推しに会いたくてジャガイモを流通させたら、自分のバッドエンドも回避できました
この作品は「乙女ゲームのバッドエンド絵師、ゲーム世界に転生する 〜バッドエンドしかない世界で、運命を捨てる〜」第ニ章をもとに、短編として再構成し、カミラ視点で描き直した作品です。
本編をお読みでない方でも理解できる内容となっておりますので、どうぞ安心してご覧ください。
よろしくお願いいたします。
カミラは子爵家の令嬢だった。
生まれた時から、前世の記憶を持っていた。
だが、その事実を誰にも明かすことはなかった。自分がこの身体を乗っ取っているような感覚があり、どこか後ろめたさを感じていたからだ。
そのため、幼い頃は普通の子供のふりをして過ごしていた。
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やがて、カミラは理解する。
父は野心家だった。
娘を愛していないわけではない。だが、それ以上に――カミラを“価値ある駒”として見ている。
より上の家へ。
より高い地位へ。
そのための道具として。
その事実を受け入れた時、カミラの中の遠慮は消えた。
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八歳の秋。
カミラは両親とともに、王宮で開かれるガーデンパーティーへと赴いた。
王家主催の茶会。
上位貴族のみが招かれる場だった。
本来であれば、子爵家が気軽に足を踏み入れられる場所ではない。
それでも両親は無理をして参加した。
理由は明白だった。
この場で、カミラがより上の家に見初められることを期待していたからだ。
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開会の挨拶が始まる。
宰相が前に出た。
その姿を見た瞬間、カミラの視線は動かなくなった。
見覚えがあった。
忘れるはずがない。
前世でプレイしていた乙女ゲームの登場人物に、あまりにもよく似ていた。
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『ライトオブクラウン』
通称、ライクラ。
すぐに死ぬことで有名な乙女ゲーム。
その中でも印象に残っているのが、宰相の息子――カイゼルのルートだった。
孤児の主人公と、身分違いの恋に落ちる。
だが結ばれることはない。
最後には、互いに想いを捨てきれず――水の中で命を絶つ。
その結末のCGは、異様なほど美しかった。
だからこそ、強く記憶に残っている。
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カミラは隣に立つ父へ、小さく問いかける。
「お父様。宰相のご子息のお名前は、カイゼル様ではありませんか?」
父はわずかに驚いたように眉を上げた。
「カミラ、よく知っているな。ああ、確かにカイゼル様だ。だが、魔法は一属性しか使えないらしい。貴族の血を引いて二属性使えないとは、少々気の毒な話だ」
その言葉を聞いた瞬間、確信する。
ここは、あのゲームの世界だ。
カミラの胸が高鳴る。
会いたい。
あの、思い詰めた表情を。
追い詰められながらも、純粋に誰かを想い続けたあの瞳を。
実際に、この目で見てみたい。
声も、聞いてみたい。
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帰宅後。
カミラは部屋に閉じこもる。
そして、必死に記憶を辿り始めた。
この世界で、自分がどう動くべきなのか。
カイゼルに会うために、何をすればいいのか。
頑張って、そのすべてを、思い出すのだ。
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カイゼルは風属性しか持たない。
そのため、魔力を補完する目的で、四属性すべてを扱える高魔力の男爵令嬢と婚約していた。
政略としては合理的な形だった。
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カミラは考えた。
宰相家に直接近づくことはできない。
だが、その婚約者である男爵令嬢ならば話は別だ。子爵家としての立場を使えば、お茶会に招くことは可能だった。
カミラはすぐに招待状を書いた。
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返事は、あっさりと断りだった。
四属性ゆえの魔力暴走の危険があり、外出は控えている――という、もっともらしい理由が添えられていた。
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それでも、カミラは諦めなかった。
