宴のような喧騒に包まれる。今日はまだ落ち着いた方だが、きっとこれから騒がしくなるのだろう。

そして、ここは一際五月蝿い。酔っ払いのそれとは別種の騒がしさだ。僕は建物の中に入った。

そこは---ゲームセンターだった。大音量の音楽、ピカピカと点滅する照明や機械は、聴覚的にも視覚的にも煩わしいものだ。僕はあまり好きな空間ではない。

僕はそれでも店の奥へと進んだ。道路側の静寂が遠退いていくのが分かる。尤も、僕が帰る頃にはその静けさも抹消されているだろうが。



「…あ」



小さく、何かに気付いたような僕の声は、側のプリクラの音でかき消された。だけど、その少女は確かにそこに立っている。クリーム色のニット帽に白いマスク。サングラスを掛けさせたら間違いなく不審者だ。

しかし、何度見ても不思議だった。黄色に光る何枚もの長方形のタイル上を、彼女の華奢な手が踊る。それも、目の前の画面から降り注ぐノーツに乗せて。

後ろに席が空くのを待機していると思われる男性2人がいた。僕と同年代か少し上くらいで、恐らくは知り合い同士ではなさそうだ。

彼らは、完全に彼女の姿に釘付けになっていた。彼女の女の子としての魅力に盲目になっているのか、それとも音ゲーマーとしての腕前に驚きを隠せないでいるのか。顔が見えてない以上は、後者の方が可能性としては濃厚だろう。

すると、最後の曲が終わったようであった。彼女は満足げにリザルト画面を見つめると、後ろの男性に「どーぞー」と声を掛けてこちらの方に来た。

「響子」

僕はやや大きめに彼女の名を見た。ゲームが終わってすぐに開いたスマホを覗いていた彼女が、すっと顔を上げる。

「…げっ」

「何、その反応…」

あからさまな嫌悪感を示す彼女。

「アタシ、あんまり友達にゲームやってるところ見られたくないって前に言ったじゃん」

「覚えてないよ」

「…ったく、しょーがないな」

彼女はそう言うと、深々と被っていたニット帽とマスクを取った。





「---で、何の用?」





極めて簡潔な質問。颯斗ほどではないが、淡白な口調。

だがその正体は、アーケード音楽ゲーム《コウニズム》のスコアランキング最高記録、全国7位。

そして《Spacephonic》のドラム担当---柴崎響子だ。






***






僕らは、場所を移動した。そこは、何故かプリクラの中。

「…何でここなの」

「あそこじゃ互いの会話が聞こえないじゃん」

「なら店の外に出て…」

「面倒」

響子は、最短で会話を終わらせることでも目指しているのだろうか。さっきから冷淡さが過ぎる。

すると響子は、自らのバックでプリクラのスピーカーを塞いだ。プリクラ内に響いていた女性の売り文句が消される。

「…で、何?」

少しだけ、響子の表情が和らいだ気がした。さっきまで本当にこれがあの柴崎響子か、とさえ思っていたが、やや高校生の頃の面影を取り戻している気がする。

面影と言っても、見た目はだいぶ変わっていた。黒色だった前髪の毛先を赤に染め、シルバーのピアスを耳に開けているようだ。ヤクザと言うよりはお洒落なミュージシャン寄りな軽装。ドラムを叩いている時の彼女はそれこそバンドマンらしい雰囲気を出していたが、今ならこれだけでも路上ライブを週一でやってそうな女の子には見える。

僕は颯斗や琴音と同じ話運びを選択した。

「奏幸が目を覚ましたんだ」

「奏幸って…音無奏幸?」

「うん」

「へぇ、良かったね」

響子は小さく笑う。颯斗の反応よりよっぽどマシだが、それでもやはり友人が長期間の眠りから覚めたことへの言葉としてはやや素っ気ない。琴音はもっと純粋に喜んでくれていたのに。

僕の場合は奏幸の意識が回復したという知らせと同時に、彼が今日死ぬという宣告もされたものだから、喜びと悲しみが相殺されて素直に良かったとは言えなかった。別に構わないが、損した気分はある。

