初恋ショコラbitter
夏のボーナスを無事に貰って皆のお財布が暖かくなっている今日この頃。
去年の集中豪雨が嘘の様な空梅雨模様が続いております。皆さんお元気でしょうか?
私と忍さんは……とりあえず元気です。結納の時にオーダーで作ると言ってくれたエンゲージリングが今は互いの薬指に無事に嵌められています。最初は私だけが付ける予定だったんだけども……今では忍さんも一緒につけています。何で買って言うと、そういうことがあったのですよ。
「芽衣ちゃんは、今年のボーナスは何に使うの?」
「そうですね、これだけの高額はもう暫くは貰えなそうなので、手堅く投資ですかね?」
営業部の歩合に対してとかいろいろと加味されているから、3月分までとしても相当貰えた方だ。
私のボーナスは、3月までは榊原から、4月からは税理士事務所が算定する事になっている。
なので、事務所のボーナスは高額でないのでこっちのお金は忍さんと一緒に行く旅行の資金にするつもりだ。
とは言っても、二人とも世間的な夏休みには取れなそうなので、9月のシルバーウィークに取ろうかと思っている。そんな話を係長に言ったら、二人が休んだら仕事にならないから俺も休んで税務管理課だけ休みにしちゃおうかって話になった。本部長に相談したら、専門性と秘密性が高い仕事だから三人が足並みをそろえるのはいいだろうって事で、9月の連休に大型連休を取る予定だ。
「料金が高いと言ってもお盆よりは安いからね。芽衣はどこに行きたい?」
「そうですね、のんびりできるところがいいです。温泉なんてどうです?」
「いいね。部屋付き露天風呂。いいねえ。関東で良ければ二か所行けるよな」
「そうですね。そうしましょうか」
私達の話を聞いた係長も子供でも宿泊できる部屋付き露天風呂の施設を探し始めた。
「皆さん揃って、旅行ですか?私も連れて行って下さいよ」
誰も誘っていないのに、陽子ちゃんが割り込んできた。家族旅行って言っていたの……聞こえていないのだろうか?」
「無理。愛する奥さんと娘と初めての家族水入らずなんだから、邪魔しないでくれない?君の夏休みの取得は8月でしょう?僕達は9月に申請しているから無理だね」
そう、陽子ちゃんは8月の世間的なお盆の季節に休みを取る予定になっていたはずだ。
「家族旅行なら諦めます。課長は?グループ旅行何ですよね?友達も誘うから一緒にどうですか?」
係長にアレだけ言われたのに、まだ忍さんにすり寄っている。
「あのさ、僕には愛する婚約者がいるの。何度言えばいいのかな?」
「それはエア彼女でしょ?写真見せてくれたことないじゃないですか?」
「写真?そんなものは僕が楽しめばいいもので、人に見せるものではないでしょう?」
「課長って独占欲強いんですね。ちょっと意外です」
「君には関係ないから」
「係長は課長の婚約者さん知っていますか?」
陽子ちゃんはどうしても忍さんの婚約者(要は私の事だけど)が知りたいようだ。
「知っているよ。凄く可愛くて、仕事のできる素敵な子だよ」
係長……いろんなものを盛っていませんか?陽子ちゃんが納得していなそうですよ。
「そんなんじゃ分かりません。もっと具体的に教えて下さい」
「人の恋路を邪魔すると馬に蹴られるって知っている?俺はそこまで馬鹿じゃないから。芽衣ちゃんはどう思う?」
ちょっと、なんで私に振るんですか?そこは間違いじゃないですか?私が婚約者って言えばいいのですか?
