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第14話 祈りのカタチ

初めての方は第1話「食堂の鳴らないピアノ」からお楽しみください

 その皿に盛られていたのは、ふっくらと握られた小さな飯の束。それらは、薄く色づいた狐豆こまめの薄皮揚げで丁寧に包まれていた。


 形はどれも微妙に違っている。大きさも不揃いで、整った装飾は施されていない。


 だが、その一つひとつが、まるで人の手の祈りをそのまま写したかのように、あたたかい「意思」を帯びていた。


 皿の縁には、細く乾いた稲穂が一本、そっと添えられている。


 金でも銀でもない。ただ、実った季節そのものを捧げるように。


 主神官が一歩前に出ると、わずかに眉をひそめた。


 視線が、ざわつく。


 形式から逸脱した供物が、いま神々の前に置かれようとしていた。


 器を置いた、その瞬間だった。


「──待たれよ」


 冷たく響く声が、祭壇の奥から空気を裂いた。


 参列者がざわめき、神官たちが振り返る。


 ゆっくりと姿を現れたのは、白金の装束に身を包み、三神の紋を胸に掲げた壮年の男だった。


 神殿を統べる最高位、神官長である。


「その供物──いかなる意図にて捧げられたものか」


 鋭い視線がミヤビを射抜く。


「……これは、農家の方々から教えていただいた“祈りの形”で──」


「答えになっておらぬ!」


 神官長の声が堂内に轟く。


「この場は神々への奉納の儀。許されし形、許されし祈り、すべては法に基づき執り行われねばならぬ!

 その皿にあるは、俗世の食べ物──まるで市井の供物の如き、素朴を装った侮辱!」


 壇の下からも、参列者たちのざわめきが起こる。


「だが……これは、ただ見栄えを競うためのものではないはずです。祈りの気持ちを、ありのまま──」


「黙れ! 貴様ごときが“神”を語るな!」


 神官長が手を振り上げた。


「供物にて神を汚した罪、並びに儀礼の規定に背いた不敬の行い。直ちに捕らえよ」


「えっ──」


 ミヤビが言葉を失った瞬間、白装束の神殿衛士が両側から駆け寄り、その両腕を乱暴に掴んだ。


「ちょ、ちょっと待って! 話せばわかります──!」


「黙れ!」


 神官長は顔を背けるように言い放った。


「この者は、即刻、神殿内の拘留室へ。祭典後、正式な裁定をもって処断される」


 石の床に足音が響き、ミヤビの姿はゆっくりと広間から連れ去られていく。


 祭壇の上には、まだ皿が置かれていた。


 包まれた小さな飯の束と、稲穂の飾り。


 誰の手にも触れられぬまま、静かに祈りのかたちを保っていた。


神官長の命により、ミヤビは白装束の衛士たちに連れられて広間を去っていった。


 叫ぶことも、抗うこともできなかった。


 ただ、何かを訴えるように──彼は最後まで、祭壇の上に置かれたあの皿を見つめていた。


 広間に重苦しい沈黙が流れる。


 主神官が小声で神官長に耳打ちする。


「……あの供物、いかがいたしましょう。儀礼に反している以上、処分を──」


 だが、神官長は厳しい口調で遮った。


「いや。供物はすでに“捧げられた”もの。

 たとえ異端のものであろうと、一度祭壇に置かれた供物は式が終わるまで神の御前より退けてはならぬ。

 それが、我らが神殿の掟である」


 主神官は目を伏せてうなずくと、静かに壇へ向き直った。


 ──こうして、祭壇の一角には、


 金銀の器にも宝石の皿にも交じらぬ、素朴な陶器の皿が一つだけ残された。


 それには、ただ小さく丁寧に包まれた飯の束が並び、


 その横に飾られた一束の稲穂が、秋の終わりを静かに物語っていた。


 誰も触れぬまま。誰も語らぬまま。


 だが、それは確かに──神の壇上にあった。


 そのまま、祭典は形式通りに閉会され、聖歌と祈祷の声だけが、最後まで堂内に響き渡った。


 式典が静かに閉会すると、祭壇のまわりでは神官たちが粛々と動き始めた。


 煌びやかな供物は、決められた手順に従い、慎重に片付けられていく。


 

