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Deathtiny  作者:
Chapter2「色彩ボイスアクター」
12/19

#10「Encounter in the rain」

「雲が…」

窓の外を眺める莇は、扉に体を預けて呟く。

本日、9月7日。正午を過ぎた頃。

僕と莇は、総武線に揺られていた。外の景色が民家の畑からビル群に移り変わる様子を見てると、何だか都心の人間であるかのような錯覚を起こした。

昨日の夜、莇はスティンガーのまとめたデータを持ち出して話した。僕に与えた情報は3つ。

自殺者の名前---坂井彩華。

自殺時刻---9月8日午後6時37分。

自殺地点---JR総武線亀戸駅。

坂井彩華、とても華やかな名前だと思った。そして彼女の名前を保養所に置かれている古いパソコンで調べて、やはりヒットした。彼女の公式SNSである。

僕が前の時間軸で見ていたニュースの通り、彼女はとある声優事務所の女性声優だった。年齢は僕の2つ上で25歳、誕生日は7月7日、デビューは2018年。写真を見る限り長い黒髪をしており、身長は175cmの僕よりリンゴ一個分小さい程度。それにしたって、女性の中では高い方だろう。目が大きくて、質素な銀色のピアスがとても似合う。幼い印象を受ける莇と対照的に、大人びたお姉さんのような顔つきだ。

彼女のSNSは、至って普通の女性的だった。プロフィール画像は自撮り、ヘッダーは何かのイベントの記念写真か何かだろうか。他の、恐らく声優と思われる多数の女性陣と共に、映画館のような場所で記念撮影をしている画像だ。プロフィール欄は短い挨拶と所属事務所、更に出演したアニメ作品をピックアップして記している。僕はアニメに疎くて、殆ど分からなかったが。

彼女のメッセージを見る。出演作品の宣伝、他の声優とのお喋り、意味不明な呟きなど多数ある中、自殺を暗示---或いは彷彿させるような文言は、最近の7日間では見当たらなかった。まあファンのフォロワーが多い分、そんな弱気な発言を公式アカウントでするわけに行かないが。

とりあえず、会ってみることにした。アニメ界では名の知れている人らしいので、会えるか分からないが、声優事務所へ向かうと決めたのが昨日の夜だった。

「---彼女の自殺動機、何だと思いますか」

莇がふと、問いかける。

「…仕事は順風満帆に見えるよね」

「…もしかして、今日か明日、突発的に発生する動機とか?」

「それは無いと思うよ」

莇の言葉を、僕は否定する。

「え?」

「自殺の動機っていうのは日々によって蓄積されるものだ。僕だって内定の貰えない日々を嘆いて自殺したし」

「…流石、経験している人は違いますね」

「君だって自殺管理の死神だろう…」

端から見ればこの会話、とても奇妙だろう。車内の怪訝な視線を集めていたが、どうせ僕は半分死んだような状態なので、大して気にしなかった。

すると、小さな死神は頬をぷくっと膨らませた。

「…じゃあ自殺のエキスパートっぽいこと言ってあげますよ」

「何それ…」

「《ウェルテル効果》ってご存知ですか」

いきなり本当に専門家っぽい事を言い出して、僕は莇に釘付けになった。

「い、いや、知らないよ…『若きウェルテルの悩み』なら知ってるけど」

「そう、それが由来です」

莇は僕の両目を見据える。

「ドイツのゲーテという方がその本…『若きウェルテルの悩み』を出版した後、それに準えて失恋経験した人々が自殺を重ねたんです。ストーリーは御存知ですか」

「えーと、確か…。ウェルテル少年がとある女性に恋したが、彼女は婚約済みで、少年は絶望して自殺したとか…」

「そうです。そして、本での服装を忠実に再現し、ウェルテルと同じピストルという方法で自殺をした人が当時、後を断たなかった。特に恋愛関係が破綻した人に」

莇は付け加えて、自分より前にいた《乖離界》の死神はこれに悩まされた、とも言った。

「つまりウェルテル効果は、有名人の自殺がメディアに報道された後、そのファンなどが後を追うように自殺をすることです」

「へえ…」

そういう現象が起きる事は知っていたが、まさか名前まで付いていたとは。

そこまで言って、僕は思う。

「…まさか、今回の…ええと、彩華さんも?」

「はい。江東区内ではいないですが、全体的に自殺が2、3日後増えるんです」

江東区内で起きてないという事は、僕が自殺を止める管轄じゃない、という意味か。どちらにしろ、彼女の自殺を止める事の重要さはよく理解できた。彼女はウェルテル効果の起爆剤なのだ。


