化け猫騒動①
お鈴さんの一件が片付き、松戸屋の偽造品騒ぎもようやく町から熱を失い始めた頃のこと。
私は若様の弓の稽古に付き合わされていた。
若様は今こそ勘当中の身とはいえ、いずれは許されて家へ戻る身分の人間である。
そのため剣の修行はもちろんのこと、弓や槍といった武芸も一通り身につけねばならないらしい。
……らしいのだが。
「またワシが勝ちもうしたぞ、かぐや殿」
普段は私に負けてばかりの若様が、今日はやけに得意げに胸を張ってみせた。
その様子に、私は――
ほんの少し。
本当に、ほんの少しだけ、イラッとしていた。
私は元々、弓が得意なわけではない。
ゲームの中では弓などほとんど使わなかった。
魔法の弓というものは確かに存在していたが、あれは構えさえすれば、放った瞬間に勝手に標的へ追尾していく代物だ。
あんなもの、弓の腕などなくても誰でも当てられる。
そもそも、ゲームの私の設定には弓の能力値など与えられていなかった。
ファンタジーゲームにおいて弓という武器は、地味で、後方支援向きで、剣よりも火力が低い。
いわば日陰の存在だ。
主人公が使う武器でもなければ、
ましてや――私のような“最凶”とまで呼ばれた悪役、ラスボスが振るう武器でもない。
やはり主人公やラスボスというものは、派手な剣技や、派手な魔法を叩きつけてこそ存在感があるというものだ。
とはいえ、このかぐや本人の身体能力と、ゲーム時代に付与されていた格闘センスのおかげで、並の弓使い程度には扱える。
実際、威力だけなら若様より上だ。
だが――若様は少し違う。
異常なまでの正確性。
毎回寸分違わぬ構え。
放つタイミングも、呼吸も、すべてが一定。
読みやすいと言えば読みやすいのだが、その安定感が逆に不気味だった。
急所を外さず、しかも連射までしてくる。
これはもう、才能――
センスと呼ぶべきものだろう。
若様には、確かにそれがある。
もしこのまま弓を極められたら、なかなか厄介な相手になるに違いない。
……分かってはいるのだが。
それでも――
どうにも、少し。
ほんの少しだけ、腹が立つ。
まったく。
若様のくせに、生意気なのよ。
まあ、そんな具合に内心いら立ちながら弓の稽古に付き合っていると、いつからそこにいたのか、あずみが私たちに声をかけてきた。
「かぐや! 若様!」
「あら、あずみ。いつ来たの?」
「今よ。あきこと一緒にね。道場に行ったら鬼一さんが来てて、かぐやと若様を至急呼んで来てくれって言われたの。」
……至急。
胸の奥に、小さな引っ掛かりが生まれる。
若様と顔を見合わせ、私たちは急いで道場へと向かった。
道場に着くと、鬼一はいつものように上座に腰を据え、あきこと楽しげに話し込んでいた。
その空気を遮るように、私は声をかける。
「鬼一さま、お呼びですか?」
「おう、二人とも来たな。早速なんだが……」
そう言って皆を集めると、鬼一は話を切り出した。
話の内容は、こうだ。
竹取の郷から数里離れた場所――『鷲頭山』。
そこに妖怪が住み着き、近隣の田畑を荒らし、家畜を襲い、最近では村人や旅人までもが被害に遭っているという。
妖怪……。
ゲームの世界で言えば、いわゆる「魔物」みたいなものかしら。
「……それで?」
私が問い返すと、鬼一はいつもの調子で、とんでもないことを口にした。
「それでな、嬢ちゃん。ちょっとサッと行って、退治して来てくれねぇか?」
――は?
思わず言葉を失う。
隣を見ると、若様も、あきこも、あずみも、見事に唖然としている。
私は即答した。
「……いやで御座いますわ。」
至極当然の返答である。
中身はともかく、見た目はまだ十歳の子供だ。そんな子供に妖怪退治など、正気の沙汰ではない。
正直、面倒だし、理由もない。
人が襲われている?
