第九話 春を告げる拳
ゴーレムとの戦いが終わった後。瓦礫の山で、詐欺師ヴァラクが腰を抜かしていた。彼の周りには、金のために集められ、そして捨て駒にされたハンターたちが呻いている。
「助けてくれ! 俺はただ、金が欲しかっただけなんだ!」
「見苦しいな。他人を利用して、用済みになったら切り捨てる。……それがお前のやり方だろう?」
センリは冷ややかな目で見下ろし、取り出した手錠をヴァラクの手にかけた。カチャン、と乾いた音が響く。
「……よく見ておけ」
センリはアレクセイの肩を掴み、ヴァラクを指差した。
「これが人の心を操る者の末路だ」
「え……?」
「こいつは金のために嘘をつき、他人を自分の都合のいい道具に書き換えた。……お前がウルリカにしたことと、何が違う?」
アレクセイが息を呑む。 彼の瞳が揺れた。
「ち、違う……! 僕は彼女を愛してる! だから守りたくて、幸せにしたくて……!」
「愛? 笑わせるな。相手の意思を無視して、自分の理想を押し付けるのを、世間じゃ支配って言うんだよ」
センリの声が一段と低くなる。
「お前のやったことは、こいつと同じだ。……ただの手法が詐欺か魔法かの違いだけだ」
アレクセイは顔面を蒼白にし、首を振った。子供のような癇癪ではない。根源的な否定への恐怖だ。
「ち、違う……僕はただ、幸せに……」
「なら、ウルリカを見ろ。……それが本当に望んだ幸せか?」
センリの視線の先。ウルリカは、自身の掌をじっと見つめていた。ドレスから伸びる褐色の手足は、滑らかで、傷一つない。
アレクセイが編集した、完璧に美しい手だ。
「……違う」
ウルリカが、掠れた声で呟く。
「私の手は、こんなに綺麗じゃない」
彼女の脳裏に、消されたはずの記憶がフラッシュバックする。弟妹を養うために泥にまみれた日々。剣を振り続け、皮が剥け、固くなったタコ。人々を守るために負った、無数の傷跡。
「痛くて、汚れて、ゴツゴツしていて……。でも、それが私だ」
ウルリカの瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。それは悲しみの涙ではない。自分という存在を、他人に塗り潰されたことへの、静かなる憤怒だった。
「ウルリカ……?」
「アレクセイ。あなたのくれる夢は、とても甘くて、温かい」
ウルリカは、震えるアレクセイに歩み寄る。そして、彼の頬にそっと触れた。優しい手つきだった。だが、その言葉は氷のように鋭い。
「でも、いらない。……私の人生を、勝手に消さないでくれ」
パリン。
微かな音がした。
アレクセイの編み上げた世界が、世界を書き直す魔法が、彼女の明確な拒絶の意志によって内側からヒビ割れていく。
「あ……ああ……」
アレクセイは絶望した表情で、崩れゆく世界を見ていた。魔法が解ける。ウルリカのドレスが霧散し、いつもの無骨な戦闘用スーツへと戻る。彼女の手には、再びタコと古傷が戻ってくる。それは彼にとって、愛する人が『穢れ』に染まってしまう悪夢のような光景だった。けれど、ウルリカはその『穢れた手』で、アレクセイの胸ぐらを強く掴んだ。
「――っ!」
「目を開け、アレクセイ。これが現実だ」
迷いのない拳が、彼の頬を打ち抜いた。手加減のない、戦士の一撃。アレクセイは無様に吹き飛び、瓦礫の上を転がった。
「が、はっ……」
口の中に鉄の味が広がる。頬が熱い。痛い。生まれて初めて感じる、暴力の痛み。
「痛いか?」
ウルリカが彼を見下ろす。その琥珀色の瞳は、もう夢を見ていない。
「それが痛みだ。お前が世界から消そうとしたものだ」
「う……うぅ……」
「人間から逃げるな。傷つくことから、傷つけることから逃げるな。その痛みを引き受けろ。……お前が人間として、生きていくためにも」
アレクセイは涙で滲む視界の中、彼女を見た。ドレスを着たお姫様よりも、煤と泥にまみれ、鬼のような形相で仁王立ちする今の彼女の方が――なぜか、遥かに美しく見えた。
***
魔法が完全に解けた館は、急速に崩壊を始めていた。この場所を維持していた魔石を失い、維持できなくなったのだ。
「……そういうことだよ、お坊ちゃん」
センリが呆れたように、アレクセイに手を差し出した。 アレクセイは腫れ上がった頬を押さえながら、ぼんやりとその手を見つめる。
「……僕は、間違っていたの?」
「さあね。少なくとも、俺たちには大迷惑だったよ」
センリは取られない手を引っ込めながら言い放ち、ウルリカの方を見た。
「行こう、ウルリカ。……組織への言い訳、考えておいてくれよ」
「ああ。……腹が減ったな」
「今日くらいは奢ってやるよ」
アレクセイは動かない。崩れ行く館の中、ただ茫然と座りこんでいる。他人の屋敷と心中する気か、とセンリは呆れ混じりの息を吐いた。その口が言葉を紡ぐより先に、ウルリカが動く。彼女はアレクセイの首根っこを捕まえ、強引に引きずって歩き始めた。
「う、ウルリカ……?」
「ここで死んで終わりにはさせないぞ。そんな楽な道は、私が許さない」
「……どこへ行くの?」
「飯だと言っただろう。人間は、飯を食わないと死ぬんだ」
ウルリカの乱暴な物言いに、アレクセイは目を白黒させる。その間もウルリカの手は決してアレクセイの襟首を離そうとはしなかった。逃がさない、という強い意志。それは彼が生まれて初めて触れた、他者の体温だった。
「……ウルリカ」
「なんだ」
「お腹、空いたかもしれない」
小さく呟かれた言葉に、ウルリカは僅かに口角をあげた。
「なら歩け。自分の足でな」
拘束が解かれる。アレクセイはおぼつかない足取りで地面を踏みしめ、そして――ウルリカの背中を追った。センリはその様子を横目で見ながら、大きく肩をすくめる。
「……さてと。とりあえずは飯と、頑丈な首輪が必要かな」
崩壊する黄昏の館。その轟音を背に、三人は明日へと歩き出した。
第一章完結です。いかがでしたでしょうか?感想などいただけるととても嬉しいです!幕間を二つ挟んで第二章に進みますので、お楽しみに!




