三話目 復活の兆し
それから幾年かの季節が過ぎ、私は十歳となった。
竹林に現れた赤子は、いまや町でも名の知れた“才女”と呼ばれる存在となり――そして、運命を変える“師”との出会いが、静かに近づいていた。
生まれ持った容姿は、親たちが誇らしげにため息をこぼすほどに整っていた。
前世から引き継いだ知識と観察眼も、子どもの器に収まりきらず、周囲の大人たちをしばしば驚かせた。
その一方で、私は活発で少し“お転婆”だと噂されてもいたが――むしろ好都合だった。
明るく無邪気な仮面は、私の本性を覆い隠す最高の隠れ蓑である。
悪役令嬢のように敵を増やす必要などない。
静かに、気づかれぬように、この世界へ溶け込み浸食していくこと……それこそが、今の私の使命なのだから。
そんな私にも、二人の友がいた。
父様と同じ地方官の娘である「あきこ」、そして町の商家に生まれた「あずみ」だ。
あきこの家は、代々貴族の血筋を引いているらしく、家風もどこか雅やかで静か。
彼女自身もまた、柔らかでおしとやかな娘だった。
父様とあきこの父が親しい間柄だったため、私がこの家に来たときから自然と彼女はそばにいた。
あきこは純粋で、私を疑うことを知らない。
ゲームの中で私に甘く寄り添ってきた“取り巻き”とはまるで違った。
私を慕い、ただ一人の友として寄り添おうとするその無垢さは――眩しすぎて、時に胸が痛むほどだった。
けれど同時に、彼女の存在は、私が正体を隠す上でこれ以上なく便利な盾にもなる。
あずみと出会ったのは、そんなあきこからの紹介がきっかけだった。
身分こそ違えど、地方官と町の商家の距離は思いのほか近く、父様も母様も平民たちと気さくに会話を交わすのが常だった。
そのためか、あずみは私に対して身構える様子もなく、初対面でいきなり対等な口をきいてきた。
その遠慮のない態度、気の強さ、そして正義感の強い瞳。
恐れられる対象として扱われることに慣れていた私にとって、それはむしろ新鮮だった。
彼女は粗野に見えて、実は鋭いし、私の知識に敬意を払ってくれる可愛げもある。
(この二人なら……私の仮面を支えるには十分すぎる)
そう確信しながら日々を過ごしていたある日――
事件は、前触れもなく訪れた。
「誰か、助けて――!」
母様の使いで町へ出ていた折、その叫びが耳を刺した。
胸騒ぎと共に駆け寄ると、声の主は、普段は決して声を荒げることのない──あきこだった。
「……あきちゃん? どうしたの?」
「か、かぐやちゃん。」
息を切らして問うと、あきこは涙で濡れた目を大きく開き、震える指で前方を指し示す。
その先には――血に染まった腕を押さえ、地面に崩れ落ちるあずみ。
そして、その横で刀を肩に担ぎ、鼻で笑う三人の小僧どもがいた。
最近、この辺りで好き勝手に暴れているという噂の連中だ。
なるほど、これがあの馬鹿者どもか。
「……何があったの?」
問うと、あきこはしゃくりあげながら必死に説明した。
いつものようにあずみの家へ向かう途中、三人組の真ん中の少年が足を引っ掛けて転ばせたのだという。
『いてえな、この女。俺様の足にぶつかってきやがって……俺が誰だか分かってんのか?』
謝るあきこを見て、あずみは迷わず前に出た……そこで会話は涙に呑まれたが、続きは見ずとも想像できた。
あずみの性格からして、あきこを庇って啖呵を切ったのだろう。
そして、斬られた。
胸の奥が、じりじりと焼けるように熱くなった。
私はこの二人を“友達”と呼ぶ感覚は持っていない。
ただの仮面を支えるための駒……そう割り切っていたはずだ。
なのに。
なのに――こんなくだらない小僧に傷つけられたことが、妙に、どうしようもなく腹立たしい。
私の計画を乱す存在に対する苛立ち。
そして何より、私の正体も知らず、のうのうと威張り散らすこの“ガキども”への嫌悪。
私はゆっくりと三人を睨み返した。
「なんだ、その目は?」
真ん中の少年が、わざとらしく顎を上げる。
「俺が“藤原 為憲”の息子だって分かって睨んでんのか? ほら、頭を下げて敬えよ」
(ふじわらのためのり……)
この一帯を治める武士の名だ。
大人たちが目を背け、誰も助けようとしないのも納得できた。
くだらない。
こんな子供相手に怯えて見ぬふりをする。
やはり人間など、その程度だ。
私は笑った。喉の奥で、冷たく。
こんな連中なら、破滅させても誰も困るまい。
近くで震えて見ていた老人の手から、木の棒を奪い取る。
「おじいさん、少し借りるね。」
棒をガキどもの前に掲げ、静かに歩み出た。
そして、挑発してやる。
「ねえ……武士の息子が三人そろって、“女の子一人に刀を振るう程度”?
