お菓子をくれなきゃ婚約破棄するぞ
「セレナ。アレングエス子爵家の家訓は分かっていますわね?」
「もちろんですわ。お母様」
わたくしセレナは、屋敷の外まで見送りに出てきてくれた母に向かって深くうなずきました。
「では唱和なさい」
「はい。お母さま」
わたくしはすうっと深呼吸すると──。
「アレングエス子爵家、家訓! 子爵家に生まれた令嬢は、イケメンを夫とすること!」
当家の家訓を力強く唱和しました。
その瞬間──。
バササ!
庭の鳩が一斉に飛び立ちました。
クルッポ~
クルッポ~
わたくしと母は、鳩の鳴き交う青空を見上げました。
「先代当主であるあなたのお婆様は家訓を厳守するよう遺言を残して旅立たれました。だから理不尽であっても家訓を無下にはできないの」
「分かっておりますわ。お母様」
「母にできることは、あなたの望む条件のお相手との婚約を取り付けることだけでした」
その通りです。
母はわたくしの希望に沿ってできるだけのことをしてくださいました。
「感謝しておりますわ。お母様のおかげで、二人といないイケメンと婚約できたんですもの」
イケメン好きのわたくしの希望はたった一つ。
絶世のイケメンを婚約者とすること。
まだ会ったことはありませんが、母の目に狂いはないと信じています。
「なら覚悟はよろしいかしら? あなたももう18歳。もしイケメンを夫にできなければ──」
「アレングエス家令嬢を名乗るべからず、ですわね」
「その通りよ。もししくじるようなことがあれば、あなたとは母でも娘でもないわ」
母は顔を伏せて背を向けましたが、その目に涙が光るのをわたくしは見逃しませんでした。
「お母様。心配はご無用です。必ずやイケメンをゲットしてみせますわ」
わたくしはドレスの裾をもちあげると、震える母の背に母にカーテシーをしました。
「ならば、もうお行きなさい」
「行ってまいります」
わたくしは待たせている馬車に乗り込みました。
「爺や。出して頂戴」
「はい。セレナお嬢様」
運転席の爺やが手綱を動かすと、馬が嘶いて馬車が動き始めました。
母はずっと佇んだまま馬車を見守っていてくれました。
「お母様。どうかお体を大切に」
屋敷から遠ざかって母が見えなくなったとき、わたくしは呟きました。
「日帰りですけれどね」
水を差すような爺やのツッコミ。
「それにしても先代は、なぜ見目が男前の夫を迎えることを義務付けて家訓になど。ハァ」
爺やがため息交じりに言いました。
「なぜって、決まっているでしょう? お婆様もイケメンが好きだったからよ」
商才で子爵の地位を手に入れた祖母は美形の男に目がない人でした。
「先代からお仕えしていたのでよく存じ上げております。子爵を継がれたお母上も、セレナお嬢様も、難儀な家に生まれついてしまいましたなぁ」
祖母は美形の夫を迎え入れたばかりか、家中で働く男は全員イケメン。
爺やもナイスオールドガイ。
わたくしはイケメンに囲まれて育ちました。
その上──。
「いいですね、セレナ。あなたも必ずイケメンを夫にするのですよ」
祖母の膝の上で幾度となくそんなことを言われて幼少期を過ごしました。
「おや、旦那様が」
爺やの言う通り、道の向こうから父がやってきました。
散歩中のようです。
父も容姿の整ったいわゆるイケオジ。
働いてはいませんけど。
「やあセレナ。王都に行くのなら、甘いお菓子でも買ってきてくれ」
「お父様。了解ですわ」
すれ違いざまに軽く挨拶を交わしました。
「見た目優先で旦那様を選ばざるを得なかったばかりに、お母上は当主としてお一人で家を切り盛りされてご苦労を。ハァ」
また爺やのため息が聞えました。
「まあまあ。お母様もお婆様譲りの商才があるし、家のことに下手に口出ししたがるような夫よりずっといいわよ。甘いお菓子は好きだけれどお酒は飲まないし」
「旦那様のことはともかく、子爵様がセレナお嬢様の婚約者に選んだクルト王子は──」
母が選んだわたくしの婚約相手はクルト王子。
このランベール王国第二王子です。
