第12話 神への献立
初めての方は1話「食堂の鳴らないピアノ」からお楽しみください
ミヤビの足元の魔法陣が、わずかに光を帯びた。
「大祭にて、ひとつの献立を編みなさい。
大地神ガルシアへ、祈りとなりうる料理を──」
レマル神官がそう告げた瞬間、
ミヤビの中に、ふと一つのレシピの“ひらめき”が走った。
それは、彼自身が知らない──けれど確かに“どこかで知っていた”味の記憶。
「なんで……こんな、レシピが……」
その動揺をよそに、隣のエーリがそっと目を閉じてつぶやく。
「……オーナー。あたし、少しだけ歌ってもいいですか?」
「え? ここで……?」
あまりに唐突な申し出に、ミヤビは思わず目を瞬かせた。
神殿の静謐さと、この場の荘厳さが頭をよぎり、即答をためらう。
「昨日からの『誰か』に返事をしなきゃいけない気がして。たぶん『歌』で」
エーリの瞳はまっすぐで、冗談や気まぐれではないとすぐにわかった。
「……ああ。いいよ」
短くうなずくと、エーリは一歩、三柱の中央へ進み出た。
高い天窓から差し込む光が、彼女の肩や髪にやわらかな輪郭を描く。
胸の前で両手をそっと重ね、ひとつ深く息を吸い込むと──神殿の空気が、まるで彼女の呼吸に合わせるように静まり返った。
やがて、その唇が開く。
最初の音は小さく、けれど確かに三柱の間に放たれ、白い石壁を滑るように広がっていった。
旋律が、消えた。
歌い終えたエーリが、そっと目を開けた。
その瞳には、まだ微かに“光の余韻”が残っているように見えた。
彼女は自分の胸に手を当てて、小さく息を吐いた。
「……あたし、ほんとに……歌っちゃった……」
その呟きは、後悔でも驚きでもない。
ただ、何かと向き合ったことを実感した、静かな実感だった。
ミヤビはその姿を見つめながら、どこか遠くを見ていた。
脳裏に浮かんでいたのは、情景と料理の“輪郭”だった。
炊きたての米の香り。
甘辛く煮含めた狐豆の薄皮揚げは、指でつまむと表面がほろりと崩れ、中からふくよかな香りが立ち上る。
手のひらで包まれる、あたたかく、やわらかな何か。
農民の営み。喝采と収穫。
けれど、それが“何”なのかはまだはっきりしない。
ただ、その味が“何かを癒す”ことだけは──確かにわかっていた。
神殿から出た時、三人の背後では再び重たい扉が閉まった。
レマル神官の表情は読めなかったが、言葉少なに礼を述べたあと、儀式の間には戻らず、奥へと消えていった。
「……怒ってた、よね……」
エーリがぽつりと言う。
「まあ、僕が神官だったとしても……怒ってたかもな……」
ミヤビが苦笑気味に返す。
アルトは何も言わなかった。ただ、いつも通り静かに歩きながら、周囲の様子をさりげなく見渡していた。
神殿の中庭を抜け、参道へと向かう途中、三人はひとつの建造物の前で足を止めた。
大聖堂の側面に並ぶ、巨大な石柱。その奥に、空へと突き出した**鐘楼**がそびえていた。
だがその鐘は、音を奏でることなく、長い沈黙を保っていた。
「それは“鳴らぬ鐘”です」
声をかけてきたのは、先導役を務めていた若い神官だった。
「“封じられしカリオン”。……三柱が揃わぬとき、この鐘は響かぬ、と伝えられています」
「鐘が、三柱と関係あるの?」
「この塔はかつて、音楽と祈りの象徴として扱われていました。
中には、古代の“音律魔導”で構成された機構があるそうですが……誰も鳴らし方を知らぬまま、長らく封印されております」
ミヤビは塔を見上げた。
塔の天辺には、数十の鐘が吊るされていた。
それらは風に揺れてはいたが、ひとつとして音を立ててはいない。
「……ずっと、黙ったままなんだ」
エーリがぽつりとつぶやく。
「まるで……誰かを待ってるみたいに」
⸻
そのすぐ傍には、年季の入ったパイプオルガンの祠堂があった。
木製の外装には彫刻が施されており、鍵盤の数はおそらく百を超えていた。
だが、埃をかぶり、今は奏者の姿もない。
「これも古代のもの?」
「はい。中央大聖堂で使われていた“神殿用オルガン”。
特別な祭儀でのみ演奏されていましたが、いまや奏者もなく、沈黙のままです」
その言葉に、ミヤビはほんの一瞬、胸の奥がざわついた。
──まるで、何かが音を欲している。
⸻
「……さ、帰ろっか」
ミヤビの言葉に、エーリはこくんとうなずいた。
アルトは先に歩き出し、何も言わず三人の前を静かに進んでいく。
神殿の石畳をあとにして、彼らは再び、ヴィンクルムへと帰っていった。
まだ確信もないまま。
ただ、何かがゆっくりと、動き始めているのを──肌で感じながら。
神殿前の石畳に、黒い馬車の車輪が静かに回る。
昼下がりの王都は、人と神の祭の準備でさらに活気を帯びていた。
