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第5話 貧弱な軍人

 陽がほんのり傾きはじめた頃、本店「ヴィンクルム」には、開店と同時に数名の客が姿を見せていた。

 カウンターには、ひときわ癖のある常連がどっかりと腰を下ろしている。


「……ったく、今日の若いモンは、つまらん口ばっか達者での。酒の味もわからん奴ばっかじゃ」


 口を開けば文句ばかり。だがその手はしっかりと徳利を持ち、目の前の豆の小皿に手を伸ばす。


「はい、いつもの“米の酒”です。豆は今日、塩加減を少し変えてみましたよ」


「ふむふむ、そういうのは良い変化じゃ。お主は客を飽きさせん工夫をしとる。……まあ、よくやっとるわ」


 あの夜、グラタンに感動し、エーリの歌に感動して以来、すっかり常連になったローブの老人、ガルである。


 ガルがぶつぶつ言いながら豆を一粒口に入れた、その時だった。


 ──ひょいっ。


「……ん?」


 皿の上にあったはずの豆が、明らかに減っている。

 次の瞬間、ガルの肩先をふわりと風が撫で──カウンター奥の棚の上で、文鳥(ぶんちょう)が得意げにくちばしをぺろり。


「おい貴様ァァァ! またワシのつまみを盗みおったな!!」


 店内にガルの怒声が響く。アウリスはぴちぴちと鳴きながら、さらに豆を一粒──くわえて飛び去った。


「ミヤビ! なんとかせんか、その不届き鳥! いっそ焼き鳥にして──」


「待って待って、アウリス、返しなさい! それガルさんの豆!」


 ミヤビが慌てて追いかけるが、文鳥は小さな羽音を立てて天井をぐるりと旋回し、ガルの頭すれすれをかすめて飛び去っていく。


 カウンターの奥から、くすっと笑い声が漏れた。


「今日も平和ですね、オーナー」


 静かに茶を注いでいたアルトが、まるで他人事のように言う。


「平和じゃない! 豆が! 豆が減っとるんじゃ!」


 怒鳴るガルの前で、アウリスは最後の豆を誇らしげに飲み込み、ひと鳴き。

 ──まるで勝ち誇ったように、ピィ。


「……すみません、遅くなりました!」


 いつもより息を切らしながら、エーリが本店の扉を押し開けた。


 開店準備の終盤。アルトは既に厨房に立ち、食器の数を確認していた手を止めて振り向く。


「五分遅れです。社会人としては十分に遅刻と見なされます。今朝のシフト時点で遅れることは予測できたはず……

 そもそも、何のためにお店から通話具(フォニア)を渡されたのか、お分かりですか」


「え、あ、あの……」


 慌てるエーリに、ミヤビがやんわりと助け舟を出す。


「まあまあ。今日エーリは、町役場に呼ばれてたんですよ。午前中に、ちゃんと用事済ませてから来てくれたんです」


「……ふむ。で、どのような用件でしたか?」


「なんかね、私に“先生”やらないかって」


 エーリはエプロンを結びながら、ぽつりと答える。


「王立孤児院(こじいん)で、小さい子たちに歌とか教える役……って。

 どうして私が、って思ったけど……断る理由も、特になくて」


「へぇ……で、その推薦者って誰?」


「それがわからないの。誰が言い出したんだろうねー」


 そう言って首をかしげるエーリ。

 その後ろで、アルトがちらりと視線を逸らした。


(……当然、私だとは言えませんが)


 静かに茶を置き直したアルトは、表情を崩さず淡々と言った。


「推薦の経緯はともかく、時間厳守は社会人の基本です。次からは遅れないように」


「う……はい」


 素直にうなずくエーリの頬が、少しだけ赤く染まる。


「さ、今日も頑張ろーっ!」


 エーリはぱっと顔を上げ、眩しいくらいの笑顔。

 さっきまでみっちり説教されていたはずなのに、声色には一片の陰りもない。


「……あなたとはとことんウマが合いませんね」


 アルトが軽くため息をついた。


 夕方の店内。日が傾き、ランプに火が灯る頃、カウンターの隅にひとりの若い客が座っていた。

 やせた体に軍服のようなジャケット。スプーンを手に、静かにスープをすすっている。


 それが──ライトだった。


 厨房からそれとなく様子を伺っていたミヤビは、彼が半分も食べないうちに、すぐ水を飲んでいることに気づく。


(……あんまり、食べない人なんだな)


