飢えた鬼と、娘の後悔
そこは小さな小さな村でした。
特産品も無く、名所も無く、土地が肥えている訳でもなければ、大きな都と大きな都の通り道でもありません。
何も無いのです。
小さいのは当然でした。
ある日のこと。
そんな村に鬼が来ます。
鬼は村で一番大きい弥助の二倍の身長でした。
その鬼は食べ物をねだりました。
しかしこの村の人々はその日食べるものにも困る生活をしていて、鬼に渡せるような食べ物はありませんでした。
鬼は激怒します。
手当たり次第に金棒で家を壊します。
「おやめなさい」
そう言ったのは、若い娘でした。
「ならば食べ物をよこせ」
「私達はもう三日も食べていません。あなたに渡せる食べ物は無いのです」
「うぉぉぉぉ」
鬼は言葉とは思えない奇声を発します。
「黙りなさい」
「お前らの事など知るか。俺は一週間も食べていない」
「そのようなことを言うなら、私もあなたの事なんか知りません。あなたに渡せる食べ物はありません」
鬼は再び奇声を発し、家を壊し始めました。娘が何度呼び止めても、鬼は止まりません。
娘は仕方なく、こう言いました。
「分かりました。あなたに食べ物を渡しましょう。その代わり、その人外の力を貸しなさい」
「それで良い。早く、早く何かを食わせろ!」
「まずはあなたが行動するのが先です」
鬼は娘の言った事が気に入らず、再び暴れようと思いましたが、ここを我慢すれば食べ物にありつけるのだと思い直し、娘に尋ねました。
「それで、俺は何をすれば良いのだ?」
娘は次々と鬼に命令します。
鬼が壊した家の修理。元々壊れていた井戸の修理。
新たに外敵から身を守る柵も作らせました。
鬼は空腹の中、食べ物が食べたい一心で頑張ります。
仕事が終わった時には、疲れ果てまともに動くことも出来ませんでした。
娘は鬼に近づき、言いました。
「お疲れ様です」
「終わったぞ。お前の言った事はすべてやった。さぁ、食べ物をよこせ」
娘は静かに笑いました。
鬼は気付きました。
もう自分にはこんな小娘一人にも対抗できない程に疲れ果てている事に。
「お前。まさか、俺を動けなくするのが目的だったのか?」
娘は何も言いません。
「そうか。お前らも食べ物が無いと言っていたな。そうかそうか。俺の肉は食えるかもしれないぞ」
鬼はとても腹が立ちましたが、怒鳴る体力もありませんでした。
ただ小さな声で皮肉を言う事しか出来ませんでした。
「あなたの肉など食べられますか。得体の知れないあなたの肉など、誰も食べたくはありません」
娘はようやく口を開きました。
「しかし、あなたは人を食べられるのでしょう? さぁ、私をお食べなさい」
「馬鹿を言うな。お前が俺を食べられず、どうして俺がお前を食べられる」
「鬼は人を食べると聞いています。何が不思議でしょうか?」
「鬼? 鬼とは俺か。俺は人だ。大きくて力がある、それだけの理由でこの村を追い出された、人だ」
娘は驚きます。
自分が小さい頃から聞かされていた、鬼の話は嘘だったのです。
「ならば、待ちなさい。私の父が狩りに出ています。もう直ぐ戻るはずです」
「狩りだと? どこへだ? 俺もこの辺はくまなく探した。だけど獲物は何一つ無かった」
「何処へ行ったかは分かりません」
「いつからだ? 何日前に出たのだ?」
「五日前です」
鬼は力いっぱい笑おうと思いましたが、そんな体力もありませんでした。
「お前の父はもう戻っては来ない」
「戻ってきます」
鬼は思いました。
娘の父が戻ってきたとしても、動けない自分を見て食べ物を分けてくれるだろうか。
多分、分けてはくれないだろうな。
それでも言おうと思いました。
「ならば待とう」と。
娘を信じて言おうと思いました。
でも言えませんでした。
もう喋る体力も残っていなかったのです。
鬼は娘を見つめ、必死に口を動かします。ゆっくりと動かします。
でも声は出ません。
「い、う、な? あなたは言うなと言いたいのですか?」
娘も鬼の最後を予感し、鬼の言葉を読み取ろうとしました。
鬼はゆっくり目を閉じながら、そっと微笑みました。
それっきり、もう動きませんでした。
娘は後悔しました。
もし自分が先に食べ物を与えていたのなら、鬼は死ななかったのではないだろうか。
しかしこうも思いました。
私が見張らず、鬼は真面目に仕事したのだろうか。
そして思いました。
この状況で鬼を信じられない自分は小さい人間だと。
でも思いました。
最初と今で娘の気持ちが違うように、最初と今で鬼の気持ちが違うのかもしれない。
もうその答えは分からないのだと思いました。
娘はただただ泣きました。
そして、泣き止むと誓いました。
鬼を嫌いな村人達に見つかる前に、そっと墓を作ろうと。
決して今日のことは人には言うまいと。