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ユースティティアの天秤―均衡の番人は揃わない―  作者: 野塩いぜ
第一章 硝子の箱庭と目覚めの鐘
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第三話 おとぎ話の悪夢

 翌朝。村は深い雪に閉ざされていた。センリは集会所で、頑固な村人たちを前に肩をすくめていた。


「ですから、森の奥に魔女はいません。あれは過去の遺産、自動化されたシステムです」

「嘘だ! 魔女様は我らを見守っておられる!」

「信じないのは勝手ですが、今の吹雪を見てください。あの森は人間を拒絶している。これ以上近づけば、安全の保証はできませんよ」


 センリは窓の外を指差した。森は昨日よりも激しい暴風雪に覆われ、物理的に人を寄せ付けない壁となっていた。村人たちも流石にこの天気では動き出せない。


 センリと村人たちが睨み合っていると、突如として森の木々がざわめいた。

 センリとウルリカが身構える中、猛吹雪の中から何かが滑り出てくる。それは、硝子のようなものでできた棺だった。あの花に包まれた結界の中で見たものだ。ひとつ、またひとつ。行方不明になっていた村人たちを包んだカプセルが、まるでベルトコンベアに乗せられた荷物のように、森の入り口へと丁寧に押し出されてくる。


「……え?」


 センリが呆気にとられる目の前で、カプセルは村の境界線でピタリと止まった。中の村人たちは、変わらず安らかな顔で眠っている。怪我はない。服すら濡れていない。そして最後の一人が排出されると同時に森の木々が生き物のように組み変わり、再び固く閉ざされた。まるで偏屈な住人が玄関のドアを叩きつけたかのようだ。


「おお……おおぉぉ……!」


 静寂を破ったのは、村人たちの歓喜の叫びだった。


「やはりあの方はそこにいらっしゃる!」


 老婆が涙を流して雪原にひれ伏す。それにつられて、他の村人たちも次々と祈りを捧げ始めた。彼らにとってこれは信仰の勝利であり、魔女の実在を証明する決定的な出来事だった。


「……ありえない」


 センリだけが、青ざめた顔で立ち尽くしていた。


「自動プログラムなら、こんな柔軟な対応はしない。侵入者を排除するか、無視するかだ。カプセルだけを丁寧に返却するなんて応用動作……」


 センリの背筋に冷たいものが走る。


「意思がある。……誰かが、俺達の動きを見て判断したんだ」


 それは機械的な処理ではない。 明らかな知性の仕業だった。


 その時、センリの懐で通信機が震えた。緊急回線。上司であるマダム・マーガレットからだ。


『――第三班、応答なさい』

「……はい、こちらセンリ・ハーコート。報告しようと思ってました。どうやら読みが外れたみたいで――」

『言い訳はいいわ。今その村で発動した魔力、観測した?』


 マダムの声は、いつになく硬かった。


『莫大なんてものじゃない。どんなに力あるアーティファクトでも不可能な質量の転移を、たった一度の呼吸で行ったわ。……そこにいるのは、過去の遺物じゃない』

「……ええ。薄々勘付いてます」


 センリは閉ざされた森を見上げた。 吹雪は止むどころか、さらに激しさを増している。拒絶の壁だ。


『解析班の結論よ。四十年前の大災厄以降未確認だった……生きた魔術師が、そこに潜伏している』

「名前は?」

『不明よ。データベースに該当なし。……完全に未知の怪物ね』


 センリはゴクリと喉を鳴らした。名前すらない怪物。社会から隔絶し、ただ森の中で眠り続けていた王。


『任務を変更するわ。行方不明者の捜索は完了とみなす。次のフェーズへ移行しなさい』


 マダムの冷徹な声が、センリとウルリカの耳に届く。


『――目的は対象との接触。敵対的か、友好的か。その意思を確認すること』

「……了解」


 通話を切り、センリは深く溜息をついた。隣では、ウルリカが剣の鯉口を切っている。


「やるのか、センリ」

「やるしかないね。村人たちは奇跡だって喜んでるけど、俺達にとっちゃ災害の現場検証だ」


 センリは、狂喜乱舞する村人たちの背中越しに、白く霞む森を睨んだ。そこには世界を拒絶する誰かがいる。 そしてその《《誰か》》は、おとぎ話のように、それでも扉を叩いてくれる存在を待っているのかもしれない。