直接会えないのなら、まずは情報を集める。
社交の場に顔を出し、話題を拾い、少しずつ周囲の認識を探っていく。
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「宰相家の婚約者? エーデル男爵家のロゼッタ嬢のことね」
「あの家、借金が相当らしいわよ。魔力制御の家庭教師に、暴走した屋敷の修繕費……」
「それを返そうとして新しい事業に手を出して、さらに借金を重ねたとか」
「確か、ジャガイモでしたかしら。見慣れない作物を育てているそうよ」
「まあ……返せるといいですわね。一生懸命でいらっしゃるもの」
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言葉だけを拾えば同情だった。
だが、その裏にあるものは明らかだった。
笑いの種にしている。
カミラは内心でため息をついた。
(性格が悪い人ばかりね)
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とはいえ、得られた情報は大きかった。
ジャガイモ。
その単語を聞いた瞬間、前世の記憶を探る。
ジャガイモは単なる野菜ではない。
葉や茎には毒があり、食べられるのは地中の芋の部分だけ。
さらに保存方法を誤れば、芋にもソラニンという毒素が発生し、食中毒を引き起こす。
前世で見た、大手菓子メーカーのホームページの解説記事を思い出す。
ポテトチップスができるまで、という特集の中に書かれていた内容だった。
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カミラの前世は、会計法人に勤めていた。
数字だけではなく、事業の流れも見ていた。時にはコンサルティング業務にも関わった。
生産。
流通。
消費。
それらをどう繋げるか。
これ、ならば、できる。
カミラは机に向かい、企画書を書き上げた。
ジャガイモの生産管理。
毒素を防ぐ保存方法。
加工品としてのポテトチップス。
そして流通の仕組み。
すべてを繋げた一冊の計画書。
目的は一つだった。
ロゼッタと接点を持つこと。
その先にいる、カイゼルに会うために。
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「お父様、この企画書を見てください」
差し出した紙束を、父は一瞥しただけだった。
「くだらん。そんなものを書く暇があるなら、淑女教育に励みなさい」
それだけ言って、視線を外す。
だが、カミラは引かなかった。
ここで諦めるわけにはいかない。
自ら厨房に立つ。
前世の記憶を頼りに、芋を薄く切り、油で揚げる。
塩を振る。
それだけの工程だった。
皿に盛り、父の前に差し出す。
「試してみてください」
父は怪訝な顔をしながらも、一枚を口に運んだ。
その瞬間、表情が変わる。
「……なんだ、これは」
もう一枚。
さらにもう一枚。
手が止まらない。
「薄くて軽い……だが、食感がある。止まらん」
低く呟き、それから顔を上げた。
「これは、貴族の席にも出せる。前菜として成立する」
そして、短く言う。
「カミラ。先ほどの企画書を、もう一度持ってきなさい」
カミラは勝ったと思った。推しに一歩近づいた。
部屋で一人になるとベッドにダイブして喜んだ。
「やったわ!」
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カミラの父は、王宮の税務を担う部門の長だった。
財を扱う立場にある以上、商人との繋がりも深い。中でも、国一番と評される豪商とは、個人的な関係も築いていた。
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その日、屋敷には客が招かれていた。
ラウレンツ男爵。
そして、その嫡男。
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「カミラ」
父が静かに声をかける。
「今日お呼びする商人は男爵だが、国一番の豪商だ。失礼のないようにしなさい。嫡男のアルベルト君も来られる。お前は隣に座って、大人しくしていればいい」
「はい」
カミラは素直に頷いた。
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やがて、ラウレンツ男爵親子が姿を現す。
挨拶を交わし、席につく。
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そのとき、カミラは思わず目を見張った。
息子のアルベルトは、驚くほど整った顔立ちをしていた。
(……攻略対象?)
