皿数えの亡霊③
「……まことで御座いますか?」
お鈴が、縋るような目で私を見上げた。
私は軽く頷くだけで答えた。
それだけで十分だ。
――胸が、躍る。
手助けとは言え、久しぶりだ。
恐怖に歪み、希望を失い、最後には感情そのものが壊れていく……あの表情を見るのは。
破滅し、絶望の底で呆けたように笑う、あの愉快な顔。
ああ、思い出すだけで心が弾む。
さて……どうしてくれようかしら?
まずは素直に縛り上げて拷問して、全部吐かせる?
どうせこんな小物、裏でいろいろやらかしているに決まっている。
帳簿、賄賂、脅し、口止め――叩けば埃どころか、汚泥が噴き出すはず。
……でも、ダメね。
短絡的すぎるわ。
せっかくなら、もっと“段取り”が欲しい。
いっそ手足を一本ずつ……と思いかけて、首を振る。
違う、違う。
それだと絶望が浅い。
ただ痛がって喚くだけの顔なんて、正直もう見飽きた。
弱いヤツほど、追い詰める前に壊れる。
悲鳴と涎と涙でぐしゃぐしゃになって……面白みがないのよ。
もっとこう……
自分が安全だと思っている場所で。
自分が勝者だと信じ切った瞬間に。
一つずつ、大切な物が崩れていく感じが――
――エヘヘヘへ。
「……お、お嬢ちゃん?」
不意に声をかけられた。
「大丈夫? なんか……顔が、不気味に笑ってるけど……」
あ。
しまった。
妄想に没頭しすぎた。
本音の顔が、すっかり出てしまっている。
いけない、いけない……。
私は慌てて表情を引き締め、何事もなかったかのように首を傾げた。
子供らしく、無邪気に、無害そうに。
「ねえ、お鈴さん」
私は声音を柔らかくして言った。
「手伝ってあげる代わりに、ちょっとだけお願いがあるのだけど……いいかしら?」
「……何で御座いますか?」
私は彼女を手招きし、そっと耳元で囁いた。
言葉を重ねるごとに、お鈴の目が少しずつ見開かれ、やがて覚悟の光に変わる。
「……良いで御座います。それくらいなら……」
了承の言葉に、私は満足げに頷いた。
後は……駒を揃えるだけね。
「あきこちゃん、こっちに来て。」
倒れた若様とあずみの横で、一部始終を目撃していたあきこに向かって手を振る。
怖いもの好きの彼女でも、本物の幽霊はさすがに別らしい。
顔を青くして、首をぶんぶんと横に振る。
「だ、大丈夫だよね……? 本当に……」
「平気よ。怖くないから」
私は近づいて、震える手を取った。
そのまま立ち上がらせ、にこやかに紹介する。
「この人はね、お鈴さん。
事情があるの……ちゃんとお話、聞いてあげて」
視線で合図を送ると、お鈴は静かに頷き、あきこに向き直った。
そして――先程聞かされた、あの身の上話を語り始める。
怯えながら、けれど目を逸らさずに話を聞くあきこの横で、私は一歩下がった。
さあ……面白くなってきたわ。
フフフフ……。
どんな復讐にしてあげようかしら。
左兵衛――あなたの“人生”そのものを、じっくり味わわせてあげる。
夜は、まだ始まったばかりだもの。
そして、次の日――。
朝の稽古が始まる前、私は鬼一に昨夜の出来事を話していた。
隣では、あきこがうんうんと頷きながら、時折身振りを交えて補足している。
「幽霊に出会ったのかい、嬢ちゃん?」
鬼一は思った以上に驚いた顔をし、それでも顎に手を当てて、私たちの話を遮らずに聞いていた。
昨夜――柳の下で姿を現したお鈴さん。
最初こそ怯えていたあきこも、彼女の身の上話を聞くにつれ、次第に表情を曇らせ、ついには目を潤ませていた。
「……ゆ、許せないわ」
ぽつりと零れたその言葉が印象に残っている。
普段は大人しく、人前で感情を荒らげることのないあきこが、握りこぶしを作って怒りを見せたのだ。
あずみならまだしも、あきこがああなるのは珍しく、思わず見てしまった。
話を終え、お鈴さんが静かに姿を消した後、私たちは気絶したままの若様とあずみを起こして家路についた。