申し分ない家柄で見目も麗しいと評判。
しかしながらそれ以上に暗愚と噂されています。
20歳になった今でも、文字の読み書きさえできず陰ではバカ王子と呼ばれているのだとか。
「バカ王子と噂されるクルト王子と婚約させられてしまったセレナお嬢様が不憫でなりません」
爺やの心配は無理からぬこと。
ですがわたくしは悲観してはおりません。
「爺や。婚約はわたくしの希望に沿ってお母様が取り付けて下さったの」
「しかし」
「大丈夫よ。クルト王子はイケメン王族。イケメンプリンス。イケメン王子だそうだから」
「さっきからイケメンとしか言っておられませんが」
「だから大丈夫だと言っているの。わたくしはイケメンが大好きなんだもの」
「お嬢様。おいたわしや。アレングエス子爵家で育ったばかりに──」
「うふふ。違うわよ。爺や」
わたくしは首を横に振りました。
「家のせいにする気などないわ。わたくしのイケメン好きは自分持ちよ」
わたくしの心はウキウキとしています。
なぜなら、これから絶世のイケメンと噂されているクルト王子と初顔合わせなのですから。
馬車は秋の深まる街道を進んで行きます。
行先は王都です。
◇◇◇
数時間馬車に揺られて王都にやってまいりました。
ランベール王国の王都だけあって城下町はとても栄えています。
ですが何やらいつも以上ににぎやかな様子。
「なんだかやけに人の数が多いような気がするのだけど。それにあちこち飾り付けられているし」
「今日はハロウィン祭ですから」
「そういえばそうだったわね」
以前は宗教的な儀式だったハロウィンも今やお祭り。
石畳の道には数々の露店が立ち並んでいます。
お化けに仮装した人もあちこちにいるようです。
「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ~」
そんな子供たちの声も何度か耳にしました。
ハロウィンの日だけに許される子供たちのおねだりです。
「お嬢様。到着です」
いつの間にか城下町を抜けて王宮に着いていました。
「よくぞいらっしゃいました」
馬車を降りると衛兵がやってきて敬礼をしました。
「お出迎え痛み入りますわ」
「どうぞこちらへ」
先導する衛兵に続いて庭園を進んでいると、駆け回っている男の子と大人の男性の姿が目に入りました。
男の子は5歳くらいで、とんがった帽子を被って魔法使いの仮装をしているようです。
もう一人の大人の男性は高貴そうな服装をしています。
男の子がわたくしたちに気付いて駆け寄ってきました。
「第一王子殿下の御子息です」
衛兵が言った第一王子はクルト第二王子の兄上で10歳ほど年長。
実直な人物で王位継承者に内定していると聞いています。
その子供だという男の子が近くまできて屈託のない笑顔を向けてきました。
「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ」
「あらあら」
第一王子殿下の御子息とはいっても、魔法使いに仮装して城下町の子供と同じようにしゃいでいて微笑ましくなります。
「お嬢様」
爺やが懐から取り出した小さな袋をわたくしに手渡してきました。
「これは?」
「お菓子を入れた袋です。こんなこともあろうかと用意しておきました」
「さすが爺やだわ。抜かりないわね」
「はい。旦那様になど差し上げてたまるものですか」
甘いものを欲しがっていた父は完全スルー。
だらしのない者に爺やは手厳しいのです。
それはともかく──。
「どうぞ」
わたくしはしゃがんでお菓子の入った袋を差し出しました。
「ありがとう」
男の子はお礼を言うと、少し離れたところにいる大人の男性のところに走って行きました。
その男性の手を嬉しそうに引っ張っています。
男性の方も子供を笑顔で見つめています。
「御子息と遊んであげる優しいお父様のようで微笑ましいですわ。あのお方が第一王子殿下ですね?」
わたくしは立ち上がって衛兵に訊ねました。
「いえ、そうではなく──」
衛兵はなぜか苦々しい表情で口を濁しました。