ふと、そんな考えが浮かぶ。
だが、すぐに首を振った。
(途中で投げたゲームだし、分からないわね)
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父が口を開く。
「ラウレンツ男爵。まずは騙されたと思って、こちらをお試しください」
差し出された皿には、薄く揚げられたジャガイモが盛られていた。
男爵は一枚を手に取り、口に運ぶ。
次の瞬間、表情が変わる。
「……これは」
もう一枚。
さらにもう一枚。
手が止まらない。
「軽い。しかし食感がある。実に面白い」
低く唸るように言い、それから続ける。
「パリパリとしたこの感触……癖になりますな」
父は静かに言った。
「貴族の食卓にも出せるでしょう。貴族が食べれば、やがて庶民にも広がる。これは食の転換点になるかと」
ラウレンツ男爵は頷いた。
「なるほど」
そして、手を差し出す。
「企画書を、もう一度拝見してもよろしいか」
紙束に目を落とし、ゆっくりと読み進める。
しばらくして、男爵は小さく息を吐いた。
「……よく出来ている」
指先で紙を叩く。
「ただし問題もある。冷暗所での保管が必須か。日光を遮断しなければ食中毒が発生する……となると、専用の保管施設が必要になるな」
視線を上げる。
「初期投資が大きい」
父は微かに笑った。
「そこは、国一番と称されるラウレンツ男爵の出番では?」
そして、さりげなく続ける。
「企画書と、この加工品の発案料については――この程度で」
男爵は口元を緩めた。
「さすがは税務部長。話が早い」
短く頷く。
「我々にも十分な利益が見込める」
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そのときだった。
カミラは、思わず口を開いていた。
「……あの!」
場の空気がわずかに止まる。
父の視線が鋭く向けられる。
それでも、引かなかった。
ここで言わなければ意味がない。
「ジャガイモの買い付けは、エーデル男爵家を最優先にしてください」
一息で言い切る。
「お願いします」
「カミラ」
父の声が低くなる。
「商売に口を出すな」
だが、ラウレンツ男爵は笑っていた。
「いえいえ」
穏やかな声で遮る。
「よくお調べだ」
カミラに視線を向ける。
「確かに、現状で最も品質と収量が安定しているのはエーデル男爵家です。生産地まで把握しているとは……末恐ろしいお嬢様だ」
そして、ふと口元を上げた。
「どうでしょう。我が家の嫡男の嫁に――」
「それは、まだ」
父が即座に言葉を挟む。
「今後のこととして、検討させていただきます」
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話はそこで区切られた。
商談は成立した。
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カミラは静かに息を吐く。
本来であれば、叱責されてもおかしくなかった。
誤解が良い方に向いた。良かった。
そして。
エーデル男爵家に恩を売ることができた。
これで、断られる理由は減る。
ロゼッタとの接点が生まれる。
そして、その先に――
カイゼルがいる。
カミラは、誰にも気づかれないように心の中で歓喜した。
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半年後の春。
貴族の食卓では、ポテトチップスが流行していた。
ラウレンツ男爵は流通だけでなく、宣伝にも長けていたらしい。上流階級の間で流行が生まれると、それは瞬く間に広がっていった。
同時に、庶民の間でも変化が起きていた。
物価高に悩む人々にとって、安価で腹持ちの良いジャガイモは魅力的だった。蒸しただけの簡素な料理であっても、日々の食卓を支える存在となる。
結果として、ジャガイモは爆発的に消費された。
カミラは、その流れを見て確信する。
機は熟した。
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意気揚々と、ロゼッタへお茶会の招待状を送る。
返事は、以前とは違っていた。
ロゼッタの屋敷で、短時間であれば――という条件付きの了承。
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カミラは思わず声を上げた。
「やったわ……!」
一人、部屋で拳を握る。
「ロゼッタ嬢と仲良くなって、カイゼル様とお近づきになるのよ!」
目的は明確だった。
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お茶会当日。
エーデル男爵家の応接室。
カミラはロゼッタと向き合っていた。
傍らには、爺やと呼ばれる家庭教師が控えている。魔力暴走に備えるための同席だという。
カミラは、ゆっくりとカーテシーを行う。
日頃の鍛錬が、そのまま形になる。
「カミラ・ノルディアと申します。以後、お見知りおきください」
ロゼッタは、ややぎこちない動きで応じた。
「ロゼッタ・エーデルです」
そこで、動きが止まる。
沈黙。
さらに沈黙。
空気が固まる。
カミラは内心で焦った。
(短時間のお茶会なのに、この空白は何……!?)
