27話 帰りの電車から見えたもの
時計の針はぐるっと回り、朝が来た。
僕は爺ちゃんと婆ちゃんに「一人で帰れるか?」なんて心配されつつ、菊たちとは『また今度』という約束を交わして、行きも一人で歩いてきた道をまた引き返す。
「おっと」
リュックを背負って田んぼのあぜ道を歩きながら、悪戯な風に飛ばされそうな麦わら帽子を右手で押さえた。
ふと見上げた先には稲荷神社があって、一礼してから歩みを進める。
やがて見えてきた一軒の駄菓子屋。
全部ここから始まったのかな、なんて思って笑みを浮かべていると、後ろから誰かの声が聞こえてきた。
「おおーい、陽太!」
「え……将太⁉︎ 浩二に茂も……どうかしたの?」
振り向くと、あぜ道の向こうから将太たちが走ってくる。
三人はニッと笑い、僕の背中を軽く叩いた。
「お前ん家行ったら、もう出てったって聞いてよ。慌てて追っかけてきたんだ」
「水臭いよ、陽太。僕らだって、もう君と友達でしょ?」
「そうだぜ。俺なんか、夏休みの宿題放り出してきたしよ」
……いや、それはどうかと思うけど。でも。
「そっか……ありがとう。また遊びに来るよ。それまで元気でね?」
「おう。お前もな」
三人とそれぞれ固い握手をして、僕はまた一人になって駅に着く。
誰もいない無人駅。あちこちから聞こえるセミの鳴き声。
ジワリと汗が出てきてシャツが背中に張りつき、その不快さとまだ変わる様子のない暑さについ顔をしかめた。切符を買って改札を抜けると、そこはもう駅のホームだ。
「…………」
あの日着いた時と同じ一人なのに、どうしてこうも見える景色が違っているのか。
一人の寂しさは変わらないのに、なぜかみんなが一緒にいるような安心感があって、僕は戸惑った。
一人じゃないと思えること。
自分が誰かのために精一杯しようと心に誓ったものがあること。
それだけで、ほんの少しだけ大人になれた気がした。
「あ……もう来ちゃった」
プウーッと汽笛が鳴って、電車が止まる。扉が開いて中の冷気が漏れてくるのに、相変わらず下りてくる人は誰もいない。乗るのだって僕一人だ。
外から笛の音が聞こえて、扉が閉まる。
電車はゆっくりと動き出して、田舎の駅から遠ざかっていく。みんなの元から僕一人だけ、都会に帰るのだ。
「…………」
きっと大丈夫と思ってたのに、それでも寂しさはある。
僕は気を逸らそうとリュックを探り、以前駄菓子屋で買ったお菓子を口に入れた。
いつもみんなでわけていたミニドーナツは、今日から僕が一人占めだ。……なんて内心で呟いて、誤魔化してみる。あの日はあんなに美味しかったのに、なんだか甘くない。
きっと、みんなといるのが楽しすぎたのだ。
ほとんど人のいない車両はつまらなくて、僕は何気なく外を見る。
電車はもう駅のホームを離れて、速度も上がっていく。
そんな列車の外に、田んぼのあぜ道に。さっきはなかった光景があった。
将太たち三人の隣に菊やタマ、鎧さんや稲荷さまといった妖怪たちが集まって、僕の乗っている電車に向かって手を振っていたのだ。
みんなで大きく口を開けて、何かを叫んでいる。
『ありがとう! 頑張れ、陽太!』
たったひと月もなかったけれど。
僕が繋いだものが、確かにそこにあって──。
「あ……」
思わず目をまん丸にして、窓の向こうに見入った。
けれど電車は止まることなく、さらに速度を上げていく。
みんなの姿が遠ざかっていく。
だけど、これだけは伝えなきゃ。
……届くかな。届くといいな。
ありがとうって。さいっこうに楽しかったって。
僕はパクパクと口を動かした。でも、向こうからは電車の窓しか見えていないはず。こんなので伝わるわけ──。
「え……?」
窓の向こうにいたみんなの姿が見えなくなる、その直前。
稲荷さまが確かに僕の目を見返して、ふっと笑った。
そして電車は真っ暗なトンネルへと入り、僕は両親の待つ都会へと戻っていく。
家に帰ったら、なんて言おうか。
でも、そうだな。やっぱり、まずはこう言おう。
──田舎に行ったら妖怪の友達ができました、と。
「ねえ、鎧さん。この漫画、妖怪ならみんな持ってない?」
そんな人気だっけ、と麦わら帽子の少女は漫画を持ったまま寝転がり、家の軒下で足をパタパタと跳ねさせた。
それを聞いていた鎧さんが「うむ」と腕を組んで頷き、おもむろに自分の兜の中へと手を突っ込む。引き抜いた手に持っているのは、少女の見ているものと同じ漫画だ。
「うわっ、そんなとこに入れてんの? っていうか、鎧さんまで持ってたんだ……」
「ちなみに作者のサインもついておるぞ!」
自慢げに胸を張った鎧さんの言葉に、少女はハア? と怪訝そうに眉を寄せる。
「どうやってサインなんてもらってきたんだか……」
そう呆れて呟いた少女に、鎧さんが不思議そうに首を傾げ。
「どうやっても何も、お主の曾祖父がこれを描いたのであるぞ?」
「えっ、嘘⁉︎ あんな呑気な曾お爺ちゃんが⁉︎」
まだ少女の記憶にも新しい、百歳ピッタリまで生きた曾祖父。