---まあ、人の自殺を止めるなんて、あまり気の進む事ではないが。






僕らは次の駅---亀戸で降りて改札を抜けると、その声優事務所がある場所へと向かった。雲行きが怪しいので、少し足早に。

事務所は、至って普通のビルだった。灰色の外壁、入口は自動ドア、4階建ての小さなビルだ。声の収録をここでするわけではないので、これぐらいが妥当なサイズなのかも知れない。

「…でも事務所まで押し掛けるなんて、距離感おかしいファンみたいかな」

「そうですね、ファンって狂信的(ファナティック)の略だから…」

莇は手を顎下に当てる動作をする。

僕は何と言って彩華さんに会うか、考えてなかった。ファンと言って通される気はしない。そもそも今日、彼女はここに来てるかさえ分からない。

「とりあえず、入ろう」

「私もですか?」

「うん、一人では流石に…」

「…分かりました」

莇はやや不満げな表情を浮かべた。僕らは自動ドアを開くと、その境界線を越えた。

建物の内装は、やや飾り気があった。黒いタイルの床に白い柱、照明も程よい明るさで床の漆黒に光を落としている。

初めに目が合ったのは、この事務所の関所---受付の管理人だった。

(やばっ…)

「…どなたですか」

管理人の男は低い声で、そう言う。

「あ、えーと…」

50歳は越えていそうな、黒縁眼鏡の男。管理人レベルは恐らくベテランクラス。適当な返事では睨まれると思ったが、

「…見学です」

僕は、適当な返事しか思い付かなかった。だが、

「…2階以上は関係者以外立入禁止です。見学なら1階のみにしてください」

「え…」

適当な返事をした割に、しっかりと答えてくれる管理人。僕は申し訳ない気分になった。

「はい…」

彼女と会えない以上、もうとっとと帰っても良かったのだが、何だか管理人の指示に従わなければならない気がして、僕は1階に残った。莇と一緒に、ロビーの黒い椅子へと座る。

「…はぁ」

「…まあ、こうなりますよ」

溜め息をつく僕に、莇は優しく声を掛けてくれた。

「というか、彼女ほ今日来ているのですか」

「さぁ…」

来てるかなんて確証はない。何たって、ほぼ手探りも同然の捜索なのだから。

僕には元々、この《還り人》という役職に誇りなんて微塵も感じていない。寧ろこれは、人の決意を踏みにじる悪行だと思ってる。僕が五十嵐信次の自殺を止めたのは、自分が死ぬ為だし、彩華さんをこうやって捜しているのも、自分が死ぬ為だ。自分の決意を確固たるものにする為に、他人の決意を妨害するのか、と言われると正直苦しい。

この莇という死神、根はいい少女なのだろうが、いまいち何を考えてるか分からない。見た目は幼いし、何とも言い難い既視感があるし、死神という役職も疑わしい。彼女は「5人の自殺を食い止めたら《天国》へ連れていってあげる」と言ったが、僕はそもそもその《天国》とやらの存在を疑っている。錦糸町で自殺するまで僕は、死んだら何も残らない、天国や地獄なんてものは存在しないし、生まれ変わりなんていうのはただ生命の終焉を人々が避けているだけの甘えだと思っている。そして、今も変わらずそうだ。《乖離界》とやらはあったが、僕は尚も非科学的な説は拒絶している。これが夢ならさっさと覚めて欲しいとさえ、僕は考えている。

この自称死神の少女---莇は、本当に天国の人口密度をこれ以上増やさないのが目的か?そもそも、天国に人口密度なんてあるのか?天国は存在するのか?

僕は考えている内に、その疑念が胸の内で大きくなっていたことに気付いた。こうなったら、訊くしかない。

そう思って、莇の方を向いた時だった。

「禊」

莇が窓の外を指差して言った。思わず、僕はそちらを向く。

「あ…」

そこには、水滴に染められた窓があった。幾つもの雫がそこに貼り付き、外の景色を遮る。

「雨、降っちゃいましたね」

莇が呟く。ここに着く前から雲行きは怪しいと思っていたが、本当に降ってしまう。

僕も莇も、傘は持っていなかった。こうなったら、止むまで待つしか---






「あの---」






ふと、声が聞こえた。

僕が今まで会ってきた、どの人にも似つかない美声。

そんな音の波が、僕と莇の鼓膜を静かに揺らした。






「良かったら---傘、貸しましょうか」


「え…」






坂井彩華が、現れた。

僕が調べた顔写真と同じ、あまりに美しい笑顔---


---()()()の笑顔をした、彼女に。





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