 そして──


 問題の皿へと、ひとりの神官が手を伸ばした。


 陶器の上には、素朴な飯の束。


 それを包む柔らかな皮。そして添えられた一束の稲穂。


「まったく台無しだ……異端である。大祭が終わった今なら廃棄しても……」


 神官の手がその皿に触れかけた、まさにその時──


「──待て」


 その一言が、静寂を切り裂いた。


 すべての動きが止まった。


 神官たちが顔を上げ、視線の先を一斉に振り返る。


 堂の奥、重厚な緞帳がそっと開かれ、その間から現れたのは──


 深紅の衣をまとい、王家の紋章を胸に戴いた男。


 ひと目でわかる。


 誰もがその姿を見て、言葉を呑んだ。


 ──マニール王国国王、グスタフ・キア・マニール。


 この場の誰よりも静かに、そして確かな威厳をもって立つ、王その人であった。


「その供物に……触れるな」


 王の声音は低く穏やかだったが、拒める者はいなかった。


王の一言に、堂内の空気が凍りついた。


 神官も衛士も、ただ黙ってその場にひれ伏す。


 誰ひとり、王の言葉に異を唱える者はいなかった。


 グスタフ王は、ゆっくりと壇の階段を上り、


 いなりを乗せた皿の前に歩を進めた。


 金でも銀でもない。


 装飾もない、ただの陶器皿。


 王はその前で、静かに膝をついた。


 その姿に、広間全体が息を呑む。


 そして──


「……大地よ。我らに巡りを与えし神々よ。

 この食のかたちに宿る祈り、確かに見届けんことを──」


 王は両手を胸に組み、ゆっくりと祈りを捧げた。


 誰もがその行為の意味を理解できずにいた。


 だが、王は確かに、形式ではなく──祈りそのものに応えていた。


 祈りを終えると、王は立ち上がり、低く命じた。


「その皿──神の壇より下ろし、我が執務室へ運べ」


 ざわめきが走る。


「そして、この供物を捧げた料理人──

 捕らえられし者を、皿と共に余のもとへ連れて来い」


 王の瞳には、ただの供物を見る色はなかった。


 それは、**“意味を問う者の目”**だった。


石造りの廊下を抜け、重厚な扉の前で衛士が立ち止まった。


「──ここが、王の執務室だ」


 ミヤビは無言で頷くしかなかった。


 拘束こそ解かれていたが、まだ胸の奥には緊張が残っている。


「大罪人を連行いたしました」

 