「でも」

そして僕は、ここで所謂「上げて落とす」というものをやらなければならない。心が病む。

「でも?」

「実は…。交通事故の後遺症で、記憶喪失になってるんだ」

「あら、そりゃ大変だ」

「…」

何か、思っていたのと違う。颯斗より無関心そうな反応。

「…言ってる意味、分かってる?」

「ん?奏幸が記憶障害なんでしょ?やばいね」

「うん…」

これが柴咲響子という人間だ、と認識することにした。事実を理解してはいるが、僕の個人的な願望はあっさりと捨てられたのだ。

「それでさ」

「うん」

「今日、いつものスタジオに《Spacephonic》の5人で集まりたいんだけど、来てくれないかな…?」

「いいよ」

「…え」

秒殺だった。琴音より早い。

「…いいの?」

「それで奏幸の記憶を取り戻すんでしょ?ならアタシは幾らでも手伝うよ」

「…」

久し振りに会ったからだろうか。風情が変わったからだろうか。でも、きっとそれだけが要因ではない。今日の響子は、一際輝いて見える。



と思ったら。

「あ、待って、一つ条件付けさせて」

「ん…何?」

「アタシに《コウニズム》で勝ったらいいよ」

「…は?」

最高の友人だ---その裏返しの感情が、僕の心を一瞬で覆い尽くした。

「む、無理に決まってるだろ!!」

「やってみなきゃ分かんないよ」

「分かるよ!!」

相手は《コウニズム》全国7位の化物だ。そんなのに、リズムゲーム経験ほぼ0の僕なんて、同じリングに立つことさえ憚られる。

《コウニズム》とは去年から旧型筐体の新バージョンとして全国のゲームセンターで稼働しているリズムゲーム。よくあるレーン型の音ゲーだが、特筆すべきは左右の移動だけでなく、上下への手の移動を必要とするゲーム性であろう。ノーツが流れてくるボードの両脇にセンサーが付いていて、その類のノーツが流れてきた時は、そのセンサーを越える高さまで腕を振り上げるのだ。

そして、響子は《コウニズム》を《しばきょー》というアカウント名でプレイしている。ゲームをプレイする時にオールランキングという、全ての収録曲の総合スコアランキングが表示されるのだが、そこに《しばきょー》の名が7位で載っているのだ。女性の音ゲーマー自体珍しいのに、男性が多く蔓延るトップ陣に女の子が食い込むのは相当凄いことらしい。

そして響子自身、《しばきょー》名義のSNSアカウントを持っており、時々プレイ動画やゲームのリザルト画面、稀に女子高生らしいスイーツの画像なんかを載せていた。今はどんな感じになっているか知らないが、音ゲーマー界隈でもそこそこ有名なのはそのせいだろう。顔は隠しているが自撮り写真も公開しており、相当な美少女に違いないと噂されている---と本人は語っているが、事の真相を僕には調べる気も起きなかった。

因みに彼女は他の音ゲーでもかなりやりこんでいる。和太鼓をリズムに合わせて叩く《太鼓の名人》では自分専用のマイバチ、円状のパネルの中心から弧へ流れるノーツを拾っていく《moimoi》では、画面との摩擦によって掌の皮が剥がれるのを防ぐ専用の手袋を持っている、と前に話していた。ランキングには乗っていないようだが、それでも素人が見たら目を剥くような手捌きを披露する。

何れにせよ、彼女が全国トップレベルに音ゲーが上手いことは僕もよく理解している。そんな彼女と僕が音ゲーで戦っても敗北するのは目に見えているのだ。

「いいから、行こ行こ!」

「な、何で…」

そう言うと、響子は僕の手を引っ張ってプリクラの外に出た。先程の道を逆に辿っていく。

「ほら、空いてる」

この店には《コウニズム》が4台あるが、2つ空席があった。残りの2つはさっき僕の後ろに並んでいた男性が使っている。彼らもそこそこの腕前のようだ。少なくとも、僕なんて到底足元にも及ばない。

因みにだが、彼女は両国ではなく鶯谷住みだ。わざわざ両国まで来ているのは、鶯谷のゲーセンの筐体と店員が劣悪だからだそうだ。彼女も高校時代は部活帰りにいつもここに通い詰めていたし、ここは慣れ親しんだ筐体がある、というのも恐らく理由の一つだろう。

「1クレで3曲できるけど、1曲勝負ね」

「はいはい…」

「好きな曲、選んでいいよ」

「…」

好きな曲と言われても、この手の音ゲーには世間一般に知られているJ-popは収録が少ない。僕は100円玉を入れると、広告をスキップして選曲画面を適当にスクロールした。

