第一話 王なき玉座
雨に混じって、錆びた鉄のような臭いがする。魔術の残り香だ。それも、とびきり性質の悪い。魔力波形解析機のメーターは既に振り切れている。
「あーあ、だから言ったのに。雨の日は魔力が澱むんだって」
規制線のテープをひょいと潜り抜け、センリ・ハーコートは芝生に革靴が沈む感触に顔をしかめた。目の前には、荘厳なゴシック様式の屋敷。庭先には回転灯を回すパトカーが三台と、困り果てた顔の警官たちが立ち尽くしている。
「おい、君! ここは立ち入り禁止だ。貴族院の管轄で、まだ管轄移譲の手続きが――」
「はいはい、ご苦労様。話は通ってるよ」
制止しようとする警官の前に、センリは胸ポケットから革の手帳を取り出して突き付けた。そこに刻印された天秤の紋章を見た瞬間、警官の顔色が分かりやすく変わる。
「なっ……世界均衡裁定機構!? なぜ国際機関がこんな地方の小火騒ぎに……」
「小火? 報告書にはそう書いてあるの?」
センリは肩をすくめ、視線を屋敷の二階……不自然にテラテラと光る窓枠へと向けた。そこから這い出しているのは煙ではない。屋敷を飲み込もうとする、白銀の蔦だ。
「あれが小火に見えるなら、眼科に行った方がいい。あるいは、この屋敷の主にそう書けって言われたのかな?」
図星だったのか、警官が押し黙る。センリはたしなめるように優しく、しかし有無を言わさぬ笑みを浮かべて警官の肩をポンと叩いた。
「いいよ。君たちの立場も分かる。貴族の不始末は国家の恥だもんね。でもさ、俺らが来たってことは、もう恥じゃすまないレベルってこと。……下がりなよ。巻き込まれて死んでも、労災おりないよ?」
警官たちがたじろいだ隙に、センリは背後へ合図を送る。闇に溶け込むように立っていた大柄の影がぬっと動き出した。
トレンチコートを羽織った長身の女、ウルリカ・シュミットだ。彼女が歩くたびに、背負った巨大な包みが重々しい音を立てる。その威圧感に、警官たちが割れるように道を開けた。
「センリ、話が長い」
すれ違いざま、ウルリカが低く唸る。不機嫌だ。彼女は雨が嫌いだし、貴族も嫌いだし、何より待たされるのが嫌いなのだ。
「ごめんって。これでも円滑な業務遂行のためのプロセスなんだよ。……で、どう?」
「臭う。屋敷の中だ。……切っていいか?」
「まだダメ。まずは現状確認。生存者がいたらどうすんの」
「邪魔をするなら倒す」
「ハイ却下」
「……面倒だな」
ウルリカは不快そうに目を細め、包みから出した剣に手を置いた。雨を弾くその褐色の指には、剣士特有の硬いタコが目立つ。
「全くだ。これに比べれば、うちで暴走したガラクタなんて、まだ愛嬌があったよ。……だろ?」
センリの問いかけに、ウルリカは鼻を鳴らしただけで答えなかった。
だが、その琥珀色の瞳には、一瞬だけ別の景色――かつて踏み込んだハーコート家の匂いと、そこで呆然と立ち尽くしていた青年の姿がよぎる。
「……私があれを斬る。お前は舌を回していろ」
やれやれ、とセンリはため息をつき、濡れたせいでうねる前髪をかき上げた。
スイッチが入る。
軽薄な若者の顔から、仕事人の目へ。
「分かった。行くよ、ウルリカ。――お片付けの時間だ。今日も俺を守ってくれよ?」
***
金属が擦れあうような、耳障りな音が回廊に響く。襲いかかってきたのは銀色の彫像――ではない。かつてこの屋敷で働いていた使用人たちだ。魔術的遺物の浸食を受け、皮膚の半分が硬質な銀へと変質している。
「――チッ!」
ウルリカが舌打ちと共に、メイド服の女性の腕を掴む。関節を極め、銀化していない柔らかな部分を狙って手刀を打ち込んだ。ガクン、と女性が膝から崩れ落ちる。
「強く叩きすぎるなよ。砕けたら死んじゃうんだから」
「分かってる!」
ウルリカは苦々しげに声をあげながら、襲い来る執事の足を剣の腹で払い転倒させた。切れば一瞬で終わる。だが、彼女はそれをしない。剣をあえて盾と棍棒として使い、彼らの動きを物理的に封じ込めていく。
「……制圧完了だ」
数分後。廊下には気絶して折り重なる使用人たちの山ができていた。ウルリカは銀色に染まりつつある彼らの顔を覗きこむ。
「センリ。……元に、戻ると思うか?」
「……今の段階なら、命に別状はないよ。義手や皮膚移植でなんとかなる」
センリはしゃがみ込み、ペンライトでメイドの瞳孔を確認しながら低い声で続けた。
「でも、完治は不可。手遅れだ」
「そうか」
「もし本物の魔術師がいれば、指パッチンひとつで治せたかもしれないけどね」
センリは自嘲気味に笑い、廊下の奥――元凶であるアーティファクトの気配がする扉を見据えた。
「ないものねだりは意味がない。行くよ、ウルリカ。今はとにかく元を断つしかない」
「ああ」
「先に俺が説得するから、やばくなったら出てきて」
ウルリカは一度だけ、床に横たわる人々へ視線を落とす。それから決意を込めて剣を担ぎ直した。 その背中には、やり場のない憤りが滲んでいた。
***
「い、卑しい役人が! 近寄るな!」
