第23話 ヴィンクルム
翌日の午後、三人を乗せた馬車は王都のはずれ、のどかな街並みを進んでいた。
風に揺れる干し草の匂いが流れ込んでくる。
昨日の大演奏と祝賀の喧騒が、もうずっと昔のことのように思えた。
やがて道の先に、見慣れた建物が姿を現す。
深い緑の屋根、白い壁、入口に掲げられた看板――ヴィンクルム。
馬車が停まり、三人は荷を下ろして扉の前に立った。
鍵を回し、重い扉を押し開けると、外よりも少し冷んやりとした空気が迎える。
文鳥姿のアウリスが梁から飛び降り、嬉しそうに一周羽ばたいてからミヤビの肩へ止まった。
「……帰ってきたね」
ミヤビが呟くと、アルトもエーリも静かに頷いた。
カウンター越しに厨房や客席を一通り見回した。
少しの間、休業していた分、ほんのりと埃の匂いが混じっている。
「とりあえず換気をしましょう」
アルトが窓を開け、外の空気がゆるやかに流れ込む。
エーリは椅子を整え、テーブルを軽く拭きながら鼻歌を歌った。
ミヤビはカウンターに手を置き、深く息を吸い込む。
この香り、この空気――何もかもが「いつものヴィンクルム」だ。
昨日までの出来事が、夢だったのかと錯覚しそうになる。
「お茶淹れよっか」
ミヤビが声をかけると、エーリがぱっと顔を上げて笑った。
「うん、賛成!」
ほどなくして、湯気の立つカップが三つ並ぶ。
窓から差し込む午後の光に照らされ、温かな色が揺れていた。
「……終わったんだな」
ミヤビが湯気越しにぽつりと呟く。
「ええ。本当に……」
アルトはカップを両手で包み込み、静かに頷いた。
エーリはスプーンでカップを軽く回しながら、ふっと笑う。
「でも、なんか寂しいですね……」
「そうかも。でも、また日常が戻ってくるんだ」
ミヤビの言葉に、エーリもアルトも微笑んだ。
その後――
王国は今回の成果を受け、古代魔導研究所の設立を発表した。
水門復旧に関わった技術と知識を体系化し、後世へ伝えるための機関である。
ここでは国のために働く魔導技術者を育成することも決定され、古代マニール文字の解読や応用研究が本格的に始まることとなった。
ユリシウスは宰相としてその準備を主導し、国内外から優秀な人材を招く計画を立てている。
ヴィンクルムの名も、この研究所の設立経緯と共に記録されることになった。
ライトは今回の大演奏での活躍が認められ、宮廷楽師へのスカウトを受けた。
しかし彼は、「もっと広く、いろんな場所で演奏活動がしたい」とその誘いを固辞する。
関係者の多くはユリシウスが怒るだろうと身構えたが、彼は意外にも静かに笑い、中央音楽隊への予算増額を即座に決定した。
「才能は、閉じ込めるより広げる方が国のためになる」――それが宰相としての判断だった。
こうしてライトは、これまで以上に幅広い舞台で演奏を届けることができるようになった。
マリナ院長は王の推薦により、名誉神官長へ就任した。
もっとも、彼女には孤児院の院長という役目があるため、神殿の運営は神官長補佐が担うこととなった。
大祭の混乱の件の責任から、前神官長は途方の教会の神官長から出直すことに。
孤児院に戻ったマリナ院長は変わらず子どもたちと過ごしながら、必要なときには神殿での務めを果たしている。
孤児たちは誇らしげに、彼女のことを「うちの院長先生で、神官長なんだ」と言っては胸を張っているという。
王都での賑わいも落ち着き、三人は久しぶりにヴィンクルムでの営業を再開していた。
午後の柔らかな日差しが窓から差し込み、磨かれたカウンターが光を反射する。
扉の上の小さなベルが鳴るたび、見慣れた顔も初めての客も、笑顔で店内に入ってくる。
ミヤビは注文を取り、エーリは軽やかに客席を回り、アルトは奥で黙々と調理を進める。
かつての忙しさが、今では心地よい日常のリズムに変わっていた。
ふと、ミヤビはカウンター越しに二人を見やった。
「やっぱり、ここが一番落ち着くね」
「ええ、私もそう思います」
アルトが静かに微笑む。
エーリも頷き、「じゃあ今日もいっぱい働きましょー」と笑った。
外では風が看板を揺らし、扉のベルがまた軽やかに鳴った――。
扉のベルが、ひときわ大きく鳴った。
入ってきたのは、あの口の悪い常連――ガルだ。
今日は珍しく、両脇に小さな女の子を連れている。二人ともそっくりな銀色の髪で、姉は十代後半妹は十歳前後だろうか。
「おう、小僧。今日はこいつら連れてきたぞい。……ワシの孫みたいなもんじゃ」
ガルがぶっきらぼうに言うと、女の子たちはそろってぺこりと頭を下げた。
「いらっしゃいませ」
ミヤビが笑顔で迎えると、ガルは鼻を鳴らして席に腰を下ろす。
「甘いもんと、俺のいつもの酒だ。……こいつらにもうまいもん食わせてやれ」
エーリが「任せて」と笑って厨房へ駆け、アルトは黙って頷きながら準備に取りかかった。
ミヤビはテーブルに水を置きながら、ふと心の中で思う。
――こうしてまた、新しい縁がこの店に繋がっていくんだな。
窓から差し込む光が、賑やかな店内をやさしく包み込んでいた。