──なら、私でも相手は十分よ。覚悟はできてる?」
真昼の光の中、その言葉が落ちた瞬間、三人の少年武士の顔がぴくりと歪んだ。
胸の奥で、押し殺していた何かがさざめき始める。
久しぶりの実戦——昼なのに、血の匂いを思わせる刺激に、私の心臓は静かに高鳴った。
どれほど戻っているか、試してみようじゃない。
「はあ? そんな木の棒で俺らとやるのかよ。舐めてんだろ。……おい、やれ」
為憲の息子と名乗った少年が顎をしゃくり、取り巻きの一人が抜刀した。
鞘走りの金属音が空気を裂く。
その男は余裕を絵に描いたような笑みを浮かべ、無防備に距離を詰めてきた。
私は挑発するように、人差し指をくい、と動かす。
「チッ!」
苛立った男が間合いに踏み込み、横凪ぎの一閃を放つ。
――遅い。
世界がコマ送りになる。
刀身が闇を裂く軌跡すら、指先で掴めそうなほど緩慢だ。
私は体をひねり、風を避けるようにそれをかわした。
返す刀も視界の中で鈍く揺れるだけ。紙一重でかわすたび、男の苛立ちと焦りの匂いだけが濃くなっていく。
「きぇぇぇっ!」
気合いだけは一丁前に響くが、斬撃はもはや退屈なだけだった。
そこへ、もう一人の取り巻きが刀を抜き、叫びながら突っ込んでくる。
二対一。
だが緊張感はない。むしろ、眠気すら誘うほどに遅い。
……そうだ。
良いアイデアが浮かんだわ。
「どうした! 余裕がなくなってきたのか?」
為憲の息子が勝ち誇った笑みを浮かべ、私を見下ろす。
私はわざと表情を歪め、木の棒で必死に受け止めるふりをした。
「くっ……!」
作りものの苦悶の声。
体勢も崩してあげる。
――“私に勝てる”。
そう思わせた瞬間が一番、絶望が深く落ちる。
そろそろ頃合いだ。
二人は完全に勝利を確信し、笑った。
その顔を見た瞬間、私は木の棒を構え直し、反撃に転じた。
斬撃が私を捉えようとした瞬間、棒を滑らせるように差し込み、刃の軌道をわずかにずらす。
「うわっ!」
脇腹を浅く掠めた痛みに、二人目の少年がよろめき刀を落とした。
「す、すまん!」
戦闘中に余所見をするなど、笑いすら出ない。
私は棒を振り上げ、刃の根元へ振り下ろす。
甲高い破砕音。
刀身があっけなく折れた。
「えっ……?」
少年は折られた刀を見つめ、次の瞬間、恐怖に引きつった目で私を見る。
その顔へ向けて、私は拳を叩きつけた。
「ウギャッ!」
潰れたカエルのような叫びがあたりに響き、少年は崩れ落ちた。
私は顔を覗き込み、泣きそうに歪むその表情へ、もう一発拳を落とす。
骨がきしむ感触と、絶望のにおい。
堪らないほどに、心が晴れた。
ああ……スッキリした。
立ち上がり、脇腹を押さえて地面に転がるもう一人へ歩み寄る。
太陽の下、その顔にははっきりと恐怖の影が見えた。
「待て……待て、待て……っ!」
必死の懇願。
その悲痛な声が、昼の風と混じって甘いハーモニーのように耳をくすぐる。
うっとりしながら、私は木の棒を淡々と振り下ろした。
何度も。何度でも。
やがて、昼下がりに静寂が落ちた。
「さあ、片付きましたわ」
私は頬に飛んだ血を指でなぞり、微笑んだ。
「次は若様。
──あなたが遊んでくださいな?」
真昼の光が若様の顔を照らし、彼の喉が恐怖に鳴った。




