26話 その百鬼夜行は、ただ一人のために
あの後、僕は描いた絵を稲荷さまにあげて、妖怪たちに手伝ってもらいながら夏祭りの片づけを終えた。
稲荷さまたちはこれから二次会をするらしく、みんなで神社に残るそうだ。将太たち三人とお礼を言い合って別れると、僕はすぐにお風呂に入って布団を敷く。
時刻はもう一〇時を回っていて、稲荷神社から灯りが見えるとなんだか名残惜しかったけど、そのまま眠気に負けて目を瞑った。
今日も楽しかったと思いながら、僕は明日都会に帰るんだなと寂しくなりながら。
微睡んで夢の中へと向かう、その直前。
「────」
どこからか響いてきた祭り囃子の騒がしい音に、僕はふと目を覚ました。
やけに大きな音だ。爺ちゃんたちが起きてしまうんじゃないかと心配したけど、そんな様子はない。どうやら妖怪が見える僕にしか聞こえていないようである。
けれど、少し意外に思った。
妖怪たちはそういうことに敏感で、いくら僕以外には聞こえないからと夜中に騒ぐようなモノたちじゃないのだ。
「……なんだろ。僕を呼んでるのかな?」
思いついたのは、そんな妄想。
「まあでも、そんなわけない、よね……?」
そう思いながらも僕はこのままじゃ眠れないからと布団を抜け出し、玄関から外に出る。
畑をちらりと見てから、家の敷地から出て──
「…………えっ?」
僕は、驚愕した。
そこにあったのは、この小さな村を練り歩く妖怪たちの集団である。この音は稲荷神社からではなかったのだと、ようやく理解する。
それはまさしく、物語の中にしかない『百鬼夜行』そのものだった。
やがて長い列を成す妖怪たちの行列は、僕の元へと近づいてくる。
先頭にいるのは稲荷さま。その隣には菊がいて、反対側には肩にタマを載せた鎧さん。河童に天狗、唐傘お化けに鬼までが加わって、底抜けに明るい笑い声が聞こえてくる。
提灯お化けや火の玉が宙を舞い、最後方には家の屋根ほどもありそうな背丈の大入道。ひらりひらひら白い布のような一反木綿が躍っている下には、たくさんの付喪神たちが楽しそうに飛び跳ねていた。
ピーヒャラドンドコ、笛と太鼓の音がどこからか聞こえる。
「これは……っ!」
そして、僕は気付いた。
これは僕のために行われた、しばしのお別れを告げる、彼らの感謝の想いがこもった百鬼夜行なのだと。
僕だけにしか見えない、僕だけのための百鬼夜行なのだと。
だから、そう。
きっと今日この時に限り、この夜は僕のものなのだ。
「……!」
もう言葉が出なかった。
あまりの衝撃に鳥肌が立ち、涙が出そうな感動が僕を襲う。
ついに僕の元まで辿り着いた彼らは、稲荷さまは。楽しげながらも真剣な目で僕だけを見つめて。
「──陽太さまよ。妾たち妖怪のための夏祭り、心より堪能させていただきましたのじゃ。そして、主さまの覚悟と決断も、十二分に魅せていただきました。──ゆえに」
「……っ⁉︎」
僕の目の前で、彼らは一斉に膝をついて頭を垂れる。
それは、呼吸を忘れるほどの衝撃だった。
妖怪は稲荷さまや天狗のように強い誇りやプライドを持つモノばかりで、他人に頭を垂れることなんてめったにないはず。なのに。
「今宵限り。妾たち妖怪の夜は、主さまのためにこそある。妾たちのために想いを繋げ続けんとする強きモノに、ここにいるすべての妖怪が平伏しようぞ」
「…………っ」
なんて光景なのだろう。
僕だけが一人占めするのが惜しいほどの景色。
すべての妖怪が僕を慕い、この夜だけはきっと、僕だけのためにあって──ならば今宵だけは、どんな願いも叶うのだろう。
そう確信できてしまうほどに、彼らの態度には妖怪としての威厳があった。
だからこそ、僕はたった一つだけ。
たった一つだけ、僕にとって一番贅沢な願いを告げる。
そう。僕が願うのは──
「それなら……僕を、前田陽太っていう人間の友達がいたことを、みんなに覚えていて欲しいなぁ」
いつか遠い未来で、僕が忘れ去られても。
これから僕が紡ぐであろう物語が消え失せてしまっても。
それでも永遠を生きる彼らにだけは、僕を忘れて欲しくないから。ずうっと友達でいたいから。だからこの想いを、他でもない彼らにこそ叶えて欲しいのだ。
そんな僕の願いを聞いて、みんなはふっと固い雰囲気を和らげた。
だが、すぐに真っ直ぐに透き通った瞳で僕を見つめ、また厳かに頭を垂れた。
「委細、承知したしましたのじゃ。陽太さま……いや、妾たちの親愛なる友、前田陽太よ。その大切な想い、遥か彼方の未来まで繋いでゆこう。────よいな、皆の衆!」
『応ッ‼︎』
稲荷さまの掛け声に、大地が揺れるほどの声が轟く。
やっと顔を上げてくれた彼らを見ると、にいっと笑いながらも瞳だけは強い誇りと感謝、そして絶対の誓いがこもっている。
断じて、忘れてなるものか。忘れてなるものかッ!
その覚悟を強く強く感じる彼らの声と瞳に魅入られる僕の心を、深い感動が包んでいた。
ああ、きっと僕は永遠を生きる。
彼ら妖怪たちの中で、僕という人間はずっと友達で在り続けるのだ。
「ありがとう、みんなっ!」
「いいのですよ、陽太!」「ニャ!」「構わぬよ、友よ」
三日月が浮かぶ真夏の夜空の下で、思い思いの声が響いた。
そうしたらなんだか気が緩んで、固い空気が弾けたように僕たちは一緒のタイミングで笑い出した。お腹を抱えて、思い切り笑い転げる。
いまだ熱気が残る風が吹き、ざあざあと草花を揺らした。月光と提灯お化けと火の玉と、それらに照らされながら、僕たちの夜が過ぎていく。
明日の朝になったら、僕は都会に帰ってしまうけれど。
でも……きっとまた、みんなに会いに来よう。
百鬼夜行:日本の説話などに登場する深夜に徘徊をする鬼や妖怪の群れ、および、彼らの行進である。
(Wikipediaから)




