四話目 決着
「次は若様。
──あなたが遊んでくださいな?」
囁くような声に、若様は肩を震わせながら刀を構えた。
中段の構え。けれど、握る手は汗で滑りそうに濡れている。
じり……じり……とにじり寄ってくる気配。
警戒? 違う。
怯えをごまかした“意地”だ。
「いやぁぁぁぁぁッ!」
震えを振り払うための、空っぽな雄叫び。
ああ──いい。
そんな無様な声をあげながら、まだ“勝てる”と信じている顔。
可愛いじゃない。
若様は間合いを詰め、一気に斬り込んでくる。
動きは先ほどの子分よりはまとも。
だが、それだけ。
遅い。鈍い。つまらない。
型通りの太刀筋を見た瞬間、私は胸の奥でくす、と笑った。
──さあ、どう壊してあげようかしら。
胸の内側で黒い快感がとぐろを巻き、骨を叩く。
ああ、遊びたい。
もっと、もっと、この子の“恐怖に変わる瞬間”が見たい。
私は必死に避けているふりをしながら、一撃だけを滑り込ませた。
「バキッ!」
若様が一瞬だけ苦悶の表情を浮かべる。
その顔を見た途端、心臓が跳ねた。
ああ……その顔、その声……もっと聞きたい。
もっと壊したい。
「キャァッ!」
わざと悲鳴をあげて伏せるふりをしながら、足元へコツリと弱い攻撃を当てる。
若様は痛がって後退し、苦しげに舌打ちをした。
──いいわよ。
さあ、いつ気づくのかしら。
私は弱い攻撃だけを、丁寧に、快楽を引き延ばすように当て続けた。
折れない程度に、逃げない程度に、
“まだ勝てる”“まだ大丈夫”と錯覚させるために。
何発目で悟るのかしら?
この攻撃が、全部、全部、私の“遊び”だって。
想像だけで背筋が震え、口の端が自然と吊り上がる。
ああ……もっと。
あなたの絶望の色を見せて。
若様は必死に「キェェェッ!」と叫び、斬りかかってくる。
私は悟られないよう、何度でも演技を続け、弱く、優しく、じわじわと追い詰める。
苦悶の表情が出るたびに、胸の奥が甘く疼いた。
“まだダメよ。
まだ気づかないで。
もっともっと、あなたの心を壊したいの。”
そう願いながら、慈しむようにコツリ、と一撃。
気づけば若様は息が荒く、服は砂にまみれ、手の甲は紫色に変色していた。
そして──ついに。
怯えの表情。
焦点の合わない目。
わなわなと震える手。
その瞬間、私の胸がぞくりと痙攣した。
ああ、待っていたのはこれよ。
この顔、この震え、この絶望。
「チッ……」
でも……悟られてしまった。
名残惜しいわね。
「やっと分かったんですね? 実力の差に。
でも逃げないでくださいましね。
武士の子なら……最後まで楽しませて?」
木の棒を肩に担ぎ、不敵な笑みを浮かべて一歩近づく。
彼の闘志に火をつけるように挑発をしてみた。
まだまだ頑張って、武士の子ならもっと、もっとやれるでしょ──
期待で喉が熱くなる。
だが返ってきたのは、あまりにも情けない叫びだった。
「う、うわ……やめろ……来るな……。
な、なんだお前……!
お……お父様に……い、言いつけるぞ……!」
私はため息をひとつ、深くついた。
外れだ……。
期待外れもいいところだ。
武士の子、それもこの一帯を治める領主の息子なのだから、多少の矜持や胆力はあると信じていた。
ほんの少し──ほんの少しだけ、胸の奥で期待していたのに。
けれど現実とは、いつだってこうだ。
ゲームなら命を賭して起死回生の一手を放つ場面だろう。
だが、所詮はただの子供。
その限界が、いま目の前で情けなく露呈している。
私は腰に手を当て、深い溜め息をついた。
この先の処遇を考える。
ここまで恐怖を引き延ばして弄んでみたが、もう反応は鈍りきっている。
見逃してやる気は毛頭ない。
とはいえ、殺すとなれば領主が出張ってくるだろう。
それはさすがに面倒だ。
「ん……」
腕を組んで悩んでいた、その一瞬だった。
若様がその隙をつき、竹林へ向かって駆け出した。
「お、覚えておれ!」
その言葉が、私の神経を刺々しく逆撫でする。
──覚えていろ、ですって?
