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第15話 炊き出しの依頼

 テーブルの上に椅子を重ね、ミヤビとエーリは、いつもより念入りにモップをかけていた。


「……あっつ。秋ってこんなに暑かったっけ……」


 カウンター奥のピアノの下に潜り込んだエーリが、額の汗をぬぐいながら文句をこぼす。


「外は涼しいですよ。ったく、掃除って地味に筋トレです……」


 手探りでモップを差し込もうとしたとき、指先が固いものに当たった。


「……え?」


 顔を近づけて覗き込むと、埃の奥に小さな金属のフックのようなものが見える。


「なにこれ……引っかけ……?」


 指でつまんでみると、カチリと軽い音が鳴った。


「ねぇオーナー、これ開くやつですか?」


 


「え? どれどれ……」


 ミヤビが覗き込むと、ピアノの底面の一部が微かに浮いて見えた。


「うわ、こんなのあったんだ……全然気づいてなかったよ」


 帳簿の確認をしていたアルトが、軽くため息をついてやってくる。


「もともと魔導ピアノだったんでしょうか。定期点検用の蓋ですかね……」


「でも、なんか……今まで触れてもこんな音しなかった気がする……」


「たまたま、ですよ。気のせいです。中に魔道素子が残ってたら、軽く共鳴することもありますし」


 エーリはまだ気になっている様子で、もう一度フックに手を伸ばそうとする——


 そのとき、小さな羽ばたき音がして、文鳥のアウリスが飛び降りた。


「うわっ、なに?」


 アウリスは、エーリの指の上にすっと降り立つと、軽くその手を踏んで動きを止める。


「……?」


 しばらくエーリを見つめたあと、アウリスは何事もなかったようにピアノの上へ戻っていった。


 ミヤビが苦笑する。


「……もしかして、邪魔された?」


「そういうこと言うと、鳥さんの機嫌悪くなりますよ?」


 エーリが笑いながらピアノの下から這い出る。


「ま、また今度ねー。気になるけど……ホコリで鼻やられそう」


 ミヤビは最後にもう一度だけ、そのフックのあった場所を見つめた。


 どこか静かすぎる一瞬の空気。


 何も起きていないはずなのに——


 ほんのかすかに、ひとつの鍵がかすれたような音が耳に残った気がした。


「……気のせい、かな」


 

 カウンターの上でアウリスが小さく羽を震わせ、


 そのまま何事もなかったように、羽を繕い始めた。


 夜営業を終えたヴィンクルムには、静けさが戻っていた。


 客席のランプは魔石の余熱でほのかに灯り、厨房の奥からはスープ鍋を洗う水音だけが響いている。


「ふう……今日も、なんとか乗り切ったね」


 カウンターに背を預けながら、ミヤビが一息つく。


 その隣で帳簿をめくるアルトが、静かに言った。


「売上は昨日より十ソル増。……ただ、食材の仕入れが少々」


「また上がった?」


「水と野菜の供給量次第です。しばらくは価格変動が続くかと」


 ミヤビが苦笑いしかけたそのとき——


  「コン、コン」と扉を叩く音がした。


  もう客は帰ったはずだ。


 ミヤビとアルトが目を合わせる。エーリは皿拭きの手を止め、顔を上げた。


「……もう閉店ですが」


 ミヤビが声をかけながら扉を開けると、そこにいたのは黒衣の使者だった。


 裾に金糸の刺繍。王城の私設伝令であることが一目でわかる。


「ヴィンクルム殿、政府内務局より、急ぎの書簡をお届けに参りました」


 差し出された封筒には、青と銀の糸で巻かれた紋章入りの封蝋。


 王国の正式文書だ。


 ミヤビが受け取って封を切ると、上質な羊皮紙に流麗な文字が綴られていた。


手紙内容


親愛なるヴィンクルム店主 ミヤビ=リアン 殿


貴殿の料理技術および社会貢献に対し、


王国政府内務局より、感謝と敬意を表します。


つきましては、城下孤児院における食育支援事業の一環として、慰問炊き出しをお願い申し上げたく、


下記のとおり依頼申し上げます。


日時:今週末 第四日(午後)


場所:マニール城下 第二孤児院


提供内容:温食の調理および子どもたちへの配膳


材料費および搬送・人件費はすべて国庫負担といたします。


推薦者:宮廷筆頭楽師 ユリシウス=アリスベルト



「……ユリシウス様が?」


 ミヤビが思わず呟くと、使者は小さく頷いた。


「“あの料理人なら、間違いなく子どもたちに祈りを届けられる”——そう仰っておりました」


 