三人は馬車に乗り込み、重い扉が閉じられると、しばし静寂に包まれた。
──その静けさは、さっきまでとは違う。
神殿での緊張、三柱の神像、祈りの歌、そして謎めいた鐘楼とオルガンの存在。
すべてが頭の中で絡まり合い、言葉にできないまま沈殿していた。
しばらくして、ミヤビがふと口を開く。
「……アルトさんさ、なんか今日ずっと静かじゃなかった?」
その声に、向かいの席で目を閉じていたアルトが、薄く片目を開ける。
「そうでしょうか」
「いや、そうでしょうよ。ていうか、神殿でもユリシウスさんの前でも、やけにおとなしかったっていうか……」
「オーナー。わたくしは常におとなしい方ですよ」
あくまで淡々と返すその口調に、ミヤビは苦笑する。
「はいはい、ごまかし上手め……」
その隣でエーリも、くすっと笑った。
けれど──その笑顔の奥に、まだどこか緊張の名残があった。
⸻
沈黙が戻る。
ただ、馬車の車輪が石畳を叩く音だけが、一定のリズムで響き続けた。
それは、妙に心を落ち着ける音だった。
⸻
やがて馬車は、王都の外れ──馴染み深い路地へと入っていく。
遠くから漂ってくる市場の匂い。パンの焼ける香り。商人たちの呼び声。
それらが、彼らをいつもの日常へと引き戻していく。
「……あ、戻ってきた」
エーリが車窓から身を乗り出すようにして言った。
見慣れた看板。木の扉。魔石のランタン。
──そう、“ヴィンクルム”がそこにあった。
扉のガラス越しに、積み上げられた空の食器と、板のようなピアノの筐体が見える。
ただいま、と言わずとも、すべてがそこにある気がした。
⸻
「……さ、着いたわけですし」
アルトが扉を開け、手袋のまま静かに一礼する。
「オーナー、あとは次回の大祭まで、静かに過ごすことをおすすめします。
……不必要に神官と接触しないように」
「はは……もうちょっと平和でいたいから、従いますよ……」
そう返しながら、ミヤビは自分の手を見つめた。
あの神殿で感じた、何かを包む感触──
まだ、指先に残っていた。
朝の光が、店内のテーブルを柔らかく照らしていた。
ヴィンクルムはまだ開店前。魔石のランタンは一部だけが灯っており、奥の調理場からは出汁の湯気が立ちのぼっている。
ミヤビはカウンターでメニュー札の修正をしていた。
昨夜遅くまで考え込んでいたせいで、まだ少し眠たげな顔をしている。
その隣でエーリが、椅子に膝を乗せたまま、不器用に布巾でカップを拭いていた。
「……ねえオーナー、昨日の神殿のことなんですけど」
「うん?」
「やっぱり、神官さんが不機嫌だったの……あたしが歌ったせいかなって、ちょっと思ってて……」
ミヤビは手を止め、エーリの顔を見た。
「いや、それはないよ。あの歌があったから、ぼく……少しだけだけど、“見えた”んだ。献立の、輪郭みたいなものが」
「輪郭?」
「うん、具体的な料理名とか材料じゃなくて……もっと、手ざわりというか、情景というか……」
ミヤビは肩越しに、店の隅に置かれたピアノへ視線を向けた。
光を反射した黒い筐体が、まだ静かに沈黙している。
「昨日、あの場で歌が流れてたとき──まるで何かが呼びかけてるみたいだった。
それで……ひとつだけ、浮かんだんだ。小さくて、素朴で……でも温かい。そんな料理のかたち」
「それって……」
エーリが続けようとしたその時、奥の棚から白い手袋をつけたアルトが現れた。
「おはようございます、お二人とも。厨房の在庫確認、終わりました。水はまだ控えめに使った方が良さそうです」
「うん。ありがとう、アルトさん。……って、アルトさん」
ミヤビが少し声を潜めて続ける。
「やっぱり無口じゃない?神殿でも全然しゃべってなかったし、馬車の中もほとんど無言だったし」
「それは……」
アルトは言いかけて、すぐに少し笑ってみせた。
「……神々の御前では、なるべく言葉を慎むべきかと思いまして」
「またはぐらかしてるー」
ミヤビが苦笑し、エーリもわざとらしく目を細めてアルトを見上げた。
「……まあでも、なんか、わかる気がする。
あそこって、“しゃべっちゃいけない気がする空気”だったよね」
「ええ、まさにそういう場所です」
アルトの口調は淡々としていたが、その奥には何か別の想いが潜んでいるようにも聞こえた。
⸻
やがて、店の前を通る人の声が増え始める。
今日も、城下町は忙しい。
けれど、ミヤビの胸の奥では、まだ昨日の“味の像”が小さく息をしていた。
その夜、ヴィンクルムの店内には静寂が満ちていた。
カウンターの片隅で帳簿を見ていたミヤビは、ため息混じりにペンを置いた。
神殿での一件がずっと頭から離れない。料理の“形”は見えたはずなのに、何かがまだ、引っかかっていた。
そんな時──
「チリン」