「…響子」

「何?」

響子はカードを財布に仕舞いつつも反応する。ゲーセン通いの人なら大抵持っている、会員カードみたいなものだろう。

「何であんなすぐOKしてくれたの?」

「OKって…何を?」

「スタジオに来てくれること」

僕は手を画面上で滑らせながら尋ねてみた。素っ気ない感じを醸し出してみるが、実は僕にとってかなり大事な質問だった。

少し理解に苦しんだのだ。こんなあっさり了承されるとは。何故か後から無茶振りな条件を付けられたが。

()()()()()()()()()()だよ」

「…え?」

選曲の手が止まった。僕は左でノーツスピードの設定をする彼女をまじまじとみる。

「5年前に喧嘩してたじゃん?禊と奏幸で」

「うん」

「アタシはあなた側につくって言ってるの」

「…」

予想だにしない理由だった。

僕自身は確かに喧嘩をしたことを後ろめたいとは思っているが、それは単純に時期が悪かっただけだ。ライブ直前、事故直前という作為的にも程があるバッドタイミング。喧嘩の内容はあまりにも薄っぺらいし、奏幸の理由も一理あるだろうし、関係を履修するためだけであるなら僕は幾らでも謝る。

だが、その二者間にましてや響子が割り込むとは。

「思い出より音楽の質を優先したのがちょっと気に食わなかった。それだけ」

「…昔の琴音なら、音楽の質の方が大事って言いそうだけどなあ」

琴音に言われて、はいそうですかと了承できるほどこの事情は単純ではない。僕は納得が行っていなかった。納得というより、琴音は本当にそれでいいのかと感じていた。

「あー…そんな事言ったかもね」

琴音は生粋の音ゲーマーだが、彼女が音ゲーに飲み込まれたのは《コウニズム》を含めた音ゲーのゲーム性ではなく、ゲーム内で使用されている音楽が原因らしい。《コウニズム》の収録曲の約3割はインスト曲---即ち、ボーカルパートが存在しない楽器だけの曲であり、アタシはそこに魅せられたと話していた。

「でも、思い出と音楽には一つ大きな差がある」

「…何だろう」

「アウラってやつだよ。音楽は練習すれば幾らでも上達するし、メンバーが集まれば何度でも再生できる。けど、思い出はその瞬間にしか創られない。人生を全体として俯瞰すれば、本当に刹那的な時間」

「アウラ…」

思わず、反芻する。

きっと思い出のアウラは極めて強い。部活のラストライブ。その輝きは高校生活において一際光を放っていることだろう。

音楽を批判しているわけじゃない。きっと響子は音楽が好きだし、ギターとドラムを比較するのはナンセンスかも知れないが、メンバーの中だったらきっと奏幸の次に演奏が上手い。

だけど天秤に二者を架けたら、沈むのはきっと前者だ。演奏の中に思い出が包括されているということは、思い出の方が貴重性が高いということ意味。響子は僕らの喧嘩を見ただけで、随分と深いところまで思考を掘り下げていたようだった。

「きっと奏幸は質の悪い音楽を思い出として残すのが反対だったのかも知れない。アタシ達は音楽の良し悪しなんて分からないし、そんなの気にしてなかった。だから衝突した」

「それでも、奏幸と対立するのかい?」

「彼に反対してるんじゃなくて、あなた側につくって言ったじゃん。奏幸の言いたいことは別に何も間違ってないよ」

「…そっか」

中立の立場を取っているわけではないが、争う気もない。第三の意見として口を挟んでいる。当時は割り込んで来なかったが、自分の頭で考えた事を腹の中にしまっていたということなのか。

その時。

「あ」

「ん、何?」

「長々と話してたから、勝手に選曲されちゃったよ」

「えっ!?」

僕は画面に視線を戻した。

「《World XX》かぁ、非会員用の《コウニズム》収録曲で最高難度レベルの曲だよ」

「さ…最高難度!?」

非会員用というのは、恐らく響子が持っていたカードを所有していない人のことだろう。会員と非会員が店内マッチングを行った時は、会員がやりこみ度に応じて解放したロック曲や隠し曲などはプレイできないということだろう。

そしてこの《World XX》はそれらの曲を除くと、全収録曲内で最高レベル。よりによって何故こんな曲が選ばれたのか。

「チュートリアルやる?」

「ん…。多分、大丈夫」

僕とて全くゲームセンターに行ったことがないわけではない。大学で帰りに友達と行った時も、このゲームは2、3回遊んだことがある。散々な結果だったが。

「よし、行くよ」

「…うん、はぁ…」

今日何回目の溜め息だろうか。何だかんだ言いつつ、これが今日最も重い溜め息ではなかろうか。



ランキング7位対素人。対戦前から結果が分かっているこの勝負に、果たして意味はあるのやら。




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