六話目 試合
鬼一は、底の知れぬまなざしでこちらを観察するように見つめてきた。
「そうだな……。まずはお嬢ちゃんの実力が見たい。話は若様――『時丸』から聞いてるよ。嬢ちゃん、子供相手とはいえ真剣を抜いた三人に勝っちまったんだろ? その腕前、確かめておきたいんだ」
鬼一は顎を指で撫でながら、値踏みするように興味深げな視線を向けてくる。
まあ、ちょうどいいわ……。
私も、この男の実力を知りたかった。
本物の鬼一法眼なのか、それとも名前だけの偽物なのか。剣術を教わるべき人物かどうか、見極めておきたい。
私は、年相応の少女を装い、戸惑ったように鬼一へ問いかけた。
「わ、分かりました。で、では……ど、どのようにすればよろしいのでしょうか?」
「そうだな。じゃあ、俺と軽く試合してみようか。武器は竹刀でいく。……軽くとは言ったが、本気で来いよ。じゃなきゃ実力は分からねえからな」
鬼一は一本の竹刀を私へ差し出し、自らも壁に立てかけていた竹刀を取り上げて肩に担いだ。首をゴキリと左右に鳴らす。
「おい、時丸」
「は、はい!」
「素振りはいいから、そこに座って俺と嬢ちゃんの勝負をよく見ておけ。見るのも修行のうちだ」
呼ばれた若様はピンと背筋を伸ばし、素直に道場の端へ移動して正座し、静かに私たちを見守る構えをとった。
「じゃあ、嬢ちゃん。始めようか。」
鬼一が竹刀を中段に構え、にやりと笑う。
「お願いしますわ。」
私はしおらしく頭を下げた――次の瞬間、床を強く蹴って踏み込み、竹刀を振り下ろす。
「バチッ、バチッ、バチッ、バチッ!」
何合か、鬼一と竹刀を打ち交わした。
手加減はできない。
この男は、おそらく私の“本質”に気づいている。
初対面で一目見ただけで、私の奥にある狂気を読み取ったほどの男だ。
……だからこそ、全力を晒すのは危険。しかし手加減も通じない。
その絶妙な間を探りながら、私は竹刀を振り続けた。
打ち合いながら、鬼一の余裕は崩れない。
私はさらに何合か打ち合った。
試合と言っていたくせにこの男は本気を出していない。
竹刀を合わせる度、この男は私の剣の重さ、鋭さを一つ一つ確かめるように、軽口を叩きながら私の攻撃を受けていた。
「ほう……!」
「やるじゃねぇか」
その声は楽しげですらあった。
反撃もしてくるが、その剣筋はどこか散漫だ。
しかし雑ではない。
緩急をつけ、意図的に揺さぶり、私の反応を一つずつ観察している……そんな動きだった。
さらに――やつは妙な“術”を使う。
つばぜり合いになった瞬間、不意に全身から力が抜けるような感覚が走り、私は体勢を崩される。
「っ……!」
気づけば、竹刀を軽く払われただけで前のめりに崩れそうになる。
(なにを……この男、いったい何をしているの?
魔法? それともこの世界独自の術?)
体勢を崩されるたび、私は思わず本気を引き出されていく。
押しているのは明らかに私なのに、胸の奥にひどく嫌な感覚――焦燥にも似たものがこみ上げてきた。
「そこまで」
竹刀が鬼一の胴に届く寸前、彼が静かに声をかけた。
勝敗は私の勝ち。
だが――勝った気がしない。
与えられた勝ち。
掌で転がされたような、どうしようもなく不快な感覚。
それでも私は、表面上はあくまで子供らしくふるまうことにした。
「はぁ……はぁ……私の勝ちでありますわ。どうですか? 私の剣の腕は?」
本当のところを聞きたかった。
この世界で、私の剣は通じるのか――。
鬼一は竹刀を肩に担いだまま、顎に手を当てた。
「う~ん……」
唸りながら、しばし私を見つめ、何かを思案しているようだった。
「おい、時丸。まずはお前の感想から言ってみろ。どう感じた? 気にすることはねぇから言ってみろよ。」
鬼一が軽く顎をしゃくって促す。しかし若様は、言葉を飲み込むように口を閉ざしたまま、何度もちらり、ちらりとこちらを見てくる。
(……若様。あんな子供に何が分かるというのかしら?
