未来は少し変えられるかも知れない
まだまだなんだから。
そう、私はこんなものじゃない。
本気を出せば、こんなものじゃない。
本気にさえなれば、こんなものじゃない。
そんな言葉を信条にして、生きてきた。
兄と姉がいる。
私は、いつもどこか惨めだった。
彼らには、きっと分からなかっただろう。
月日が流れれば流れるほど、
その思いは、なぜか強くなっていった。
そして不思議なことに――
楽しかったはずの思い出が、少しずつ抜け落ちていった。
10年、20年と経つうちに、
嫌だった記憶ばかりが鮮明に蘇る。
笑っていたはずの場面は、すっかり霞んでしまうのに。
それに気づいたのは、ある年の同窓会だった。
久しぶりなんだからと、旧友に誘われ、
一度だけ、参加したことがある。
「どうやって私の連絡先を?」と尋ねると、
地元に残った友人と、私の兄がすっかり飲み仲間らしい。
――そんなわけで、個人情報はダダ漏れだった。
懐かしさに負けて、子ども時代を思い出してみたくなり、
私は参加を決めた。
驚いた。
こんなにも人は変わるものかと。
知らないおじさん、おばさんの集まりに呆然としていると、
「おい、〇〇〜!こっち来て飲めやぁ〜!」
と叫ぶ声が飛んできた。
それが、当時“天使”とまで呼ばれていたMさんだった。
座っているだけで周囲を癒していたあのMさんは、
今やパイプ椅子に嫌われるほどふくよかになっていて、
どこから持ち込んだのか、ソファでしか座れない様子だった。
男連中の顔と名前が一致したのは数人だけ。
あとは、もうほとんど知らない集団だった。
まぁ、それはそれで――「二度目はないな」と思いつつ、
せめて教師にだけは頭を下げておいた。
できる私、ってやつだ。
同窓会が終わった翌日、何年かぶりに兄に会った。
特に話すこともなかったけれど、
娘を連れていたので、しぶしぶ会話する羽目に。
私の子どもの頃の話を聞きたがる娘に応える形で、
兄がいろいろと語り始めた。
「ああ、そんなこともあったな」
「そうそう、それもあったね」
思い出すたび、少しずつ景色が戻ってくる。
そして、ふと思い出した。
私は、兄も姉も――大好きだった、あの頃のことを。
いつも二人の後ろをついて回っていた。
そんな記憶すら、いつの間にか忘れていたのだ。
それもこれも、この人たちがあまりに自由すぎたからだ。
誰に遠慮するでもなく、周囲に迷惑をかけながら生きてきて、
年齢だけ重ねて、「今は良いおじさん」ってか。
納得はできない。
でも、兄なりに思うところもあったのだろう。
結局のところ、元をただせば――
すべて親の教育の問題なのかもしれない。
そう思えば、この人たちもある意味では「被害者」なのだ。
…なんて、そんなふうに考えられるくらいには、
私も歳をとったということだろう。
過去は変えられない。
当たり前だけれど、それでも変わってほしかったと願ってしまう。
だけど――
未来は、少し変えられるかもしれない。