道すがら、「幽霊と会話した」という事実に二人は盛大に引いていたが、あきこからお鈴さんの話を聞くうち、その反応は一変した。
「……それは、あまりにも酷い話で御座いますな」
若様は珍しく憤慨した様子で言った。
「その幽霊――お鈴殿。ぜひとも、お助けしたいで御座います」
「ホントよ」
今度はあずみだ。
「松戸屋でしょ? 私、知ってるわ。
あのオヤジ、人が良さそうな顔してるくせに、裏でそんなことしてるなんて最低よ」
どうやら、あずみは『松戸左兵衛』という人物そのものを知っているらしい。
彼女の話によれば――
松戸屋とは、現代で言うところの“輸入雑貨屋”のような商いをしている家で、南蛮渡来の高級品や珍しい道具、唐や新羅からの品々を扱い、急速に財を成した商家だという。
その当主、松戸左兵衛は二代目。
人当たりが良く、商人仲間からの評判も高い。
町のために金を出すことも多く、今風に言えば福祉めいたことにも積極的――だが、それはあくまで表向きではないか、とあずみは首を傾げた。
「お父さんが言ってたわ。
『松戸屋……ちょっと怪しいんだよな』って。意味までは分からないけど、あんまり好いてなかったみたい」
曖昧な言い方ではあったが、十分に信憑性はあった。
あずみはこう見えても、町でも名の知れた商人の娘だ。
父親は溺愛気味ではあるが、町での発言力も人望もある人物。
そんな男が怪しいと感じているのなら――やはり、何かある。
結局その夜は、皆で道場に泊まり、今こうして私は鬼一に全てを話している。
「松戸屋ねえ……」
鬼一は腕を組み、低く唸った。
「なかなかに、厄介な相手だな」
「存じているので御座いますか?」
私がそう尋ねると、鬼一は苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「出稽古で、武士や貴族の屋敷に行ったときな。
ちょくちょく見かけた商人がいて……たぶん、あれが松戸屋だ」
鬼一は視線を宙に投げる。
「いろいろ売り込みに来てやがってな。
どうも、この辺りの有力者とも繋がっていそうだった」
そして少し間を置き、吐き捨てるように続けた。
「噂までは聞いたことねぇが、ああいう“善人ぶる”ヤツは、決まって裏がある。間違いねぇよ」
ふいに、鬼一は若様の方を振り返った。
「――時丸。お前、何か知らねぇか?」
突然話を振られた若様は、腕を組み、唸るように考え込む。
「う~ん……」
しばし沈黙。
やがて、彼は顔を上げた。
「……そういえば」
その言葉とともに、気になる話が飛び出そうとしていた。
「……私が勘当される前に、父上が口にしていた話の中に、偽造品が出回っているという話がありました」
若様はそう言って、わずかに視線を伏せた。
「偽造品?」
鬼一が眉をひそめ、低く聞き返す。
そのやり取りを聞きながら、私とあきこは自然と顔を見合わせ、静かに頷き合った。
「はい。
それが松戸屋と直接繋がるかは分かりませんが……南蛮からの輸入品の中に、偽物が混じっているという訴えがあると、父上が話していたのを聞いたことがあります」
若様の声は慎重だった。
「主に騙されているのは、貴族や武士が多いそうです。
身分が高い分、疑うこともせず、高価な品を掴まされる……。
そう考えると、今のお師匠様の話と、どこか繋がっているように思えて……」
「……なるほどな」
鬼一は短く相槌を打ち、腕を組んだまま黙り込んだ。
頭の中で、ばらばらだった情報を組み合わせているのだろう。
その沈黙を待つように、私は一歩前に出た。
「あの……鬼一様」
全員の視線がこちらに向く。
「実は、私とあきこも……昨夜、お鈴という幽霊から、似たような話を聞かされました」
「ほう……」
鬼一の片眉が、わずかに上がる。
南蛮渡来の品。
偽造。
そして、松戸屋――松戸左兵衛。
点だった話は、確実に線になり始めていた。




