25話 妖怪たちとの思い出の残し方
鎧さんは、僕の頼み事に驚きながらも快く引き受けてくれた。
それから家から目的のものを持ってきてくれたのは、わずか五分後のこと。
「陽太よ、これで合っておるか?」
「うん、ありがとう。鎧さんは向こうで楽しんできていいよ?」
そう言ったのに、鎧さんにそんな気はまったくなさそうだ。
「いや、まだしばらくはここにいようぞ」
「……そっか」
そう言われて気恥ずかしさもあったけど、何より嬉しかった。
とはいえ、その気恥ずかしさも妖怪たちの姿を形に残す作業をするうちに忘れて、時々みんなの様子を眺めながら僕はひたすら手を動かした。
そうしていると、ふっと真横に黒猫が近寄ってきた。タマだ。
タマは小刻みに猫耳を動かしながら、不思議そうに問いかけてくる。
「陽太とご主人は、さっきから何してるのニャ?」
「少し静かにせよ、タマ。陽太の邪魔はするでないぞ」
鎧さんが口元に指を当てて、しいっと言った。
ますます不思議そうな顔をするタマだったが、僕の膝の上をそっと見て瞠目した。
「……ニャッ⁉︎ お前、これは……」
「絵だよ。妖怪のみんなはカメラに映らないから、こうやって残そうと思ってね」
僕はくすっと笑いながらシャーペンを動かして、カメラでは写せない彼らの姿を残していく。
こうすることでなら、彼らは形に残るのだ。
だから決して失わせはしないのだと、決して忘れさせはしないのだと、僕は誓う。
願わくばこれからも、人と一緒に時を刻んで欲しい。
そのために僕は彼らとの思い出を形に残し、誰かに記憶を伝えたいのだと、そう思う。
そんな僕の覚悟や心が伝わったのだろうか。タマはそれきり静かになって、僕の隣に座っていてくれた。
たくさんの──本当にたくさんの妖怪たちを描き続けて、どれだけの時間が経ったのか。僕はついに最後の線を紙に引いて、ふう──と長く息を吐いた。顔を上げる。
「えっ……?」
思わず驚きの声が漏れた。
僕の周りにはいつの間にか、数多くの妖怪たちがいたのだ。
もう早くに描き終えた妖怪たちばかりがひと言も発することなく、ただ無言のまま僕を見守ってくれていた。
隣には菊とタマ、鎧さんがいて、背後からは稲荷さまが感心した様子で絵を覗いている。見るのを待ち遠しそうに離れた場所で、物理的に首を伸ばすろくろ首や、それに呆れている河童。空中からは提灯お化けや火の玉が大集合し、将太たち三人も僕の近くにいる菊たちを羨ましそうに眺めていた。
僕はふっと笑みをこぼし、呆れて問う。
「みんな揃って何してんの?」
「もちろん陽太の絵を見てるのニャ。ニャーたち妖怪はなかなか形に残らニャいから、陽太の気持ちが嬉しくてたまらないんだニャー」
タマの言葉を肯定するように、うんうんと何度も頷く妖怪たち。
しかしタマのように声は出さない。どうやらまだ気を遣ってくれているらしい。菊がおそるおそる、されど待ちきれない感情をむき出しにして問いかけてきた。
「……そ、それで陽太、絵はもう完成したのです⁉︎」
「ふふっ、なんだ。ずうっとできるの待ってたの? みんなで?」
思わず笑い声がこぼれてしまう。
あーおかしい。こんないろんな妖怪が集まって、夏祭りなんて楽しいことをやってるのに、僕の絵ができるまでみんなでお行儀よく待ってたなんて。
たぶん幸せとは、こういうことを言うのだろう。
明確な目に見える形がなく、けれど何よりも大切な、僕たちを僕たちたらしめるもの。この想いがあるから、きっと妖怪たちは僕たちを見守ってくれている。
そう、僕の目の前にある光景のように。
僕はお腹を抱えてひとしきり笑い、菊にたった今描き終えたみんなの絵を手渡した。
「……うん、できたよ。お待たせ、みんな」
その途端、歓声が起きた。
向こうで飲み物や会話を楽しんでいた妖怪たちまで加わって、つい肩が跳ねるほどの大喝采だ。