一瞬忍さんを見るとにっこりと笑っている。私に丸投げですか。そうですか。
「斎藤さんは知っているんですか?課長の婚約者さん」
そうやって顔を近付けなくていいよ。つけまつげ怖いから。
「私が知っているって程でもないけど」
「もったいぶらなくてもいいじゃないですか」
机に乱暴に手を置いたせいで書類がバラばらになってしまった。私はそれを直しながら彼女に答えた。
「課長の婚約者さんはあなたとは間逆のタイプの人ですよ。仕事の道具は大切に使うと伺っていますから」
「なんか納得いかないけど、今日はこれでいいです。絶対に見つけ出してやるんだから」
陽子ちゃんは更に鼻息を荒くしているけど、目の前にいるあなたがたいしたことない女と認定した女がその婚約者だとは恐ろしくて言えなかった。
「芽衣、俺も婚約指輪つけようか?」
「いいえ、皆さんに弄られるだけですよ。耐えられますか?」
「うーん、それはちょっと……どうしたら彼女は諦めると思う?」
「その前に、彼女が異動になる方が先だと思いますよ。相当迷惑かけていますよね?」
「その時まで待てと」
「はい。もう少し秘密の婚約者でいましょう」
私は忍さんに向かって微笑んだ。
「俺は、早く芽衣が婚約者だって言いたいのにな」
その気持ちは分かりますよ。でも今はまだその時じゃないんです。私の立場がまだ弱すぎます。
「今は……」
「分かっているよ。芽衣の気持ちも大切だから。こっちにおいで」
さっきまで二人で睦合ったベッドに潜りこむ。忍さんの手が忙しく動いているのをやんわりと止めた。
「ダメです。明日も仕事です」
「残念。今日は諦めるか。その代わりにこのまま……抱きしめて眠らせて」
触れるだけの優しいキスを数回繰り返してから忍さんは眠ってしまった。
やっぱり、陽子ちゃんの件は堪えているのだろう。なるべく早く解決したいのだけど。
どうしたら解決できるのか、私はぼんやりと考えていた。
7月の末から私は税理士事務所での研修が増えてきた。その分必然的に残業時間が増加してしまう。本部長もそこは目を瞑ってくれているようで、「とにかく2年間頑張ってくれよ」と励ましてくれた。
私の研修終了後は、係長に昇給する事だけは約束されている。そして、経理部に異動するか今のままでいるかはその時までには決まるだろう。
係長は「本当に人手が必要だったら経理部から依頼が来るから、今のままでいたら?」と言われている。
そんな係長も、こないだは経理部の仕事のお手伝いと称して1週間ほど経理部勤務をしていた。
そんな中、私も営業部から声がかかった。けれども私の場合は営業部に出向く訳には職務上できなかったので、こちらに来て貰う事で調整して貰った。今日から三日間久しぶりに営業職の仕事だ。
最悪、同行した方が良ければ本部長にお願いしようと自分なりにプランを組んでいた。
「芽衣、久しぶり」
「うん、早速仕事始めよう。3日で詰め込めるだけ詰め込むわよ」
「了解。課長芽衣をお借りします」
「仕方ないよね。斎藤君は優秀だったから」
「そんなことないですよ。普通です」
「あのボーナスの額でそれをいうかい?謙虚すぎ」
係長にも弄られた。元経理部だから去年の冬の金額は知っているんだろうな。
「ボーナスって……どうだった?」
「去年の夏よりは少ないわよ。普通はこんなものだろうと思うわよ」
「成程。ところで、お前の元彼から電話があったぞ」
「何も用もないわよ。人の事を財布なんて言っていた男なんて」
「なんだよ?財布って」
「だから、職場と家の往復で基本的にお金使わないでしょ?その分を彼の銀行の預金のノルマの当てにされていたって事。財布として貢がされなくて良かったわ。預金なら金利もちょっとはついたしね」
「まだ口座持っているのか?」
「別れた次の日に客先に行く途中で、彼の新しい彼女のいるカウンターで全額解約してやったわ」
「お前……他の女に寝とられてもただじゃ転ばないな」
「でしょう?結構な額預金していたのを全額解約だったから大変だったわ」
「支店長ものか?」
