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ブラッディー・ムーン ~最凶の悪役令嬢、かぐや姫に転生する~  作者: しんいち
第一章 転生

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四話目 決着

 「次は若様。

  ──あなたが遊んでくださいな?」


 囁くような声に、若様は肩を震わせながら刀を構えた。

 中段の構え。けれど、握る手は汗で滑りそうに濡れている。


 じり……じり……とにじり寄ってくる気配。

 警戒? 違う。

 怯えをごまかした“意地”だ。


 「いやぁぁぁぁぁッ!」


 震えを振り払うための、空っぽな雄叫び。

 ああ──いい。

 そんな無様な声をあげながら、まだ“勝てる”と信じている顔。

 可愛いじゃない。


 若様は間合いを詰め、一気に斬り込んでくる。

 動きは先ほどの子分よりはまとも。

 だが、それだけ。

 遅い。鈍い。つまらない。


 型通りの太刀筋を見た瞬間、私は胸の奥でくす、と笑った。


 ──さあ、どう壊してあげようかしら。


 胸の内側で黒い快感がとぐろを巻き、骨を叩く。

 ああ、遊びたい。

 もっと、もっと、この子の“恐怖に変わる瞬間”が見たい。


 私は必死に避けているふりをしながら、一撃だけを滑り込ませた。


 「バキッ!」


 若様が一瞬だけ苦悶の表情を浮かべる。

 その顔を見た途端、心臓が跳ねた。

 ああ……その顔、その声……もっと聞きたい。

 もっと壊したい。


 「キャァッ!」


 わざと悲鳴をあげて伏せるふりをしながら、足元へコツリと弱い攻撃を当てる。

 若様は痛がって後退し、苦しげに舌打ちをした。


 ──いいわよ。

 さあ、いつ気づくのかしら。


 私は弱い攻撃だけを、丁寧に、快楽を引き延ばすように当て続けた。

 折れない程度に、逃げない程度に、

 “まだ勝てる”“まだ大丈夫”と錯覚させるために。


 何発目で悟るのかしら?

 この攻撃が、全部、全部、私の“遊び”だって。


 想像だけで背筋が震え、口の端が自然と吊り上がる。

 ああ……もっと。

 あなたの絶望の色を見せて。


 若様は必死に「キェェェッ!」と叫び、斬りかかってくる。

 私は悟られないよう、何度でも演技を続け、弱く、優しく、じわじわと追い詰める。


 苦悶の表情が出るたびに、胸の奥が甘く疼いた。


 “まだダメよ。

  まだ気づかないで。

  もっともっと、あなたの心を壊したいの。”


 そう願いながら、慈しむようにコツリ、と一撃。


 気づけば若様は息が荒く、服は砂にまみれ、手の甲は紫色に変色していた。

 そして──ついに。


 怯えの表情。

 焦点の合わない目。

わなわなと震える手。


 その瞬間、私の胸がぞくりと痙攣した。

 ああ、待っていたのはこれよ。

 この顔、この震え、この絶望。


 「チッ……」


 でも……悟られてしまった。

 名残惜しいわね。


 「やっと分かったんですね? 実力の差に。

  でも逃げないでくださいましね。

  武士の子なら……最後まで楽しませて?」


 木の棒を肩に担ぎ、不敵な笑みを浮かべて一歩近づく。


 彼の闘志に火をつけるように挑発をしてみた。

まだまだ頑張って、武士の子ならもっと、もっとやれるでしょ──

 期待で喉が熱くなる。


 だが返ってきたのは、あまりにも情けない叫びだった。


 「う、うわ……やめろ……来るな……。

  な、なんだお前……!

  お……お父様に……い、言いつけるぞ……!」


 私はため息をひとつ、深くついた。


 外れだ……。

 期待外れもいいところだ。


 武士の子、それもこの一帯を治める領主の息子なのだから、多少の矜持や胆力はあると信じていた。

 ほんの少し──ほんの少しだけ、胸の奥で期待していたのに。


 けれど現実とは、いつだってこうだ。

 ゲームなら命を賭して起死回生の一手を放つ場面だろう。

 だが、所詮はただの子供。

 その限界が、いま目の前で情けなく露呈している。


 私は腰に手を当て、深い溜め息をついた。

 この先の処遇を考える。


 ここまで恐怖を引き延ばして弄んでみたが、もう反応は鈍りきっている。

 見逃してやる気は毛頭ない。

 とはいえ、殺すとなれば領主が出張ってくるだろう。

 それはさすがに面倒だ。


 「ん……」


 腕を組んで悩んでいた、その一瞬だった。

 若様がその隙をつき、竹林へ向かって駆け出した。


 「お、覚えておれ!」


 その言葉が、私の神経を刺々しく逆撫でする。


 ──覚えていろ、ですって?

