初恋ショコラ
久しぶりのホイホイ部長(この人本名を佐々木一弥と言います)とゼロ嬢(悠里)。
バカンス企画では悠里が吸血鬼というとんでも設定が加わりました。
今回もその設定はそのまんま使っております。
「で……今日のこれは?」
「初恋ショコラです。部長。今回の開発は、これを超えるコンビニスイーツを開発するんですよね?」
会社の前の通りの桜の花が綻び始めた、ある日の夜。今日も例によって残業中なのです。
中西主任がノリノリで企画を練っているのだけど、部長は初恋ショコラを食べた事がないというので、今日の残業食をイケメンコンビニで買ったので、一つだけ買って来たのだ。
今の時刻は午後9時。私と部長以外は誰も残っていない。
「確かに中西に任せてはいるけれども、俺が知らない訳にはいかないって言いたいのか?」
「はい、そうです。まずは、食べて下さい」
私はパッケージを開けて、部長に勧める。
「悠里、二人きりの時にはどうするんだった?」
「えっと……一弥さん」
「良くできました」
そう言うと頬を掠めるようにキスを落された。
「ちょっと。一弥さん」
「この位は挨拶だろ?お前はヨーロッパの血筋の割にはフランクじゃないのな」
6月にルーマニアにいる親族に会うために有給を使う事を一弥さんは快く思っていない様だ。
「今回だけは一人で行きます。次は一緒に行きましょうね。ケーキに戻しましょう。味は知らない訳じゃないですよね?」
「ああ。そうだな。甘さ控えめのケーキだろ。なのになぜ売れたんだ?」
「重要なのは、そこです。まずはカロリーが控え目なのです。それにスタイリッシュなパッケージ。手ごろな値段設定。私が最も重要だと思ったのは、メディア戦略でしょうか」
「メディア?CMとかか」
一弥さんの目の色が少しだけ変わりました。
「まずは、CMキャラクターが国民的アイドルなのは分かっていますよね?」
「ああ」
「健全な番組をメインにしている彼らの口から出てくるキャッチコピーが肝なんですよ」
「ほう……アレか、ケーキと僕のキス、どっちが好き?だな」
「そうです。どちらかというと青春純情派は路線の彼らがどきりとする発言をするCMというのが女性の心を掴んだという訳です。それが更に好調で、深夜とは言いながらも企画ドラマが出来た位です」
「成程。いわゆるギャップ萌ってヤツか」
「そうなります。で、悠里はそれを超える秘策があるというのか?」
「はい、チョコレートケーキで勝負はしません。どうせするのなら男性でも買いたいって思えるものにしましょう」
私なりに分析をして、アイデアは纏めてある。
「悠里はどんなものがいいというんだい?」
「私はこんな……残業中に片手で食べられる……スティックケーキがいいと思います」
「成程……味はどうするんだ?」
「甘さ控えめで、さっぱりとしたものがいいと思います。空腹で食べるのであれば濃厚なタイプだと体に負担がかかると思います」
「なるほどなあ」
一弥さんは淡々と私の説明を聞きながら、初恋ショコラとコーヒーを交互に口にしながら完食してしまった。
「そのアイデアはラップサンドみたいでいいな」
「ラップサンドにするのなら、クレープにしてもいいですよね。ただクレープで初恋ショコラを超えるのは相当難しいと思います」
「成程。ワッフルって言うのはどうだ?」
「クリーム入りになると、クリームの質が重要になりますね。でも考えてもいいと私は思いますよ」
「他には何を考えていた?」
一弥さんが、私に聞いてくる。私がターゲットにしているのは男性。それも普段はブラックしか飲まない様な男の人。
「バタークッキーです。一弥さんも普段はブラック飲みでしょう?でも胃に負担が来ると思うんですよ。だから、程良くバターの聞いたクッキーとかサブレなんてどうでしょう?」
「それは一理あるよな。他には?」
「もしくは、焼きドーナツでしょうか?でも厳密にはスイーツコーナーというよりは、パンの売り場の隣になりますね。もしくは自分でデコレート出来るパンケーキとか……」
私はスケッチブックに書いてあるラフを一弥さんに見せた。
「ふうん。結構な量を出しているな。で、この中で作れる菓子ってあるか?」