男性がこちらに近づいてきました。
あの子の父にしては若く、確かに第一王子とは別の誰かのようです。
年齢は二十歳前後でしょうか。
そしてそして、これまでに見たことがないようなイケメン──。
「あの子たちにお菓子を上げてくれたそうですね。お礼を申し上げます」
イケメンが胸の前に右手をやって恭しく礼をしてくれました。
思わずドキリとしてしまうほどに魅力的な仕草です。
「あ、いえ。それよりも、あなた様は一体?」
「僕は名乗るほどのものではありませんよ」
「どうかそうおっしゃらず。いけない。申し遅れましたわ。わたくしはアレングエス子爵家から参りましたセレナと申します」
イケメンが少し驚いた様子を見せました。
「では、あなたが僕の婚約者の?」
そう言われてもわたくしの方は思ったよりも驚きませんでした。
どこかで予感していたのでしょう。
「ええ。その通りですわ。そしてあなた様は、ランベール王国第二王子のクルト様ですわね」
そう。
今日会いにきたクルト王子その人です。
感動するほどのイケメンぶりにわたくしは大満足です。
「クルト王子のような素敵な殿方が、わたくしの婚約者だなんて」
「──買い被りですよ」
クルト王子の目が泳ぎました。
「ご謙遜なさらないで。イケメンの上に、子供にも優しいとっても素敵な──」
「僕にもお菓子ちょうだい」
「はい?」
わたくしはきょとんとしました。
「お菓子ちょうだい」
聞き間違いではありませんでした。
クルト王子はわたくしに向かって物欲しそうに片手を差し出しています。
20歳になっている普通の大人の言うことではありません。
「お菓子をくれなきゃ婚約破棄するぞ」
「こ、婚約破棄って」
さらにとんでもないことを言われて、わたくしが唖然としていると──。
「うわーん!」
なんとクルト王子は、地面に仰向けになって泣き声を上げ始めました。
「お菓子をくれなきゃ婚約破棄するぞぉ! お菓子をくれなきゃ婚約破棄するぞぉ!」
ジタバタジタバタ
駄々っ子のように両手両足を動かして喚き続けています。
「じ、爺や。お菓子は?」
わたくしは慌てて爺やに訊ねました。
「もうございません」
爺やは眉間をつまむようにして首を横に振りました。
「お、王子。どうかしっかり──」
わたくしが恐る恐る近づくと──。
「なら婚約破棄だ~」
クルト王子は地面に仰向けになったまま叫びました。
わたくしが固まっているとその直後──。
クルト王子がスクッと立ち上がり、急に顔を近づけてきました。
「えっ?」
(僕はこういう人間なんだ。悪いことは言わない。婚約は取り消して別の伴侶を探したほうがいい)
「!」
耳元で知的な口調で囁かれ、わたくしは訳が分かりませんでした。
「あ、あの?」
王子は一瞬だけフッと寂しそうに笑うと、また泣き顔に戻りました。
「お菓子をくれなきゃ婚約破棄するぞ~」
クルト王子は泣きじゃくりながら駆け去って行きました。
わたくしは茫然とそれを見つめるしかありませんでした。
「まともな挨拶をしたのもお菓子をねだるためか。恥晒しのバカ王子が」
衛兵が吐き捨てるように言いました。
「クルト王子は武術の稽古のときもに今見たように泣きじゃくるので話にならない。あの方が王位継承者でなくて心底良かったと思っていますよ」
それを聞いた爺やがワナワナと震え始めました。
「文字の読み書きができないとは聞いておりましたが……。くっ! なりません! なりませんぞ、お嬢様! あんな王子と結婚など有り得ません。このまま帰りましょう!」
ですが衛兵や爺やには聞こえないように言われた王子の言葉がわたくしの耳には残っています。
わたくしは判断に迷いました。
「あっ」
不意に衛兵が敬礼をしたのでその方向に視線を向けました。
いつの間にか30歳前後の高貴そうな男性がこちらに向かって来ています。
その方もなかなかのイケメンで、クルト王子に少し似ているような?
「セレナ嬢ですね。弟が迷惑を掛けたようだ。申し訳ない」
クルト第二王子が弟?
つまり第一王子殿下?
