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ブラッディー・ムーン ~最凶の悪役令嬢、かぐや姫に転生する~  作者: しんいち
弐ノ章 ②

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19/25

化け猫騒動④

 それは、今からおよそ一年前の出来事に遡るという。

 鷲頭山に――“それ”は、まるで当然のように姿を現し、住み着いたのだと。


「はい。最初は猪や鹿の仕業だと思われておりました。」


 店主は淡々と、しかしどこか重たい口調で語り始めた。


「被害も、田畑の作物が荒らされたり、軒下で干しておった大根などが食い荒らされたりと、その程度で御座いましてな。里ではよくある話として、さほど深刻には受け止められておりませんでした。」


 若様が腕を組み、低く問いを投げる。


「……では、いつから異変に気づいたのじゃ?」


 その問いに、店主の顔色がわずかに曇った。


「田畑が荒らされ始めてから、一月半ほど経った頃で御座います。その頃より、飼っておった鶏が襲われるようになりまして……さらに、里の麓で何者かに喰われた猪の屍骸が見つかったのです。」


「でも、それだけなら……」


 私は念のため、言葉を挟んだ。

 しかし、私の意図を察したのだろう。店主は静かに首を横に振る。


「はい。それだけでは、熊の仕業だと考えられておりました。里の者もそう判断し、弓を携えた数人が、熊を討つため山へ入ったのです。」


「……そこで、ですか。」


 私の言葉に、店主はゆっくりとうなずいた。


「はい。山へ入った者の話では、中腹あたりに岩の洞窟のような場所があり、そこに“それ”がいたそうで御座います。」


 店主は一度息を整え、言葉を選ぶように続けた。


「大きさは一丈ほど……尾が二つに分かれた姿で。おそらくは『二股』と呼ばれるものかと。私は絵でしか見たことは御座いませんが、『虎』という異国の獣に酷似していたと聞いております。」


「一丈(三メートル)……」


 若様が顎に手を当て、険しい表情を浮かべる。


「それは、随分と大きいで御座るな。」


 虎――。

 私も名だけは知っている。前世で調べた資料の中に、確かに存在していた獣だ。しかし、妖怪となれば話は別。


 私は若様へと視線を向けた。


「若様。わたくしは『二股』という妖怪を存じ上げません。よろしければ、お教え願えませんか?」


「ああ……わたくしも幼い頃に聞いた話で御座るが……」


 若様は少し考えるようにしてから、語り始めた。


「長く生きた猫が妖力を得て、尾が二つに分かれた存在。それが『二股』で御座る。人の言葉を話すとか、炎を操るとか……そんな噂もあったはず。ただ、大きさは人ほどと聞いておった。一丈というのは、わたくしも初耳で御座る。」


 三メートル。

 人を超え、獣をも超える異形。

 確かに、それは厄介だわ。


「……それで、その後は?」


 私が促すと、店主は再び語り出した。


「はい。山へ入った者たちは、討伐を試みたそうで御座います。しかし、あまりにも素早く、弓を放っても当たらぬどころか……矢を手で払いのけるような真似までしたと申します。」


 店主の声が、わずかに震えた。


「そして……二人は一撃のもとに命を落とし、残った者たちは命からがら逃げ帰ってきたので御座います。」


 室内に、重い沈黙が落ちた。


 やがて、店主は言葉を継ぐ。


「人の味を知ったその化け猫は、それ以降、毎夜のように人を襲うようになりました。里の者たちは金を集め、腕利きの武芸者や、妖怪退治を名乗る僧まで雇いましたが……いずれも返り討ちに遭いまして」


 店主は拳を握りしめ、怯えるように私と若様を交互に見やる。


「今では、麓の里は見る影もないと聞いております。多くの者が逃げ出し、残った者も、ただ怯えて暮らしているとか……」


 そして店主の顔がひときわ険しくなった。


「十日ほど前でしょうか。この街道沿いで、その妖怪を見たという者が現れまして……。いよいよ、この町も襲われる恐れが出てきたため、検非違使様へ討伐を願い出た次第で御座います。」


 ――なるほど。


 私は、静かに息を吐いた。

 その話が、巡り巡って鬼一の元へ届いたわけね。


 ようやく、全てが一本につながった気がした。



 すると若様が、私にだけ聞こえるよう、そっと耳打ちしてきた。


「――どうなさいますか、かぐや殿。

 流石に一丈もある怪物、我らだけでは……。やはり、ここはお師匠さまに――」


 その弱気な声音に、私は思わず鼻で笑った。


「問題、御座いませんわ。」


 三メートル――確かに大きい。だが、ゲームの世界にいた頃、私が相手にしてきたものはそれどころではなかった。

 空を覆うほどの巨体を持つ竜すら、私は従えていたのだ。この程度で怯む理由などない。


 ……もっとも。


 本当の問題は、別のところにある。


(猫……)