「挨拶をしに行こう。とびきり偏屈な引きこもりにね」


***


 視界ゼロ。 上下左右の感覚すら喪失するような、白一色の猛吹雪だった。


「クソッ、冗談じゃないぞ......!  俺は南国のリゾート以外は認めない主義なんだ!」 


 風音に負けないよう、センリが悪態をつく。防寒着の襟を立て、ゴーグル越しに前を行くウルリカの背中を睨みつける。


「ウルリカ、ペースを落とせ! この吹雪、ただの自然現象じゃない。魔力で空間を捻じ曲げてる!」

「聞こえないぞ、センリ! 何か言ったか!?」

「だ・か・ら! 離れるなって言ってるんだ!」


 センリが手を伸ばし、彼女のコートの裾を掴もうとした、その時だった。


 唐突に、世界が断絶した。


 音も衝撃もなく、ただ空間そのものがごっそりと切り取られたような感覚。センリの指先が虚空を掻く。


「――え?」


 ウルリカが振り返った時には、そこにはもう誰もいなかった。 雪の上に続くはずのセンリの足跡すら、消え失せている。


「センリ……?」


 返事はない。非常用の無線機を取り出すが、ザーッというノイズが鳴るだけだ。


「おい、冗談だろう。……センリ!」 


 ウルリカの叫ぶ声は、瞬く間に風に拐われる。彼女は焦燥に駆られ、来た道を戻ろうとした。センリは頭こそ回るが無力だ。この極寒の魔境で一人になれば、数分と持たずに死ぬ。私が守らなければ。私が盾にならなければ。

 だが、数歩戻ったところで、彼女の足が止まった。 吹雪の向こう、ぼんやりと黒い影が浮かび上がったからだ。


 屋敷だ。 

 森の主が住まう、魔術師の隠れ家。 


 いつの間にか、彼女は招かれるようにして、その入り口の前に立っていた。


 戻ってセンリを探すべきか。それとも、元凶であろうこの屋敷を叩くべきか。 ウルリカの心臓が早鐘を打つ。思考が定まらない。いつもなら、ここでセンリが「右だ」「左だ」と決めてくれるのに。


『――迷ったら、前に進め』


 ふと、センリの軽やかな声が脳裏に蘇った。いつだったか、酒場で管を巻いていた時の言葉だ。


『いいか、ウルリカ。もし現場で俺とはぐれたら、お前の判断が最優先だ。俺を探して共倒れになるより、お前のその剣で道を切り拓け。……俺はしぶといからね、勝手に生き残るさ』


「……あいつなら、そう言うか」


 ウルリカは奥歯を噛み締め、剣の柄を強く握り直した。そうだ。ここで足踏みをしていても、事態は悪化するだけだ。センリが生きていると信じて、私は私の役割を果たす。覚悟を決め、彼女が一歩踏み出した瞬間。


 ギーッ……と、重厚な扉がひとりでに開いた。 


 そこには、吹雪とは無縁の静寂があった。暖かなオレンジ色の灯りが漏れ出し、雪の上に長い影を落とす。


「外は、寒いでしょう。中でお茶でもどうぞ」 


 現れたのは、一人の青年だった。黒いローブを纏い、病的なまでに白い肌をした、線の細い男。長い黒髪がさらりと揺れ、透き通るような緑の瞳が無垢な子供のようにウルリカを見つめている。


(こいつが……本物の魔術師?) 