「殿下、お疲れ様です」
衛兵が緊張気味に挨拶しています。
やはり第一王子殿下でした。
「お前はここまででいい。セレナ嬢と従者の方は、どうかこちらへ」
わたくしと爺やは宮殿内の豪華な一室に案内されました。
「あの、ご招待に預かりまして光栄ですわ」
「いらっしゃいませ。さあ。お茶をどうぞ」
テーブル席につくと、殿下の奥様が紅茶を出して下さいました。
「本当はセレナ嬢と弟の顔合わせの場のはずだったのだがな」
殿下が苦笑しています。
この部屋にいるのはわたくしと爺や、それに殿下とその奥様の四人だけです。
クルト王子がやってくる様子はありません。
「つかぬことを伺いますが、弟君はどのようなお方なのでしょう?」
爺やが殿下に訊ねました。
「まるで子供のようだろう?」
「申し訳ありませんが、まさしく」
「うむ。子供の頃のクルトは、逆に子供とは思えないぐらいに利発だったのだがな」
「なんと!?」
爺やが驚きの声を上げました。
「実はな──」
殿下の話によると、クルト王子は幼少期から勉学に優れ多くの書物を読み込んでおり、英邁の誉れ高かったそうです。
武術の腕も12歳の時点で大人に引けを取らないほどだったとか。
それゆえに父親である国王陛下からとても気に入られていたそうです。
陛下は王位継承者を第一王子ではなく第二王子のクルト王子にしようとも考えておられたとか。
その動向を察して、殿下ではなくクルト王子に取り入ろうとする宮中の者たちが急増していったそうです。
ですがそんな矢先にある事故が起こったそうです。
乗馬の訓練中にクルト王子が落馬して気を失ってしまうという事故。
幸い外傷はほとんどなく、クルト王子はしばらくして目を覚ましました。
ところが──。
クルト王子は12歳という年齢よりもさらに幼い子供のように振る舞い始めました。
しかも文字の読み書きもできなくなってしまっていたそうです。
医者はおそらく落馬したときに頭を打ったせいだろうと言いました。
時間が経てばきっと治ると言いましたが、1年経っても2年経ってもクルト王子はそのままでした。
業を煮やした国王陛下は、クルト王子に再び教育を施してなんとかしようとしました。
ですが利発さは消え失せており、武術の稽古をさせようとすれば泣き出す始末。
陛下はクルト王子が15歳になる頃には匙を投げてしまったそうです。
クルト王子に取り入ろうとしていた宮中の者たちも離れていきました。
第一王子殿下を持ち上げ始め、陰ではクルト王子のことをバカ王子と呼ぶようになってしまったそうです。
当然ながら王位継承者は第一王子の殿下に決定。
それから五年の歳月は流れましたが、クルト王子は子供のようなままとのことでした。
「──という訳だ」
「そんなことがあったなんて」
「落馬で頭を打つという事故さえなければ、私より弟のほうがずっと王位継承者に相応しかったと思う」
「いえ、そんな」
「少なくとも陛下はそう考えていた。もうすっかり弟に関心を失ってしまっているがな」
殿下がやるせなさそうに紅茶を啜りました。
「だから父は、クルトが適齢期になっても結婚相手を探そうとはしなかった」
「もしかしてわたくしとクルト王子の婚約は、国王陛下ではなく殿下が主導されて?」
「うむ。私とお母上のアレングエス子爵の二人で取り決めさせてもらった。子爵の申し出は渡りに船だった。バカ王子と噂されているせいで希望者を募っても駄目で諦めかけていたときだったからな」
殿下がカップの中身の紅茶を回すように軽く動かしました。
「だがセレナ嬢は、実際に弟をその目で見て失望したことだろう?」
わたくしは何も言えずに黙っておりました。
爺やももう怒ってはいなくて、どこかシュンとした様子です。
「弟は子供のようになってはしまったが、悪い人間ではないのだ。それこそ私たちの子供と仲良く遊んでくれたりもするし」
「ええ。あの子もクルト様に懐いておりますわ」
奥様も殿下と同じようにクルト王子に悪い感情は持っていない様子です。
「セレナ嬢。あなたが弟を支える伴侶になってくれたら嬉しい」
殿下はカップを置くと、身を乗り出して訴えかけるように言いました。
「申し訳ありませんが、それはなりません」
わたくしではなく、爺やが隙のない口調で告げました。
「そうだな。従者殿の言う通り、無論強要はできない」
気まずい沈黙が訪れました。
「──紅茶、ごちそうさまでした」
わたくしはしばらく考えてから席を立ちました。
「残念だ。お帰りなら見送りを──」
「いいえ。まだ帰りません。ですが少々外出させて頂きますわ」
