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ブラッディー・ムーン ~最凶の悪役令嬢、かぐや姫に転生する~  作者: しんいち
弐ノ章 ②

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化け猫騒動⑤

 取り逃がした苛立ちを抑えきれず、私は借りていた弓をぽんと投げ返すように役人へ突き返した。

 

 呆然と私たちを見ていた検非違使の一人が、我に返ったように一歩踏み出す。

 

「貴様、何者だ」

 

 声だけは威勢がいい。

 私はその男を一瞥し、侮蔑を隠しもしない視線を向けた。

――この程度で震え上がっていた役人風情が、よく言うわ。

 

 その空気を察したのか、若様がすぐに間に入った。

 

「少しお待ち下さい。私どもは――」

 若様は落ち着いた口調で身分と事情を説明する。

 

 藤原為憲の名が出た途端、役人たちの顔色が一斉に変わり、次々と平伏した。

 

「も、為憲様のご子息とは……これは、まことにご無礼を……!」

 

「気にする必要はありません。それより、状況を教えてください」

 

 若様はそう言って彼らの話を聞き始めた。

 その間に、私は松明を一本借り、化け猫が穿った大穴から家の中を覗き込む。

 

 ――酷いわね。

 

 一言で済ませるにはあまりにも惨い光景だった。

 家の中は血に染まり、家具は打ち倒され、嵐が吹き荒れた後のように散乱している。

 床には三つの人影が転がっていた。

 

 父親と思しき男は、(くわ)を手にしたまま胴を引き裂かれ、既に事切れている。

 母親らしき女は、子を庇うように覆い被さり、その背には深々と爪痕が刻まれていた。

 

 その下にいる子供は――

 ここからでは、よく分からない。

 私は踵を返しかけて、足を止めた。

 

「……う、……」

 

 微かな声。

 

 私はすぐに家の中へ入り、松明を声の方へ向ける。

 瓦礫の隙間、母親の腕の下で、小さな身体が僅かに動いていた。

 生きている。

 

 だが――。

 

 私は母親の亡骸をそっとどけ、子供の全身を照らす。

 口元から血を吐き、身体には無数の深い傷。

 呼吸は浅く、まさに虫の息だった。

 

 ……喰われかけた、というところね。

 

 私は一瞬だけ周囲を確認し、誰も見ていないことを確かめると、静かに魔法を紡いだ。

 

 ――治癒の魔法。

 

 血の流れを制御し、止血を施し、人の持つ再生力を極限まで引き上げる。

 血は止まり、傷口がゆっくりと閉じ始める。

 ここまで。

 

 あとは、この子自身の生命力次第というところね。

 

 ……どうして、こんなことをしているのか。

 

 助からない可能性の方が、きっと高い。

 無駄に終わるかもしれない行為だ。

 それでも私は、手を止めなかった。

 気の迷い。

 そういうことにしておこう。

 

 胸の奥に残る得体の知れない感情を押し殺し、私は外にいる役人たちへ声をかけた。

 

「……生き残りがいますわ。」

 

 その一言に、検非違使たちは色めき立ち、慌てて家の中へ駆け込んでくる。

 担ぎ出される子供の小さな身体を、私は黙って見送った。

 そして、誰にも聞こえぬほどの声で、呟く。

 

「命があったら……またね、坊や」

 

 その言葉が誰に向けたものなのか、自分でも分からないまま、私は夜気の中に立ち尽くしていた。




 次の日――。

 

 私たちは早朝から荷をまとめ、鷲頭山の麓にある村へ向かうことになった。

 状況次第では、再びこの宿に戻る可能性もある。その旨を伝えると、宿の店主は嫌な顔一つせず、快く頷いてくれた。

 

 ありがたい話だが、礼を述べる間もなく、部屋の空気はどこか重い。

 支度を進める間、若様は終始落ち着きがなかった。

 

 昨夜の光景が、よほど心に残っているのだろう。箸を取る手も止まりがちで、出された朝餉にはほとんど手をつけていない。表情は硬く、視線も宙を彷徨っている。

 

「はぁ……」

 

 見かねて、私はひとつ溜め息を落とし、声をかけた。

 

「若様、少しは落ち着かれてはいかがで御座いますか。そのご様子では、今日一日もちませんわよ?」

 

「いや……そうは言われるがな。昨夜のアレを見てしまうと……我らだけでは……」

 

 弱気な言葉に、私は内心で深く嘆息した。

 まったく、昨夜あれほどの勢いで弓を引いていたのは誰だったのかしら。少しは見直したと思った矢先にこれだ。

 

 ――追い詰められないと力を出せないタイプ?

