七話目 私の欠点
「よし、いっちょ。“斬る”ってやつを実演して見せてやるよ。時丸、巻き藁を二つ用意してくれ」
「は、はい!」
鬼一の言葉と同時に、若様は勢いよく立ち上がり道場を飛び出していった。
実演――達人と呼ばれる男が振るう“本当の剣”を見られる。
私は胸が高鳴った。ゲームの戦闘では絶対に得られない、生の剣術。
自分との違いがどれほどあるのか、徹底的に知る機会がやって来たのだ。
やがて、道場に藁をぎゅっと縄で縛り、しっとりと水を吸った巻き藁が運び込まれた。触ると冷たく重い。
「巻き藁は初めて見るのかい」
隣に立つ鬼一が問いかける。
「あっ、はい……。これは、どうして水を?」
「人を斬る時の重みや抵抗を再現するためさ。乾いた藁じゃ軽すぎて手応えが違うからな」
鬼一は巻き藁を指で押し、含まれた水分の具合を確かめると、満足げに頷いた。
「よし、準備完了だ。時丸と一緒に見ててくれ」
促され、私は三歩ほど下がり若様の隣に並ぶ。
「まずは嬢ちゃんの剣――つまり“叩き切る剣”を真似してみる。しっかり見ておけよ」
そう言うと鬼一はすっと刀に手を添え、鞘に納められたままの刃に気迫を漲らせた。
さっきまでの軽薄さは影もない。殺気が、空気を震わせる。
「……いくぞ」
鬼一はひと息呼吸を整えた瞬間、抜刀した。
刀身が光の尾を引き、巻き藁へ閃光のように走った。
「ズバッ」
巻き藁は横一文字に断ち割られ、切り離された上部は勢いよく道場の端まで吹き飛んでいく。
鬼一は刀を下ろし、こちらへ振り返った。
「ちょっと大袈裟にやったが――これが嬢ちゃんの剣だ。」
「……?」
私は意味が分からず首を傾げる。
斬れている。しっかりと、綺麗に。
“斬ってはいない''とはどういうこと?
怪訝そうな私を見て、鬼一は笑みを洩らしながら次の巻き藁へ歩み寄った。
「まだ分からねぇか。じゃあ今度は――人を斬る剣を見せてやるよ。」
鬼一は刀を静かに鞘へ納め、再び抜刀の構えに入るった。
先ほどよりも深い、静かで冷たい気迫が道場を満たしていく。
(……違う。何かが、さっきとはまるで違う)
私は呼吸を整え、鬼一の動きを一瞬たりとも逃すまいと目を凝らした。
「――いくぞ。」
刀が走った。
だが。
その刃が巻き藁を“斬った瞬間”は、どこにもなかった。
音も、揺れも、衝撃すら存在しない。
(……え?)
巻き藁は微動だにせず、ただそこに立っている。
確かに刀身は届いていた筈。しかし、その刃は巻き藁をすり抜けていったのだ。
失敗……、それとも幻術なの?
私が理解できず目を細めた瞬間、鬼一は刀の切っ先で巻き藁の上を軽く“ポン”と叩いた。
その触れた瞬間――
「ボトリ」
巻き藁は、頭から真っ逆さまに落ちた。
断面は滑らかすぎて、生々しさすらない。
「これが“斬る”剣術。人を斬る剣術だよ、嬢ちゃん」
鬼一はどや顔で胸を張る。
私は息を呑んだ。
結果は一目瞭然。
だが、どうしてここまで差が出るのか――まだ全く説明がつかなかった。
隣で若様が感嘆の声をあげた。
「先生、お見事です!」
その称賛に、鬼一はどこか誇らしげな笑みを浮かべた。
「鬼一様、教えてください。私の剣は、何がいけないのでございましょうか? あの一瞬では、どこが悪いのか分かりませんでした。」
悔しいが、それが本音だった。
確かに“違い”はあった。だが、それが何を示すのかまでは理解できない。
鬼一は刀を片手に、私へ向き直り身振り手振りを交えて説明を始めた。
「まずは基礎だな。刀ってのは、手だけで振っちゃいけねぇ。嬢ちゃん、多分こんな振り方してるだろ。」
鬼一は上段から袈裟にかけて、軽く刀を振り下ろした。
「こうすると切っ先がぶれるんだ。嬢ちゃんの速さと力でも、どうしても“ぶれ”が残る。
刀を振るう時は全身だ。足を踏み込んで膝を入れ、腰を落とし、身体全部で斬る。」
「ビュン!」
今度の軌跡は、一本の線のように真っ直ぐだった。
「こうすりゃ腕の余計な力が抜けるから、切っ先がぶれねぇ。」
確かに、さっきとは全く違う軌跡に見えた。鬼一は続ける。
「それとな、嬢ちゃんには“引き”が足りねぇんだ。」
「引き……でございますか?」
「ああ。刃物ってのは、上から押さえつけるだけじゃ斬れねぇ。前へ押す・後ろへ引く。その両方が揃ってこそ斬れるのよ。
嬢ちゃんのは、当たった瞬間こそ斬れてるが、その後がいけねぇ。ただ押し斬りしてるだけになってる。」
鬼一は、先ほど両断された巻き藁の断面を指で突きながら言った。
「ちゃんと押して、引いて、をやってりゃな、そんなに力は要らねぇ。さっきのも力なんてほとんど込めちゃいねぇよ。
当たった瞬間に“確実に引く”。それだけで嫌でも斬れるんだ。」
なるほど――。
鬼一の説明は明確で、私の欠点を正確に射抜いてくる。
これが“本物”の剣術……。
ゲームの中の戦闘とは違う、生の技術に私は胸の奥でほくそ笑んだ。
私はさらに問うた。試合中に体勢を崩された、あの妙な感覚について。