「外出?」
殿下が首を傾げました。
「ひとまずクルト王子との婚約は継続させて下さいませ。そのためにはお菓子が必要ですので、城下町で購入して参ります」
お菓子をくれなきゃ婚約破棄するぞ。
そんなことを言われてしまった状態です。
「ならばセレナお嬢様。馬車を出します」
爺やは軽く息を吐いて立ち上がりました。
二人で部屋の出口へ向かいます。
「セレナ嬢」
部屋を出る直前、殿下に呼び止められてわたくしは振り返りました。
「あの弟と結婚してくれる可能性があると考えていいのか?」
「ええ。子供のような振る舞いは許しますわ。だってクルト王子は絶世のイケメンなんですもの」
この目で見たときの感動は忘れられません。
「そんな理由で──」
「何よりも大事なことですわ。それに──」
「それに、何かな?」
「殿下もイケメンであらせられますから」
「む、むう?」
「確かにそうだとは思うけれど、それが一体何なのかしら?」
困惑気味の殿下ご夫妻。
「『イケメンの頼みは簡単に断ってはならない』。アレングエス子爵家の家訓・第二訓ですわ。失礼」
あんぐりと口を開けて固まっているお二人を残して、わたくしと爺やは部屋を後にしました。
「そういえば子爵も随分と弟の容姿にこだわっていたが」
「大丈夫かしら? アレングエス子爵家」
廊下に出たとき殿下ご夫妻の不安そうな声が聞えたように思えたけれど、気にしない気にしない。
◇◇◇
「セレナお嬢様。同情で伴侶を選ぶものではありませんぞ」
馬車を運転している爺やが、少し気まずそうに言いました。
「違うわよ。ちょっと気になることがあるの」
クルト王子が耳元で知的に囁いたあのご様子。
わたくしは何かがおかしいと思っています。
さて。
それにしても馬車で城下町を進むのに時間が掛かっています。
昼下がりになった今、さきほどよりずっと人通りが多いからです。
それに馬車は通行止めで大通りには入れないようになっていました。
「ハロウィンだものね。仕方ないわ」
わたくしは馬車から降りました。
「爺やはここで待っていて」
「お一人では危険ですぞ」
「大丈夫よ。お菓子を買ったらすぐに戻ってくるから」
わたくしは雑踏に混じって歩き始めました。
ですが大通りはものすごい混みようで思うように進めません。
ちょっと疲れてしまい、わたくしは裏路地に逃れました。
「ふう。あら?」
一息ついていると、お化けに仮装した三人組がこちらに歩いてくることに気付きました。
目と唇の周りを黒く塗ったマントとハット姿の吸血鬼。
全身をすっぽりと被った布に顔を書いたような幽霊。
頭に狼の面を被った狼男。
三人はわたくしの近くまでくると足を止めました。
雑踏の大通りを背にして横一列にならんでいます。
まるでわたくしの行く手を遮るかのように──。
「良い身なりしてるじゃねえか。へへ」
中央の吸血鬼が、わたくしのドレスに視線を這わせて嗤いました。
「きっといいところの令嬢だろうな」
左の幽霊が被っている布をひらひらさせながら残りの二人に呼び掛けています。
「よし、攫うぞ」
右端の狼男の言葉に、わたくしはゾクリとしました。
「あ、あなた達──」
「ハロウィンは仕事がやりやすいぜ」
「顔が隠れる格好をしていても怪しまれないからなあ」
「さあ、大人しくしろ」
三人がにじり寄ってきます。
「お、お断りですわ。アレングエス子爵家の家訓・第三訓は、『イケメンでない者に屈っしてはならない』ですもの。か、仮装を解いて出直してらっしゃい!」
わたくしは後ずさりながら掠れた声で言い放ちました。
恐ろしさのあまり喉がひりついています。
「こいつ、何を訳の分からないことを言ってるんだ?」
「でもどうやら商売で儲けているって噂のアレングエス子爵家の令嬢みたいだぜ」
「身代金をたんまりとふんだくれそうだな」
しまった。
身元が割れてしまいました。
「だっ、誰か助けて!」
わたくしは必死で走りながら叫びました。
ですが裏路地に人の姿はありません。
すぐに行き止まりに追い詰められてしまいました。
絶対絶命です。
「さあ、怪我をしたくなければ──、なっ!?」
吸血鬼が言っている途中で視線を上に向けました。
幽霊と狼男もつられたように上を見ています。
視線の先、行き止まりの壁の上。
そこには何者かが佇んでおりました。
その何者かも仮装をしていました。
頭には一部をくり抜いたかぼちゃを被っています。
両目と鼻は三角の穴。
笑ったような口の穴には数本の歯。
ハロウィンの風物詩。
ジャック・オー・ランタンです。
「とうっ!」
シュタッ!
