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第13話 豊穣と祈り

初めての方は第1話「食堂の鳴らないピアノ」からお楽しみください

まだ朝の光が街路を柔らかく照らし始めた頃、城下町の中央通りには珍しく大きな屋根付きの馬車が止まっていた。

行政が孤児院への支援として特別に手配したもので、この日ばかりは関係者も便乗を許されていた。


「……わ、でっかい」


 エーリが思わずつぶやく。


 すでに乗り込んでいたミヤビが手を振ると、彼女は軽く小走りで駆け寄っていった。


 そのすぐ後ろから現れたのは──


「……っぷ」


 エーリは思わず吹き出した。


 つい先日まで紅茶を注いでいた黒の三つ揃いが嘘のように、今日のアルトは粗織の白シャツに生成りのズボン、腰には麻袋を巻いた即席エプロンという農作業仕様。いつもの手袋も外し、黒髪は後ろで一つに括られている。


「な、なんですかその格好……!」


 エーリが笑いを堪えながら指さすと、アルトは一瞬だけ眉をひそめたものの、涼しい顔で返す。


「農作業に臨む際は、服装から心を整えるべきでしょう。オーナーにも申し上げましたが」


 そして一歩近づくと、小さく息を吐き──


「……まったく、あなたとはウマが合いませんね」


「えっ、それ今!?」


 ミヤビが乗車中の馬に荷物を載せながら吹き出し、エーリは楽しそうに笑った。


馬車が出発してしばらくすると、車内は孤児院の子どもたちの声で賑わい始めた。


「ねえねえ、今日は何するの!?」


 無邪気に笑いながら群がってくる子どもたちに、アルトは明らかに困惑した表情を浮かべた。背筋は相変わらず真っすぐだが、視線が落ち着かない。


「……あまり、近寄らないように」


 言葉はややぎこちなく、エーリがくすりと笑う。


「アルトさんって、こども苦手なんですか?」


「……騒がしいのが、少々」


「ふーん……意外」


 ミヤビは笑いながら、子どもたちに配っていた小さな焼き菓子の籠をエーリに手渡した。


エーリが笑顔でそれを配りはじめると、子どもたちは歓声を上げてさらににぎやかになった。


 アルトはというと、窓際で黙って馬車の外を見つめていた。


 街を抜け、石畳がやがて土の道へと変わると、風景もゆっくりと変化していった。


 なだらかな丘が連なり、金色の麦畑が地平線まで波のように揺れている。


 その合間には小さなぶどう棚や、潤んだ緑の菜園、石造りの風車が点在し、鳥の群れが空を舞っていた。


 木漏れ日が揺れる並木道を抜け、川沿いに咲く野花を横目に、馬車はひたすら進む。


 時折、農民たちが笑顔で馬車に手を振ってくる。


 それを見て、エーリが窓のそばに寄り、そっとつぶやいた。


「……なんか、いいな。こういうの」


 ミヤビもまた、その景色に目を細めながら頷いた。


 そして、出発からおよそ二時間後──


 馬車は緩やかに速度を落とし、小さな丘の上に佇む石造りの建物へと近づいていく。


 その背後には、まるで絵画のような黄金の田園風景が広がっていた。


馬車が丘の頂に辿り着くと、建物の前で数人の農夫たちが待っていた。


 日焼けした顔に笑みを浮かべた彼らは、泥のついた手袋を外しながら歩み寄ってくる。


「おぉ、来てくれたんか。ありがとさん!」


「いやぁ、都会の店の人まで手伝いに来るとは……ありがてぇ、ありがてぇ」


 年配の農夫が満面の笑みで頭を下げ、それに続いて周囲の若い者たちも礼をした。


 ミヤビも慌てて頭を下げた。


「いえ、こちらこそ今日はお世話になります。少しでも手伝えたらと思って……」


「はは、そりゃ嬉しいこった! あんたがあの“ヴィンクルム”の店主かい? ウワサは聞いとるよ」


「え……あ、ありがとうございます……!」


 照れたように笑うミヤビの隣で、エーリがにこりと頭を下げる。


「こんにちは。……あの、稲刈り、よろしくお願いします」


「おお、孤児院の先生にしちゃ若けーな! 来てくれて助かるよ、子どもたちも喜んどるな」


 農夫の一人が声をかけると、後ろから別の馬車から降りた孤児院の子どもたちがわーっと走ってきた。