 その事実だけが、胸の奥をちくりと刺した。

 だが、若様の手前、顔に出すわけにはいかない。私はそっぽを向き、平静を装う。

 しかし内心は、決して穏やかではなかった。


(どうする……)


 その時だった。


 ――バタバタ、バタバタ。


 廊下を駆けてくる、慌ただしい足音。

 次いで、切羽詰まった声が響く。


「旦那さま、旦那さま!」


 店主ははっと顔を上げ、私達と視線を交わした。


 障子が、勢いよく開く。


「何事じゃ。お客様の前ですぞ」


 店主がたしなめるのも構わず、若い使用人は真っ青な顔で言葉を絞り出した。


「し、失礼いたしました……。し、しかし……現れました。

 二股で御座います。少し先の家が、今まさに襲われておりまして――!」


 空気が、一瞬で凍りついた。


 私は即座に立ち上がり、脇に置いていた刀を掴む。

 心臓の鼓動が、否応なく速まる。


(……向こうから来てくれるなんて)


 手間が省けて、好都合だ。


「若様」


 振り返らず、短く告げる。


「行きますわよ。」


「か、かぐや殿……本当に行くので御座るか?」


「当たり前でしょ。早く、武器を」


 有無を言わせぬ口調に、若様は一瞬ためらい、それでも観念したように弓を手に取った。


 私は若い使用人に視線を向ける。


「案内してちょうだい。」


 夜の帳が降り始めた町のどこかで、

 ――二つの尾を持つ影が、獲物を求めて牙を剥いている。


 静かな宿の空気は、すでに張り詰めた緊張に塗り替えられていた。


 私と若様は急いで草履を履き、使用人に先導されるまま現場へと駆け出した。

 距離はほんの数軒先――しかし、近づくにつれ空気が明らかに変わっていくのを感じる。


 松明の赤い光が揺れていた。

 数人の検非違使らしき役人が家を囲み、武器を手にしたまま立ち尽くしている。


 一目で異常だと分かった。


 家の壁には、人の背丈を優に超える大穴が穿たれ、地面には引きずられたような血痕が点々と続いている。

 松明の光に照らされるその赤は、まだ生々しかった。


 検非違使たちは攻めあぐねていた。

 刀を握る手は震え、弓を構えている者もいるが、弦を引く気配はない。

 彼らの視線は、皆同じ一点――上へと向けられていた。


 ……いたわね。


 私は静かに刀を抜いた。


 姿ははっきりとは見えない。

 だが、松明の揺らぐ光の中、屋根の上に浮かび上がる巨大な影。

 二つの異様に大きな目が、闇の中でぎらりと光り、こちらを射抜いてくる。


「シーャャャ……アァァ……」


 喉の奥から絞り出されるような、不気味な鳴き声。

 威嚇――いや、これは警告か。


 屋根に飛び上がり斬りかかることも出来た。

 だが私は、放心状態の検非違使の一人から弓を奪い取った。


「な、なにを。」


  弓を取られた検非違使の声を無視して私は弓で狙いをつける。


「若様!」


 私の動きに呼応するように、若様も即座に弓を構える。


「おう!」


 息を合わせ、間を計り……

 そして――


 二人同時に弓を放った。


 矢は夜気を切り裂き、一直線に化け猫へと迫る。

 しかし――


 化け猫の動きは、想像以上に速かった。


 巨体からは考えられぬ身軽さで、一跳び。

 矢を易々とかわし、隣家の屋根へと身を翻す。


 ……やるじゃない。


 あの大きさで、あの反応速度。

 私は即座に二射目を構え、若様も遅れず続いた。


 闇の中、あの光る目が、はっきりとこちらを捉えているのが分かる。

 松明の光に照らされた口元が、ほんの一瞬――笑ったように見えた。


 次の瞬間。


 化け猫は屋根伝いに跳躍し、闇の奥へと姿を消した。


 ――逃げた。


 素早いだけじゃない。

 状況を見極め、不利と悟れば即座に退く。

 あの狡猾さ……ただの獣ではない。


 私は弓を下ろし、舌打ちをした。


 取り逃がしたわね。


 屋根に上がり、剣で仕留めるべきだったか。

 実戦の勘が、まだ完全には戻っていない。


 闇に溶けたその気配を睨みつけながら、私は静かに息を整えた。


 ――だが、これは始まりに過ぎない。


 次に相まみえる時、逃がすつもりはなかった。


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