ジャック・オー・ランタンが地面に降り立ちました。
わたくしの前に、三人から庇うようにです。
「なっ、何モンだ、てめぇ!?」
「通りすがりのただの仮装者だ」
吸血鬼の問い掛けに、ジャック・オー・ランタンが落ち着いた口調で答えました。
「僕のことなどより、略取・誘拐はランベール王国刑法第118条に抵触する重罪。このご婦人に詫びて大人しく去ったほうが身のためだ」
ジャック・オー・ランタンは知的に諭すように言いました。
怯えは感じられません。
むしろ余裕さえ感じさせるしゃべり方です。
「こ、小難しいこといってんじゃねえ!」
「しゃしゃり出てきたのが運の尽きだ!」
「覚悟しろ!」
なんと、三人が一斉に刃物を取り出しました。
「っ!」
わたくしは声にならない声を上げましたが──。
「たあっ!」
「ぐはっ!」
ジャック・オー・ランタンの素早い蹴りで、吸血鬼が吹き飛んで動かなくなりました。
「やあっ!」
「ごっ!」
さらにジャック・オー・ランタンが拳を繰り出すと、幽霊が仰向けに倒れました。
「せいやっ!」
「ぐおっ!」
狼男も肘内を浴びてその場に崩れ落ちました。
わたくしの前に立っているのはジャック・オー・ランタンのみ。
刃物を持った三人もの敵を一瞬で打ち倒してしまいました。
恐るべき武術の使い手です。
「大丈夫?」
ジャック・オー・ランタンがわたくしの方に振り向いて訊ねてきました。
「え、ええ」
「では安全な場所へ」
「は、はい」
二人で雑踏まで戻ってきました。
ジャック・オー・ランタンが警備の人たちを呼び止めて何かを言っています。
すると警備の人たちはわたくしたちが来た方向に走って行きました。
「あなたを攫おうとした者たちのことを調べるよう伝えたよ。色々と言葉を選んでね」
「言葉を選んで、ですか?」
「あなたの誘拐未遂のことは伝えなかった。だが奴らは犯罪を重ねてきた者たちだ。叩けば埃の出る身。まず間違いなく別件で逮捕される。それでいいかい?」
「え、ええ。それで構いませんわ」
「ならひと段落だね。馬車まで送るよ」
ジャック・オー・ランタンの後ろに続いて雑踏を抜けると馬車まで戻ってきました。
「セレナお嬢様。そちらのお方は?」
爺やが不思議そうに首を傾げました。
「このお方はわたくしの恩人よ。攫われそうになったのを助けて頂いたの」
「なんと!?」
爺やが目を見開きました。
「礼は不要。では、僕はこれで」
ジャック・オー・ランタンが踵を返しました。
「ご一緒しましょう。王宮に帰るのですよね?」
ジャック・オー・ランタンがピクリとして振り返りました。
「もう仮装は結構ですわ。クルト王子」
「やれやれ」
ジャック・オー・ランタンが頭からかぼちゃを外しました。
顔が露わになった絶世のイケメンは、紛れもなくクルト王子でした。
◇◇◇
爺やの運転してくれている馬車に、わたくしとクルト王子は向き合う形で座っています。
「バレてしまったね。そうならないよう顔を隠していたのに」
「ふふ。無駄ですわ。わたくし、一度見たイケメンは気配で分かりますもの」
「そんな訳がないだろう。声で分かってしまったのかな?」
クルト王子が肩を竦めて、知的な美声で訊ねてきました。
「それもありますが、馬車で来たとは言っていないのに送っていただけましたから」
「そうか。油断してしまったね」
クルト王子が軽く息を吐きました。
「わたくしが馬車から一人で離れるのを見ていらっしゃいましたの?」
「うん。お菓子を買いに城下町に行ったことを兄上たちに聞いて、心配になって追ってきたんだ。追いついたら丁度そのタイミングだったよ」
「だから馬車をとめてある場所がお分かりになったのね。そして、そのときからわたくしを見守って下さっていた?」
「ハロウィンの日は仮装して犯罪を行う輩が少なくないからね」
「危ないところでしたわ。本当に、なんとお礼を言ったらいいいか」
「よしてくれ」
頭を下げようとしたわたくしをクルト王子が手で制しました。
「僕が『お菓子をくれなきゃ婚約破棄するぞ』と言ったのが原因なのだから」
「あの子供のような振る舞い。演技でしたのね?」
「……うん」
王子が小さくうなずきました。