扉が静かに開かれる。


 その部屋は、豪奢でありながら、どこか落ち着いた気配に包まれていた。


 書棚と地図、窓辺の観葉植物。


 そして中央の大机の上に──あの皿が、置かれていた。


 王は、机の前に一人立っていた。


 グスタフ・キア・マニール。


 深紅の法衣に金の縁取りを施した、威厳に満ちた王。だが、その目は──意外なほど穏やかだった。


「……よく来たな。恐れず顔を上げよ」


 ミヤビは戸惑いながらも、ゆっくりと視線を上げる。

「ミヤビ=リアン。ハワードからその名は聞いておる。夜会での料理は見事であった。

しかし、あれほどの腕を持つそなたがこの一皿。色々聞きたくての」


 王は皿に目をやり、静かに言った。


「これは……確かにそなたが、こしらえたものか?」


「……はい。わたしが作りました」


 声が自然と小さくなる。


 だが、王はその返答に対して叱責も咎めもしなかった。


 代わりに、一歩だけ皿に近づき、稲穂を指でそっと持ち上げると──


「この飾り……何か、意味があるのか?」


 静かに問われたその一言に、ミヤビの喉が鳴った。


「それは……収穫を、届けてくださった農家の方々が“今年も実りました”って……そう、教えてくれたんです。だから……これは、祈りの……かたちで……」


 最後の言葉は、わずかに震えていた。


 王は、それを聞いてもなお黙ったまま、皿の中の料理を見つめていた。


 まるで、何かを試すように。


 王は皿の前でしばし沈黙していた。


 やがて、後ろで控えていた神官長の方へ、ゆっくりと顔を向ける。


「──神官長よ」


「はっ」


「この供物……余が、食しても罰は当たらぬか?」


 一瞬、堂内にぴんと糸が張り詰めたような空気が走る。


 神官長は驚いたように眉を上げたが、すぐに深く一礼する。


「……大祭はすでに閉会しておりますゆえ、陛下のご判断に従います。ただし──」


 その声に、微かな棘が混じった。


「ただし陛下……このような素朴なものを、王の御膳に載せるなど……いささか、軽率ではございませぬかと……」


 その言葉が終わるよりも早く、王の声が低く、だが明確に割り込んだ。


「──黙れ」


 神官長がはっと息を呑む。


 王の瞳は、静かに怒りをたたえていた。


「供物の意味も見極めず、外形のみで真を測るとは……

 その不勉強と不信心、そなたの職掌にこそ、余は疑いを抱かざるを得ぬな」


 重い言葉が空気を打ち抜いた。


 神官長は顔を伏せ、返す言葉を失った。


 王は再び皿に向き直ると、手で一つ、飯を包んだ小さな束をそっと持ち上げる。


 それをじっと見つめ、口元に運ぶ。


 ──ひとくち。


 噛み締めた瞬間、静かな息が漏れた。


「……これは、やはり──」


 王のまなざしが、微かに揺れた。


 王は一つ目を口にし、ゆっくりと噛みしめた。


 続けて二つ目──そして三つ目へと手を伸ばす。


 ──静寂の中で、ただ咀嚼の音だけが響く。


 王の目元に、ふと光るものが現れた。


 それは、威厳に満ちた男の顔からこぼれた、一筋の涙だった。


「……これだ、これだ……」


 言葉が震えた。


「……ああ、懐かしい。……変わらんなぁ……」


 遠くを見つめるような声で、王は呟いた。


 神官長は目を見開き、言葉を失っていた。


 目の前で、王が“異端”とされた供物に、涙しているなど──信じられないという表情だった。


 その沈黙を破ったのは、再び王の声だった。


「……神官長」


「は、はっ」


「“ホーリーフォックス”という名……知っておろうな?」


 神官長は戸惑いながらも、慎重に頷いた。


「……は。名と、伝え聞く信仰の概略程度は……

 民間、特に地方で大地の神の使いとして、古くから崇められてきた存在と……」


 その答えを聞いた瞬間、王の声が低く、だが怒りを帯びて返る。


「──ならば、なぜこれが“わからん”?」


 その問いは、重く響いた。


 神官長は、返す言葉を探して口を開きかけ──だが、何も出てこなかった。


「余もこの一品の名前までは知らん。しかし最高位神官ならこれがホーリーフォックスへの代表的な供物だと分らんのか。そしてその意味も」


 王の声に、もはや怒りではない、静かな寂しさが混じっていた。


王はしばらくの間、手元の皿を見つめていた。


 やがて、ゆっくりと語り始める。


「……昔、余がまだ若かりし頃のことだ。

 戦で敗れ、名も立場も隠して逃げねばならぬ夜があった」


 神官長も、ミヤビも、息をのんで耳を傾ける。


「追っ手をかわし、命からがらたどり着いた小さな農村で、一人の老婆に助けられた。