「エーリ姉ちゃんー!」「お兄ちゃんたちも来てるー!」


 エーリは嬉しそうに笑いながら、子どもたちに手を振る。


 そして、その隣に立つアルトに目をやった農夫が、ふと首をかしげた。


「……あんた、見かけによらず働けそうだな?」


「光栄です。……本日は作業員としてお役に立てれば」


 すっと頭を下げたアルトの表情は真剣そのものだったが、袖をまくった腕には慣れた動きが宿っていた。


「おお、頼もしいな! じゃあ、早速始めようか。稲が待っとる!」


 わっと子どもたちが先に走り出し、大人たちもそれに続く。


 黄金色に染まった田んぼの向こうに、秋風が吹いていた。


秋風が吹き抜ける田んぼの中で、刈り取り用の小鎌を手にした面々が、列をなして黄金色の稲穂に向き合っていた。


 ──しゃっ、しゃっ……しゃっ……


「……あれ? 案外、力いるかも……」


 ミヤビは額に汗を浮かべながら、ぎこちなく一本一本を刈り取っている。鎌の角度が定まらず、根元ではなく中ほどから折れてしまうこともしばしばだった。


「ぅわ、つかれた……これ、腰やばいやつ……」


 エーリもまた、しゃがんだ姿勢から立ち上がり、腰を軽く叩いている。普段の給仕とは使う筋肉が違うのか、すでに息が上がっていた。


 その隣では子どもたちが刈られた稲を紐で束ね、抱えて運んでいた。泥だらけになりながらも、みんな笑顔だ。


 ──ただひとり。


 黙々と、機械のような精度と速度で稲を刈り上げている男がいた。


 しゃっ、しゃっ、しゃっ──!


「……え、早っ!?」


 ミヤビが顔を上げると、アルトがすでに自分たちの3倍は刈り終えている列の先頭に立っていた。手の動きに一切の無駄がなく、稲がなだれのように倒れていく。


 見ていた農夫が、ぽかんと口を開けた。


「……なんだあの兄ちゃん……達人か?」


 その声に反応して、アルトがちらりとこちらを振り返った。


 額にはうっすらと汗。呼吸もわずかに荒く、肩が上下している。だが声はいつもの調子で落ち着いていた。


「……平常運転です」


 ひと呼吸置いて──


「……私に何か?」


 農夫は目を丸くし、ミヤビとエーリは顔を見合わせて吹き出した。


 午前の作業を終えると、農夫の一人が声を上げた。


「──ほい、いったん休憩にすっぞ! こっちで簡単なもんだけど、食ってってくれ!」


 日陰に設けられた藁敷きの上に、竹籠が並べられる。中には、炊きたてのごはんを握ったおにぎりが山のように積まれていた。


 丸く握られたそれは、塩だけで味付けされた素朴なものだったが、表面にはほんのりと艶があり、湯気が立ちのぼっている。


「……わ、いい匂い……!」


 エーリが思わず手を伸ばすと、隣の子どもが「それ、おばちゃんが朝から作ってくれたんだって」と嬉しげに言った。


 ミヤビもおにぎりを手に取り、そっと一口かじる。


 ──ほろりと崩れる米粒。


 口いっぱいに広がる甘みと、土の匂いが混じった空気が、妙に心に沁みた。


「これ……すごく美味しいです」


「そりゃよかった!」


 笑ったのは、年配の農夫だった。


 胡麻塩の髭をなでながら、腰を下ろして語りはじめる。


「この辺じゃな、昔から“米は神さまの恵み”だって言われとるんだ」


「神さまの……恵み?」


 ミヤビが聞き返すと、農夫はうなずいた。


「おう。都市じゃもう忘れられちまったが、わしらみたいな農家じゃな、いまでも

大地の神さまに、ささやかな“お供え”をするんじゃよ。たとえば……そうだな」


 そう言って、籠の隅に手を伸ばした農夫は、粗くひび割れた指で包みをそっと持ち上げた。

布をめくると、中から狐豆こまめを薄皮で揚げたようなものが現れる。薄金色の皮が光を受けてかすかに艶めき、指で押せば、じゅわりと煮汁がにじみ出す。

その香りは甘く、ほんのりと焦げの匂いを帯びて、秋の空気に溶けていった。


「これは“ホーリーフォックス”に捧げるやつ。神さまの使い──聖なる狐に喜ばれるって言われとる。わしらはそれを“祈りの形”だと思っとる。都会じゃ知らない人も多いがの」


