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ユースティティアの天秤―均衡の番人は揃わない―  作者: 野塩いぜ
第一章 硝子の箱庭と目覚めの鐘
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第二話 雪の女王の溜息

 ガタン、ゴトン。重厚な車輪が鉄路を刻む音だけが、白一色の世界に響いている。

 窓の外は猛吹雪だった。視界の全てが白で塗り潰され、空と地面の境界線すら曖昧だ。時折、黒い針葉樹の森が亡霊のように通り過ぎるだけ。


「……信じられない。文明の終わりだ」


 ボックス席の向かい側で、センリが大袈裟に嘆息した。彼はすでにコートの前を合わせ、マフラーを二重に巻き、さらに支給された使い捨てカイロを背中に二枚貼っている。それでも尚、この北国の冷気が気に入らないらしい。


「暖房、壊れてるんじゃないの? この車両だけ外気温と同じ設定になってるとか」

「設定温度は適正だ。お前が着込みすぎているだけだ」

「君の肌感覚がおかしいんだよ。……見てよ、スマホの電波も圏外だ。俺にとっては酸素が薄いのと同じ意味なんだけど」


 センリは死んだ魚のような目でアンテナの立たない画面をタップし、諦めたように鞄へとしまった。 都会っ子の彼にとって、コンビニとWi-Fiがない場所はもはやこの世の果てと同義だ。

 それとは対照的にウルリカは窓枠に頬杖をつき、飽きもせず外の景色を眺めている。その琥珀色の瞳はどこか穏やかで、懐かしげな色を帯びていた。


「……静かだな」

「え?」

「雪は音を吸う。余計な騒音が消えて、世界が清められるようだ」


 彼女が窓ガラスに指を這わせる。その褐色の指先と外の雪景色との対比が、どこか幻想的だった。いつになく静かな横顔を見て、センリはふと軽口を飲み込む。ウルリカが、この白い世界に溶けてしまいそうなほど儚げに見えたからだ。


「……君の故郷も、こんな感じだったの?」

「ああ。冬は腰まで雪が積もる。朝起きたら、まずは雪掻きをして道を作るのが日課だった」

「うへぇ。朝のコーヒーを飲む前に重労働とか、俺なら三日で逃げ出すね」

「だろうな。お前は軟弱だ」


 ウルリカが微かに口元を緩める。センリは肩をすくめ、手元の資料に視線を落とした。


「さて、そんな軟弱な俺らが向かっているのは、最北端にある村、ニブルム。……報告によれば、ここ一ヶ月で村人が三人行方不明になっている」

「神隠しか」

「他には魔女の仕業だとか、森の主の怒りだとか。村人が何も言ってこないのは不気味だけど……とにかく、こっちの見立てじゃ十中八九、未登録のアーティファクトだ」


 センリは指先でトントンと資料を叩く。そこには、雪の中で忽然と消えた足跡の写真があった。


「現場に争った形跡なし。血痕なし。ただ、足跡だけが途切れている。……まるで、空から巨大な手に摘み上げられたみたいにね」

「あるいは、雪そのものに食われたか」

「怖いこと言わないでよ。……嫌な予感がするなぁ。この雪の匂い、ただの冬将軍じゃなさそうだ」


 センリが窓の外へ視線を戻すと、列車は長いトンネルへと差し掛かろうとしていた。暗闇に吸い込まれる直前――雪原の彼方に、ガラス細工のように輝く何かが一瞬だけ見えた気がした。


 汽笛が獣の咆哮のように鋭く鳴り響く。二人の乗る列車は、人の領域から魔女の庭へと足を踏み入れようとしていた。


***


 終着駅、ニブルム。

 ホームに降り立った瞬間、センリは肌を刺す冷気に身をすくめた。だがそれ以上に寒々しいのは、彼らを迎える村人たちの視線だ。

 

「歓迎ムードじゃなさそうだね」


 センリが小声でささやく。改札――と言っても古びた木造の小屋があるだけだが――の向こうには、厚手の毛皮を着こんだ村人たちが数人、シャベルを手に立っている。

 彼らの目は、明らかに敵を見るそれだった。


「こんにちは。世界均衡裁定機構ユースティティアの天秤所属、センリ・ハーコートです。こちらは同僚のウルリカ・シュミット。少しお話を、」


 センリが作り笑顔で革の手帳を提示した瞬間、先頭にいた白髪の老婆がしわがれた声で遮った。


「天秤の使い走りか。……帰りな」

「え?」

「この村に、あんたたちの均衡とやらは必要ない。とっとと列車に乗って、南へお帰り」


 老婆が杖でホームの床を叩くと、後ろに控えていた男たちが無言で一歩前に出る。

 威圧的な壁だ。ウルリカが背負った剣に手をかけそうになるのを、センリが慌てて目で制する。


「分かりました。ただ一つだけ聞かせてください。行方不明の方たちは、本当に神隠しだと?」

「……神隠しなどではない」


 老婆の口が、一瞬だけ迷うように動いた。


「では、何が」

「……黙れ」

「教えてくれないなら、俺たちは森に入るしかない。それでもいいですか」


 それが引き金となり、老婆の目に初めて動揺が走った。


「……あの方の、選別だ」

 

 そう口にする彼女の瞳には、力強く異様な光が宿っている。


「魔女様がお呼びになったのだ」

「魔女?」

「かつてこの森を守り、我々に恵みの雨と薬を与えてくださった偉大なる魔女様。森が閉ざされて20年あまり、我々はずっと待っておる。再びあの方が扉を開き、われらを迎え入れてくださる日を」