 名も名乗らず、やせ細った姿のまま、茅葺の家の隅に寝かされた私に──その婆は、黙って皿を差し出した」


 王は、皿に視線を落とす。


「器の上には、小さな飯の束が並んでいた。

 握った米に、甘辛く煮た皮のようなものが被せられていてな……」


 ミヤビがはっと小さく息を呑む。


 王は静かに続けた。


「熱くもなければ、見栄えがするわけでもない。だが……そのひと口が、どれほど私の心を救ったか──」


 王は目を伏せ、ふっと微笑んだ。


「婆はこう言った。“これは、神さまに捧げる祈りの形です”。

 飾らず、嘘なく、ただ生きていくための糧を、感謝とともに包んだものだと」


 神官長は、何も言えなかった。


 目の前の王が、そんな過去を語るなど、思いも寄らぬことだったのだ。


「余は……この皿を見た瞬間に、あの夜を思い出した。

 神の祭壇に並ぶどんな金銀の皿より、この供物の方が、余には“まことの祈り”に思えた」


 王は静かに、もう一度皿の中の飯の束に手を伸ばす。


「味とは、形ではない。栄華でもない。

 生きる者の心に灯る“願い”──それこそが祈りであり、供物なのだと、あの時教えられた」


 神官長は、深く頭を垂れた。


 ミヤビはただ黙って、その姿を見つめていた。


 王は皿の前からゆっくりと振り返り、執務室内の全員に視線を向けた。


「……この供物に宿っていたのは、技巧でも格式でもない。

 ただひとつ“祈り”だ」


 その言葉に、誰も反論できなかった。


 神官長は、ただ深く頭を下げるしかなかった。


 王は一歩前に出ると、ミヤビに静かに告げる。


「ただ心にあるものを捧げたその姿勢──余はそれを誇りに思う。

 この供物は、本年の祭典において、最も尊き祈りの一皿とする」


 ミヤビは、まさかの言葉に目を見開いた。


 けれどその視線を受け止める王の顔は、どこまでもまっすぐだった。


「──料理人、ミヤビ=リアン。先の不敬罪の咎をここに取り消す。

 むしろ、国の名において賞賛と謝意を表す」


 ミヤビの膝が、わずかに崩れかけた。


 だが、かろうじて立ち続けた。


 王は続けて、神官長へと鋭く目を向ける。


「神殿において、形骸化した規律のみを信仰と呼ぶのなら──

 それはもはや、祈りを忘れた者たちの形式美でしかない」


 言葉は、刃だった。


 神官長は深々とひれ伏す。


「信仰は王都の民のものだけではない。全ての民のものである。……今後、奉納の意義と信仰の本質について、全神官に再教育を命ず。

 形を支配する者ではなく“意味を問い続ける者”としてあれ」


 そう告げた王の声には、深い怒りではなく、信念が込められていた。


 やがて、衛士が一歩前に出る。


「陛下、王宮厨房局に料理人の同伴者たちが外に控えております。いかがいたしましょうか」


 王は一瞬だけ微笑んだ。


「よかろう。戻してやれ──仲間の元へな」


 ミヤビは、初めて深く頭を下げた。


「……ありがとうございます。陛下」


 王の命により、ミヤビは衛士の先導で王の執務室から戻ってきた。


 扉の向こう──


「オーナー!」


 真っ先に声を上げたのはエーリだった。


 駆け寄ってきた彼女の顔には、安堵と怒りと喜びが混ざった複雑な表情が浮かんでいる。


「無事で……よかった……」


 その一言に、ミヤビは苦笑を返す。


「うん。いろいろあったけど、なんとか……」


 その後ろで控えていたアルトも、ひとつ頷いた。


 

 秋風が通り抜ける王宮の石階段。


 日差しは柔らかく、空は高く澄んでいた。


 大祭の喧騒はすでに遠のき、向こうに見える神殿の門は静けさを取り戻していた。


「……帰ろっか。ヴィンクルムに」


「はい!」


 エーリが力強く頷き、アルトも軽く頭を下げる。


 ミヤビは小さく深呼吸し、馬車に乗り城下へ下る。


 石畳の先には、いつもの城下町、そして──あの店が待っている。


 思えば、料理を通してここまで来た。


 料理が縁を結び、祈りとなり、そして……


(……料理は、誰かの心に届くんだ)


 そう思えた時、ミヤビの足取りは自然と軽くなっていた。





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次回「炊き出しの依頼」 ヴィンクルムに王国から孤児院での炊き出しの指名依頼。そこで出会う歌と院長先生。キッカケが動き出す。


26日(金)21:00更新 

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