スケッチブックの中のお菓子類は基本的に私が作れるものばかりだ。出来ないことはない。
「作れますよ」
「そうか。なら、今日は帰るか」
一弥さんは私に今日の業務終了を言い渡した。
「一弥さん、帰るって言っても自分の部屋じゃないつもりですね」
「一人暮らしの恋人が物騒だからボディーガードとして泊まるのは良くないのかい?」
「あの……結婚の約束のない男女が、一つ屋根の下にいるのはやっぱりどうかと思います」
「悠里……。お前のその考えは戦後の女学生か?と言いたくなるぞ」
「いいんです。私は結婚したい相手とそういう関係になりたいと思っていますから」
私達はさくら通りを手を繋いで歩いていたけれども、私の一言で一弥さんが足を止めてしまった。
「一弥さん」
「悠里は……俺とは結婚したくはないの?」
「してもいいかなって思う時はありますよ。じゃなければ、空いている部屋とは言っても一弥さんを家に泊めるなんてしません」
そう、一弥さんとお付き合いはしているけれども、私達は大人の関係にはなっていない。彼氏のいない期間が年齢という私にゆっくりと進めようと言ってくれた一弥さんに思い切り甘えている状況だ。
私場無防備だからと言って、遅くまで残業した日とか翌日が休みの時は大抵私の家に泊まるのだ。
今では、一弥さんのスーツまでも私の家に置いてあるからセカンドハウスと言ってもいいかもしれない。
「そうだよなあ。無防備だと思うと、それなりに警戒しているもんな。信用はしているぜ」
「ありがとうございます」
「まだ……心の準備出来ない」
「怖いんですよ。経験が一切ないんですから。一弥さんはいいじゃないですか」
「どうして?」
「だって、私と一緒に過ごすと……もれなく私の初体験だらけですよ」
私が答えると、一弥さんは急に耳まで真っ赤になった。
「悠里……それ……反則」
「何がですか?」
「だって、今日だって。夜桜の中を家まで帰るのだって始めてですよ。一弥さん……本当に女心分かっていますか?」
私は一弥さんの顔を見上げる。一瞬目があったけれども、すぐに目をそらされた。
「悠里はそうやって、こっちがびっくりする様な事を平気で仕掛ける。本当に罪作りな子」
そう言って、私をきつく抱き締めた。
「一弥さん、苦しいです」
「もう少しだけ……ちょっと充電するの」
そう言って、私の首筋に顔を埋めた。そのポーズをするのは普通だったら私の方だと思うの。
でもその事をまだ一弥さんに話していない。そんな事をされると私の方も衝動が抑えられない。
だって、この平成の世の中だけども……私は吸血鬼の一族の出身なのだ。それも先祖変わりしていて潜在的な能力は一族の中でも高いらしい。
吸血欲求はたまたま低いので、普段は造血剤を飲んでいれば特に問題はない。たまに疲れが溜まると貧血になってしまうので、そうなると手っ取り早く輸血を一族が経営している病院でお願いしている。
一弥さんは、そんな私をちょっと体が弱い子だと思っているようだ。本当のことを言ったらこの人は私から離れてしまうのだろうか?そう思うと怖くって先に進む事ができない。
「寒くなったな。家に帰ろうか」
一弥さんが再び私の手を取ってゆっくりと歩き出す。
「一弥さん……私が臆病でごめんなさい」
「その位、気にしていないさ。じゃあ、一つだけ質問。さっきのケーキと俺のキス、悠里はどっちが好きなんだ?」
さっきの初恋ショコラの事を言っているのだろう。そんなの聞かれるまででもないんだけどな。
「……ス」
「ん?聞こえないなあ」
意地悪くいう一弥さんのコートの襟を掴んで引き寄せると、私は自分の唇を重ね合わせた。
「これが答えです。分かりましたか」
「はい……分かりました。悠里をもう怒らせません」
私が起こるとちょっとだけ怖い事を一弥さんは分かったらしい。それならそれでいいかと開き直ってしまった私ですが、私からキスしたの……初めてだと言う事を分かっていない様ですね。
「一弥さん、いかがですか?」
「何が?」
「初めての私からのチューは?」
「ああ!!勿体無い事をした!!悠里、もう一回して?」
「嫌です。家に帰るんです。私は疲れました」
そう言って私は自宅に向かって走り出した。