扉の鈴が、控えめに音を立てた。
「いらっしゃ──」
声をかけかけて、ミヤビは見知った姿に気づく。
くたびれた旅装束、小柄な体格、赤銅色の髪と立派な髭──
「……ガルさん」
「よう、坊主。店じまいか?」
「片付けの途中ですよ。座っていきますか?」
「ふふ、遠慮せん」
ガル爺は勝手知った様子でカウンターに腰掛けた。
手には見慣れた米の酒瓶。すでに軽く呑んできたらしい。
「献立か……まだ悩んでるような顔だな」
ミヤビは苦笑しながら、湯呑に酒を注いだ。
「まあ……。神殿でのこと、まだ整理できてなくて。」
「なるほどな」
ガル爺は一口すすると、酒の熱に目を細める。
「で、“陛下”は、見たか?」
「……はい。はじめてみました」
「どうだった?」
ガルの問いは、何気ないようで、どこか試すようでもあった。
ミヤビは少し迷ってから、素直に答えた。
「……思っていたよりも、ずっと静かで、澄んだ目をされてました。
なんというか、見透かされてるような……でも、怖くはなくて」
「ふむ。良い目をしていたか」
そう呟くと、ガルは少しだけ声を落として言った。
「陛下なぞ、昔はただの短気坊やじゃったわい」
「……え?」
「気に入らんと見るや、家臣を叱り飛ばすわ、茶をぶちまけるわ……まあ、威張るだけは威張っておった」
ガルは鼻で笑う。
「だが、ある頃を境に──少しは人の顔になった」
「……何か、あったんでしょうか」
問いに、ガルは答えなかった。ただ、ほんの僅かだけ笑って、湯呑を傾ける。
「人が変わるときってのはな、大抵、誰かとの出会いか、あるいは何かの“恵み”に救われた時じゃ」
「“恵み”……」
「忘れるなよ、坊主。
料理も、歌も、誰かの心に届けば──それは神に通ずる“祈り”になる」
その言葉に、ミヤビはしばらく黙っていた。
やがて、ようやく少しだけ肩の力が抜けたように、笑って言った。
「……ありがとうございます。今夜は、少し眠れそうです」
「ふむ」
立ち上がったガル爺は、ランタンの灯りに背を向けて歩き出す。
その背に、ミヤビが声をかけた。
「……また来てくださいね」
「ん。期待しておるぞ」
「はい?」
「なんでもないわい」
扉の外で風が鳴り、老人の影が夜に溶けていった。
「ん、なんでガルさん神殿のこと知ってたんだろう。話してなかったのに……陛下の事もやたら詳しいなぁ。」
ミヤビは少し気になったがやはり献立のことで頭がいっぱいのせいか気に留めることはなかった。
夜も更け、店は閉店の支度を終えていた。
ランタンの灯りがぽうっとゆらめき、厨房の片隅でミヤビが腕を組んでいる。
献立の構想は見えてきた。けれど、確信が持てなかった。
形が朧げすぎて──それが本当に“奉納”に相応しいものか、わからない。
「……なんか、足りない気がするんだよな……」
ぽつりと漏らしたその声に、後ろから静かな返答が返ってきた。
「オーナー。明日の店休日、お時間は取れますか?」
顔を上げると、帳簿を閉じたアルトが、黒手袋を外しながら立っていた。
「ん? 買い出しは午後でいいから……なんとかなるけど」
ミヤビが小首を傾げると、アルトは少し声を落とした。
「明日、郊外の農家へ向かいませんか。
祈りの料理の源流は、やはり“土”にあるはずです」
その言葉に、ミヤビの目がわずかに見開かれる。
「……ああ、なるほど。市場じゃなくて、もっと“根っこ”に近い場所ってことか」
「はい。供物とは、本来“収穫”の感謝でもあります。土と向き合った方が、見えるものがあるかもしれません」
そこへ、ホールの椅子を拭いていたエーリが顔を出す。
「農家? 行くんですか?」
「うん。ちょっと料理のヒントを探しに行こうかと思ってて」
そう答えると、エーリは「……あっ」と小さく声を上げた。
「だったら、わたし達と一緒に行きませんか?
明日、孤児院のお手伝いで稲刈りに行く予定だったんです。郊外の農家に」
ミヤビとアルトが顔を見合わせる。
「え、ほんと? それってどこ?」
「たしか……王都の南の方にある、“ルグランさん”って農家です。おばあちゃんが優しいの」
アルトがうなずいた。
「……偶然ですね。私が連絡を取ろうとしていた農家も、そこです」
「えっ、ほんとに?」
「はい。トリニア教の信仰にも理解が深く、素朴な食材を多く扱っています。ちょうど良いと思いまして」
ミヤビは思わず微笑んだ。
「じゃあ、決まりだね。明日はみんなで行こう。
料理の種、見つけに行こうか」
夜風が窓を揺らし、ランタンの灯りがほんの少し揺れた。
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次回「豊穣と祈り」 ミヤビ稲を刈る
20日(火)21:00更新