 ……面倒くさい。

 

 私が半眼で若様を眺め、さらに溜め息を重ねた、その時。

 

「時丸様……」

 

 障子の外から、控えめな使用人の声が届いた。

 

「検非違使のお役人が、時丸様と……その、お連れの方をお迎えに参っております。」

 

 私は若様と顔を見合わせる。

 一瞬だけ沈黙が落ち、やがて若様は小さく息を吐き、覚悟を決めたように頷いた。

 

「すぐに行くと伝えてくれ。」

 

「かしこまりました。」

 

 いよいよ、というわけね。

 私は昨夜の取り逃がした悔しさを思い出し、口の端をわずかに持ち上げた。

 

 玄関先で待っていたのは、鎧を着て、弓を携えた若い武者。昨夜、私が弓を奪ったあの若い検非違使だった。

 私たちの姿を認めるなり、彼は背筋を正し、深々と頭を下げる。

 

「時丸様。わたくし、本日の案内役を申しつかりました、平田新兵衛と申します。どうぞ、よろしくお願いいたします。」

 

 名乗る声には、まだわずかな緊張が滲んでいた。

 若様は穏やかに微笑み、声をかける。

 

「平田殿、こちらこそよろしく頼む。そんなに緊張せずとも良い。気楽にして構わぬ。」

 

 ――よく言うわ。

 

 つい先ほどまで、誰よりも緊張で固まっていたのは若様ご本人ではありませんこと?

 その見事な切り替えの早さに、私は思わず呆然としてしまった。

 

「……ありがとうございます。では、こちらへ。」

 

 平田は一礼し、私たちを先導する。

 宿を発つ際、店主がにぎり飯を包んで持たせてくれた。

 玄関の外まで見送りに出て、「ご武運を」と一言添えて深く頭を下げる。

 

 その言葉を背に受けながら、私たちは鷲頭山へと歩き出した。


 麓の村へは、街道を外れて一里――およそ三・三キロほど先にあるという。

 私達は平田の案内で歩を進めながら、村の現状について話を聞いていた。

 

「それは……酷いものです。」

 

 平田は俯きがちに言葉を選びながら続ける。

 

「家は壊され、田畑は荒らされ……。残った者たちは、ヤツが食い散らかした食べ残りなどを拾い集め、何とか命を繋いでいる有様です。」

 

「逃げた者たちのように、その人たちも村を離れれば良いのでは?」

 

 私の問いに、平田は静かに首を横に振った。

 

「残っているのは、皆、他に頼る宛のない者ばかりです。

 中には、この村に骨を埋める覚悟の老人もおります。

 村を捨てて出て行ったところで、食べる術もなく、待つのは飢え死に……。

 それならば、せめて生まれ育ったこの地で死にたいと……そう嘆いておりました。」

 

「……それは、あまりにも酷い話で御座るな。」

 

 若様は歯を食いしばり、苦悶の色を浮かべた。

 

「もし、ヤツを討ち果たすことが出来たなら、父上に文を書こう。

 何らかの援助が出来ぬか、必ず願い出る。」

 

「ありがとうございます……!」

 

 平田は深々と頭を下げた後、少し言い淀みながらも続ける。

 

「で、では……その……援軍の方は、いつ頃こちらへ?」

 

 情けなさを噛みしめるような声だった。

 

「誠に不甲斐ない話で御座いますが、昨日ご覧になった通り、我らでは歯が立ちませぬ。

 今日も皆怯えきっており……新人のわたくしが、押し付けられた次第で……」

 

 ――援軍が私達だなどと、口が裂けても言えない。

 

 私は軽く咳払いをして、若様へと視線を送る。

(……言いなさい)

 

 そう訴えると、若様は一瞬目を泳がせ、

(わ、わたくしが……?)

 

 と情けない顔で返してきた。

 

 当然でしょう、と顎で促す。

 

「いや……その……」

 若様は曖昧に笑い、

「私どもは、父上から“様子を見てこい”と言われただけでして……。

 その後の判断は父上次第、ということで……なあ、かぐや殿。」

 

 ――逃げたわね。

 

 私はぷい、と顔を背けて無言で抗議する。

 

「そ、そうで御座るか……」

 

 平田は落胆を隠しつつも、

「で、では……出来るだけ早く、時丸様からもお伝えください。」

 

「アハハハ……承った」

 

 乾いた笑いを浮かべる若様を横目に、私は内心で呆れていた。

 

(いい加減な男、勘当されてるくせに、よく言うわ)

 そんな皮肉を胸にしまい込みつつ、私達は荒れ果てた村へと足を踏み入れた。

 

 ――これが、あの化け猫に蹂躙された地。

 空気が、重い。


  


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