 見た目以上に、ライトの食は細かった。


 そんな中、店の扉がバタンと開いた。

 入ってきたのは、体格のいい男たち──王国軍の歩兵たち。訓練帰りと見え、泥のついた靴と汗まみれのシャツ姿でどかどかと入ってくる。


「おっ、ここが噂の店か? 見たことないメニューがどうとか言ってたな」


「腹減ったー、もう走らされて死ぬかと思ったぜ」


「おい、あれ……」


 その中の一人が、カウンターのライトを見つけて目を細める。


「なんだよ、先に来てやがったのか“音楽隊くん”が」


 店の空気が、ぴり、と少しだけ張った。


「よう、お上品にスープだけか? こっちは大盛り頼むぜ、大盛りな!」


「マスター! 俺ら全員“肉たっぷり定食”で! 飯は二倍でよろしく!」


「ちょっとちょっと、厨房爆発しますよ……!」


 ミヤビが苦笑しながら注文を復唱する。

 その背中で、ライトは黙ってスプーンを置いた。


「……こんばんは」


 声をかけたのはエーリだった。

 彼女はライトの隣にそっと座り、何気ない風を装って話しかける。


「……お腹、あんまり減ってないんですか?」


「……そうですね。食べすぎると、明日の訓練で動けなくなるから」


「ふーん」


 エーリはそれ以上は何も聞かなかった。ただ黙って、手元の水差しを彼のコップに注いでやる。


 後ろのテーブルでは、軍人たちが大声で笑いながら定食をかきこんでいた。

 ライトは、何も言わずにスープに口をつけた。


「で? なんで“音楽隊さん”が先に座ってんのよ」


「ライトだったっけ? 名前からして軽そうだもんな〜、カロリーも見た目も」


 軍人の一人がけたけたと笑いながら言った。


「こっちは毎日、剣ふって泥かぶってんだ。お上品な笛でも吹いてりゃ、腹も減らんか」


「いいよなー、おまえらは。飯は半分、給金は倍ってか? お坊ちゃんの席は涼しいだろ」


 わざとらしくため息をつきながら、ライトのすぐ後ろの席に座り込む。

 その言葉に、ライトの手がスプーンからふと離れた。うつむいたまま何も言わない。


 が──代わりに、声を上げたのは隣の少女だった。


「……言いすぎです!」


 ぱん、とテーブルを叩いて立ち上がったのはエーリだった。


「ライトさんは、ちゃんと……ちゃんと訓練してる人です! 食が細いとか、関係ないです!」


 一瞬、店の空気が静まる。

 軍人たちは少し驚いたようにエーリを見つめ、それから苦笑した。


「へえ、お姉ちゃん、音楽隊にご執心?」


「ちがっ……!」


「そこまでにしていただけますか」


 涼やかな声が、厨房の奥から差し込むように響いた。アルトだった。


「この店では、誰であれ客人です。食べ方をとやかく言う場ではありません」


「……なんだあんた、店の者か?」


「ええ。ヴィンクルムの従業員にして──法務資格者(ほうむしかくしゃ)でもあります。もし侮辱が続くなら、名誉棄損として記録いたしますが?」


 眼鏡の奥の視線が、冷たく鋭く光った。


「く……! あーあ、せっかくのメシがまずくなるぜ」


 ぶつぶつ言いながら、軍人たちはしぶしぶ黙って飯をかきこみ始めた。


 ライトは、まだスプーンを手にしていなかった。

 だが、隣に立つエーリの表情を見て、ふと微笑を浮かべる。


「ありがとう」


 エーリはちょっと頬を赤らめて、座り直した。


 午後の陽ざしが、窓際のテーブルを柔らかく照らしていた。

 昼の混雑がひと段落し、店内は落ち着いた空気。


「……こんにちは」


 昨日も来た軍服姿の青年──ライトが、そっとドアを開ける。少し緊張した面持ちで、店内を見渡す。


「いらっしゃい、ライトさん。また来てくれたんだね」


 ミヤビの穏やかな声に、ライトは少しだけ表情を緩めてうなずく。


「ええ……あの、この間はありがとうございました。俺のためにあんな」


 ミヤビとエーリが顔を見合わせ、小さくうなずく。

 エーリは手を拭きながら近くの椅子を引いた。


 ライトはそっと腰を下ろすと、しばらく黙ってスプーンでスープをすくっていた。やがて、小さく息を吐いて口を開く。


「……俺、もともと、宮廷楽師を目指してたんです」


 声は小さいが、どこか張りつめている。


「でも、試験に落ちて……今は軍楽隊に配属されています」


「そうなんだ……」


 エーリがゆっくりと相槌を打つ。ライトは俯いたまま、スープを一口。少し、顔が和らいだ。


「演奏は好きです。得意ってほどじゃないけど、ずっとやってきたから……。でも、体力がないんです。音楽隊にも基礎訓練が義務付けされているんですが、その訓練についていけなくて、情けないですけど、毎日が精一杯で」