あんな取るに足らないガキを、どうして私が覚えておかなきゃならないの。
「パルジー」
呪文が滑り出る。
血流を縛り、一時的に麻痺させる血の魔法。
若様は走り出した姿勢のままカクンと固まり、そのまま地面に転がり落ちた。
久方ぶりの魔法だったが、まずまずの仕上がりだ。
──さあ。やっぱり、殺してしまいましょう。
飽きた。
魔法の調子も確かめた。
この子にはもう価値はない。
もう少し根性でも見せてくれれば、顔のひとつくらい覚えてあげたのに。
どうでもいいわ。
あとは手足でも折って泣き叫ぶ声を聞けば十分。
私は口元にそっと手を添え、込みあがる笑いを押し殺しながら近づいた。
「くるな! くるな……くるなぁぁ!」
麻痺はすでに解けたらしい。
若様は尻餅をつき、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら必死に後ずさる。
「私、覚えるのが苦手なのでございますよ──若様。」
「頼む……頼む! 我が悪かった、許してくれ……!」
「お断りいたしますわ。」
木の棒の先端を、逃げ場のない喉元へ突きつける。
……さあ、私に全てを捧げなさい。
棒を振り上げた、その瞬間。
「かぐや。やめて──もういいわ」
声が飛んだ。
振り向くと、腕を押さえたあずみが、あきこに支えられながら立っていた。
「お願い……私、大丈夫だから。見逃してあげて」
その必死の声に、私は棒を下ろした。
潮時というやつだ。
ここで無視して振り下ろせば、ふたりに“本性”を勘づかれかねない。
しおらしく、友人を心配する少女を演じるべき場面だ。
「大丈夫なの、あずみちゃん?
倒れて動かないから、私……ついカッとなっちゃって」
言い訳をしながら彼女に歩み寄り、怪我の様子を確認する。
傷は深いものの、血はすでに止まりかけている。
私はそっと手を添え、目立たない程度に魔法で調整した。
白血球の働きをわずかに促し、傷の補修を助ける。
完全に塞げば不自然になるから、ほんの少しだけ。
若様は「ヒィィィィッ!」と情けない悲鳴をあげ、尻尾を巻くように逃げ去っていった。
──まあ、いいわ。
久しぶりに、充分楽しませてもらったもの。
私は鼻で笑い、あずみの肩を支えた。
そして後日――。
「……やっぱり、殺しておくべきだったかしら。」
そんな独り言が漏れるほど、胸の奥でざらついた予感が鳴っていた。
私の家に“若様”がやってきたのだ。
しかも、父親まで連れて。
もちろん、父様と母様には先日起きた一件を話してはいない。
まさか、武家の息子が十歳の女の子に刀を抜き、さらに三人がかりで返り討ちに遭ったなど、恥の極みにも等しいことを親に告げるはずがない……そう、思っていた。
だが――。
「かぐや、かぐや」
父様の声に気づき、私は自然を装って振り向いた。
……その前で、異様な光景が広がっていた。
若様は項垂れ、顔は殴り腫らしたようにボコボコ。
あれは私がつけた傷ではない。
そして、その後ろに立つ男――藤原為憲は、場違いなほど穏やかな笑みを浮かべていた。むしろ機嫌が良さそうに見える。
父様と母様は、怯えたように平伏していたが……どうにも様子がおかしい。
為憲は恐縮しつつ頭を下げ、柔らかい声で言った。
「頭をお上げ下され。……息子に代わり、まずはワシが詫びを申し上げる。」
思わず、私は眉をひそめた。
彼が語った内容は、私の常識では考えられぬものだった。
「長男と思い甘やかしたのが間違いでな。罪もない子を斬りつけるなど……死罪が相応しい。だが、ワシも親じゃ。いかに不肖の息子とはいえ、子供を斬るは忍びない。ゆえに、こうして親としての責を果たしに参った。
すでに、あきこ殿とあずみ殿には許しをこうてきた、あとはかぐや殿のみ、どうか息子を許してやって欲しい。」
為憲が深々と頭を下げると、若様も地面に額がつくほど頭を下げた。
「申し訳……ございませんでした……」
昨日の不遜さは跡形もなく、潰れた顔を真っ赤にしながら震えていた。
――へぇ。
無意識に、私は心の中で小さく感心していた。
若様にではない。
為憲に、だ。
この地を治める領主であり、身分の高い武家。
その男が、町娘の、しかも十歳の少女に深々と頭を下げている。
……親とはこう言うものなのか。
……それとも、底知れぬ男か。
見極めるには、まだ材料が足りない。
だが今、私が選ぶべき選択肢はひとつだけだった。
「頭をお上げくださいませ。わたくしも申し訳ございませんでした。友を傷つけられ、つい、取り乱してしまい……やり過ぎました。もう気にしておりません。」
計画を進める上で、揉め事など不要だった。
ここは大人しく“良い子”を演じておけばいい。
為憲と若様が顔を上げ、父様と母様は安堵の息を洩らした。
その時だった。
「かぐや殿。ならば……そなたに詫びをしたい。迷惑をかけた礼も兼ねてな。」
「いえ、もう十分でございます。謝罪のお言葉だけで――」
「これは詫びであり、礼だ。息子を諌めてくれたことへの、な。」
――なるほど。
そこまで言われれば断れない。
ここで拒めば“無礼”になる。
私は軽く思案した。
金などどうでもいい。
地位も不要。
いずれ手に入るし、必要なら奪えばいい。
ならば、求めるべきは――。
「では、一つだけお願いがございます。」
「ほう、申してみよ。」
私は静かに微笑み、言った。
「わたくし、『剣術』を学びとうございますわ。」
その瞬間、為憲の笑みが、わずかに――ほんのわずかにだが、強ばったように見えた。
まるで、私の意図を探るかのように。




