君想いマカロン
「斎藤主任、一番に外線です」
「ありがとうございます。お待たせしました。財務管理部斎藤です」
なんとか財務管理部での生活も始まった。私は社内税理士を目指しながら、税理士事務所で実務修行もすることになっていた。
異動してから知ったのだけども、私の立場もちょっと違っていた。私は税理士事務所に転籍になり、税理事務所からの出向ということで財務管理部に勤務するという。
今まで社内税理士がいなかったから私をモデルケースにという事らしい。
給与の方は今までのをベースにしてくれるそうで、資格手当が最大額貰えると聞いた。
それと、税理士会への事務手数料等の費用も経費として負担してくれるという。それっていいのかと思っていたら、宅検等では更新料は会社が負担しているのだとか。やっぱり社員には優しい会社だ。
私の机に置かれているパソコンは皆のものとはかなり違っている。オンラインバンクの専用端末と表現した方が正しいだろう。私のメインの仕事は全国事業所の税務処理を全て行う事だ。全てオンライ処理が出来る様になっている。プリンターも定型書類が出力できる様に設定されている。
税務処理をする都合上、全社の経理情報も調べる事が可能になった。
全てがチェックできるので、経費面で予算オーバーになると、警告表示がでるようになっている。
そこから伝票のデータからチェックしていく事が可能になる。
この仕事はサポート業務であって、それをメインにしていくのは財務管理課長の忍さんと係長の仕事だ。
ちなみに、この警告表示は経理部でも出るらしいのだが、通常業務で手一杯と言う事で、今期からは税務管理課の新しい業務になった。
係長は忍さんの同期と言う事で私と同様に今回の異動で経理部から異動してきている。
「あっ、はい。了解しました。確認でき次第折り返しの電話をこちらから致します。早速の連絡ありがとうございます。失礼いたします」
税理士会からの研修の日程変更の連絡だった。
「斎藤さん、何だって」
「土曜日の研修会の日程変更だそうです。来週の金曜日の午後4時ということなので、参加して終了後は直帰でもよろしいでしょうか?」
私はホワイトボードの日程表を変更する。
「いいよ。その日は僕らもオフィスにいる予定だし行っておいで」
「分かりました。その日はよろしくお願いします」
「僕がお願いした案件だけど、気になるものはありそうかい?」
三日前に忍さんから頼まれた仕事の件で聞かれている様だ。気になったデータは控えてある。
「そうですね。ちょっと待って下さい」
私は自分で纏めていたテキストファイルを呼びだしてデータをプリントしてから課長と係長に提出した。今回提出したのは、二年前に新設された部署のものだ。
「どこが気になったのだい?」
「調査費です。もっと額が少なくてもいいかと思ったので。ここの部署が欲しい情報は、営業部・広報部・マーケティングの各部門でも持っているはずのものです。私が営業にいた期間でも先方からの問い合わせを受けた記憶がありません」
「芽衣、当時の伝票は請求書は経理の倉庫にあるだろうから、経理部長に貸し出しの許可を貰おう。そのまま今はデータ上から調べて貰ってもいいかい?」
「分かりました。時間を貰えますか。それと、一人だけこの件で接触したいので許可を下さい」
「それは?」
「その部署の評判を聞く程度です。そこにヒントがあると思っています」
「こちらの意図は気付かれない様に」
「分かりました」
私は社内内線の番号をチェックする。相手の番号の変更はないのですぐにプッシュする。
「財務管理斎藤です。今は大丈夫でしょうか?」
―おおっ、芽衣。元気か?主任様か。今度奢れよ―
「ランチならね。健康的な生活ですよ。早速ですけど……」
―分かっているよ。依頼か?―
「ええ。タブレットにメールを送るのでよろしく」
―ああ、昼休みには返信する。今日は暇だからラッキーだったな―
内線を終了した私は、私物のタブレットを取り出してメールを送った。
「今のは誰なんだ」
「事情通の同期ですよ。彼のネタはどこよりも信用できます」
「社内メールを使わなかったのは?」
「情シスからの漏洩防止ですよ」
その後、この案件絡みで少々多忙になった。データと資料を付け合わせていくと表向きは変な所はない。気のせいかなと思っていたところに、違う観点からの突破口が見えてきた。
最終報告書を作成するために、残業を申請して報告書を今作成している。
係長は今日は家族サービスの日だからと言って定時で帰って行った。
帰る時に、じゃあね、芽衣ちゃん。頑張ってねという意味深なセリフ付きだった事が凄く気になる。
「課長、作成しました」
「御苦労様。見せて貰ってもいい?」
私は出来上がった報告書を見せた。報告書の作成者の名前は係長にしてある。
私が本来の担当業務ではないので、あえて作成者にはしなかった。
「うん、これなら経理からコンプライアンス室にすぐに報告がいくだろう。これでいいからデータを貰ってもいいかい?」
「そういうと思ってこっちに入れてあります」
私はUSBメモリーを課長に手渡した。」
「流石芽衣だね。ありがとう、俺たちなら見落としていたよ」
「偶々気が付いただけです。これからもお手伝いはしますよ。いいですよね?」
「そうだね。じゃあ、今日は帰ろうか?」
「はい、帰りましょう」
私達は帰りの支度をしてからオフィスを後にした。
「一緒に帰るのは楽しいね」
