ailes d'ange -7
テスト投稿です。
明るい日差しの中で目覚め、生きるのに不都合な自分自身を嘆く事には、既に飽きている。
さわやかな風の中で自分が動けない事も、取残されることにも飽きている。
杳は春の柔らかな朝陽の中でそう思った。
春が来るのが怖かった。
時間が過ぎ、夏の声を聞く頃になって漸く、その怖さが薄れた。
そして時間の中に取残されている感覚も麻痺してきた。
ただ引き換えに、深いため息が増えた。
今年最初の寒気団が上空に居座った頃、評議会から連絡があった。
杳の未来が見えない事について、もう少し踏み込んで調査する事を許すという内容だった。
幾つかの方法が考えられたようだが、結局一番安全な、対象の夢を覗く、というものだ。
夢なら対象との接触があっても、夢で済む。
勿論接触は許されていない。あくまで見るだけだ。
しかし脳が自由過ぎる夢の中で、原因を特定するのは難しい。
「ま、何も出来ないよりマシか」
ダニエルは自分にそう言い聞かせた。
杳は思っていた。
自分で自分の身体を動かせなくなる前に消えたい。
何より怖いのはそれ。
下手すればいずれ、呼吸すら自分では出来なくなる。
だから、望むのは肉体からの解放。
解放された私が、何処まで私でいられるのかは分からない。
たぶん、この脆弱で不便な肉体が私を私としてまとめて、一箇所に集約してくれているのだろう。
自分が自由に考え事をしているとき、同時に複数の事を考えている事に気付くことがある。幾つもの思考が様々な方向へ飛び、そこからまた幾つも枝分かれして思考は進む。
思考は本人の意思とは関係ないところまで枝分かれし進み続けるが、何かのきっかけで、『私』に集約される。
名を呼ばれたり、肉体が次の行動をとったりというような事で。
そして無数に枝分かれした思考の殆どは集約、収束され、私の記憶には残らない。
肉体から解放され自由になった精神は、何処までも飛散し、霧散し、きっとビッグバンほどのスピードで、『私』であったことを忘れてしまう。
忘れてしまうというより、わからなくなる、のだろうか。
それとも個というもの、己自身が希薄になるのだろうか。