 言葉を失うミヤビの横で、アルトが小声で言った。


「王家推薦、政府案件、全額支給……断る理由はありませんね。受けるべきでしょう、オーナー」


「……うん。うん、もちろんだよ。行こう、エーリ」


背後でエーリがにっこり笑う。その表情は、仕事の決定に喜んでいるというより、まるで明日が遠足の子どものように楽しげだった。


「もちろん。あの子たちの顔、早く見たいしね。──あ、孤児院の台所、まだあのままだとしたら……オーナー、覚悟してくださいよ?」


「え、なにその怖い前置き」


「ふふっ、行けばわかります。……でも、あの子たちが喜んでくれるなら、どんなキッチンだって頑張れる」


エーリの声には、店員としてではなく、この町のもう一つの「家」に帰る人の温もりがあった。


 

こうして、


ミヤビたちに届いた、**料理人としての“初めての公式任務”**は幕を開けた。


炊き出しの依頼を受けたミヤビは、カウンター席に腰を下ろし、腕を組んだ。

 目の前には白い皿と、メモ用の紙札。


「ワンプレートで……栄養満点。子供もお年寄りも食べやすくて、なおかつ温かい料理……」


 孤児院の子どもたちの顔が頭に浮かぶ。走り回って遊ぶ元気な子もいれば、少し体の弱そうな子もいる。

 寒い日が続くこの時期、体の芯から温まって、食べ終わった後も力が出るような……そんな一皿。


「オーナー、難しい顔してますね」

 帳簿から顔を上げたアルトが、紅茶を片手に見やる。


「難しいよ。大人数だし、栄養のバランスも考えないと」


「オーナー、以前の農家さんからお米をいただきましたよね」

 ふと思い出したようにアルトが言う。


「ああ、あの新米。甘みがあってすごく美味しかったやつ」


「ええ。あれを活かせば、主食は解決します」


「お米メインで、あったかくて……そうだな……お肉も野菜も入って、スプーン一つで食べられて……」

 ミヤビはペン先を止め、ふいに顔を上げた。


「あ、そういえば……」


 何かを思い出したようにカウンターを離れ、奥の棚へ向かう。

 手を伸ばした先には、厚い背表紙に金の箔押しで題名が刻まれた古びた雑誌――『神の食卓』。


「えーと……たしか、この辺りに……あった、あった」

ページをめくっていたミヤビの手が止まる。


「ん、おいしそう……だけど、なんか変な名前だな」


皿に盛られた金色のとろみが、写真の中で湯気を上げている。具材は肉と野菜――確かに温かくて食べやすそうだ。


「……確かに、このスパイス類ならそうかもだけど……『カレー』って……味の感想がそのまま名前に? 不思議なメニューだな」


眉をひそめつつも、写真から漂ってくるような香りに、ミヤビはごくりと喉を鳴らした。


「……よし」

ミヤビは本を閉じ、ぱん、と手を打った。


「とにかく、これでメニューは決まり。ワンプレートだし、食べやすそうだ」


その声に、カウンター越しのアルトがわずかに口元を緩める。

「では、食材の手配は私が」


「うん、僕も一緒にいくよ」

ミヤビはもう一度写真を見て、どこか嬉しそうに頷いた。


炊き出しの食材を求めて、朝の市場へと向かう一行。


 街は秋祭りの準備で少し浮かれ気味だったが、野菜の値段だけは相変わらず高い。


「うわっ、にんじん一束で二ノムって……。金貨もってきてよかった……」


 ミヤビが財布を見ながらため息をつく。


「先に青果を押さえましょう。動きが早そうです」


 アルトが冷静に買い出しの順を決める。


 その途中——


 城下中央広場へ差し掛かったとき、澄んだ風に乗って音楽が聴こえてきた。


「……?」


 水の神ミリニアを祀る大噴水の前で、小編成の楽隊が演奏を始めていた。


 広場の中心では、クラリネット、フルート、チューバ、パーカッションの四人編成。


 白い制服の青年が軽やかに指揮をしながら、自らクラリネットを吹いている。


 ミヤビの目が丸くなった。


「……え、あれ……もしかして……」


 エーリも声を上げる。


「ライトさん……!?」


 アルトは腕を組んだまま、わずかに目を細めた。


「……ふむ。やっと似合う制服になりましたね」


 中央音楽隊の制服を着て、晴れやかに吹奏するライト。


 数ヶ月前、体力が足りずにオーディションを逃した彼は——


 いま、多くの人々の前で音楽を届けていた。


 

