皿数えの亡霊⑤
いよいよ――作戦の決行である。
私は若様たちとは別れ、一足先に松戸屋へ忍び込むことになった。
もっとも、私に課せられた役目は、思っていたほど多くはない。
屋敷の内情を確認し、若様たちが動く合図を送ること。
そして番頭から隠し蔵の鍵を奪い、偽造品の存在を確かめ、外で待ち受ける鬼一へ知らせる。
やるべきことは、それだけだ。
しかも、下準備はすでに昨日のうちに済んでいる。
偽造品に関する情報――新しい荷が届く時期や、隠し蔵の位置については、事前にお鈴さんから聞き出していた。
幽霊というものは、案外と便利である。
もう一つ、皿の件も問題はなかった。
お鈴さんによれば、彼女が割ってしまった偽物の皿は、まだ補充されていないという。
つまり、あの中に一枚だけ、本物を混ぜ込めばいい。
鬼一が語った作戦は、こんな感じだ。
若様たちが屋敷を訪れれば、必ず一番出来のいい客室へ通される。もてなす側として、それは当然の流れだ。その部屋に、私はあらかじめ“偽物”の皿を置いておく。
作戦通り、若様は言い出すだろう。
――その皿を見せろ、と。
そうなれば、左兵衛は断れない。
面子も、立場もある。見せざるを得なくなる。
さらにその皿を若様が気に入ればどうなるか。左兵衛は内心で彼を侮り、したり顔でこう勧めてくるはずだ。
「どうです、若様――」と。
その瞬間を逃さず、あきこが偽物だと指摘する。
羞恥と侮辱に塗れた若様は、必ず激昂するだろう。
そして“偽物”の山の中から、本物を選び出し――
そして割る。
いささか生ぬるい気もするが、悪くはない。
割れた皿が本物だと気づいた瞬間の、左兵衛の顔。
想像するだけで楽しい。
もっとも、屋根裏に潜む私から、その表情が見えるかどうかは分からないのだけれど。
さらに私は、番頭の弥七にも仕掛けを施しておいた。
アホ面を晒し、大口を開けて眠りこけている彼の口に、私の血を一滴垂らす。
そして、静かに呪文を唱える。
「血は誓約、命は代価。
汝の命脈、我が指へと繋げ。
抗う意思は要らぬ、疑う心も要らぬ。
動け――我が命ずるままに。
《クリムゾン・パクト》」
血を媒介として相手を操る、傀儡の魔法。
一滴では効果の持続は短いが、それで十分だ。
私の魔力に反応して発動し、せいぜい二時間……長くて三時間といったところかしら。
鬼一が役人を連れて踏み込んだ際、弥七本人に蔵へ案内させ、自分の口で白状させる。
これなら言い逃れは出来ないし、何より――
信頼していた番頭に裏切られたと知った左兵衛の顔が、さらに愉快なことになる。
そして、私にはもう一つ、確認しておくべきことがあった。
――やはり、今は無理ね。
お鈴さんから奪った刀、『月読』。
左兵衛はよほど気に入っているのか、それを寝床の傍に置いてあった。
今なら簡単に奪える。
だが、それでは明朝すぐに騒ぎになり、作戦どころではなくなってしまう。
まあ、明日のどさくさで回収すればいいでしょう。
それにしても……
こうして考えると、私は働き詰めだ。
一応、まだ十歳の女の子なのだけれど。
本当に、人使いが荒いわね……鬼一様は。
――と。
来たわね、若様たち。
店の外がざわついた。
天井裏からそっと視線を移すと、見覚えのある三人の姿が目に入る。
「――流石、『悪童』と呼ばれているだけのことはあるわね。
どれだけ暴れ回っていたのかしら。」
通りを行き交う町人たちは、若様の顔を認めるや否や、蜘蛛の子を散らすように道を空けていく。恐怖と警戒が入り混じった視線が、ひりひりと肌を刺す。
三人は松戸屋の前で足を止め、建物の上――私が潜むその辺りを見上げた。
合図を待っている、ということね。
私はすかさず窓を少しだけ開け、用意していた赤い布をひらり、ひらりと振ってみせた。
――気付いた。
あずみがわずかに頷くのが見える。三人は顔を見合わせ、意を決したように店の中へと足を踏み入れていった。
「……さあ、開演ね。」
小さく息を吐く。
松戸左兵衛――その破滅の幕が、いま静かに切って落とされた。
番頭の弥七は店にいる。
左兵衛は奥の屋敷で帳簿を確認中。
それらはすでに把握済みだ。
あとは、舞台に立った役者たちが、どれほど上手く立ち回ってくれるか――。
私は天井裏からそっと身を乗り出し、店内を覗き込んだ。
若様が姿を現しただけで、店の中には小さなどよめきが走る。
そのとき――。
「おい。番頭はおるか!」
「は、はい。わたくしで御座います!」
「ほう、お前が番頭か。ワシの顔は分かるか?」
「は、はい……。為憲様のご子息、時丸様で……」