まだ見てないのに? と思ったけど、こうして僕が絵を描いた想いこそを心の底から嬉しく感じてくれているのだと思う。
そのことが僕も嬉しくて、菊たちが競うように絵を見て褒めてくれたり、自分自身を見つけて喜ぶ姿を眺めていると、なんだか空まで飛べそうなほど心が湧き立つのだった。
「おおっ、吾輩もいるぞ! 真ん中であるな!」
「新人の癖にずるいぞ! だが、俺のだって負けてねぇ!」
「ほう、お主の姿もなかなかであるな!」
気付けば鎧さんも周りの妖怪たちにすっかり馴染んで、受け入れられている。そんな鎧さんたちに嫉妬してか、稲荷さまがむっとした顔で妖怪たちの輪をかきわけた。
「ええい、お主ら妾にもよく見せんか! こんな真夏にそうも一枚の絵に集って、暑苦しいことこの上ないのじゃ!」
「……お前も他人のこと言えないニャー」
タマの呆れたような声に、僕も笑った。
まだ絵を見ていない将太たちや妖怪たちが、そんな稲荷さまに不満を叫ぶ。
「おおい、俺らにも見せてくれよ!」
「そうだそうだ! 稲荷さまばっかりずるいぞ!」
そうして僕の描いた絵は彼らの元を巡って、興奮や歓声が広がっていく。
騒がしく夏祭りの夜が更けていく中で、僕は自分の描いた絵がこれほど喜ばれていることに嬉しくなった。この光景は僕が作り出したのだ。そう思うと、なんだか誇らしい。
何気なく胸に手を当ててみると、ぽかぽかとした温かい気持ちで溢れている。
きっと僕は、今日のことを忘れないだろう。
そう確信できてしまうほどに、みんなが僕の絵を見て笑っている光景が眩しかったから。
「──そうだ。僕は……」
「? どうしたのです、陽太?」
絵を見終わって戻ってきた菊に怪訝そうな顔をされたものの、僕は首をゆっくりと横に振った。
「ううん、なんでもない。ただ、どうしたらみんなを助けられるか。その方法がわかっただけだよ」
「え……?」
元はと言えば、その方法を探すためにこの夏祭りはあったのだ。
その目的を果たしたと宣言した僕に、妖怪たちの驚きの視線が集まってくる。けれど僕は得意げに、自信満々に笑った。
「漫画を描くんだ。それも、たくさんの人に見られて、もしかしたら本当に妖怪がいるのかもって、そう思ってもらえるような……そんな最高の漫画を」
「漫画……?」
それを知らない妖怪も多いのだろう。彼らの声は困惑しているものがほとんどだった。
けれどなんとなく想像がついたようで、その表情は期待に溢れている。
「そう。絵とみんなが話す言葉だけで物語を進める漫画なら、みんなのことを知ってもらえるかもしれない。永遠は無理かもしれないけど、僕がそうやって描く絵は、次に繋がる道を作れると思うんだ」
そうだ。僕がいなくなっても、そうやって彼らは人との縁を繋いでいくのだ。これから先の未来で、僕はそうやって永遠を生きるのだ。
強く強く、心に誓う。
僕はこの先、みんなとずっと一緒にはいられないけれど。
「僕はそうやって、みんなとの想いを形にするよ」
人間の僕は、永遠を生きることはできないけれど。
それでも僕の絵は、妖怪である彼らが生きて覚えていてくれる限り、決して消えることはないのだから。
ならばそれは、たとえその時に僕が生きていなかったとしても、妖怪たちと同じ時を歩んでいることになるのではないか。僕は、そう思ったのだ。
「……陽太よ。お主は、もう決めたのじゃな」
「はい。これが、僕なりの答えです」
仕方ないやつじゃな、とでも言いたげな稲荷さまに、僕は力強く言い切った。
いつだったか、稲荷さまに聞かれた『人間と妖怪は、同じ時を生き続けることはできない』という忠告。その答えがこれだ。
人間に忘れられない限り、永遠を生きることができる妖怪。僕はそんな想いから生まれる彼らに想われることで、ともに生きていくことを選んだのだ。