「……ホーリーフォックス……」


 ミヤビがぽつりと繰り返した。


 その響きに、心がわずかに揺れた。


 ──あの夜、歌声の中で心に浮かんだ情景と料理は、まだ形の定まらない“輪郭”だけだった。

 陽射しに照らされた田畑、収穫を祝う人々の笑み、その手に包まれた温かな何か。

 そして、甘い煮汁の匂いと指先に伝わる柔らかさ。

 今、目の前のそれから立ちのぼる香りが、その輪郭にそっと色を差し込み始める。

 まだ答えは見えない。けれど、その温もりは確かに“あの時”と同じものだった。


 農作業を終えた人々は、ひとまず道具を片付け、休憩の竹籠を手に丘を下りていく。


「……今日は助かったよ。これだけ手があれば、明日の分も進んだくらいだ」


 農夫が笑いながら言うと、ミヤビはやや恐縮したように頭を下げた。


「いえ……こちらこそ、いろんなお話が聞けて……」


  その背中で、エーリが子どもたちに囲まれながら、にぎやかな声を受け止めていた。

「えーもう帰るのぉ、もっと遊びたーい」


「じゃあ、帰ったらお菓子食べよ!」


「えー、ほんとに? なに持ってきてるの?」.


「ふふ、秘密。でも甘いやつだよ。ね、オーナー?」


「えっ、あ……うん、任せて!」


 慌てて答えるミヤビに、子どもたちの笑い声が弾けた。


 少し離れたところでは、アルトが黙々と作業道具の点検をしていた。あれだけ動いたはずなのに、身だしなみはほとんど乱れていない。


「……あの人、ほんとに何者なんだろ」


 エーリがぽつりとつぶやくと、ミヤビも思わず苦笑する。


「考え出すと眠れなくなるよ」


 農夫たちに丁寧に挨拶を済ませ、三人は再び馬車に乗り込んだ。


 帰り道、馬車の揺れに身を任せながら、ミヤビは小さな窓の外をぼんやりと眺めていた。


 秋の風がすすきを揺らし、遠くには刈り取りを終えた田んぼが黄金から土色へと変わっていた。


 その奥に見えたのは、小さな祠と、手入れの行き届いた小道。


 ──祈りって、こんなふうに生きてるんだ。


 そう思った瞬間、胸の奥で何かがふと、形を持ち始めた。


 けれどそれが何なのか、まだ自分でもうまく言葉にできなかった。


 その隣で、エーリは疲れたのか、膝に頭を乗せてすやすやと眠っていた。


 アルトはというと、道中に拾ったらしい野草の束を見つめていた。


 やがて夕暮れの街が見えてくると、馬車は城下町の石畳へと戻ってきた。


 ──ヴィンクルムの灯りが、もうすぐそこにある。


それから数日が過ぎた。


 秋の風が日に日に冷たさを増し、城下町の空気もどこか張り詰めたものへと変わっていった。


 ヴィンクルムの扉の前には、珍しく朝から荷車が用意されている。魔道具の詰まった木箱や、食材の詰まった樽、きっちりと包まれた細長い包み──その全てが、ひとつの目的地を目指していた。


