一話目 ブラッディーアウラ
「くるな! くるな……くるなぁぁ!」
少年の掠れた悲鳴が、しんと静まった竹林に虚しく響いた。
恐怖で顔を引きつらせ、後退りしながら尻を泥に濡らすその光景を見下ろすと、背筋を這い上がるような震えが私を貫いた。
――久しい。この痺れる感覚。
笑い出しそうになる口元を手で抑え、堪えきれない歓喜を押し殺す。
「私は覚えるのが苦手なので御座います。 若様。」
木の棒の先端を、逃げ場のない少年の喉元へ突きつける。
歳は十二ほどか。
取り巻きの従者たちはすでに私の手で地を舐め、ぐったりと意識を手放している。
「頼む……頼む! 我が悪かった、許してくれ……!」
さっきまで親の権威を振りかざして威張り散らしていた尊大さはどこにもない。
涙と鼻水を垂らし、幼児のように命乞いを繰り返す少年。
その惨めな姿と、絶望を宿した瞳を眺めていても――まだ満たされない。
胸の奥が疼き、私の中の何かが囁いた。
やはり私は、生まれ変わった後でも根っからの“悪役”のままなのだと。
その事実に、奇妙なほどの安堵すら覚えてしまう。
「お断りいたしますわ。」
凍てつく声音で告げ、私は笑みを浮かべた。
――さあ。
私にすべてを捧げなさい。
震え上がる少年を慈しむように見つめながら、私は一歩、また一歩と歩み寄った。
私の名は――ブラッディー・アウラ。
配信型学園ファンタジーゲーム
『ルナティックナイト 〜聖剣の継承者〜』において敵として生み落とされた、唯一無二の悪役令嬢。
最低、最凶、史上最悪。
幾重にも貼り付けられた不名誉な称号は、すべて私のものだった。
設定だけを見れば、栄華を約束された身の上である。
名門・ブラッディー公爵家の長女として生まれ、天性の才能に恵まれた完璧なる令嬢――だがそれは、美麗な装飾の裏に潜む凶刃を引き立てるための飾りにすぎなかった。
性格は、凶暴。冷酷。残忍。
そして、それらを象徴する決定的な力が与えられていた。
――血を操る魔法。
それこそが、ブラッディー・アウラの代名詞。
生きとし生けるものすべてに流れる血潮を意のままに操り、主人公、王子、仲間たち……さらにはそれらを操るプレイヤーまでも徹底的に叩きのめし、絶望へと追い込む魔王的存在。
だが、それでも“ゲーム”は“ゲーム”だった。
攻略されてこそ、ゲームは成立する。
ゆえに私は殺され続ける宿命を背負わされた。
幾百、幾千、幾万ものプレイヤーに。
何度も、何度も、息絶え続ける役割を課されながら。
――そのうちだった。
私という存在の内側に、“自我”のようなものが芽生え始めたのは。
倒されていくのは分身などではない。
破滅していくのは、紛れもなく“私”そのものだ。
そんな現実めいた感覚が、死を重ねるたびに濃く深く突き刺さっていった。
私は疲弊していた。
嫌気がさしていた。
何度殺されても蘇り、捨て駒のように再び悪役を演じさせられる日々に――。
私は気づいてしまったのだ。
ブラッディー・アウラという存在は、悪役で在り続ける限り、救われることなど決してないのだと。
しかし……どれほど足掻こうとも、私は所詮“ゲームのキャラクター”に過ぎなかった。
外の世界を羨み、ネットを通じて無数の世界を知っても――ゲームという牢獄から抜け出す術はどこにもない。
ただ与えられた役を演じ、敗れ、死に、また始まりに戻る。
そうして幾年も費やしたある日、私のもとに“最悪”の情報が届いた。
――ゲーム配信の停止。
どれほど人気を博したゲームであっても、人々に飽きられれば消える。
星の数ほど生まれては消えていくゲームの世界において、私の番もついに巡ってきたのだ。
プレイヤーはほとんど現れなくなった。
本来なら、もう私は死なずに済むはずだった。
けれど、そんな安堵は与えられなかった。
今度は――《消えろ》と言われている。
勝手に最悪の設定で産み落とし、散々見世物として楽しんだ挙句、人気がなくなれば消滅。
そんな理不尽を突き付けられ、私は激しく、深く、呪った。
私を生んだ創作者を。
私を歓喜のもとに葬り続けたプレイヤーを。
そして逃れられない運命を背負わされた自分自身を。
時間は容赦なく迫ってくる。
やがて私は恐怖に飲まれ、命乞いのように言葉を紡いでいた。
「消えたくない……消えたくない……私は、消えたくない……!」
そのときだった。
私の頭の奥底に、声が落ちてきた。
『――消えたくないのか?』
幻聴ではない。明確な意思を持った声が、確かに私の内に響いた。
「消えたくない! 私はまだ死にたくない!」
私は叫んだ。生まれて初めて、命を乞うように。
『なぜ死にたくない? 理由があるのか。』
問いに、胸の奥が反応した。
そう――私は、ただ生きたいだけではない。
私には、生き続ける理由がある。
「……破滅。」
「私は破滅をもたらしたい。私を虐げたすべての者に破滅を。
生きて、生きて、生き抜いて――“本物の世界”に混乱と絶望を刻みつけたいの。
復讐したいのよ。私を創った人間すべてに、後悔を味わわせたい。
お願い……助けて。私を消さないで……お願い……!」
それは私という存在の根源。
願望であり、執念であり、呪いそのもの。
神でも悪魔でもいい。
救いでも堕落でもいい。
生への執着がすべてを凌駕していた。
『――その願い、聞き届けよう。
さあ、我が手を取れ』
声と同時に、虚無の闇が形を成し、黒い影が私の眼前に現れた。
そしてそこから、闇よりも黒い“手”がぬっと伸びる。
迷いなど、一瞬たりともなかった。
私はその手を掴んだ。
契約を交わすように、強く、深く。
『破滅をもたらせ――アウラよ。』
黒い手が握り返した瞬間、私の身体は闇の中へと引きずり込まれていった。
抗う間もなく、世界が、塗り潰された。
新作の小説になります。
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