豪奢な執務室の最奥。 バーウィック子爵は、巨大な机にしがみつきながら喚き散らした。机上のノートパソコンはとうに銀の蔦に飲まれ、ひしゃげた画面が明滅を繰り返している。その背後には天井まで届くほどの巨大な銀色の茨。その中心で、問題のアーティファクト『白銀の薔薇』が妖しく脈動している。一度起動すれば周囲を銀に変えていく、魔術師からの贈り物。第二種、起動不可と認定されたアーティファクトだ。
「これに触れていいのは、正統な血を引く私だけだ! お前たちのような下賤な輩に渡してたまるか!」
「あのさぁ、子爵閣下」
センリは呆れたように肩をすくめ、スーツの内ポケットから一枚の紙を取り出した。 部屋中を銀の蔦がのたうち回り、床を侵食していく。死の領域が迫っているというのに、センリの足取りは散歩のように軽い。
「そのプライドが今まさにあなたを食い殺そうとしてるんだけど。見えてない? それともそんなに銀が欲しくなった? 屋敷と使用人を犠牲にしてでも、さ」
「う、うるさい! これは一時的な不調だ! 私が命じれば鎮まる!」
「じゃあやってみなよ。……ほら、後ろ」
子爵が振り返った瞬間、銀の薔薇が大きく裂けた。 花弁の中から、無数の銀の棘が散弾のように放たれる。
「ヒッ――!?」
子爵が腰を抜かした、その時だった。 風切り音と共に、巨大な鉄塊が子爵の目の前に突き刺さる。
ウルリカの剣だ。幅広の刀身が盾となり、降り注ぐ銀の棘をすべて弾き返した。
「ウルリカ、 登場が派手」
「守れと言ったのはお前だ、センリ」
土煙の中から、ウルリカが銀髪を揺らして悠然と現れる。 彼女は床に突き刺さった剣の柄に片足を乗せ、つまらなさそうに子爵を見下ろした。
「どうする? ……切っていいか?」
「うん、そろそろ限界かな。――で、閣下?」
センリは紙とペンをへたり込む子爵の鼻先に突きつけた。その紙には『アーティファクト任意譲渡同意書』と書かれている。
「選択肢はふたつ。ひとつ、このまま誇り高き貴族として、美しい銀の彫像になって死ぬか」
「……っ!」
「もうひとつは、その紙にサインをして、ただのおじさんとして生き延びるか」
センリはにっこりと笑う。それは救済者の笑みではない。獲物を追い詰めた猟犬の、勝利への確信が滲んでいる。
「五秒であの薔薇、爆発するよ。五、四、三、」
「書く! 書くから助けろ!」
子爵は涙目でペンをひったくり、震える手で紙にサインを殴り書きした。センリはそれを素早く回収し、満足げにインクの乾きを確認する。
「交渉成立。――ウルリカ、やっていいよ」
「遅い」
ウルリカが待ってましたとばかりに剣を抜き放つ。 彼女の琥珀色の瞳が、獰猛に輝いた。
「そこを退いていろ、元・貴族。――邪魔だ」
一閃。銀の閃光が走り、部屋を埋め尽くしていた茨が、根元から粉々に砕け散った。
***
雨はいつの間にか小降りになり、遠くでサイレンの音が鳴り響いている。 屋敷の前には数台の救急車が到着し、銀色のあざが残る執事やメイドたちが搬送されていく。彼らの命に別状はないが、その肌に残る銀色の痕跡は、一生消えることはないだろう。
「……苦いね」
センリは自販機で買ったホットコーヒーのプルタブを開け、一口啜って顔をしかめた。視線の先では、先ほどまで誇りを叫んでいたバーウィック子爵が、項垂れたままパトカーの後部座席へと押し込まれている。彼は命こそ助かったが、社会的地位も財産も……全てを失った。
「命があれば儲けもの、とは言うけどさ」
センリは独り言のように呟き、空になったコーヒー缶を軽く振った。
「あーあ。魔術師ってのは、本当に厄介なものを遺してくれたね」
不条理だ。そう吐き捨てかけたセンリの横で、ジャリ、と砂利を踏む音がした。
「――その『厄介なもの』と戦うのが、私たちだろう」
ウルリカだった。彼女は背負った剣の位置を直しながら、搬送される人々をじっと見つめている。その瞳に迷いはない。
「誰かがやらなければならない。お前も私も、その道を選んだんだ。……違うか?」
短く、しかし確信に満ちた言葉。センリはふと虚を突かれたような顔をし、それから小さく苦笑した。
「……違わないよ。君の言う通りだ」
センリはコーヒーの空き缶をゴミ箱へと放り投げた。美しい放物線を描き、カシャンと小気味よい音を立てて吸い込まれる。
「帰ろうか、ウルリカ。……報告書を書くまでが仕事だ」
「ああ。腹も減った」
「食事は経費で落ちないからね?」
「分かってる。……たまには私が出す」
「やった、ありがと」
センリが歩き出したその時、胸ポケットの通信機が短く、事務的な音を立てた。
画面に映るメッセージを覗き込んだセンリの眉が、これ以上ないほど深く寄せられる。
「……最悪だ。ウルリカ、ステーキは延期。すぐに出張だってさ」
「どこだ。というかステーキにする気だったのか、人の金だと思って」
「目的地は北の果てのド田舎。……神隠しが起きたってさ。ステーキハウスはなさそうな場所だよ、残念なことにね」
センリは心底めんどくさそうに答え、今度こそ足を進めた。
「さっさと行こう。……列車に乗る頃には、もっとロクでもない詳細が届いてるだろうからさ」
これが彼らの日常。魔術の残り香漂う世界で、それでも足掻き続ける、ちっぽけな掃除屋たちの物語だ。
完結まで執筆済み、毎日投稿(時々一日2話投稿)の予定です。本日は20時10分に2話を投稿します。これからよろしくお願いします!