「例の……急に力が抜けたり、弾かれたように飛ばされる技。あれは何なのでございますか?魔法のようなもの……?」
「……まほう?」
鬼一が首を傾げる。
――しまった。
この時代に“まほう”なんて言葉はまだない。
「え、ええっと……都で噂される陰陽師が使う術のことです。あの類いかと……」
鬼一は「なるほどな」と頷いたが、答えは違った。
「あれはな、相撲や組討の技を剣術に応用したもんだ。」
「組討……?」
「ああ。あんま聞かねぇよな。無手で相手を倒す体術みたいなもんだ。刀を失ったときとか、接近戦で使う技さ。」
――現代でいう空手や柔道、合気道、そんな系統だろうか。
''柔術''なんて言葉もあるが、鬼一の物言いからおそらくこの時代には確立されてはいないだろう。
私はゲーム時代の知識を思い返しながら続きを待った。
「嬢ちゃんは女の子だから、相撲ってのはあんまりやらねぇだろう。」
「はい……。まあ……遊び程度ならありますが……」
もちろん全部勝った。だが、鬼一の話はそれよりもっと深いものらしい。
「昔な、相撲の達人が友達にいたんだ。そいつは俺より小せぇのに、組んだ瞬間に引っこ抜かれる。力が抜け落ちるように感じるんだわ。
で、逆に力を利用されて投げ飛ばされる。」
鬼一は懐かしそうに笑い、続けた。
「その理屈を聞いたらよ、『水』だって言いやがった。」
「水……?」
「ああ。組んだ瞬間に相手から流れる“力の流れ”を感じるんだと。どこに重心があるか、どこに力が入ってるか。
それをちょっと変えてやるだけで、決壊したみてぇに崩れるんだ。」
さらに鬼一は指で円を描いた。
「あと“円”の動きな。人は直線なら対応できるが、急な円には追いつけねぇ。
嬢ちゃんに使ったのもそれだ。竹刀の軌道を円でずらしたんだよ。感じたろ?」
言われて思い出す。
確かに、つばぜり合いの瞬間、竹刀が合った一瞬“ぐるり”と足の裏が毬を踏んだように滑った。あれか――。
この男との会話は、実に楽しい。
私の弱点を見抜き、どうすれば強くなれるのかを惜しげもなく教えてくれる。
――もし、この男から剣術を学べば。
もし、全ての力を取り戻すことができれば。
私が果たすべき“目的”へ辿り着けるかもしれない。
そんな予感が胸の奥をくすぐり、私は小さく口元をつり上げた。
「ありがとうございます、鬼一様。
では、わたくしはどのような修行をすればよろしいのでしょうか?」
「そうだな……まずは剣術の基礎からだ。来たら素振りを百回。
ただ振るんじゃねぇ。さっき言った通り、全身で斬る練習をするんだ。」
鬼一は軽く笑い、刀を鞘に戻しながら続けた。
「俺がいる時は俺が教える。だが、俺がいねぇ時は時丸に見てもらえ。」
「若様に、ですか?」
思わず不満気味に問い返すと、鬼一は即座に頷いた。
若様――時丸もまた、意外そうに自分を指している。
「そうだ。時丸は嬢ちゃんより弱ぇ。だが、基礎だけは遥かに上手い。
強さだけを見て侮るのは、戦いじゃ命取りになるぞ。
相手の良いところを認め、何故弱いのかを見極める。それも立派な修行だ。」
少し咎めるような視線を向けられ、私は息を呑んだ。
鬼一は今度は時丸に向き直る。
「時丸。お前は弱いが、決して悪くはねぇ。基礎はしっかりしてる。鍛えれば必ず強くなる。
だがな、お前はすぐに調子に乗る。相手を侮る。それが今のお前に繋がってる。
だからこそ“教えること”を覚えろ。嬢ちゃんに丁寧に教えて、自分の技の出来てる所と足りねぇ所を自覚しろ。
ただし、教えるからって天狗になるなよ。いいな。」
若様は真剣な表情で深く頭を下げた。
「それと……相撲も稽古に入れるぞ。身体の流れを読むのは、触れ合うのが一番手っ取り早いからな。
だが俺じゃ体格差がありすぎて教えづれぇ。しばらくは時丸と組んでろ。良い相手は探しておく。」
私はわずかに不満を感じたが、理屈は分かる。
隣を見ると、若様が妙に頬を赤らめている。それが何故だか妙に気味悪く、私はそっと視線を逸らした。
「それと最後だ――料理をしてもらうぞ。」
「料理、でございますか?」
素振りや相撲なら分かるが、どうして料理なのか。
鬼一は、なぜか得意げに胸を張った。
「刃物の使い方を覚えるんだよ。斬るという感覚を日常で養うんだ。
刃が入る感触、押す・引くの意味を、料理ほど実感できるもんはねぇ。
……それに、嬢ちゃんもいずれ嫁に行くだろ。器量よしだし、貰い手も腐るほど出るだろうよ。
そんな時に料理の一つもできねぇと苦労するぞ。」
――何とも言いくるめられている、そう思わなくもない。
だが、剣の修行になるのなら悪くないか。
鬼一はさらに続けた。
「料理は旅でも役に立つ。覚えて損はねぇ。夕食の支度だけでいい、時丸と一緒にやってみろ。」
私は軽く息をつき、そして頷いた。
こうして私は、この奇妙で魅力的な男のもとで修行を始めることになったのである。




