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6話 稲荷さまの忠告

 セミの大合唱が響く稲荷神社。

 僕は流れてくる汗を拭いながら、三人で木漏れ日の下を歩く。

 小さな石段を上がって灯篭の横を通り抜けると、目の前に稲荷神社の本殿があった。なんだか気温が少し下がったような感覚を覚えながら、お賽銭を出して菊やタマと一緒にお参りをする。


「稲荷さまー、陽太が妖怪を見ちゃったのです!」

「ニャーも見られたニャ! どうするニャー⁉︎」


 菊とタマが口々に言い、稲荷さまを呼んだ。

 僕はその横で、『どうか二人を許してあげてください』と心の中で願う。その声が届いたのだろうか。稲荷神社に突風が吹いて砂が舞い、僕はぎゅっと目を瞑った。


「──そう慌てなくても、妾は怒らぬ。お主も顔を見せてみよ」

「えっ、はい……」


 その柔らかな声音に従い、僕はおそるおそる顔を上げて息を呑む。

 梅の花に彩られた着物に袖を通した妖艶な女性が、そっと僕の頬を撫でた。菊と同じ赤い着物なのに、感じる印象はまったく違う。

 現実離れした美貌。頭頂部の狐耳とふかふかの黄色い尻尾。

 彼女の赤い瞳に見つめられて、僕は身動きが取れなくなった。


「ふむ……本当に見えておるな。昔はそれなりにおったが、今の時代には珍しいのう」

「あ、あのっ!」


 くかかっと笑った稲荷さまに、菊が意を決したように声を上げた。

 僕のことをお願いするのはすぐにわかったのに、何も言えないのが歯がゆい。タマも不安そうに猫耳をピクリと動かして、稲荷さまを見つめている。


「む? ああ、心配無用じゃ、菊よ」

「え……?」


 やけにあっさりとした稲荷さまの言葉に、僕と菊の声が重なる。

 思わず口をポカンと開け、菊と顔を見合わせた。


「なんじゃ、妾がお主らを罰するとでも思ったかの? しかし妖怪を視認できる者に見られるのは仕方なかろうよ。そも──妾が人間との接触を禁じたのは、妖怪の実在による混乱を防ぐためじゃったしのう」


 稲荷さまは、心外だとばかりに。


「だが、見てみよ。こやつ緊張こそしておるが、混乱も恐怖もしておらん。妾たちへの悪意もなければ、きちんと己の分をわきまえておる。──ほれ、買ってきた土産物を出してみよ」

「? あ、はい。これでよかったんですか?」


 そう言って僕が手渡したのは、菊に勧められた棒状のスナック菓子ともう一つ。四個入りのミニドーナツである。

 それを見て、菊は不思議そうに小首を傾げる。


「あれ? 陽太、いつの間にドーナツも買ったのです?」

「だって、一番安いのだけじゃ不安だったし……気持ちが大事って聞いたから、自分でも選んでみたんだよ」


 僕がそう言うと、稲荷さまはうむうむと何度も頷いて。


「それでよい。己の心を伝えるために行動したことは、多少なりとも相手に届くものじゃからの。無論、時には言葉を重ねることも怠ってはならんが」

「じゃあ……っ!」

「うむ、皆を許そう。──ついでじゃ、陽太よ。残りのミニドーナツを皆に配るがよい」


 稲荷さまは一つだけミニドーナツを手に取り、そう言った。

 僕はなんだか嬉しくなって、また菊と顔を見合わせてお辞儀する。


「はいっ、ありがとうございます!」


 そんな僕たちを呆れた様子で見ているタマだが、やれやれと息をついて安堵もしているようだ。

 稲荷さまから受け取ったミニドーナツを二人に配り終えると、僕は最後のミニドーナツを口に運んで、ズボンのポケットにゴミを入れた。ゴクリと呑み込み、水筒のお茶を飲む。


「む、なかなか美味いのう」

「はいなのです!」


 意外とお気に召したのか、稲荷さまはご機嫌で菊と笑っている。


「陽太、ニャーにもお茶をくれニャ!」

「はいはい」


 タマは急いで食べ過ぎたらしく、僕の飲んでいたお茶を図々しく強請ってきた。僕は苦笑しながら手のひらにお茶を注ぎ、タマに飲ませてやる。


「むむっ、このスナック菓子も侮れんのう!」

「ホントなのです⁉︎ 稲荷さま、菊にもひと口ください!」

「……お主、妾にお願いに来たのではなかったかの? まあ別に構わんが……」


 そう言った稲荷さまだが、少し不満そうな顔をしている。ふふっとはにかんだ僕とタマに目ざとく気付き、むっと顔をしかめた。


「なんじゃ、その顔は。──ほれ、陽太。このゴミは持って帰れ」

「あ、はーい」


 僕は手のひらの水を払い、稲荷さまから受け取ったゴミをポケットに仕舞った。


「代わりに妾の神社のお供え物をやろう。確かまだ梨があったはずじゃ。──菊、タマ。妾はまだ陽太に話があるゆえ、本殿の中から持って参れ」

「わかったのです!」「ニャッ」


 何かを察したように菊とタマが素直に頷き、本殿に走っていく。

 僕は戸惑いながら、稲荷さまの言葉を待った。


「さて──陽太よ。妾は先ほど、お主が妖怪たちと関わることを許したな? しかし人間と妖怪は、同じ時を生き続けることはできぬ。これは、まだ若いお主には難解な言葉じゃろう」

「…………」

「ゆえに。いずれ、お主なりの答えを出せ。よいな?」


 稲荷さまの真剣な声音には、祀られるほど長い時を生きたモノとしての貫禄があった。そこにこもった実感のある言葉から察するに、かつては稲荷さまも悩んだことがあるのかもしれない。


「……はい」


 そう、確かにそうなのだ。

 僕はまだ実感が沸かないながらも、稲荷さまの言葉を受け止めた。すると稲荷さまの雰囲気が柔らかくなり、梨を持って出てきた二人に気付いて優しげな声で言う。


「む、二人が戻ってきたのう。──では、気をつけて帰るのじゃぞ、陽太よ。何か困り事があれば来るとよい。妾はこの村のことであれば、大抵は知っておるからのう」

「はい。また来ます、稲荷さま」


 そんな僕の返事に、稲荷さまは嬉しそうに「うむ!」と口元を綻ばせながら頷いてくれたのだった。

妖狐:中国や日本に伝わる狐の妖怪である。人間をたぶらかしたり、人間の姿に化けたりすると考えられている。化け狐などとも呼ばれる。


稲荷神:稲を象徴する穀霊神・農耕神[1]。稲荷大神いなりおおかみ稲荷大明神いなりだいみょうじんまた、お稲荷様、お稲荷さんともいう。五穀をつかさどる御食津神・ウカノミタマと稲荷神が同一視されることから、総本宮の伏見稲荷大社を含め、多くの稲荷神社ではウカノミタマを主祭神としている。

(Wikipediaから)


本来の稲荷さまは妖狐ですが、神社で祀られている現在では稲荷神のほうが近そうです。

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