「ええ、全部暴露して引きあげたの。その彼がどうして今頃?」
「ノルマピンチなんじゃねえ?」
「他人だし、今は内勤だから外にでないしね」
「ってことは、お前が婚約したことなんて」
「知る訳がないのよ。大学の同期に私の事を探っているのは知っているんだけどね」
「でも、メガバンクの支店勤務か……お前の方が年収上だろ?」
「うん、言ったことないから知らない。ってか、私は無能だから残業ばかりって馬鹿にしていたから」
「実際は逆なのにな。もしかしてそこに気が付いたんじゃないか?俺も気を引き締めないとな」
「そうね、メインはコートなのは当然だけど、コートを引き立てるアイテム……マフラーとか手袋を先方の主力メーカーを使って売り上げ増計画なプレゼンなら悪くないわよ。コートの中に似合うスーツもプレゼンできるわ。紳士はトータルコーディネイトすると一式全部買って下さる方もいるわ。そういうプレゼンをしたら間違いなく伸びるわよ」
「なるほどな」
「だから、ビジネスマンが出てくるドラマとか、雑誌とかは気になったら見ておいた方がいい」
「成程。服装がヒントになるのか」
「そうよ。たとえばコートに社章を止められるようにするっていうのもアイデアな訳。実現するかどうかは別にして閃いたら何でもメモにしておかないと」
「そっか。申し訳ないけど、今度のプレゼンの企画書一緒に見て貰ってもいい?」
「今回のメインはそこなのね。いいわよ。今回は……そこのなら、去年の資料持って来たわ」
私は去年の冬モノのプレゼンをした時の資料一式を彼に手渡す。
「凄い量だな」
「まあ、中を見てよ。今年のヒントもあるかもしれないわ。去年はマフラーを売っていたのよ」
去年はフレッシュ層向けのマフラーを担当していのだ。コート担当の彼ならこの素材は使いこなせる。
「なあ、このマフラーを巻いているのは男性だろ?どうやって撮影したんだ?」
「これ?実家の父。だから首元、手元と顔は出さない様にマフラーだけに集中するように撮影したの」
「お父さん……。真夏にご苦労だな」
「大丈夫よ。クーラーで冷えたリビングでの撮影だったし」
「そうか、視覚から訴えるのが俺には足りないのか。分かった……でも間に合うかな?」
「素材撮影なら、ここの会議室でやればいい。撮影は私がしてあげるからあなたが着なさい。男性が紳士服を売るのなら、着用すべきだと思うわよ。そうしたら善し悪しが分かるわ」
「そっか。着た感じと見た感じは違うものな。サンキュー。とりあえず俺も企画書自力で書いてみるからお前は暫く自分の仕事をしていていいぞ」
「ありがとね。何かあったら呼んで」
「ああ」
私は自分の席に戻って作業を始めようとした。座った途端に何か……違和感を感じる。
電源を入れただけのはずのPCの電源が落ちている。良く見るとケーブルが外されていた。
「課長。部長すぐに来て貰えますか。係長はそのまま動かないでください」
「何があった?斎藤君」
「今日はPCの電源を入れただけで一切触れていませんが、ケーブルが抜けています。このPCの重要性が分かっていない誰かがやったものと思われます。自力での復旧はできませんので、今から関係各所に連絡を入れますので、立ち会って貰えますか?」
「ああ、構わない。それって銀行との連携のだな?」
「はい、まずは情シスにPCの復旧を。銀行にはオンラインが遮断された時刻を確認した上で、復旧手順を伺います。最後に税務署に連絡しますが、今月の処理は終わっているので、こちらの不具合が分かるのは早くても来月以降になります」
「って事は、何も分からない人がこのPCをいじったって事か」
「ええ、私の業務を分かっている人は、このPCが皆さんの使っているモノとは異なる事を分かっているはずです。良かったですね、銀行とのシステムホストをこっちにしないで済んで。そう言う話もありましたよね」
「そうだな。斎藤君、手配は済んだのかい?」
「はい、全てメールで送信しました。とは言っても、個人メールから担当者に送ったものですけど」