「しかも聡明であることも並外れて強いことも隠されて」
「それほどでもないけれど。ただ、書物で知識を蓄えたり武術の稽古を積むことは一人でこっそりと続けていたよ」
「つまり、文字の読み書きができなくなってしまったり武術の稽古で泣き出すようになってしまったというのも演技?」
「12歳の頃に落馬したのもわざとで、本当は頭を打ってなどいなかったからね」
やはり予想通りでした。
「そういった演技や嘘は、全てお兄様を王位継承者にするためですわよね?」
「恐れ入ったよ。そこまでお見通しとはね」
それからクルト王子が語ったことも、大方は予想していたことでした。
子供の頃の賢く武術にも優れたクルト王子のことを国王陛下はとても気に入っており、王位継承者にと考えるようになりました。
それを察した宮中の者たちも、第一王子ではなく第二王子のクルト王子に取り入ろうするようになりました。
クルト王子はそれが嫌で、王位継承者から外れるために一芝居を打ったそうです。
いいえ。
一芝居というには長すぎます。
12歳の頃から20歳、8年もの間ずっと演技を──。
「上手くいってはいましたけれど、お辛かったのでは? その……。バカ王子などと揶揄されていましたし」
「それ以上に兄上がないがしろにされるのを見ているときは辛かったから。昔から僕に優しくしてくれた第一王子の兄上を差し置いて、弟の僕が王位継承者になるなんて」
クルト王子は目を閉じて首を横に振りました。
「──では、クルト王子はこれからも演技を続けるおつもりですか?」
「そのつもりだよ。でなければ父の気が変わらないとも限らないし、下手をすれば後継者問題で宮中が分裂する」
聡明なクルト王子がそう分析しているのなら、その危惧通りになってしまう可能性はきっとあるのでしょう。
「だからこのことは他言無用で頼むよ」
「はい」
「従者殿もいいかい?」
「もちろんでございます」
爺やも運転席から振り向いてうなずきました。
「ですが、第一王子殿下にだけは本当のことを打ち明けてもよろしいのでは?」
前へと向き直った爺やが小声で言いました。
「いや。兄上に余計な心労を掛けたくはない」
クルト王子はやるせなさそうに言いました。
それを見てわたくしは悲しくなってしまいました。
超絶イケメンは愁いを帯びた顔も素敵です。
でもやっぱりイケメンには笑っていて欲しい。
それなら──。
「爺や。王宮には戻らないで」
「はて? ではどちらに?」
「クルト王子にはしばらくわたくしたちの屋敷でくつろいで頂きましょう。王宮と違って余計な芝居は不要ですもの」
「なるほど。仰せつかりました」
爺やが手綱を動かして馬車を方向転換させました。
クルト王子はしばらくポカンとしていましたが、少ししてから事態を把握したようでした。
「このまま王都を出てアレングエス領に向かうつもりかい?」
「ええ」
「いくらなんでも急じゃないかな?」
「そんなことはありませんわ。わたくしたちは婚約者なのですもの。それとも、お菓子を差し上げなければ婚約破棄ですか?」
「あはは」
クルト王子が声を上げて笑いました。
うん。
やっぱりイケメンは笑顔が一番。
「耳元で別の伴侶を探したほうがいいと言ったんだけどな」
「それは出来ない相談ですわ」
「じゃあちょっとだけお邪魔させてもらうよ。セレナ」
「好きなだけ逗留していって下さいませ」
名前で呼んでもらえて嬉しくなり、わたくしも満面の笑みを浮かべました。
◇◇◇
王都を出るとき、門番に封をした手紙を託しました。
あて先は第一王子殿下です。
内容は急に帰ることのお詫び。
そしてクルト王子をお預かりしていくという旨。
一応、両親に引き合わせたいからという名目にしました。
街道を進んでいるうちに日は暮れてしまいました、
もうすっかり夜になっていて、あちこちの家の玄関にはジャック・オー・ランタンの明りが灯っています。
アレングエス領では王都ほどの賑やかなお祭りはありませんが、それぞれの家庭ではハロウィンを祝っている様子です。
「到着です」
屋敷の前に着くと爺やが馬車を止めました。
「セレナ。気を付けて」
「ありがとうございます。クルト王子」
