第9話:【魔法剣士】はまだ名乗らない
「まずは休息を取り給え。長旅の疲れを癒やすとよいだろう」
王が労いの言葉を述べ、玉座の脇に控える近衛兵へと視線を移した。それにつられるように、俺もそちらへ目を向ける。
――その瞬間だった。
全身に微弱な電流が走ったかのような感覚。 ぞわり、と皮膚の内側が粟立つ。
(……なんだ、今の気配は)
並び立つ騎士たちの列の中に、ひときわ静かに、しかし異質な存在感を放って佇む一人の男がいた。
洗練された所作、寸分の乱れもない制服の着こなし。だが、そんなものは些細な要素に過ぎなかった。本能的に目を奪われたのは、彼の纏う「空気」そのものだ。
(……違う。他の連中とは、次元が違う)
鍛え上げられた肉体のラインは服越しにも分かるが、それ以上に感じるのは、深い森の奥のような圧倒的な“静寂”。無駄な力みが一切ない。そこに立っているだけなのに、周囲の空間が物理的に引き締まっている。
鋭利で冷徹な、研ぎ澄まされた氷の刃。 それはもはや剣士というより――抜き身の剣そのものが人の形をしているかのようだった。
「ジークヴァルト。客人をお部屋へ案内せよ」
王の声で、俺ははっと我に返った。 ジークヴァルトと呼ばれた男が、静かにこちらへ向き直る。その動作一つにも、驚くほど無駄がない。
銀縁の眼鏡越しに交わった視線。 碧色の瞳は氷河のように冷たく、感情の揺らぎを一切映し出していなかった。
一礼の角度、歩き出す速度、呼吸の間隔――。 すべてが精密機械のように正確で、こちらの出方を測られているかのようだ。 その視線は、一瞬だけ明確に俺を捉えた。
探るような、観察するような。 そして、値踏みするような――温度のない眼差し。
「勇者様。こちらへ」
抑揚のない、低く染み通るような声。 それは命令ではなく、案内。それ以上でも以下でもないという拒絶の響きがあった。
俺たちは促されるまま、謁見の間を後にした。 王城の廊下は広く、静謐だ。石畳を叩く自分たちの靴音だけが、やけに耳障りに響く。
前を行くジークヴァルトの背中は、微塵も揺れない。背筋は垂直に伸び、文字通り一本の杭のように真っ直ぐだった。
「……彼、すごいプレッシャーね」
フィリアが小声で呟く。冗談混じりではない、本気の声音だ。
「わかる。……たぶん、一流どころか、超一流だ」
アルフレッドも同意しつつ、無意識に腰の剣へ手を添えていた。勇者の本能が、目の前の男を「強者」と認識している。
俺は黙って、ジークヴァルトの背中を観察し続けた。 隙がない。歩幅、重心の移動、肩の揺れ――どれを取っても、次の瞬間には抜刀できる戦闘前提の身体法だ。 しかし、純粋な物理剣士とも違う。魔力の気配が、微かだが皮膚を刺すように感じられる。
(剣と魔法……どちらも極めているのか)
「魔法剣士」――そんな言葉が、自然と頭に浮かんだ。 その瞬間、ジークヴァルトがふと足を止めた。
「客室はこちらだ。夕食の時間には侍女が迎えに上がる」
事務的な説明を終えると、彼は一礼し、踵を返そうとする。 ――その背中に、俺は思わず声をかけていた。
「あんた……相当な使い手だな」
空気が、一瞬で凍りついた。 ジークヴァルトの足が、ぴたりと止まる。
ゆっくりと、彼は振り返った。その動作さえも、精巧な彫刻が動くように無駄がない。
「武術は己の業であり、他人に披露するものではない」
淡々とした答え。 だが次の瞬間、彼の薄い唇が、ごく僅かに歪んだ。 笑みとも、あるいは新米冒険者への嘲りともつかない、歪な曲線。
「――いずれ試す機会はあるだろう。我が王への忠誠と……」
一瞬、碧眼が鋭い閃光を放つ。
「お前の実力が、相容れるかどうかをな」
氷のような冷笑。 警告とも、挑発とも取れる言葉を残し、ジークヴァルトは音もなく去っていった。
廊下には、重苦しい静寂だけが残る。
(……やっぱり、ただ者じゃない)
俺は胸の奥に生まれた、消えないざわめきを無言のまま噛みしめていた。