私はスマホの画面を本部長達に見せる。内線だと犯人に聞かれる恐れがあるのでメールで送ることは許して欲しいとしてある。
暫くすると、私宛に内線が入った。私のPCの今日の履歴データをプリントしてからこちらに来てくれると言う。
一方の銀行の方は、担当者が外回りに出る日なので立ち寄る事になった。ひとまず私はやる事が無くなってしまった。
「困りました。やる事がありません」
「えっ?」
「あのPCには業務上のデータが満載です。それを壊すもしくはピックアップするのが目的なら既に達成されているでしょう。そうなるとコンプライアンス室にも報告が必要ですか?」
そう言って私はニヤリと微笑む。係長達は意味が分かったみたいで頷いてくれた。
「それは俺が直接向こうに行って依頼しよう。お前らは待機な」
本部長はそう言ってコンプライアンス室に行ってしまった。
「芽衣、どうせ必要なデータは入ってないだろう?」
「そうね、ネットで見ていたのは帝国データバンクと気象庁と金融庁だし、メールも社内一斉メールしか残していないから」
「相変わらずだな。むしろヤバいのはそのタブレットだろ?」
「正解。プライベートも仕事で作業中の資料とかも、社外秘以外はこの中に入っているからね」
「それは不幸中の幸いか?」
「さあ、それはどうでしょう。で、企画書の原案は出来た訳?」
「ああ、こんな感じでどうだ?」
私は彼が作り上げた企画書を確認する。最初に見せて貰ったものより内容がグッと良くなってきている。
後は、自分がコートを着用して写真撮影だけども、何処か撮影できる所がないだろうか?ここは忍さん達に相談をしてみよう。どっちにしても、私の本来の業務は完全に停止状態だ。パソコンの状態が分からないので、会社の私のIDも使えない様に情シスに頼んで凍結して貰っている。
「いいんじゃない?暇ね。本当に暇なの」
「お前……タブレット持っているって事は業務可能だろう?」
「出来なくはないけど、今はタブレットを仕事で持ち込みたくないだけよ」
「何かあったのか?」
「うん。大丈夫。野犬狩りはしているから。今日の業務終了後には捕まるわよ。馬鹿よね、私のPCのケーブル引っこ抜くなんて。会社の奴は基本的に電源を落とせないやつなのに」
「えっ?なんだよ。それ」
「業務上守秘義務があるから君でもここまでよ。そんなパソコンに分かりやすい嫌がらせができるのって二通りしかいないのよ」
「成程。お前の婚約もスピードだったけど……大丈夫か?」
業務上知り得ている人も少ないけど、プライベートで知り得た人も私達がお願いしたかん口令を聞いてくれている。同期会に行った私を迎えに来た忍さんのお陰で交際がばれてしまったのだが、秘密裏にⅩ所変更をしたのだが、同期の一人にその情報をブロックした方がいいとアドバイスを次の同期会で言われたのだ。今では同期会の最初から忍さんがいる始末だ。しかも同期に馴染んでいるから性質が悪い。
今では、私の行動は完全に忍さんに筒抜けらしい。これの半分は菫ちゃんの仕業だろう。
「平気よ。交際を求められて即答した訳じゃないもの。それに彼との出会いは就職活動中からだから知人にしたら相当長いのよ」
「ふうん。芽衣にもいろいろあったのか。ってことは、元彼と被ってないと」
「当たり前よ。バレンタインデーに会えなそうだから連休でデートもいいなあと思って行ったらね」
「うん」
「ネトラレだった訳ですよ。元からラブラブではなかったけど、一気にマイナスまでカウンター低下ですよ」
「だよな。それでどうしたんだよ?」
「彼の家に置いてあったスーツケースに私物を全部入れて帰って来た。あっ、別れますって言ったわよ」
「成程。そりゃそうだよな。完全に修羅場だよな。男の家に……女でいいのか?」
「うん、定番の誰……?二人とも服着たらってカンジですよ」
「お前、あの男と別れた理由を言わなかったから変な憶測飛んだんだぞ」
「そうなの?忍さんと二股したって事?それもありえないわ。私達の事はいいから、明日は情シスとか外部の人が来るからここでまったりなんてできないから一日延長して貰えるように本部長にかけあいましょう」