推しの話をする前に終わってしまう。
そのとき、静かに声が入った。
「お二人とも、どうぞお掛けください」
爺やだった。
ロゼッタがはっとする。
「あ、本日はエーデル男爵家にお越しいただき、ありがとうございます。領地の作物を流通に乗せていただいたこと、両親ともども感謝しております」
どこかぎこちない。
暗記した挨拶だった。
カミラは微笑んで応じる。
「いえ、我が家にとっても良いお話でした。これもご縁でしょう」
そして、間を置かずに切り込んだ。
時間がない。
遠回しにしている余裕もない。
「ところで――カイゼル様は、どのような方ですの?」
ロゼッタが固まる。
「え?」
カミラは身を乗り出した。
「黒髪に銀の瞳の美少年と聞いておりますけれど、実際はいかがですの?」
ロゼッタは瞬きを繰り返す。
状況を理解しきれていない様子だった。
カミラは止まらない。
「現宰相様も大変魅力的な方ですけれど、あなたはどちらがお好みでいらっしゃるの?」
ロゼッタの思考が完全に停止する。
「……は?」
さらに詰め寄る。
「どちらもお会いになっているのでしょう?」
ロゼッタは小さく答えた。
「か、カイゼル様が……良いと思います」
その瞬間。
カミラの目が輝く。
「ですよね!」
勢いのまま続ける。
「カイゼル様の好みのお色や、好きな食べ物など、ご存じでしたらぜひ教えてください」
ロゼッタは助けを求めるように、爺やを見る。
「えっと……その……爺や?」
だが、爺やは何も言わない。
ただ静かに、首を横に振った。
逃げ場はなかった。
ロゼッタは焦りながら答える。
「そ、そうですね……牛乳がお好きで、毎日一杯飲まれているそうです」
カミラは満足げに頷く。
「まあ、健康的ですわね」
そして、さらに問う。
「お好きなお色は? 銀の瞳に合わせて銀色かしら?」
ロゼッタは視線を彷徨わせる。
「それは……聞いたことがないので、次の機会に……」
そこで、ようやく空気が落ち着いた。
カミラは、ふと我に返る。
(……あれ?)
本来の目的を思い出す。
ロゼッタと仲良くなること。
その上で、カイゼルに近づくこと。
だが、実際に行ったのは――
尋問だった。
カミラは静かに目を逸らした。
(……やってしまったわ)
⸻
ジャガイモの流通は、想像以上の成功を収めた。
ポテトチップスは貴族の食卓に定着し、やがて流行となる。庶民の間でもふかし芋が広まり、ジャガイモは日常的な食材として受け入れられていった。
その中心にいたカミラの名は、自然と広まっていく。
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気づけば、様々な階級からお茶会の招待が届くようになっていた。
ロゼッタのことに構っている余裕はなくなる。
野心家の父は、迷うことなく上位貴族の招待を優先した。
カミラは幼いながらも淑女教育を受けていた。
そのおかげで、場に応じた振る舞いは問題なくこなせた。
だが――
ある考えが、ふと頭をよぎる。
(家格の高いお茶会なら……カイゼル様が来るのでは?)
その瞬間から、受け身ではいられなくなった。
カミラは積極的にお茶会へ出席するようになる。
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困ったのは、母だった。
高位貴族との会話は繊細だ。
娘を褒めすぎれば反感を買い、謙遜しすぎれば嫌味に取られる。
絶妙な均衡が求められる。
カミラは、心の中でだけ謝った。
(ごめんなさい、お母様。でも、推しに会うためだから)
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そして、ある日。
魔導具で名高い侯爵家の茶会で、その機会は訪れた。
⸻
カイゼルがいた。
⸻
しかも、向こうから声をかけてきた。
「少しいいか」
カミラは一瞬、反応が遅れる。
「え……か、カイゼル様?」
慌てて頭を下げる。
「は、はい。喜んで」
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二人は人目の少ない場所へ移動した。
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カイゼルは間を置かなかった。
「時間がない」
その一言で、空気が引き締まる。
「転生者だな?」
カミラの目が大きく開く。
カイゼルは続けた。
「俺も転生者だ」
沈黙が落ちる。
カミラは、理解が追いつかなかった。
「……え?」
カイゼルは淡々と問いかける。
「『ライトオブクラウン』というゲームを知っているか」
カミラは、ゆっくりと頷いた。
「はい……前世で、後輩に勧められて」
少し苦笑する。
「すぐ死ぬので、あまり面白いとは思いませんでした」
カイゼルは短く言った。
「安心しろ」
そして、真顔で続ける。
「あれはクソゲーだ」
カミラは、思わず笑いそうになるのを堪えた。
カイゼルは視線を細める。
「なぜ俺に固執している」