娘たちは席に座ると、物珍しそうに店内を見回していた。
片方は窓の外をじっと眺め、もう片方はカウンター奥のピアノに視線を向けている。
その瞳には、年齢には不釣り合いなほど澄んだ光が宿っていた。
ミヤビは気のせいだろうと思い、笑顔で声をかける。
「うちの料理、きっと気に入ると思うよ」
娘たちは顔を見合わせ、同時に微笑んだ。
その笑みは、なぜだか遠い水音と、懐かしい旋律を思い出させるものだった。
娘たちは席につくなり、メニューも見ずに元気よく声を上げた。
「三田村屋のオムライス!」
「洋食ビストロ・カリーナのハンバーグを所望します」
ミヤビは一瞬固まる。
「……え?」
エーリが首をかしげ、アルトは無言でミヤビを見る。
もちろんヴィンクルムのメニューにそんな料理はない。
いや、そもそも聞いたこともない名前だ。
「お、お待ちくださいませ。ただいま……検討いたします」
ミヤビは笑顔を引きつらせながら厨房へ引っ込み、半ば本能的に棚から一冊の雑誌――『神の食卓』を引っ張り出した。
ページをめくると、そこにはまさにその二つの料理が、写真とレシピ付きで載っていた。
しかも横には小さな文字で、こう記されている。
> “この二つは、人と人の心をやさしく結びつける。”
ミヤビは思わず苦笑する。
「……なんなんだよ、この雑誌」
客席から「まだー?」と弾む声が聞こえ、「こらこら急かしてはいけませんよ」と姉がたしなめる。
ミヤビは慌ててページを開いたまま調理台へ向かった。
扉の向こうでは、ガルと、そしてあの不思議な姪っ子たちが、楽しそうに笑い合っていた――。
――ほどなくして。
湯気を立てる黄金色のオムライスと、肉汁あふれるハンバーグがテーブルに並ぶ。
娘たちは「わぁ!」と目を輝かせ、スプーンとフォークを手にした。
一口食べた瞬間、二人の少女は顔を見合わせてにっこり笑い、また夢中で頬張る。
やがて食べ終えたお姉ちゃんのほうが、満足そうにスプーンを置いて言った。
「実に美味しかったです。ああ、やっぱりこれでよかった」
――その瞬間。
店の奥、長らく沈黙していたヴィンクルムのピアノが、ふっと魔石の灯をともす。
鍵盤の奥で何かが微かに噛み合う音がし、静かに“起動”した。微かにブーンと言う音が聞こえる。
水晶板には古代、近代どちらのマニール語でもない異国の文字が浮かんでいる。
「あれ、うわ!オーナーピアノの水晶板光ってますよ!」
慌ててエーリがミヤビを呼ぶ。
「本当だね、でも今回は僕何にもしてないよ」
ミヤビは不思議そうに首をひねる」
「おやおや、鳴らないピアノが思わせぶり起動ですかね。どうせ私が触っても鳴らないというのに」
そう言ってアルトが鍵盤に指先を落とした瞬間
「ポーン」
食堂の鳴らないピアノが鳴った。
「うそでしょ」
ミヤビが目を丸くする。
「……そろそろ帰ろうかの」
ガルはそういうと二人の少女を呼びよせる。
三人は店を出る。
その時、梁にいたアウリスがひらりと舞い降り、姉と思われる少女の肩に止まった。
「あ、ちょっとアウリス」
少女をつついたりしたら大変だとミヤビはアウリスを捕まえようとする。
しかし少女は肩にとまったアウリスの頭をなでながら、少女は微笑み、何も言わずに歩き出す。
「……アウリス」
夕暮れの光が三人を包み込み、静かな路地に長い影を落としていた――。
静けさが戻り、アルトがぽつり。
「……ガルさんに、全く似ていませんね」
「そうだね」ミヤビも笑う。
アルトの視線が、カウンターの端に置かれた雑誌に移る。
「ところでオーナー、いつも見ているそれ……料理本ですか?」
「ああ、これ? ガルさんの古本屋で買ったんだ。いっつも助けられてる。雑誌なのに優秀だよなー」
「ちょっと見せていただけますか」
「いいよ」
アルトが手に取ると、表紙には大きく**『神々の食卓』**。
そして右下に、小さくかすれた古代マニール文字でこうあった。
〜神力で異世界行ったら絶対食べたいメニュー特集!昇天レベルの絶品レポート!たっぷり一月、二月合併号〜
「これ、聖書原本レベルのレア物ですよ、こんなものが存在していたとは……」
アルトの声は本気だった。
「……そのうち、禁書庫行きになるかもしれませんね」
ミヤビはため息まじりに笑い、
「……ほんと、この店、なんなんだよ……」と小さくつぶやく。
「オーナー! 早く片付け手伝ってくださいよー!」とエーリの声が店内から響く。
「いきますか」
「そうですね」
窓の外では夕陽が赤く傾き、通りを行き交う人々の影が長く伸びている。
扉の上の小さなベルが、風に揺れてやさしく鳴った。
Et sic Vinculum mundum texuit,
resonantia in aliis mundis manet.
Sed de illa harmonia, nondum tempus est scribere.
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