「いいのか?」
「いいわよ。今週は週末に研修があった分、事務所に行かないの」
「相変わらず休みの多忙だな」
私達がボソボソと打ち合わせコーナーで休憩しながら話していると、不穏なオーラを纏った忍さんがいた。
「二人とも仲がいいんだね。僕は初めて知ったよ」
「同期だし、大学が同じだからだと思いますよ」
「それに彼は妻帯者。嫁は大学の同級生」
忍さんがどこにジェラシースイッチが入ったのか知らないけど、本当に困ったものです。
「ふうん、そう言う事にしておきましょう。で、芽衣のパソコンはとりあえず後二日は使えないんだけど……ないと困る事ある?」
「ないです。午前中の作業もこの中にありますよ。報告書上げてあります」
私は依頼を受けが調査の報告書の入っているUSBメモリーを渡す。
「良かった。このデータが復旧できるか不安だったんだ」
「やった人は私のパソコンの重要性を知らない人です。すぐに自滅しますよ」
「そう。芽衣がそう言うのならそうだろうな。で、明日はココ騒々しいと思うけど……」
私と同じ事を忍さんは指摘する。
「大丈夫です。本部長にそこのところは全部丸投げして次の作業場所探して貰っています」
「芽衣……大丈夫なのか?」
「うん。本当は2年前に営業から経理にって話があったのに本部長が潰したのね。その時の借りを返して貰っているだけだもの」
「斎藤君、目が笑ってないから。もしかして僕の事恨んでいる?」
「2年前はどうでもいいんですけどね。今期の営業成績にかかって来るんで段取りはお願いしますね」
「分かっているよ。明日の斎藤君は、広報部のスタジオで仕事してくれ。何かあればこっちから呼ぶから」
「分かりました。ところで躾のなっていない野良犬は捕まりましたか?」
「ああ、情シスにしょっぴかれるんじゃないかな?どうするんだか」
「人事には既に報告済みですよ?彼女の事」
「何だ……分かっていたのか。だから斎藤君は侮れないんだよ」
「人事に報告したのは菫ちゃんですよ。私を陥れる発言をしたという向きで」
「竹田さん……人事に行って更に磨きが掛かっているね。社内プレゼン通過していたな」
「そうですか。」
「竹田さんって、秘書課の?」
「そうよ」
私はのんびりと答える。うちの本社にはたけださんは数人いるけど竹田さんは一人しかいない。
「彼女って彼氏いるの?」
「やだ、知らないの?菫ちゃんは人妻よ。それも幼な妻」
「はあ?」
隠してはいないんだよね。でも聞かれないから答えないだけなんだよ、菫ちゃん。
「他所のお宅の事を詮索するものじゃないわ。さあ、終業前に忙しくなるからもう一作業しましょう」
私は打ち合わせコーナーから立ち上がって再び会議室に向かった。
「斎藤さん、ここ空けて貰ってもいいかい?」
「えっと、資料を置いたままで良ければ」
「この資料はそれでいいの?」
「去年の私のプレゼンの資料なので使い回しもできませんよ」
「成程。それじゃあ、君の使っているパソコンは明日中には復旧させるから」
「大丈夫ですよ。オンラインの不備がなければ。後は基本的にプライベートなものは何も残してませんから」
「そうだよね。君はプライベートが絡む時は全て私用の方から送ってくれるから」
「それは相手が情シスでも変わりません。まあ、あの駄犬とっとと処分して下さいね」
「そんなに悪いの?」
「アレのどこに、仕事のやる気を探せばいいんでしょう?失礼します」
情シスの事情聴取が始まる為に私達は会議室を明け渡した。どうせ犯人は一人しかいない。
「芽衣は、犯人が分かっているの?」
「うん。あの中は、総務の一斉メールとか、人事の一斉メールしか残してないもの」
「完全に個人情報の形跡なしか。相変わらずだな」
「そのお陰で今回の情報流出は最低限で防げているはずです。社内メールで送る人のリストがばれた程度じゃないかしら?」
彼女の事だから、それを知り得ても何もできないだろうけど。基本的に総務部と人事部と同期のアドレス位しかないのだから。
その本社の同期だって彼女が分かる人がいるのかどうか?