「そうですね。この案件のお陰で同居が早まりましたし」
残業したとは言っても7時前なので手を繋いで歩くことはしていない。けれども何となく忍さんがはしゃいでいる様にも見える。
こういう姿の彼を見ていると、自分より純粋な人なのだと思えて愛おしく見える。
「うん、よく芽衣のご両親がいいよって言ってくれたよね」
「それは私が言ったの。相当特殊な仕事を忍さんと一緒にするのって言ったら両親が折れてくれたの」
「そっか……本当にお二人には感謝だな。折角だからコンビニに寄って行こう」
夕食の下拵えをしてから今日は出社しているけど、デザートは用意していない。
私達はいつもの様にコンビニに立ち寄る事にした。
「今日の夕食も美味しかったよ。芽衣」
「良かった。それならデザートタイムにします?」
「うんそうだね。俺はすぐに用意できるけど、芽衣は?」
「私は……今日はお腹いっぱいだから止めます」
そう言って、私達はダイニングテーブルからリビングのソファーに異動する。
このソファー……異動前のお泊まりでやらしたソファーだと思い出してしまって少しだけ赤面してしまう。
「何?芽衣……あの日の事思い出したの?」
耳元で囁いてから、忍さんが耳を甘噛みしてくる。その刺激に下腹部が反応してキュッと締まる。
「こんなエッチな子……嫌ですか?」
「芽衣なら大歓迎。他の子は……考えていなかったな。相当前の俺の話は……あいつ等から聞いているんだろう?」
私と出会う前の忍さん……女の人に利用されて傷ついた忍さんは一時期割り切った関係しかできなかったと聞いている。それが止まったのは私に出会ったからだと後で忍さんから聞かされた。
「それとも……もうシタイの?俺を誘っている?」
「そんなつもりじゃないです」
「元気よく否定されちゃうのも男心としては切ないものですよ?芽衣は本当に罪作りだよね」
「今は嫌ってだけです。デザート食べるんでしょう?忍さん?」
「そうだったね。ねえ、芽衣……。お願いがあるんだけど」
「お願い?」
「うん。これのさ、店頭ポスターと同じポーズしてくれない?」
コンビニの袋から取り出したのは、君想いマカロン。今は定番のフレーバーに期間限定で桜と抹茶のフレーバーもあると聞いている。でも、まだお目にかかった事はない。
「えっ……それは忍さんの趣味?」
「うん、芽衣があのポーズをしたらすっごく可愛いと思うし。スマホの待ち受けにするんだ」
これから私が絶対にやってくれると信じ切っている様で、子供の様に豪快に袋を開けた。
中に入っていたのは、期間限定の桜と抹茶。しかもレアマカロンでハートの形だ。
「へえ、レアマカロンは始めて見たな。芽衣は見た事がある?」
「画像としては……ですね。菫ちゃんが最初に買ったのがレアマカロンだったって報告メールで添付してくれましたよ」
私は自分のスマホを操作して、菫ちゃんの画像を見せた。そこにはレモンとキャラメルのマカロンがちょこんと入っていた。
「で、芽衣もこのレアマカロン送信するの?」
「どうしましょうかね。菫ちゃんにはまだ忍さんと同居している事は報告をまだしていないので。そうですね……とりあえず撮影だけします。先にいいですか?」
そう言うと、私はスマホを取り出して、さっさと撮影してしまった。
「それじゃあ、これからは芽衣のグラビア撮影会にしようね」
なぜそこで……グラビア撮影になるのでしょう?意味が分かりません。
「はい、マカロン持って。ポスターの様にチュッてして?」
言われるがままに楓太君がやったポーズをする。
「いいねえ。芽衣、今度は着替えてみない?」
「どうして?」
「だから言ったでしょう?芽衣が俺のグラビアアイドルだからだよ。俺を楽しませて?」
「それ……誰かに見せるつもりですか?」
俺の彼女なんて誰かに見せられたら……。目の前が真っ暗になった。
「もちろん、見せる訳ないだろ」
「分かりました。それならいいですよ」
結局忍さんの押しの強さに負けてしまって、延々とマカロンポーズと撮らされた。
けれども、どんどん身につけているモノが過激になってきているんだけど。
「そうそう、そのまま……いい子だよ」
今のポーズはなぜか手ブラ状態だ。絶対に妄想のおかずにするつもりなんだ。
「これはマカロンのポーズじゃないです」
「そうだね、でも俺だけが楽しむんだからいいだろ?」
最後に忍さんが今日来ていたワイシャツを素肌に羽織ってポスターポーズで撮影会が終わった。
「ねえ、折角だからキャッチコピーも言ってみてよ」
忍さんに促されて、私はそのキャッチコピーを呟いた。
「君に会いたい……だから君を想う」
コピーを言った途端にきつく抱き寄せられた。忍さんの熱を感じ取ってしまって少しだけ驚く。
「君に告白するまでも、君に返事を貰うまでもずっと想っていた。今からそれを証明させてくれない?明日は会社休みだからいいよね?」
それから、お姫様抱っこで寝室に連れられてしまう。ああ、またあの日の再来ですか。
ある種の諦めの様な、悟りのような感情が私に芽生える。
私だけにこれだけ求めてくれるのならいいかな。最初から激しい愛を教えてくれた人だから。
「いいですよ。忍さんの愛は全部私のものですから」
「うん、今日も一杯愛してあげるからね」
私が更に煽ってしまったせいでしょうか、起き上がる事ができたのは日曜日になってからでした。
ピュアなキャッチコピーなはずなのに、忍ちゃんにかかれば……お約束ですよ。もう何も言う事ありません。