 老婆は森の方角――雪に煙る深い針葉樹林を拝むように見つめた。


「天秤の役人は、魔女様を捉えに来たのじゃろう?……させるものか」


 敵意が明確な殺気へと変わる。センリは溜息をつき、両手を挙げて降参のポーズを取った。


「分かりました、分かりましたよ。無理にとは言いません。ただ、次の列車が来るのは明日だ。今夜一晩、宿を貸してもらうくらいはいいでしょう?」

「……宿屋は駅の裏じゃ」


 老婆はそれだけ言い残し、雪の中へと消えていった。取り残された駅舎の中、センリはうんざりした顔で天井を見上げる。


「やれやれ。魔女の奇跡を信じるカルト村か。厄介な案件引いちゃったな」

「センリ」


 それまで黙っていたウルリカが、彼らの背中を見送りながら口を開いた。


「奴らの目は、獲物を狙う獣の目じゃない。親を守ろうとする、子どもの目だ」

「親離れできてない子どもは、猛獣よりたちが悪い。宿に行こう、ウルリカ。まずは作戦会議だ」

 

 二人は荷物を抱え、拒絶の空気が漂う村へと歩き出す。その背後……遠く森の奥、カラスが不吉な声で鳴いた気がした。


***


 深夜、ニブルムは深い沈黙と猛吹雪に包まれていた。宿の二階、凍り付いた窓ガラスを指で拭いながら、センリは眼下の雪道を注視している。

 

「来たよ、ウルリカ」


 彼の視線の先には懐中電灯の灯りがひとつ。前を照らしながら森の方角へと進んでいく。村の若者だ。しっかりとした足取りで、明確な目的地があるかのように歩いている。


「夢遊病か?」

「いや、あれは……魔女のところに行こうとしてるんじゃないかな。なんにせよ、彼が心配だ」


 二人は防寒具を羽織り、音もなく宿を抜け出した。猛烈な風雪が視界を奪う中、先行する若者の背中を追う。村はずれにある、森の入り口。若者は迷うことなく、漆黒の木々の間へと足を踏み入れた。センリとウルリカも後方から続く。

 

 その時だった。


 フッ、と。瞬きをするような、ほんの一瞬の間。気が付けば、若者の姿が消えていた。

 

「――ッ!?」


 悲鳴も、争う音もなかった。ただ、世界から切り取られたように、懐中電灯の光ごと消失したのだ。 二人が急いで駆け寄ると、そこには雪の上に続く足跡が、ぷつりと途切れていた。その先には、新雪がただ白く広がっているだけ。


「……なるほど。これが神隠しの正体か」

 

 センリは膝をつき、足跡が消えた地点に携帯端末をかざした。魔力波形解析機。ユースティティア支給の、数少ないハイテク機器だ。画面に走る波形と吐き出される解析結果を見つめ、センリはふぅん、と頷いた。


「空間転移の術式だ。ここを踏んだ瞬間、別の場所へ飛ばされる強制転送の罠が仕掛けられている」

「罠だと? 殺すためか?」

「逆だよ、ウルリカ。……見てごらん、この魔力の波長。すごく丁寧で、繊細だ」


 センリは苦笑混じりに吐息を漏らす。


「迷い込んだ人間が、この寒さで凍死しないように。……もっと暖かい場所へ、安全に運ぶための保護機能だ」

「保護? 人を攫っておいてか?」

「魔女なりの親切心なんだろうね。……よし、俺達も飛ぶよ。手を離さないで」


 センリがウルリカの手を強く握る。 二人は意を決して、足跡が途切れた境界線へと踏み出した。

 視界が反転する。 強烈な浮遊感と共に、雪の冷たさが消え失せた。


「――、」 


 次に目を開けた時、そこは別世界だった。頭上には巨大なガラスドームのような結界が張られ、吹雪を遮断している。内部は春のように暖かく、色とりどりの花が咲き乱れていた。森の深部、魔術によって維持された温室だ。

 そして、その花畑の中に――彼らはいた。


「おい……これは」


 ウルリカが絶句する。行方不明になった村人たちが、硝子のような透明な膜に包まれ、花に埋もれるようにして眠っていたのだ。先ほどの若者も、すでにその列に加えられ、穏やかな寝息を立てている。死体置き場ではない。ここは、悪意なきコレクションルームだ。


「……死んではいない。ただ、強制的に眠らされて、夢を見ているだけだ」


 センリは眠る村人の脈を確認し、複雑な表情で周囲を見渡した。この空間には、人の意思を感じない。ただの自動的なシステム。拾ったものを壊れないように保管しているだけのような、無機質な優しさが漂っている。


「この術式、かなり古いよ。恐らく数十年前にセットされたものが、今も稼働し続けているだけだ」

「主は……いないだろうな。気配がない」

「だろうね。……考えてもみなよ、ウルリカ。もし生きた魔女がいるなら、迷い込んだ人間を眠らせたまま放置するか?  起こすなり、追い返すなりするはずだ」


 センリはガラスドームの天井を見上げた。


「これは、今は亡き魔女が遺した防犯装置だよ。迷い子を傷つけないためのね。……主人はもういないのに、機械だけが主の言いつけを守って動いている。よくある話さ」

 

 どこか哀れむような口調で、センリは結論づけた。


「ウルリカ、撤収しよう。この人数を運び出すには人手が足りない。一度村に戻って、応援を要請する」

「……置いていくのか?」

「安全なのは分かったからね。下手に動かして術式が暴走する方が怖い」


 二人は後ろ髪を引かれる思いで、転移ポイントを探して温室を後にした。まさかその奥にある屋敷で、ひとりの青年が膝を抱えているとも知らずに。


初日は2話連続更新です。興味を持っていただけたら嬉しいです。

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