7話 朝のじゃれ合い
「タマ! いい加減に菊に化けるのはやめるのです!」
「それはこっちのセリフなのです!」
騒がしい二人の菊の声に起こされて、僕は微睡みから目を覚ました。
むぐぐ、とお互いを睨み合うその姿は、なぜか二人とも菊の姿をしていた。その声から察するに、どうやらタマが化けて悪戯をしているようだ。
そういや、猫又って悪戯好きなんだっけ。
ふと昨日のうちに調べておいた妖怪の知識を思い出して、僕は苦笑をこぼしながら布団からゆっくりと起き上がった。
「……タマも化けられるんだね」
「いちおう、腐っても猫又なのです。これくらいは容易いのですよ」
菊は苦々しい表情でそう言って、その右隣ではもう一人の菊が呆れた様子で口を開く。
「自画自賛とは、よく言えるのです」
「まあまあ……あんまり騒ぐとバレちゃうよ?」
ひとまず落ち着かせようとすると、左側の菊が「いえ」と首を振った。
「陽太の心配は無用なのです。よほど力を使い過ぎない限り、変化が解けることはないのですよ。……まあ、菊に化けているタマはどうか知らないのですが」
「でも、菊も姿を大きく見せるぐらいはしているのです。だから、お互いに力の消耗はしてるのですよ」
「ああ、確かに……」
それにしても、タマの変化が上手い。
外見はもちろんだが、声も口調もまったく同じとは。
「ただ、消耗は菊のほうが少ないのです」
「とはいえ、おそらく変化が解けるのは菊のほうが先なのです。菊はまだ、妖怪としては若いほうなので……」
菊が落ち込んだように俯いて、僕は「えっ」と声を上げた。
「そうなの? てっきりタマのほうが最近なのかと思ってたよ」
「はい、そうなのです」
左側の菊が少し口角を上げ、大して右側の菊は悔しそうにむっと頬を膨らませている。
……あ、左側がタマか。
二人の表情の違いで正体を見破ったものの、なんとなく面白そうなので、僕はこのまま会話を見守ってみることにした。
「本当にそうなのですよ、陽太。タマがいつから妖怪になっているのか、それを知っているのは稲荷さまか、もっと古くから存在する大御所のかただけなのです」
「へー、長生きなんだねぇ」
なんて言うと、年寄り扱いされるのが嫌なのだろう、タマは一瞬だけ顔をしかめた。
菊がそれに目ざとく気付き、僕に訴えてくる。
「あっ、今顔をしかめたのがタマなのです! 本物の菊はこっちなのですよ!」
「そんなことないのです! 必死になってるほうが怪しいのですよ!」
僕には二人とも必死な顔に見えるけどね。
そろそろ正解を当てようかと思っていると、僕が察したことに気付いたらしいタマが市松人形に変化した。
「あっ、もう変化が解けちゃったのです……」
「菊の変化はここまで早く解けないのです! 陽太! どっちが本物の菊か、もうわかるのですよね⁉︎」
ポンッとこちらもタマに対抗して変化を解き、市松人形の姿で迫ってくる。
そんな菊の後ろでは、タマが意地の悪い笑みを浮かべていた。
「まあわかるけど……でも、菊は変化解いちゃってよかったの?」
「あ……」
しまった、という顔をする菊。
あ、やっぱりダメなんだ……と呆れる僕だったが、今の菊は市松人形に戻ってしまい姿を隠せていない。つまり、誰にでも菊が動いているところを視認できてしまうのである。
「だ、ダメニャ! 菊、早く姿を隠すのニャ!」
よほど焦ったのだろう、タマまで変化を解いて菊に訴える。
「そう言うタマまで変化を解いてどうするのです!」
「菊に言われたくないニャ! いいから早く──」
ひたすらに焦る二人の言い合いが布団の敷かれたままのリビングに響いた。
しかし今の二人は姿を隠していない。
だから、本来は僕以外に聞こえないその声は、正しくリビングから台所へと流れている。
「ちょっ、二人とも声を抑えないと──」
僕の声もすぐにかき消えてしまった。
騒ぎを聞きつけた誰かが、リビングと台所を繋ぐ扉を開けたのだ。
「陽太、さっきから誰と話しとるの? お客さん?」
ガラリと音を立てて入ってきたのは、台所で朝食を作っていた婆ちゃんだ。
僕が止める声も届かず、婆ちゃんはリビングへと踏み入ってくる。
マズい、どうしよう! 妖怪のことがバレたら、大変なことになっちゃう……!
「ありゃ、誰もおらんねぇ?」
「え?」
そんなはずは、と思って振り向くと。
そこには、猫の振りをするタマとただの市松人形の振りをする菊の姿があった。
……いや、そんな暇があったんなら隠れられたでしょ⁉︎
僕はそう叫びたくなるのをこらえ、代わりに呆れた視線を二人に向ける。婆ちゃんは「タマ。あんた、どっから入ってきたの」と話しかけながら、毛づくろいしていたタマをそっと抱き上げた。
「うニャ!」
「こらこら、暴れない。……ありゃ、お利口さんだねぇ」
よしよし、とすぐに大人しくなったタマの頭を撫でる婆ちゃん。
まあ、その猫、妖怪だからね……。
「にしても、なんでこんなとこに市松人形が……今度お寺さんで供養してもらおうかねぇ……」
「────」
まさかの菊、お寺行き⁉︎
菊は心なしか冷や汗をかき始め、少し表情も変わっている。婆ちゃんに抱かれているタマも目を丸くして硬直した。
「ところで陽太。さっきこの子たち、なんか喋ってなかったかい?」
「……っ!」
やっぱりバレてたんだ!
どうしようどうしよう、なんて誤魔化したらいいんだ⁉︎