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第一話: ラバンの娘たち

乾燥した風は、近づいてくる夏の終わりの香りを含んでいた。

草原に朝日が満ちるころ、オトレラ・ダイナーラは弓を肩にかけ、中学院の校舎へと急いで向かっていた。


「やっぱり馬に乗ってくるんだった!」


後悔を呟きながら、オトレラは中学院の門を足早にくぐった。

白い日干しレンガでできた学び舎の門は風にさらされ、レンガのパターンで装飾された壁には草原の埃が薄く積もっている。


オトレラ・ダイナーラはラバン族の少女である。

ラバン族はヴォルカノス王国のラバン自治区に住む、女性だけで構成される騎馬民族である。


彼女たちは騎馬民族でありながらも、半定住生活を営んでいる。ほとんどの成人女性たちは自治区内を移動しながら狩や放牧を行っているが、老人や子供は平原の中央に置かれた<拠点>と呼ばれる町に住む。拠点には住居の他、官庁や神殿、学校などいわゆる首都機能が置かれていた。


こども達は1歳から5歳までは<幼児院>、6歳から12歳までは<小学院>、13歳から18歳までは<中学院>で勉強し、そして19歳から21歳までは<軍学校>で初期訓練を行い、義務教育を修了する。ラバンの娘たちは、勉学も狩りも歌も踊りも戦いも全て学校で学び、二十一の年までをこの拠点で過ごすのだった。


「オトレラ、アンタ寝癖がついてるよ。またギリギリまで弓の練習してたんでしょ?」


背後から明るいソプラノの声が飛んだ。振り返れば、軽やかな足取りでアテピラ・アルタニスが近づいてくる。彼女の青い瞳は少し心配そうにオトレラを映した。


「うん。ちょっと母上に怒られてね……」


そう言ってオトレラはえへへと力なく笑う。昔からオトレラは悲しいことや不安なことがあると、弓の練習にのめり込むのだ。まるで心の痛みをかき消そうとするかのように――それを知り尽くしている友人は、何も言わずに肩をすくめると、そっとオトレラの寝癖を直してやった。


オトレラとアテピラは朝一番の馬術の授業のため、そのまま並んで校庭へ向かう。廊下を抜けると、校庭にはもうひとりの友人、シレッサ・スリカノスの姿があった。


動き易い運動用の制服を颯爽と着こなし、剣を手に馬上で構えるその姿に、遠巻きに集まっていた下級生たちの視線が一斉に集まる。

小さな歓声が上がり、誰かが呟く――「やっぱり格好いい……!」


「ちょっと、アンタのファンクラブメンバーまた増えてない?」


馬上のシレッサにアテピラがうんざりしたように話し掛けると、「そうだね」とシレッサが困ったように笑みを浮かべる。


「今朝は早くから訓練なの? シレッサ? 馬守の朝番はいいの?」


オトレラがシレッサを見上げて訊ねると、彼女は涼し気な声で答えた。


「今日は母さんと姉さん達が戻ってきてるから、私は剣の練習だ。もうすぐ交流会もあるし」


シレッサの言葉にアテピラが返す。


「ああ、2か月後だっけ? そろそろメンバー選定の時期かな? シレッサは交流会に参加したいの?」

「そうだね。姉さん達も参加したし、<中央>とのコネを作るには良い機会だしね」

「ふーん。ずいぶん打算的な理由だなぁ」


アテピラが何の躊躇もせず、思ったままを口にする。そんなシレッサとアテピラの会話を聞いて、オトレラは思い出した。


「そういえば、私も参加しろって母上に言われたんだった」

「えー、オトレラも参加希望なの? じゃあ、私も参加しよっかなー。でもあれって要はお見合いでしょ? なーんか気が進まないんだよなー」


アテピラが美しい金髪をかき上げながら、不満げに口を尖らせる。


「オミアイ……?」


オトレラは聞きなれない言葉に首を傾げた。


「年頃の男女の出会いの場を第三者が仲介して設ける場のことを言うのかな。一般的には」


シレッサが簡潔に答えた。


交流会とは、<ラバン中学院>とヴォルカノス王国の貴族学校<ダレイオン学園>の学生達がお互いの学びの成果を披露しあう毎年の定例行事であった。毎年、ラバン中学院の最高学年である6年生、同じくダレイオン学園の6年生からそれぞれ30人づつ選ばれ、自治区境の森林地帯にある砦で交流会を行うのである。


ヴォルカノス王国は家父長制の社会制度をベースにしており、基本的に学校に行くのは男子のみである。つまりダレイオン学院からやってくる学生は全員男子なのである。女子学生のみのラバン中学院との交流会はアテピラの言うように、お見合いに見えなくもなかった。