先に降りたクルト王子が手を取ってサポートしてくださいました。
イケメンエスコートです。
至福です。
「では馬車を停めてまいりますので」
「爺や。王都との往復、ご苦労様」
「お礼を申し上げます。従者殿」
爺やは軽く手を上げると馬車を発進させました。
その馬車が屋敷の裏手に曲がって見えなくなったとき──。
ガチャ
「お帰りなさい。セレナ」
玄関の扉が開いて、お母様が出迎えて下さいました。
「ただいま戻りました」
「ええ。あら? そちらの方は、クルト王子?」
「セレナ嬢にお招き頂きました。ご迷惑だったでしょうか?」
「いえいえ、とんでもない。ですが以前に王宮を訪ねてお会いしたときとは、随分と様子が違うような?」
「お母様。実は──」
わたくしはかいつまんで事情を説明しました。
「なるほど。お兄様のために演技を。クルト王子をセレナの婚約者に選んだわたくしの目に間違いなかったということですわね」
お母様が満足そうにうなずいています。
「あの、僕が本当に子供のようなままだったとしたら、どうするおつもりだったのです?」
クルト王子が不思議そうに訊ねました。
「わたくしもセレナも、お菓子をねだる子供のような大人には耐性があるので、案外大丈夫だったのではないかと」
「ええ」
お母様の言葉にわたくしはうなずきました。
「耐性?」
クルト王子は腑に落ちない様子です。
「話は中でゆっくりいたしましょう。さあ、どうぞ」
お母様に続いて、わたくしとクルト王子は屋敷に入りました。
ですがすぐに足を止めました。
なぜなら、ジャック・オー・ランタンを頭に被った人が待ち構えていたからです。
「セレナ。甘いお菓子は買ってきてくれたかな?」
「あ、ごめんなさい。忘れてしまいました」
色々あってうっかりしていました。
「そ、そんな。楽しみにしていたのに」
ジャック・オー・ランタンが膝から崩れました。
そして床に仰向けになり──。
「やだやだやだやだ~。お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ~。お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ~」
ドタドタドタドタ
駄々っ子のように両手両足をジタバタさせ始めました。
「こ、この仮装している方は一体?」
クルト王子が引き気味に言いました。
無理もありません。
顔は隠れていても体の大きさで大人であることは一目両全です。
「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ~」
なおも駄々をこねて床でのたうちまわる大の大人。
ポロリ
その頭からジャック・オー・ランタンの被り物が外れました。
中から現れた中年男性の顔を見て、クルト王子がさらにドン引き。
「こ、この方は──」
「夫です」
「父です。うふふ。クルト王子にとってもお義父様ですわね。ちなみに働いていませんわ」
「こ、この方が、僕の将来の義父って──」
「そんな引きつった顔をしないで下さいませ。せっかくのイケメンが台無しですわ」
ドン引きのクルト王子。
床で駄々をこね続ける父。
それに比べて余裕のわたくしとお母様。
「ふふ。セレナ。見事イケメンのクルト王子をゲットしてきましたわね」
「ええ。アレングエス子爵家令嬢の面目躍如ですわ」
「「アレングエス子爵家、家訓! 子爵家に生まれた令嬢は、イケメンを夫とすること! イエーイ♪」」
わたくしとお母様は家訓を唱和してハイタッチしました。
「おほほ」
「うふふ」
「い、いや、セレナ。アレングエス子爵家に婿に入ったりするのは、僕にはちょっと荷が重いというか」
「まあまあ。そのうち慣れますわ。毎年のことですもの」
「演技ではなく、素でこれを毎年──」
客人である王子の足元で、父はなおもジタバタジタバタ。
「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ~」
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なにとぞよしなに。