「で、何が原因なの?」
「女ホイホイなあの人」
「ああ、そこか。納得。ちゃんと言えれば一発なのにな」
陽子ちゃんだけじゃなくて、彼をまだ狙っている女性はたくさんいる訳で。
その為に忍さんが指輪を付けたと言うのは分かっている。でも誰も私とお揃いって気が付いていないのだ。
「午後からしか見てないけど、課長とお前……いい夫婦になると思うぜ」
「本当?今度奥さんも一緒にご飯食べようよ」
「ああ、そうだな。課長も一緒にな。一度営業に戻って明日の件で必要な事が出来たらメールするから。芽衣、無理だけはするなよ」
「分かっているよ。お疲れ様でした」
そう言うと彼は営業部に戻って行った。
「「ただいま~」」
結局、陽子ちゃんの件で私達を巻き込んでグダグダと話し合いが持たれて、私達が解放されたのが午後8時前。陽子ちゃんの態度が余りにも好ましくなかったために、人事部長まで引き出されてしまう始末。
陽子ちゃんは、暫く謹慎処分。それに噛みついたって話だから、本社から支社勤務になるんじゃないかな。
「ごめんな。芽衣」
「私の方こそ……ごめんなさい」
私に頭を下げる忍さんの頭をゆっくりと撫でる。そして、少しだけ背伸びをして忍さんの髪の毛にキスをする。
「芽衣?」
「もう少しだけ顔を上げて?」
私の言われるままに顔を上げてくれたので、今度は額に唇をあてた。
「芽衣……誘っている?」
「そう言われちゃうと困るんですけどね。何となく……したくなったんです」
「ふうん、それじゃあお返し」
忍さんは私の頬にキスをする。その後にきつく抱きしめられた。
「落ち着きましたか?」
「うん、ごめん。ありがとう」
「ご飯……どうします?」
「そうだなあ。今日はカップラーメンでも良くない?ちょっとひんやりするから」
「さっきコンビニでカップラーメンを買ったのはそのせいですか?」
私達は陽子ちゃんの持論に振り回されてぐったりして夕飯を食べに行く気力も作る気力もなかった。
辛うじてコンビニに寄る事ができたので、カップ麺とお菓子とかを買い込んだのだ。
「たまにはいいと思わない?ジャンクフード食べながらテレビ見ながらご飯でも」
「そうですね。そうしましょうか」
私はキッチンでやかんでお湯を沸かし始めた。
忍さんは、お皿に買ったお菓子を盛りつけたりしている。
「今夜は飲むだろう?」
「そうですね、残らない程度につきあいますよ」
忍さんは知っているよって顔をして、ダイニングで晩酌の用意をしている。氷を出してって言っているので今夜はロックか水割りなのだろう。言われた通りに氷と冷えているミネラルウォーターを渡した。
「ありがとう。やかんだけじゃないのか?」
「野菜が足りませんので、冷凍の野菜炒めの具があるので野菜炒めを載せましょう」
「かなりボリュームがあるぞ」
「大丈夫。大盛りのラーメンを二人で食べましょう。スナック菓子も食べるのならちょうどいい位です」
私は沸いたお湯をカップラーメンに注いでふたをする。後はリビングに運ぶだけだ。
「いいのかい。こんな夕飯で」
「営業の時の私の夕飯……これより酷かったですよ」
「そうだね、いつかはメロンパン齧っていたよね」
メロンパン食べながらの残業した日だって……まだ四カ月くらい前の話。そんなに古くはない。
「給料減ったの辛い?」
「いいえ。使わないので今でも溜まっていますよ。洋服買おうとすると忍さんが払っているんですもの」