 あんな取るに足らないガキを、どうして私が覚えておかなきゃならないの。


 「パルジー」


 呪文が滑り出る。

 血流を縛り、一時的に麻痺させる血の魔法。


 若様は走り出した姿勢のままカクンと固まり、そのまま地面に転がり落ちた。

 久方ぶりの魔法だったが、まずまずの仕上がりだ。


 ──さあ。やっぱり、殺してしまいましょう。


 飽きた。

 魔法の調子も確かめた。

 この子にはもう価値はない。


 もう少し根性でも見せてくれれば、顔のひとつくらい覚えてあげたのに。

 どうでもいいわ。

 あとは手足でも折って泣き叫ぶ声を聞けば十分。


 私は口元にそっと手を添え、込みあがる笑いを押し殺しながら近づいた。


 「くるな! くるな……くるなぁぁ!」


 麻痺はすでに解けたらしい。

 若様は尻餅をつき、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら必死に後ずさる。


 「私、覚えるのが苦手なのでございますよ──若様。」


「頼む……頼む! 我が悪かった、許してくれ……!」


「お断りいたしますわ。」


 木の棒の先端を、逃げ場のない喉元へ突きつける。


 ……さあ、私に全てを捧げなさい。


 棒を振り上げた、その瞬間。


 「かぐや。やめて──もういいわ」


 声が飛んだ。

 振り向くと、腕を押さえたあずみが、あきこに支えられながら立っていた。


 「お願い……私、大丈夫だから。見逃してあげて」


 その必死の声に、私は棒を下ろした。

 潮時というやつだ。

 ここで無視して振り下ろせば、ふたりに“本性”を勘づかれかねない。


 しおらしく、友人を心配する少女を演じるべき場面だ。


 「大丈夫なの、あずみちゃん?

  倒れて動かないから、私……ついカッとなっちゃって」


 言い訳をしながら彼女に歩み寄り、怪我の様子を確認する。

 傷は深いものの、血はすでに止まりかけている。

 私はそっと手を添え、目立たない程度に魔法で調整した。

 白血球の働きをわずかに促し、傷の補修を助ける。

 完全に塞げば不自然になるから、ほんの少しだけ。


 若様は「ヒィィィィッ!」と情けない悲鳴をあげ、尻尾を巻くように逃げ去っていった。


 ──まあ、いいわ。

 久しぶりに、充分楽しませてもらったもの。


 私は鼻で笑い、あずみの肩を支えた。


 そして後日――。


 「……やっぱり、殺しておくべきだったかしら。」


 そんな独り言が漏れるほど、胸の奥でざらついた予感が鳴っていた。


 私の家に“若様”がやってきたのだ。

 しかも、父親まで連れて。


 もちろん、父様と母様には先日起きた一件を話してはいない。

 まさか、武家の息子が十歳の女の子に刀を抜き、さらに三人がかりで返り討ちに遭ったなど、恥の極みにも等しいことを親に告げるはずがない……そう、思っていた。


 だが――。


 「かぐや、かぐや」


 父様の声に気づき、私は自然を装って振り向いた。


 ……その前で、異様な光景が広がっていた。


 若様は項垂れ、顔は殴り腫らしたようにボコボコ。

 あれは私がつけた傷ではない。

 そして、その後ろに立つ男――藤原為憲は、場違いなほど穏やかな笑みを浮かべていた。むしろ機嫌が良さそうに見える。


 父様と母様は、怯えたように平伏していたが……どうにも様子がおかしい。


 為憲は恐縮しつつ頭を下げ、柔らかい声で言った。


 「頭をお上げ下され。……息子に代わり、まずはワシが詫びを申し上げる。」


 思わず、私は眉をひそめた。


 彼が語った内容は、私の常識では考えられぬものだった。


 「長男と思い甘やかしたのが間違いでな。罪もない子を斬りつけるなど……死罪が相応しい。だが、ワシも親じゃ。いかに不肖の息子とはいえ、子供を斬るは忍びない。ゆえに、こうして親としての責を果たしに参った。


すでに、あきこ殿とあずみ殿には許しをこうてきた、あとはかぐや殿のみ、どうか息子を許してやって欲しい。」


 為憲が深々と頭を下げると、若様も地面に額がつくほど頭を下げた。


 「申し訳……ございませんでした……」


 昨日の不遜さは跡形もなく、潰れた顔を真っ赤にしながら震えていた。


 ――へぇ。


 無意識に、私は心の中で小さく感心していた。

 若様にではない。

 為憲に、だ。


 この地を治める領主であり、身分の高い武家。

 その男が、町娘の、しかも十歳の少女に深々と頭を下げている。


 ……親とはこう言うものなのか。

 ……それとも、底知れぬ男か。


 見極めるには、まだ材料が足りない。


 だが今、私が選ぶべき選択肢はひとつだけだった。


 「頭をお上げくださいませ。わたくしも申し訳ございませんでした。友を傷つけられ、つい、取り乱してしまい……やり過ぎました。もう気にしておりません。」


 計画を進める上で、揉め事など不要だった。

 ここは大人しく“良い子”を演じておけばいい。


 為憲と若様が顔を上げ、父様と母様は安堵の息を洩らした。


 その時だった。


 「かぐや殿。ならば……そなたに詫びをしたい。迷惑をかけた礼も兼ねてな。」


 「いえ、もう十分でございます。謝罪のお言葉だけで――」


 「これは詫びであり、礼だ。息子を諌めてくれたことへの、な。」


 ――なるほど。

 そこまで言われれば断れない。

 ここで拒めば“無礼”になる。


 私は軽く思案した。


 金などどうでもいい。

 地位も不要。

 いずれ手に入るし、必要なら奪えばいい。


 ならば、求めるべきは――。


 「では、一つだけお願いがございます。」


 「ほう、申してみよ。」


 私は静かに微笑み、言った。


 「わたくし、『剣術』を学びとうございますわ。」


 その瞬間、為憲の笑みが、わずかに――ほんのわずかにだが、強ばったように見えた。


 まるで、私の意図を探るかのように。



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