第19話:【盗賊】の仕事
継承の迷宮・第六層。
石造りの通路は静まり返り、自分たちの足音だけがやけに大きく反響していた。壁面に埋め込まれた魔石灯が、一定の間隔で淡い燐光を放っている。
それまで規則正しく続いていたはずの行軍の歩調が、ふと乱れた。 いや――正確には、俺の足音だけが、不自然に浮いて聞こえたのだ。
(……何か、おかしい)
理由は説明できない。だが、この世界に転生し、迷宮に潜るようになってから何度も救われてきた「生存本能」が警鐘を鳴らしていた。
その直後だった。
「……ここ、止まって」
最前線を歩いていたシャオが、音もなく手を上げて合図する。 声は小さいが、驚くほどはっきりと鼓膜に届いた。
俺たちは即座に足を止める。誰一人として、その理由を聞き返そうとはしなかった。
「罠か?」
アルフレッドの問いに、シャオは頷きも首振りもせず、ただ静かにその場にしゃがみ込んだ。
床石の継ぎ目。一見すると、他の箇所と何も変わらない。 だがシャオは、革手袋の指先で、表面に積もった砂をごく僅かに払った。 彼が息を詰める気配が、数歩後ろにいる俺たちの元まで伝わってくる。
「……圧力感知。踏んだら、天井から落ちる」
「落石か?」
「……違う。千本針。たぶん、毒付き」
淡々とした、抑揚のない報告。 そう言ってシャオが指し示した天井の一部には、よく見なければ絶対に気づかないほどの、わずかな石組みの段差があった。
「解除できるか?」
俺が尋ねると、シャオは一瞬だけこちらを振り返った。 フードの奥に潜む翡翠色の瞳が、迷いなく俺を射抜く。
「……問題ない。俺の仕事だ」
そう言って、彼はフードをさらに深く被り直した。外界との距離を、もう一段引き離すような拒絶の仕草。 腰のポーチから取り出したのは、見たこともない形状の細い金属棒が数本。
「……近づかないで。呼吸も、なるべく静かに」
それだけ告げると、シャオは罠の正面に身を寄せた。 近くで見ると、やはり細い。岩壁と装備の僅かな隙間に、その小さな身体が容易に収まってしまう。
金属棒を石の隙間へ差し込み、ミリ単位の微調整を繰り返す。 彼の手元と、死を招く仕掛けとの距離は、指一本分もない。
(もし今、誰かがくしゃみをしたら) (もし、ほんの少しでも迷宮が揺れたら)
最悪の想像が頭をよぎるが、誰も声を出さない。 出してはいけないと、その場の全員が肌で理解していた。
金属棒が、わずかに震える。シャオの肩も、ほんの一瞬だけ揺れた。 (……緊張してるのか?) そう思った瞬間、シャオは一度だけ深く息を吸い――。 それを抑え込むように、左手で自らの喉元を強く押さえた。
次の瞬間。
彼の動きが劇的に変わった。 迷いが消え、指先がまるで楽器を奏でるように罠の内部を探っていく。 静寂の中、小さな「カチ」という硬質な音が響いた。
「……解除。もう、踏んでも大丈夫」
張り詰めていた空気が、ふっと霧散する。
「すご……。あんなの一瞬で見抜いちゃうなんて」
フィリアが、感嘆の声を漏らした。
シャオは何も言わず、立ち上がろうとして――。 膝に溜まった疲労のせいか、一瞬だけ身体をふらつかせた。
「おっと――」
反射的に、俺が一歩前に出てその肩を支えようとする。
「大丈夫か?」
「……っ!」
だが、シャオは弾かれたように飛び退き、俺との距離を取った。
「……平気。触らないで」
語気は強くない。だが、明確な拒絶。
「……罠解除は、極度に精神を削る。集中力が、切れただけ」
それだけ言って、彼はすぐに背を向けてしまった。 だが、その時。フードの隙間から覗く耳の端が、ほんのりと赤く染まっていた気がしたのは――。 迷宮の灯りのいたずらだろうか。
「……次、行く。遅れないで」
シャオが振り返らずに言う。
「ああ。頼むよ、シャオ」
アルフレッドが短く答えると、シャオは再び先頭に立ち、闇の先を見据えた。 歩幅は小さいが、その一歩一歩に迷いはない。
――間違いなく、当たりだ。
俺はその小さな背中を見守りながら、確信していた。 彼は戦闘は苦手だと言っていた。だが、迷宮において命を救うのは、決して剣の冴えだけではない。
凄惨な戦いが始まる前に、それを“起こさせない”仕事。 その価値を理解できない冒険者は、この世界では長く生き残れない。
シャオは黙ったまま歩き続ける。 その細い背中は、確実に俺たちを迷宮の深淵へと導いていた。