「人為的な出会いの場って、私嫌いなんだよね。恋人を見つけるなら、もっと運命的な出会いをしたいじゃない?」


アテピラが遠くを見ながらキラキラと目を輝かせる。


「ウンメイテキな出会い……?」

オトレラはまた首を傾げる。


「アテピラはずいぶんロマンチストなんだなぁ」

シレッサが苦笑する。


「ま、お見合いだとしても、<カルナラの旅>に出た時に<中央>に知り合いがいた方が色々便利だろうってのは、シレッサに同意するけどさ」


アテピラの言葉を聞きながら、オトレラは母や姉、周囲の大人達から聞いた<カルナラの旅>に思いを馳せる。


カルナラの旅。それはラバンの娘たちに代々受け継がれてきた大切なしきたりであった。

娘が二十二歳の誕生日を迎えるその日、拠点での長い準備期間を終え、ようやく旅立ちの時を迎えるのだ。


旅の目的は多い。外の世界で技術や知識を学ぶこと。新しい情報を持ち帰ること。そして最も重んじられているのは、ラバンの血を未来へと繋ぐため、部族の外で協力者となる男を見つけることだった。


けれど、娘たちにとってそれは義務であると同時に、心躍るものでもあった。これまで拠点の中で守られながら暮らしてきた彼女たちにとって、外の世界は未知そのもの。自由に歩き、自由に見聞きし、自分の足で世界を確かめられる初めての機会なのだ。

彼女たちは多くは希望を持って、三年から五年にも及ぶ長い旅路へ踏み出していくのである。


「私はカルナラの旅で素敵な恋人を見つけるんだ!!」


アテピラが熱く決意を述べた瞬間、授業開始を告げる角笛の音が響き渡った。



ーーーーーー



「――と言うわけで、交流会では<弓術><剣術><演舞>を各10名ずつ、互いに披露したのちに、全員参加の<狩猟懇親会>を行います。ご存知の通り、この交流会では我々ラバン族の優れた戦闘技術を中央の貴族に知らしめる意味合いもあります。参加者については希望を募りますが、最終的にはラバン族の代表者として恥ずかしくない実力を持った者だけを選出いたします」


ここで一息入れた、アマルカ副院長がグルリと学生達を見回す。


「それを踏まえた上で、参加を希望する者は来週までに私に申し出ること。わかりましたね? それでは、本日の講義はこれで終わります」


教室を出て行くアマルカの姿を見送り、オトレラは小さくため息をつく。オトレラとしては、ただ母親から出ろと言われただけなので、あまり気が進まない。


「ね、希望の演目は何にする? 私は演舞にしようと思うんだけど」


アテピラが隣の席から声を掛けてきた。


「オトレラはもちろん弓術だろ? 私は剣術かな」

「えー、一緒に演舞にしようよー」


シレッサの答えに、アテピラが不満気に口を尖らせる。


「ねー、オトレラ。演舞にしよ? あんたの舞踏素敵だし」

「やだよ。アテピラと一緒に踊るとすごくヘタに見えちゃうから」

「そうかな? オトレラの舞踏もけっこう良いと思うけど?」


アテピラの依頼を、間髪を入れずにオトレラが拒否すると、シレッサが軽くフォローを入れる。

しかし、オトレラはジロリとシレッサを睨んで言う。


「シレッサが一緒にやれば?」

「……うーん。まぁ、やだよね」


オトレラもシレッサも舞踏の成績は悪くない、いやむしろ良い方なのだ。

しかし、アテピラの舞踏の腕前は別格であった。アテピラの母親はラバン舞踏の師範である。その娘であるアテピラは幼いころから、ラバン舞踏の技術を叩きこまれていた。


ラバン族の舞踏はただ踊るだけのものではない。もともとは暗殺術がベースであり、それを踊りの形に構築したものがラバン舞踏である。それはれっきとした戦闘技術であった。


「うう……二人とも冷たい……。ってか、シレッサはどうして剣術よ? 弓術の方が得意なんじゃないの?」


アテピラがふと訊ねると、シレッサはこともなげに答える。


「どちらかと言えば、ね。けど弓術は人気だろう? 希望者が多すぎるだろうから、あえて剣術にしておこうと思って」

「はぁ、競争率の低い方を選んだってこと? 相変わらず打算的だなぁ」


アテピラが呆れたように肩をすくめた。


弓術は騎馬民族のラバンの娘たちにとって花形であった。当然ながら、今回の希望演目の人気が高いことは疑いようもないだろう。しかしそんな話をしながらも、アテピラもシレッサもオトレラが弓術を選ぶことに関しては何も疑問の余地を挟まなかった。


なぜなら、現在の中等学院で最も弓術の成績が高いのがオトレラなのである。


「さて、授業も終わったし、私はこれから放牧場に行くけど二人も来る?」


シレッサが訊ねると、すぐさまアテピラは「行く」と答えたが、オトレラは少し残念そうに答えた。


「この後、母上に呼ばれてるんだよね。だから今日は行けないや」



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