鬼一は、どうしてわざわざこの男に感想を求めるの?)
私には、鬼一の意図が理解できなかった。
「おい、時丸。嬢ちゃんにこてんぱんにされたからって気にしてるんじゃねぇよ。ほら、思ったことをそのまま言ってみろ。間違ってても怒らねぇ」
鬼一が笑いながら肩を叩くと、時丸はようやく小さく「うむ……」と息を漏らし、慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「では……かぐや殿の動きは、確かにすごうございました。速さも強さも……まことに驚くばかりで、目で追えぬ場面もございました」
一度区切り、彼は僅かに視線を伏せる。
「ただ……その……なんと申しますか……。
かぐや殿の剣術……どこか“真似”のように感じ申した。
悪く言えば、剣を振っているだけ……そんな印象を受けました」
その言葉を聞いた瞬間、鬼一が「ほぉ」と愉快そうに笑った。
「おっ、いいこと言うじゃねぇか。さすがは基礎だけはきっちり出来てる坊主だな。
実はな、俺もまったく同じことを感じてた」
鬼一は竹刀を肩に担ぎ直しながら、ちらりと私に視線を寄こす。
「嬢ちゃんの剣は――“斬ってない”んだよ。
叩きつけているだけだ」
「斬っていない……? それはどういう意味ですか?」
問い返した声は自分でも意外なほど静かだった。
だが内心では、胸の奥が小さくざわついていた。
鬼一はそれを見透かしたように、にやりと笑うのだった。
鬼一は私の問いにすぐ答えず、竹刀の切っ先で床を軽くなぞった。
その軌跡は、まるで見えない線を描くように淀みなく滑る。
「“斬る”ってのはな、嬢ちゃん……ただ腕力で振り下ろすことじゃねえ。」
鬼一はすっと竹刀を構え、刃のない竹刀の“刃筋”を示すように角度を変えた。
「剣ってのは、物を“割る”ために形が作られてる。
刃筋を通し、重心を乗せ、身体の線を一本に束ねて――初めて切っ先まで力が伝わる。
嬢ちゃんの剣は速ぇし重い。でもな……力が“散ってる”。」
私は眉をひそめた。
「散っている……?」
「そうだ。真似だけで基礎がねぇから切っ先がぶれているんだ。
剣は叩き潰す道具じゃねぇんだよ。切り裂く道具だ」
そう言うと鬼一は竹刀を軽く振っただけで、空気が細く裂けるような音がした。
ほんの小さな動きなのに、妙に鋭い気配だけが残る。
(……今の、ただの竹刀? なのに、空気が震えたような……)
鬼一はその反応に気づいたのか、片目を細めて続けた。
「嬢ちゃんの剣は“当てる”ことが目的になってる。
本来なら、踏み込みの瞬間に重心が前へ流れ、腰が回り、肩が抜けて――切っ先が、意志より先に相手へ届く。
だが嬢ちゃんのは、身体が剣に追いついてねぇんだ。
剣が単独で暴れてるって感じよ」
……痛いところを突かれた。
“剣が暴れている”
それはまさに自分が自覚していた欠点だった。
私は身体能力に任せて剣を振っているだけで、正しい型など身につけていない。
ゲームの中ではそれでも“達人”扱いだったが、この世界では通用しない。
鬼一はさらに続ける。
「だがな、嬢ちゃん。素質だけなら、そこらの武芸者の十人や二十人、相手にならねぇ。
剣を扱う筋が生まれつき通ってる奴なんて滅多にいねぇからな」
その言葉が褒め言葉なのか、それともただの評価なのか私は判断できなかった。
ただ鬼一が――私の“狂気”の核をすでに理解していることだけは、ひしひしと伝わってくる。
「……では、私はどうすれば“斬れる”ようになるのでしょう」
鬼一は口元だけで笑った。
「簡単なこった。
――剣を“振る”のをやめて、“通す”感覚を覚えろ」
“通す”。
聞き慣れないが、妙に本質的な響きがある。
「刃筋が通れば、竹でも鉄でも関係ねぇ。相手の身体が勝手に割れていく。
それが“斬る”ってことだよ、嬢ちゃん」
私は息を呑み、鬼一の言葉を深く刻み込んだ。
この世界の剣術――
鬼一の剣術――
これはただの技術ではない。何かもっと根源的で、術に近い。
そして私は確信する。
(……この男は、本物だ)