 軽やかなアレンジの民謡が、広場の空をやさしく満たす。


 噴水の水音とクラリネットの音が交差し、水の神と音の神の調和を象徴するように響いていた。


 演奏が終わると、拍手とともに、ライトが控えめに一礼する。


 客の中にミヤビたちがいるとは、まだ気づいていない。


「……あの時、ヴィンクルムに来てくれてよかったね」


 ミヤビが、静かに言った。


 エーリはにこっと笑って、


「うん。めちゃくちゃカッコよくなってた」


 アルトは、ひと言だけ。


「……大したものです。私より根性がある」


朝の市場はすでに熱気を帯びていた。


 籠を抱えた人々が行き交い、香草の束や根菜、干した魚や肉がずらりと並ぶ。


「うわっ、すごい人……。迷子になりそう」


 エーリがミヤビの後ろから顔を出す。


「買うものは決まってますから、効率よく回りますよ」


 アルトが地図のような買い物メモを手に、先に立つ。


 まずは香草とスパイスの専門店。


 棚の上に、焼いたような香ばしさを放つ小さな種子の瓶が並んでいた。


「これ、“焼き草の種”。炒ってから使うと、香りが立つんだ」


 ミヤビが瓶を取りながら言う。


 


「へぇ……あっ、これもなんか甘い匂い……」


 エーリが指をさしたのは、粉状にされた淡い黄土色の香辛料。


「“陽果の粉末”だね。ちょっと柑橘みたいな香りで、奥行きが出るんだよ」


 


 店主がにこりと笑いながら差し出すのは、鮮やかな赤い実を干したもの。


「これは“赤き火の実”。辛味の元だ。子どもに出すなら、量は控えめにするんだな」


「ありがとうございます。ひとつまみ程度にします」


 


 黒く細い粒の入った小瓶を見つけたエーリが、


「これ、見た目コショウみたいだけど……?」


「“黒胡の実”。香りを立たせるときに使うよ。ちょっと炒って、最後に入れる」


 


 そして、香りを整えるために**“乾き葉の香草”**を二束。


 最後に、青果店で**大きな白玉菜(玉ねぎ)と火の根(生姜)、香のにんにく**をまとめ買いする。


 


「……すごいね、今回の料理、なんか複雑そう」


「でもきっと、あったかくて、元気が出る味になるよ」


 ミヤビは微笑みながら、手にした香辛料の束を大事そうに抱えた。


 その瞬間、ふわりと風が吹き抜け、袋の口からいくつかの香りが混ざり合った。


 香ばしさ、甘み、ほのかな刺激。


 混じった瞬間、どこか遠い国の祭りのような、懐かしいような匂いが立ちのぼる。


まだ朝靄の残る街角に、しっかりとした車輪の音が響いた。


煮込みに入った鍋の中では、黄金色のスープが静かに泡を立てていた。

 味が馴染むまで、しばらく時間がかかる。


「……今のうちに、ちょっと見てこようか。子どもたち、授業中なんだよね?」


 エーリが声をかけると、ミヤビもアルトも頷いた。

 厨房の火を確認し、彼らは中庭を抜けて木造の教室棟へと足を運んだ。


 薄く開け放たれた扉の奥から、子どもたちの笑い声と、朗らかな声が響いてくる。

「さあ、じゃあ今日は最後にこの歌をもう一度歌いましょうか。覚えている子?」


「はーい!」


 声の主は、あの院長――マリナだった。

 教師らしい柔らかな口調で、机に向かう子どもたちを優しく導いている。


 ミヤビがふと耳を傾けた瞬間――


「♪みずのおチビちゃん すいすいすい

  おとのおねえちゃん ぴかぴかぴー

  けんかはいやよ なかよくしてね

  ほしぞらのうえで てをつなご ♪」


 

 その旋律に、思わずミヤビの目が丸くなる。

 どこか懐かしくて、けれど初めて聞くような、不思議な歌だった。


「……これは……」


 隣で聴いていたアルトも、眉をわずかに動かした。


 子どもたちが一斉に歌い出すと、教室はまるで光に包まれたような温かさに満ちた。

 その光景を眺めながら、エーリがぽつりと呟く。


「この歌、ずっと前から、孤児院で歌われてるんですって。

 わたしも、すっかりお気に入りです」


 ミヤビはその歌詞の中に、確かに聞き覚えのある名前を感じていた。

 「みずのおチビちゃん」「おとのおねえちゃん」――


(……まさかな)


 まだ確信には至らない。けれど、心の奥で何かがゆっくりと、動き出していた。


 子どもたちの歌声が教室に満ちるその時、扉の前にもうひとつ、足音が近づいてきた。


 「……この歌……」


 低く、震えるような声だった。


 振り返ると、そこにいたのはハワード・グランツ。

 王宮料理長として知られる、あの威厳ある料理人が、今はまるで迷子の子どものような顔で立ち尽くしていた。


 彼の目は、じっと教壇に立つ人物を見つめていた。



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次回「名誉鋼鉄杓文字と院長先生」 マニール最高の料理人ハワード。孤児院に過去を見る、院長先生との再会


30日(火)21:00更新 


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