カミラは少し困ったように視線を逸らす。
「本人を前にして言うのは失礼ですが……」
小さく息を吸う。
「時間がないので、正直に言います」
カイゼルは黙って聞いている。
「主人公との心中エンドのCGが、とても綺麗で……あの、入水の場面です」
少しだけ頬を染める。
「それが強く印象に残っていて、どうしても実物と繋がりたくて」
カイゼルの表情が、露骨に歪んだ。
カミラは続ける。
「あのゲーム、全体としては微妙でしたけど、そのCGが見られたので、個人的には良作だと思っています」
カイゼルは、心底嫌そうな目でカミラを見た。
「……お前」
一拍置く。
そして、真顔に戻った。
「このままだと、王弟殿下に嫁いで殺されるぞ」
カミラは固まる。
「……え?」
カイゼルは淡々と続ける。
「警告はした。あとは自分でどうにかしろ」
さらに言葉を重ねる。
「婚約するなら王弟殿下以外にしろ。父親をコントロールしろ。カミラ専用のバッドエンドは王弟殿下だ」
カミラは呟いた。
「私専用……バッドエンド……」
カイゼルは小さく息を吐く。
「ライトプレーヤーだったんだな」
カミラは苦笑した。
「本当に、少し触っただけだったので……」
そして、表情を引き締める。
「分かりました。王弟殿下は避けます」
カイゼルは頷いた。
「俺にできるのは警告くらいだ。すまない」
それから、視線を外す。
「戻ろう。長く二人でいると、勘繰られる」
カミラは小さく頷いた。
「はい」
歩き出しながら、カミラは思う。
こんな状況でも。
(やっぱり、推しは尊いわ)
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カミラは、カイゼルと直接会えた余韻に浸りながら帰路についた。
胸の奥が、まだ少しだけ高鳴っている。
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屋敷に戻ると、母の様子が目に入った。
明らかに疲れている。
表情は崩していないが、動きに重さがあった。
「お母様、大丈夫ですか? もうお休みになられては」
カミラが声をかけると、母は小さく微笑んだ。
「ええ……そうさせてもらうわ」
そのまま、母は早々に自室へと下がっていった。
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カミラは一人、呼び出される。
父の書斎だった。
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扉を開けると、父はすでに椅子に座っていた。
机の上には書類が並んでいる。
「カミラ」
低い声で名を呼ばれる。
「お前を、養女に欲しいと言ってきている家がある」
カミラは息を止めた。
父は続ける。
「お前は商才もある。その年で淑女教育も行き届いている。どこに出しても恥ずかしくない娘だ」
淡々とした評価だった。
だが、その裏にあるものは明確だった。
「だからこそ、良い話が来ている」
一拍置く。
「養子先から、王弟殿下に輿入れする話も出ている」
その瞬間。
カミラの背筋に冷たいものが走る。
(……来た)
カイゼルの言葉が、頭の中で反響する。
――王弟殿下に嫁いで殺される。
このままでは、確実にその未来へ進む。
カミラは咄嗟に思考を巡らせた。
代替案。
回避策。
今、この場で出せる答え。
そして、浮かんだのは一人。
ラウレンツ男爵の嫡男、アルベルト。
(顔よし、財力よし、頭も良さそう
三拍子、揃っている
……これでいい)
カミラは、すぐに行動に移した。
ゆっくりと俯き、肩を震わせる。
声を絞る。
「……お父様」
顔を上げたときには、涙が滲んでいた。
「実は……ラウレンツ男爵のアルベルト様のことが、忘れられません」
父の表情が変わる。
カミラは言葉を重ねる。
「あの利発そうなお姿……どうしても、心から離れないのです」
一歩踏み込む。
「お願いです。この家から、ラウレンツ男爵家へ嫁がせてくださいませ」
父は完全に面食らっていた。
想定していなかった反応だったのだろう。
しばしの沈黙。
カミラは、さらに追い打ちをかける。
「お父様とお母様、お兄様と……離れたくありません」
その言葉は、効いた。
父の表情がわずかに緩む。
野心はあっても、父親だった。
娘の涙には弱い。
「……そうか」
短く言う。
そして、ゆっくりと頷いた。
「分かった。ラウレンツ男爵家と話を進めよう」
その言葉を聞いた瞬間。
カミラは胸の奥で、小さく息を吐いた。
(助かった)
王弟殿下との婚約を回避できた。
予測されていたバッドエンドから逸れることができた。
それだけではない。
(家族と離れなくて済む。
しかも、婚約者は顔が良くてお金持ち。爵位も男爵だから楽ができる)
条件としては、申し分ない。
カミラは父に抱きつきながら、心の中で全力で叫んだ。
助かった。
本当に、助かった。
数ある作品の中から本作をお選びいただき、最後までお読みくださりありがとうございました。貴重なお時間に感謝いたします。