「……無理してないですか?」


 エーリの声には、少し心配がにじむ。ライトは、かすかに笑って首を横に振った。


「目標があるんです。音楽隊の頂点、中央軍楽隊ちゅうおうぐんがくたいに入りたいんです」


「中央……?」


 ミヤビが聞き返すと、ライトは目を伏せたまま続けた。


「各地を巡って、いろんな場所で音楽を届ける部隊です。貴族の前じゃなくて、戦地や災害地、村の広場……そういう、人々の心が弱ってる場所に行って、奏でる。それって、すごく意味のあることだと思うんです。自分にしかできない音を、誰かに届けられるって」


 一瞬、静寂が流れた。


「でも、そこに入るにも、体力試験がある。俺の今のままじゃ……とても無理だって、分かってるんです。けど……諦めきれなくて」


 その声は震えていた。夢を語るには、少し臆病な熱だった。


「……それって、すごいことだよ」


 ミヤビが、ぽつりと言った。


「夢がはっきりあるなんて、ぼく……ちょっと、うらやましい」


 ライトが顔を上げる。ミヤビは、ほんの少し照れたような笑み。


「ぼくなんて、流されてばっかりで、まだ自分のやりたいこともはっきり見えてないし」


「夢を持つ者は、強くなります」


 アルトが静かに言葉を添えた。その瞳は真剣で、どこか優しかった。


「方法は後からでも、見つけられる。むしろ、方法があっても目的がなければ、前には進めません。あなたは、もう前を向いている」


 エーリも、小さく拳を握っていた。


「……ライトさんの夢、わたしも応援したいです。わたし……前まで、夢とか、意味ないって思ってた。でも、誰かのために何かできるって、すごく、あったかいことだって……最近やっと思えるようになったから」


 ライトはしばらく、ぽかんと三人の顔を見た後、ふっと微笑んだ。


「ありがとうございます……なんか、少しだけ、勇気が出た気がします」


 その笑顔は、昨日よりも少しだけ、芯のあるものだった。


 沈んだ空気の中で、アルトが立ち上がり、カウンターの奥に消えたかと思うと、すぐに木箱を一つ抱えて戻ってきた。中には乾燥した豆や雑穀、香辛料、そして見慣れぬ薬草の束。


「……ライトさん」


 静かに、けれどどこか凛とした声でアルトが告げる。


「もし、中央軍楽隊への試験に本気で臨まれるのなら──」


 ライトが、ぎょっとした顔でアルトを見る。


「私が、あなたの体力を引き上げて差し上げましょう」


「……え?」


「お代は結構です。ただし一つだけ条件が」


 ゆっくりと、アルトは箱の中の材料をカウンターに並べながら言った。


「試験の日まで、毎日ヴィンクルムで食事をしてください。そのお代だけで結構です」


「えっ?」


 エーリが声を漏らす。ミヤビも目を丸くする。だがアルトの表情は変わらない。これは当然の帰結だと言わんばかりに。


「え、でも、そんな……俺なんかのために……」


 ライトは戸惑いながらも、膝の上で手を握りしめる。


「私は本気です。栄養計算からメニューの調整、基礎トレーニングの指導まで、責任をもって担当します。……いえ、そうさせていただきます」


 その声には、冷静さの奥に、どこか熱がこもっていた。


(……やっぱりこの人、ただの従業員じゃない)


 ミヤビは胸の中でつぶやく。


 誰も知らない。アルトがかつて王宮秘書官の任をこなす傍ら王国の特殊部隊で戦闘のレクチャーを受け、過酷な訓練の中で肉体も精神も鍛え上げていた時期があるということを。

 この申し出が、本気の「約束」だということを──


 ライトは、唇をかすかに震わせたあと、立ち上がり、小さく頭を下げた。


「……お願いします」


 アルトは、ほんの少しだけ口元を緩めたようだった。


***


【用語注】

通話具(フォニア):携帯通信用の簡易魔導具。


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次回「第6話 アルト`sブートキャンプ」──有能すぎる男、鍛える


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