「そうじゃ。今日はな、ワシの許嫁――『あき姫』のために、いくつか良い品を今すぐ用意してもらいたくて出向いたのじゃ。
店主の左兵衛を呼べ。」
「は、はいっ! か、かしこまりました!」
――やるじゃない、若様。
天井裏で、思わず感心してしまった。
堂々とした物言い、過不足のない威圧感。
悪童と恐れられる評判を、見事に自分の鎧として纏っている。
武士などやめて、役者にでもなればいいのに……。
もっとも、本格的な役者というものは、まだこの時代には存在していなかったかしら。惜しい話ね。
やがて、店の奥から慌ただしい足音が近づいてくる。
――来たわね、主役が。
私はほくそ笑みながら、覗き穴に視線を戻した。
「これはこれは、時丸様。
わたくしがこの店の主、松戸左兵衛で御座います。
番頭の弥七より伺いました。今日は許嫁の姫様のために、とのことで……」
「そうじゃ。
許嫁『あき姫』に贈り物をしたくてな。南蛮の珍しい品を扱っておると聞き、わざわざ足を運んだのじゃ。
何か良い品を、見繕ってはくれぬか。」
「は、はい、かしこまりました。
では、ここでは何ですので……どうぞ、お上がりくださいませ。」
――上々ね。
舞台は、次の幕へ。
私は音を立てぬよう再び身を引き、次の“見せ場”に備えた。
予定通り、若様たちは松戸屋の客間へ通された。
卓の上には、左兵衛が自慢げに選び集めた品々が並べられている。しかし――それらを前に、若様とあきこは顔色一つ変えず、次々と難癖をつけ始めた。
「……わたくし、この程度の品なら、すでに幾つも持っておりますわ。」
「おい、左兵衛。
もっと、あき姫が心から喜ぶような品はないのか?
大層な噂を聞いて来てみれば、この店も案外、大したことはないな。」
「た、ただいま! ただいまご用意いたします……!」
――やるわね、あきこ。
普段は大人しく控えめな癖に、今の強気な物言い。
若様と並んで左兵衛を追い詰めていく様は、もはや演技を超えて“地”なのではないかと思えてくるほどだ。
それに引き換え、あずみは……。
二人の圧に完全に呑まれ、顔は引きつり、座っているだけで精一杯といった様子。
あれでは、勘の鋭い者に気取られてしまわないか、少し心配になる。
けれど――。
それを差し引いても、愉快でたまらなかった。
左兵衛の焦りよう。額に浮かぶ脂汗。言葉一つ一つが上ずり、必死に体裁を繕っているのが手に取るように分かる。
もっとも、本番はここからだが。
客間に運び込まれては積み上げられていく数々の品。
それら一つ一つに文句をつけるあきこ。
それに呼応するように、苛立ちを隠さぬ口調で罵倒を重ねる若様。
――息が合いすぎよ、あなたたち。
まるで本物の夫婦のような連携に、私は天井裏で思わず感心していた。
「……そろそろ、かしら。」
私が薄く笑みを浮かべながら様子を見守っていると、あきこが――わざとらしいほど不意を装って、客間の端に置かれた箱を指差した。
「時丸様……。
わたくし、あの箱が見とう御座います。」
「どれじゃ?」
「あの部屋の端にある箱で御座います。
あれは、噂に聞いた唐の国よりもたらされた『彩雲十景』では御座いませんか。
十枚一組と言われる貴重な品……一度、拝見してみとう御座います。」
その瞬間だった。
左兵衛は、あきこの指し示す先を見たまま――完全に、動きを止めた。
呆然とした表情。
驚愕と動揺が、その顔にありありと浮かんでいる。
――それはそうよね。
本来、そこに在るはずのない箱なのだから。
「分かった、あき姫。
左兵衛、その箱をこちらへ持ってまいれ。」
「い、いや……あの箱は、その……ちょ、ちょっと……」
「なんじゃ。見せられぬと申すか?
このワシに、しかも姫御前で、恥をかかせるつもりか?」
若様の怒声が、客間に鋭く響き渡った。
さあ、どうするの?
左兵衛さん。
貴方なら、あの箱が“偽物”の皿を収めたものだと分かっているはず。
本来、中身は九枚しかない。
――それが十枚揃っていたなら、その時の貴方の顔、さぞ見物でしょうね。
さあ若様。
もう一押し……頑張って。
「左兵衛よ。
見せられぬと言うなら、父上に申し上げ、この店ごと潰しても構わぬのだぞ。
――良いのじゃな?」
“悪童”の名に相応しい脅し文句に、私は思わず噴き出しそうになった。
……いいわよ、若様。
少し、見直しましたわ。
「は、はい……。
か、かしこまりました……。」
左兵衛は全身を小刻みに震わせながら箱へと近づき、それを両手で抱え、若様の前へ差し出した。
床に平伏したまま、声もなく震え続ける左兵衛。
その様子を見下ろしながら、私は思わず――くすりと笑みを零していた。