――だから何。
食べれちゃいば良いじゃない。
弱い者が淘汰されるなど、世の常ではないか。
私はぷいと顔を背け、拒絶の意思を示した。
「いやいや、嬢ちゃん。そこを何とか頼むよ。嬢ちゃんの足なら数里なんてすぐだろ。その気になりゃ、一晩で片が付く。」
……全く話が通じない。
私の師匠は、もしかして馬鹿なのかしら。
若様たちも黙ったままだ。
いい加減、苛立ちが募る。
「ならば、鬼一さまが行かれるのが筋では御座いませんか?」
私は、きっぱりと言い放った。
「おそらく、この件は鬼一さまに持ち込まれた討伐依頼でしょう。
決して、わたくしのような小娘に来る話ではない筈です。
でしたら、鬼一さまご自身がサッと行って、退治なさればよろしいのでは?」
あまりにも正論。
我ながら非の打ちどころがない。
すると――。
「かぐや殿の言う通りで御座います。妖怪退治など、子供にさせるものではありません。」
若様が、珍しく即座に賛同した。
「そうよ。かぐやに行かせるのはおかしいわ。鬼一さんが行けばいいじゃない。」
あずみも続く。
当然よね。
しかし――。
あきこだけが、顎に手を当て、ううん、と唸りながら考え込んでいた。
……ちょっと、あきこ。
嫌な予感しかしないんだけど。
案の定、あきこは言葉を選ぶようにして、鬼一に問いかけた。
「鬼一さま……何か、お考えがおありなので御座いますか?
よろしければ、お聞かせください。」
その瞬間、鬼一は頭を掻き、困ったような、それでいてどこか含みのある表情を浮かべた。
「いや、あの……、お考えとかではなくてな。それがな、ちょっと――ぎっくり腰を……」
「……はっ?」
思わず、鋭い視線を鬼一へと突き刺してしまった。
鬼一は一瞬びくりと肩を震わせると、罰が悪そうに視線を逸らす。
話を聞けば、どうやら事情はこうだ。
松戸屋の一件で、懇意になった検非違使たちと毎晩のように酒宴を開き、どんちゃん騒ぎを続けた挙げ句、一昨日の夜、見事に腰をやったらしい。
――なるほど。
「それで、昨日から様子がおかしかったのね。」
昨日、私が道場へ顔を出した時のことを思い出す。
鬼一は珍しく自室に引きこもり、襖の向こうから苦しそうな声でこう言っていた。
『ちょ、ちょっと今日は……しょ、書類の整理をしなくちゃいけねぇ。今日は部屋から出れねぇから、勝手に稽古やっててくれ。』
今にして思えば、あからさまな言い訳だ。
そもそも、この男が書類など扱っているところを、私は一度も見たことがない。
やはり怪しいと思ったのよ。
さらに鬼一は、観念したように頭を掻きながら言い訳を重ねる。
「実はさぁ……為憲殿から、少し前から妖怪退治の依頼を受けてたんだけどよ。ちょっと面倒で、つい先延ばしにしてたんだよ。」
――ほう。
「そんなところに、こんなことになっちまってな。今さら断るのも、ちと恥ずかしくてよぉ……」
いい加減にも程がある。
私は深く息を吐き、改めて目の前の男を見つめた。
豪胆で、剣の腕は確かで、修羅場も潜ってきたはずの人物。
だが、その実態は――。
(本当にこの人、あの伝説の『鬼一法眼』なのかしら……)
疑念が、じわじわと胸に広がっていく。
私は静かに、だがはっきりと告げた。
「鬼一さま……情けのう御座いますわ」
皮肉をたっぷりと含ませたその一言に、
鬼一は苦笑いを浮かべることしか出来なかった。
若様は頭を抱え、あきこやあずみは揃って冷ややかな白い目を鬼一へと向けていた。
まあ、そうなるわよね。
そんな視線を一身に浴びながらも、すべてを白状して逃げ場を失った鬼一は、ついに恥も外聞もかなぐり捨てた。
なんと、年端もいかぬ私の前で両手を合わせ、深々と頭を下げてきたのだ。
「頼むよ、かぐや。おめぇしかいねぇんだろ、こんな事を出来るヤツはよ……」
必死さが滲む声で、鬼一は続ける。
「お前は強ぇ。大丈夫だ。必ず帰ってこられる。
帰ってきたら、何でも言うこと聞くからよ……頼む!」
……まったく。
そこまで言われてしまっては、さすがに突き放すのも気が引ける。
剣術を教えてもらっている恩もあるし、まだ日が浅いとはいえ、その成果を試してみたい気持ちもあった。
それに――魔物退治。
転生してから、ようやく本気で渡り合えるかもしれない相手だ。
胸の奥が、ぞくりと静かに震える。
私はその高鳴りを悟られぬよう、わざとらしく溜め息をついてから、鬼一を見下ろした。
「……それで。その妖怪とかいうものは、どのような存在なので御座いますの?」
「おう、受けてくれるか!」
鬼一の顔が、ぱっと明るくなる。
「どうやらな、その妖怪――『化け猫』らしいんだ。」
「……猫?」
思わず、口元が引きつった。
チッ。
私は心の中で、はっきりと舌打ちをした。