普段から柔らかい雰囲気があって、少女は大好きだった。
でも、そんな話は一度も聞いたことがないのだ。確かに絵は上手かったけど、と思いつつも疑っていると、鎧さんがハハハッと愉快そうに笑い出した。
「まあ、お主には見せる必要がなかったからな! 無理もあるまい!」
「? どういうこと?」
「そもそも、この漫画は吾輩たち妖怪を忘れさせぬために描かれたものであるからな。だが、お主は最初から吾輩たち妖怪と仲が良かったし、わざわざ読ませなくてもよかったのであろう」
「ふーん……?」
少女も妖怪たちが想いから生まれたことは知っている。
しかし、なぜ妖怪漫画を描く必要があったのか、その事情に関しては浅い知識しか持ち合わせていなかった。妖怪の実在が当たり前となった現代で育った少女にとっては、そんなことをしなくても妖怪は忘れられないモノなのだ。
そんな少女に苦笑して、鎧さんはこれが時の流れの残酷さかとばかりに頭をかいた。
かつては妖怪の実在が知れ渡ったことで、絶大な人気を誇ったらしい曾祖父の妖怪漫画。けれど今では原点ではあるのだろうが、他の作品に埋もれていく存在だ。
そのせいだろうか。ちらりと何気なく鎧さんを見上げてみると、なんとも懐かしそうな顔をしながらも、どこか寂しそうだった。
きっと曾祖父のことをよく知っているからこそ、そう感じざるを得ないのだろう。
「ね、どんな人だったの?」
その心情を察し、少女は底抜けに明るい笑顔を向けた。
鎧さんもふっと笑い、「そうだな……」と考え込む。
「稲荷さまが直々に認めた強きモノで、吾輩たち妖怪の親愛なる友で、吾輩たちが永遠に忘れぬ人間だ。人に忘れられ、消えゆく存在だった妖怪たちを救うために筆をとった、な」
「えっ? でも、今は誰でも知ってるよね……? 妖怪が忘れられるなんて、そんなことあるの?」
「……まあ、お主にとってはそうであろうな。しかし、当時はただの空想だったのだ。そして、その状況をあやつが変えたのである」
「えっ……?」
いつもひょうひょうとしている鎧さんの声音の真剣さに、少女は思わず息を呑む。
「聞くであるか?」
「……うん。うん、聞きたい! お願い、教えて鎧さん!」
鎧さんの声の重みに押されながらも、少女は力強くそう答えた。
真っ直ぐに鎧さんを見つめ返して、けれどお茶目にウインクと両手を合わせて。
仕方ないやつだと呆れた様子を見せながらも、鎧さんはそれを拒む様子はなかった。どこか曾祖父と似ているところを感じたのかもしれない。
そんな鎧さんが頷く直前、少女は続けてこんな言葉を口にする。
「──あたしが、それを小説にしたげるから!」
「な、に……?」
その言葉に、鎧さんは動揺した。
そんな鎧さんの反応が面白かった少女は、ニッと悪戯げに笑う。
「だってさ、妖怪って想いから生まれるんでしょ? だったらあたしが、みんなの想いを形にするの! そしたら曾お爺ちゃんと、もっかい会えるんじゃない?」
「な……っ」
大きく両腕を広げて、青い空を仰いで。
自分が無知であることを自覚する少女は、されど──いや、だからこそ、無謀に挑むことを高らかに宣言した。
「そんな無茶な……いや」
鎧さんは厳しい現実を突きつけるように少女を睨んできたが、ふと。
「そうでもない、であるな」
つい無意識にこぼれたように、そう言った。
そう。少女はもう、知っているのだ。
タマ、という猫又がいることを。
その猫又が、五〇〇年もの間、鎧さんのことを想い続け、再会を成したことを。
前田陽太、という妖怪たちの友達がいることを。
彼が漫画という手段を用いて、世の中に妖怪を思い出させたことを。
そうなのだ。前例も奇跡も、すでにあるのだ。
ならば、ならば──曾祖父が妖怪として戻ってくることも、ひょっとして可能なのではないか。
そんな無邪気な確信を抱く少女の言葉を、鎧さんは否定しなかった。
「じゃあ……!」
少女は叫び、期待に満ちた瞳で鎧さんを見つめる。幻想に近い夢を語っている自覚は、少女自身にもあった。
だがそれでも、鎧さんの悲しそうな顔は見たくなかったのだ。
「……やはり、似ておるな」
「え……?」
なんのことかと戸惑う少女に、鎧さんは心底嬉しそうな声音で首を振り。
「いいや、なんでもない。──お主の夢、吾輩の全力を尽くして協力しようぞ。吾輩の友、前田美香よ」
「ホント⁉︎ 鎧さん、ありがとー!」
その途端、少女はパッと笑顔を弾けさせた。
急に立ち上がって鎧さんを抱きしめると、「なっ、何をするか!」と怒られてしまう。だが、それでも笑う少女を見て、鎧さんもやれやれと呆れたように諦めるのだった。
「なんニャ、お前帰ってきてたのニャ?」
「久しぶりなのです!」
「うむ、なんとも懐かしい顔であるな!」
僕を出迎えてくれた菊たちの声音には、押さえきれない歓喜がある。
だからコクリと頷きを返して、僕は思いっきり笑った。
──そうだね。ただいま、みんな!