「まあ、いいじゃない。芽衣が俺の選んだ服を着てくれるのが嬉しいんだよ。ファストファッションが嫌いじゃないよ。でも、デートによってはそうはいかないだろう?」
「そうですね。今度はユニクロで色違いのポロシャツ買いましょうか?」
「色違いでいいの?芽衣は本当に控え目だね。僕はお揃いでも大歓迎だよ」
「それはですね……世間の目が痛そうなので色違いでいいです」
「成程。そこが女心ですか。難しいものですね」
「忍さんは気にしなくてもいいものです」
二人でラーメンを食べてから、スナック菓子と水割りで寛いでいます。
「芽衣は……これからどうしたい?」
「難しい事を聞きますね。私は……忍さんがずっといてくれればそれでいいんです」
「それでいいの?」
「はい、大変ですよ。ずっと一緒なんですから」
「ねえ、今日はちょっと酔っている?」
「そんなことないです。でもちょっとだけ疲れました」
私が本音を漏らすと、忍さんは私の背中をゆっくりと撫でてくれました。
「頑張ってくれてありがと。そんな芽衣にご褒美あげる」
忍さんは立ちあがって冷蔵庫に向かって行く。やがて見慣れないものを持ってきた。
「ほらっ、コンビニの新作スイーツ。今回は予約して取り置きして貰ったんだ」
そこには新発売の初恋ショコラbitterが置かれていた。
「俺と大人の初恋始めない?」
「私達……私が返事をしたあの日から始めていますよ」
このスイーツは珍しくコピーが二つある。一つは大人の初恋始めましたという。
「そうだけど、もう一度仕切り直そうよ。ねえ、俺は芽衣と甘さの先を知りたいんだけど?芽衣は?俺と甘さの先を知りたいと思わない?」
そう言って、私の左手の薬指についているリングに口づける。
私を誘惑しているはずのその行為が、今日は不思議と誓いを懇願している様にも見えた。
「いいですよ。一緒に甘さも辛さも全部強要し合いましょう」
宣誓をしてから、そっと自分の唇を忍さんのそれに重ねた。
重ねあさせただけのキスが終わってから、きつく抱き寄せられる。
「本当。芽衣には降参。年上のはずの俺が芽衣に翻弄されるってなんだろうね?」
「そんなことを言われても分かりません」
「そうだよね。今日は責任とってって言いたいけど……今日はしない」
「どうして?」
「うーん、芽衣のしてくれた誓いをもっと噛みしめていたいんだよね」
忍さんも忍さんらしくない発言をしています。その発想……乙メンですよ。
それを口にすると、機嫌を損ねちゃうので言いませんけど。
だったら……今日はこうやってずっと仲良くしましょう。肌を合わせなくても互いを感じる幸せを
満喫しましょう。
そのまま、私達は眠りに着くまで、互いを確認し合う様に互いに触れ合ったのでした。
おまけ
「忍さん……寝ちゃったんですか?ちょっとごめんなさいね」
私の髪を指に絡ませたまま眠ってしまった忍さんの指から髪を解く。
「これでよしと。忍さんも大変だったでしょう?お疲れ様」
陽子ちゃんとの攻防は口にしなくても相当精神的なダメージだったの事は知っています。
「ケーキより忍さんの方が大好きですよ。もう忍さんなしじゃ……私も辛いです」
普段忍さんの前じゃ口に出来ない事を口にする。その後そっと頬にキスをする。
「明日も修羅場でしょうね。まずは乗り切りましょうか?」
忍さんの布団の中にその身を滑り込ませて、私も眠りにつくのでした。
最期なのに……お約束じゃなくてごめんなさい。
前までがあんまりだったので健全にシフトチェンジしました。
どうして?前回だとなろうじゃ終わらないよ?この二人。