 ウルリカは息を呑んだ。身構えていたような怪物の威圧感は皆無だった。殺気もない。ただ、ひどく脆そうで、触れれば壊れてしまいそうな。まるで、硝子細工のような存在感。


「……お前が、ここの主か」

「そうだよ。ずっと待っていたんだ」 


 彼は、あどけない笑みを浮かべて手招きをした。


「君だけが、辿り着いてくれたから。……さあ、入って。冷えないうちに」 


 それは、獲物を誘い込む罠なのか。 それとも、純粋な歓待なのか。ウルリカは一瞬だけ背後の吹雪を振り返り、それから迷いを断ち切るように正面を見据えた。


「……失礼する」


 彼女は剣から手を離さぬまま、魔術師の懐へと足を踏み入れた。扉が、音もなく背後で閉ざされる。


***


 通された部屋は、予想に反して生活感に溢れていた。 天井まで届く本棚には、古びた魔道書や童話が隙間なく詰め込まれている。あちこちから乾燥したハーブの束が吊るされ、棚には中身の分からない小瓶が整然と並ぶ。いかにも森の奥で静かに暮らす魔女の家、といった風情だ。


「……どうぞ。お茶に蜂蜜を入れたんだ。温まるよ」 


 青年は、湯気の立つティーカップをテーブルに置いた。魔法ではない。彼自身の細い指でポットを持ち、丁寧に注がれた一杯だ。


「あ、ありがとう……」 


 ウルリカは戸惑いながらも、カップを受け取った。 そのまま飲むわけにもいかず、口をつけるフリだけしてテーブルに戻す。目の前の青年からは、やはり威圧感を感じない。むしろ初めて客人を迎えた子供のように、頬を紅潮させてそわそわしている。


「僕はアレクセイ。……君の名前は?」

「ウルリカ。……ウルリカ・シュミットだ」

「ウルリカ……。うん、いい名前だね。雪の中で咲く花みたいだ」 


 アレクセイは無邪気に笑い、クッキーの入った皿を勧めてきた。


「ねえ、ウルリカ。君はどうしてここまで来たの? 迷子になったの?」

「違う。仕事だ」 


ウルリカは努めて低い声を作り、彼を睨み据えた。


「我々はユースティティアの天秤。世界中のアーティファクトと……魔術師を管理する組織だ。単刀直入に聞く。あの村人たちを返したのは何故だ? それに一緒にいた私の連れ――センリをどこへやった?」


 尋問に近い口調。だが、アレクセイはキョトンとした顔で首を傾げただけだった。


「連れ? 他にも誰かいたの?」

「そうだ。彼はどこだ」

「さあ……雪が隠してしまったのかな。それよりもっとお話をしようよウルリカ。ああ、人と話すなんて何年ぶりだろう!」 


 会話が、成立しない。 彼はウルリカの質問を、まるで雑音か何かのように聞き流し、自分の喜びだけを語り始めた。


「母さんが死んでから、ずっと一人だったんだ。本の中の友達としか話せなかった。……でも、今日からは違う。君が来てくれた」

「話を聞け! 私は遊びに来たんじゃない!」 


 ウルリカはテーブルを叩いて立ち上がった。 カップの中の紅茶が波打ち、数滴が零れ落ちる。


「センリを……仕事仲間を探しに行く。お前のその遊びに付き合っている暇はない」


 背を向け、ドアへと歩き出す。アレクセイは止めようともしなかった。ただ、背後から楽しげな声を投げかけてくる。


「もっとお話しようね、ウルリカ」

「断る」

「明日は、そうだなあ。君の好きな色が知りたいな。この屋敷には布がたくさんあるんだ。僕が仕立て直して、素敵なドレスを用意してあげる」

「……だから、私は帰ると――」 


 言い返そうとした舌が、もつれた。喉の奥に粘りつくような違和感。足に力が入らない。床が泥沼になったかのように、急激に体が重くなる。


(な、に……?) 


紅茶には、口をつけていない。なら。

なら、なぜ。

息が、重い。

空気が、ちがう。

剣に、手を。


「あ……が……ッ」 


 ウルリカは膝から崩れ落ちた。視界が急速に狭まっていく。遠くで、アレクセイが椅子を立つ音がした。


「ああ、やっぱり。疲れているんだね」


 足音が近づいてくる。 逃げなければ。剣を抜かなければ。 だが、指一本動かせない。意識が暗い水底へと沈んでいく。


「おやすみ、ウルリカ。……目が覚めたら、たくさん遊ぼうね」


 薄れゆく視界の端。アレクセイが、愛しい人形を見下ろすような、無垢で残酷な笑顔を浮かべていたのが見えた。

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