第20話:【盗賊】は戦わずに勝つ
シャオの加入以降、迷宮内での移動速度は目に見えて向上した。 それは単に「罠を解除できる人間が増えた」という数合わせの話ではない。
罠や伏兵の気配を事前に察知し、回避することで、不必要な戦闘そのものが激減したのだ。
第六層以降の迷宮は、本来であれば探索者の精神をじりじりと削り取る構造をしている。 通路の曲がり角ごとに潜伏の可能性があり、行き止まりの先には必ずと言っていいほど魔物の待ち伏せがある。落とし穴、毒針、踏めば即死級の魔法陣――どれほど慎重に進んでも、神経の疲弊は避けられない。
だがシャオは、それらを「解除」する手前の段階で見抜いてみせた。
「……こっちじゃない。戻る」
そう短く呟くだけで、彼は迷いなく進路を変える。 理由の説明は一切ない。だが、少し進んだ先で別の冒険者パーティーが深手を負っている光景を見れば、彼の判断が正しかったことは火を見るより明らかだった。
「解除すれば通れる罠もある。……でも、駆動音が響く。魔物を呼ぶ」
ある休憩中、彼はぽつりとそう言った。 強行突破で戦闘を誘発するくらいなら、最短距離を捨ててでも安全な遠回りを選ぶ。それがシャオというプロの基準だった。
おかげで、俺たちは無駄に剣を振るう必要がなくなった。 迷宮内の移動は静謐で、一定のリズムを保ったまま深部へと進んでいく。
いつの間にか、誰も「この先は大丈夫か?」と確認しなくなっていた。 シャオが前に立っている限り、足を止める理由がないからだ。
――それが、言葉を介さない「信頼」の形だった。
第七層突破。
第八層到達。
第九層制覇。
そして、第十層までもが、拍子抜けするほどあっさりと攻略された。
「順調すぎるくらいだね。あんなに苦労したのが嘘みたい」
フィリアが額の汗を拭いながら笑う。その声には、疲労よりも心地よい余裕が混じっていた。
「本当だな。これが本来の、あるべき迷宮攻略の姿か」
アルフレッドも感心したように頷く。
「罠解除役が優秀だと、ここまで世界が変わるんだね」
「いや……解除以前の問題だ」
アルフレッドは前方を歩く小さな背中に、畏敬の念を込めた視線を向けた。
「罠に触れない。戦う前に避ける。それが徹底できる人間は、この王都でもそうはいないはずだよ」
シャオはその会話が耳に入っているのかいないのか、一度も振り返らない。 だが、歩幅を微調整して俺たちとの距離を一定に保つ様子からは、彼なりの細やかな気遣いが感じられた。
会話は少ない。だが、不安は微塵もなかった。
俺自身、最初は割り切っていたつもりだった。 あくまでビジネスライクな、臨時の協力者。攻略が終われば、それで解消されるドライな関係だと。 それでも気づけば、自然と背中を預けている自分がいる。シャオが前にいると、不思議と呼吸が静かになり、無駄な足音も消える。誰かが指示を出す必要すらなくなるのだ。
確かに、ここまではあまりにもスムーズだった。 だが、それも当然と言えば当然だろう。
この国の迷宮において、十層まではいわば「初心者帯」だ。 他にもいくつかのダンジョンが存在するが、いずれも十層の境界を越えた辺りで、難易度の天秤は一気に傾く。危険度と同時に、得られる富や情報の質も跳ね上がるのだ。
実績ある本物のパーティーと、そうでない烏合の衆は――この十層を境に、残酷なまでに選別される。
第十層の最奥。重厚な石門を抜けると、不自然なほど開けた空間に出た。
迷宮内に点在する、いわゆる「セーフティゾーン(安全区域)」。 魔素の干渉がなく、モンスターの出現も一切ない休息の地。 安堵が広がる一方で、ここから先はもう「訓練」ではないのだという緊張が走る場所でもある。
「一旦、王都へ戻るか」
アルフレッドの提案は、戦略的に見て正解だった。
シャオは無言で頷く。 だが、その視線は安全な区域にあっても、周囲の闇を警戒し続けていた。
「じゃあ、帰り道も頼むぞ」
俺がそう声をかけると、シャオは一瞬だけ肩を揺らし、こちらを振り返って―― 小さく、右手を挙げた。大きな動作ではない。 指先だけをちょいちょいと動かすような、控えめで、どこか照れ隠しのような合図。
そしてすぐに前を向き、いつものようにフードを深く被り直す。
(……なんだ。意外と可愛いところあるじゃねえか)
そう見えたのは、きっと迷宮特有の乾燥で目が疲れているせいだろう。 そう自分に言い聞かせつつも、俺はもう確信していた。
迷宮を征するのは、剣の力だけではない。 死地に潜む真実を見抜き、静かに道を示すその背中こそが、俺たちを勝利へと導くのだと。