「……じゃあ、行きましょうか。神殿へ」


 ミヤビが深呼吸してそう呟いたとき、エーリが真新しい正装姿で隣に立っていた。


「今日の、あの神官……怒らなきゃいいけどね」


 冗談めかして笑うと、後ろで荷物を整えていたアルトが冷静に返す。


「神殿内での言動は慎重にお願いします。万一、不敬にあたれば処罰対象となります」


「う、うん……肝に銘じます」


 そして三人は、城下町を抜けて中央大通りへと進む。


 その先にそびえるのは、マニール王国最大の宗教施設──中央大聖堂。


 石造りの巨大な柱と、白金色に輝くドーム屋根。三神の紋章が刻まれたその扉が、今日、ミヤビたちを迎え入れようとしていた。


 控室の扉の前まで来たときだった。


 ふと、後ろから低く落ち着いた声が響いた。


「……見覚えのある後ろ姿だと思ったら、やはり君か」


 ミヤビが振り返ると、白の厨房服に黒の上掛けを羽織った長身の男が立っていた。


 整えられた髭に、知性を湛えた眼差し──王宮厨房を束ねる料理長、ハワード・グランツだった。


「グランツさん……!」


 ミヤビは驚きつつも一礼した。


「ご無沙汰しています。あのときは──」


「夜会の日のことなら、忘れようにも忘れられないよ」


 ハワードは小さく笑みを浮かべた。


 ハワードはミヤビの肩に軽く手を置き、まっすぐに目を見た。


「今日は君が主役の一人だ。胸を張って、堂々とやってくれ。王宮の厨房も、君の料理に注目している」


「……ありがとうございます!」


 ミヤビは深く一礼し、その背を見送った。


 その様子を見ていたエーリが、隣でぽそっと言う。


「……なんか、いいですね。ああいう大人、憧れるかも」


「ええ。王宮料理長、ハワード・グランツ。料理界最高権威の“名誉鋼鉄杓文字”の保持者でもあります」


 アルトが即座に解説し、ミヤビが苦笑した。


控室の扉が、静かにノックされた。


「お時間です。祭典の準備が整いました」


 低く通る声に、三人が振り返る。


 そこに立っていたのは、白金の装束に身を包んだ神官だった。額に巻かれた刺繍入りの鉢巻には、トリニア教の三神を象徴する紋が淡く浮かんでいる。


「御案内いたします。静粛にお進みください」


 神官の背に続くように、ミヤビたちは廊下へと出た。


 石造りの通路にはステンドグラスの光が差し込み、足元には赤い絨毯が敷かれている。壁には荘厳な三神の壁画と、黄金のリリーフが並び、重々しい空気が満ちていた。


 エーリが思わず小声でつぶやく。


「……空気、ぴりぴりしてる」


「神殿内です。息遣いひとつにも意味が問われる場所ですから」


 アルトが低く返す。だがその表情は、どこか引き締まっていた。


 ミヤビはというと、肩に力が入りすぎないよう、そっと息を吐いた。


 胸元には、エーリが折った小さな紙の花──子どもたちからの手紙が仕込まれている。


 ──大丈夫。背負っているものは、大きくても。


 長い回廊を抜けると、やがて前方に高く広がる扉が現れた。


 その向こうには、奉納の祭典が待っている。


重々しい扉の前で、神官の一人が立ち止まり、振り返った。


「料理奉納の方は、こちらへ。演目が進行次第、順を追ってご案内いたします」


「……はい」


 ミヤビは深く頭を下げ、他の二人と別れて指定された部屋へと入った。


 その部屋は、聖堂の中でも特に静かな一角にあり、まるで呼吸の音さえ反響しそうなほどの静寂に包まれていた。


 厚い石壁、飾り気のない机、魔道具用の炉。隅には魔力封入型の保温箱と、簡易な調理台も備えられている。


 料理人としての準備はすでに整えてきた。


 あとは──呼ばれるまで待つだけだった。


 ミヤビはゆっくりと腰を下ろし、両手を膝の上に置いた。


 深呼吸を一つ、二つ。けれど、心のざわめきは消えない。


(……たった一皿。でも、その一皿に、何を込められるかで、僕の全部が問われる)


 静かに目を閉じると、遠くから響く式典の音が、ほんのかすかに聞こえてきた。


 ──祈りとは、かたちなのか。思いなのか。


 あの農夫が言っていた「祈りの形」。


 あの時、僕の中に芽生えたものは──


 やがて、扉の外から小さな声が届く。


「料理奉納者ミヤビ=リアン様、まもなくご案内いたします」


 ミヤビはゆっくりと立ち上がり、上着の袖をまくった。


扉が、静かに開かれた。


 聖域と呼ばれる広間は、張り詰めた沈黙に包まれていた。


 壇上には、今年の奉納品がずらりと並んでいる。


 細工細工の果物、宝石を埋め込まれた陶器、香の匂いを含ませた砂糖の彫刻──


 どれもが“料理のかたち”をした象徴的な供物にすぎなかった。


 ──ただし、ひとつだけ。


 大祭では、実際に食すことができる供物が、一名に限って許されている。


 その者こそが、いま扉の奥から現れる。


「今年の神前奉納者ミヤビ=リアン──進まれよ」


 神官の声が堂内に響き、無数の視線が集まる。


 ミヤビは、静かに器を両手で抱き、まっすぐに壇へと歩を進めた。


皿の中の温もりが手のひらに伝わるたび、丘の上で笑っていた農夫の顔、夕日に輝く黄金のような稲が脳裏をよぎる。


背筋を正し、足元の石床に一歩ずつ音を刻む。


列席者たちの衣擦れの音も、外から差し込む光も、すべてが遠のき、ただ壇上までの道だけが目の前に延びていた。

今年の大祭の主役。奉納料理がいま祭壇に捧げられる。


 が、それは、質素なたいして大きくもない陶器の皿だった。

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次回「祈りのカタチ」 神への献立に王は語る




23日(火)21:00更新 


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