17話 鎧さんの頼み事、そして
「陽太よ。実は、お主に折り入って頼みがあるのだ」
「頼み?」
トランプで遊んでからの夕方二時。鎧さんから神妙な雰囲気でそう言われ、僕は怪訝に思いながら聞き返す。
「うむ。せっかく動けるようになったゆえ、一度陽太に村を案内して欲しいのである」
「ああ……うん、いいよ!」
「菊も行くのです!」
そうと決まれば、と婆ちゃんに声をかけてから外に出ると、やかましいセミの声がいっそう大きくなった。クーラーの効いていた部屋との気温差で汗が噴き出してきそうで、髪の毛を揺らす風さえ暑苦しい。
「あっつー!」
「さすがに外は暑いのです!」
思わず悲鳴を上げた僕とは違い、菊の声は楽しげに弾んでいる。
「あ、鎧さんは大丈夫?」
「うむ! 吾輩は鎧であるからな! もはやそういったものとは無縁であるぞ!」
こちらもなんだか嬉しそうだ。暑くないことによほど歓喜しているようで、僕はくすっと笑ってから「じゃあ行こうか」と歩き出した。
「陽太、最初はどこに行くのです?」
「んー……正直あんまり思いつかないんだよね」
なにせ、この村は誰も尋ねてこないようなド田舎だ。お店なんてほとんどないし、駄菓子屋か駅ぐらいしか案内する場所もない。
僕は話しながら、スマホの地図でお店を検索してみる。
「んー……やっぱりなんにもないね。まあ、ひとまず駅に行こっか」
「電車を見るのです?」
菊の問いに、僕は「うん、そうそう」と返した。
といっても、そう遠い距離ではない。たった数分のうちに駅に着くと、クーラーのない無人駅に嘆きながら入場券で構内に入る。
「あっつ! 菊、次の駅いつだった?」
「あと一五分なのです!」
真っ先に時刻表を見に行った菊に尋ねると、そんな気の遠くなるような返事があった。
あ、あと一五分……?
「すまぬな、陽太と菊よ。しかし吾輩は別にいつでも……」
「いやいや! いいって、どうせ家にいても暇だったし! それに他でもない鎧さんの頼みだから!」
遠慮する鎧さんをそう説得して、僕は青い椅子のそばにあった自販機でコーラを買った。
「菊、菊もなんか買う?」
「リンゴジュースがいいのです!」
「はーい」
自販機にお金を入れてボタンを押すと、ゴトンッとジュースが落ちてくる。
鎧さんにも買ってあげたい気持ちはあったが、遠慮されてしまった。飲み食いできないわけではないようだが、必須ではないらしい。それをお腹が減らなくて便利だと笑っている辺り、やっぱり鎧さんは我慢強い人だ。
「それにしても、吾輩の知る時代とはかなり違うのだな。青々とした稲や野菜畑があるのは変わらぬが、道が固くて走りやすい上、こうして村を繋ぐ乗り物まであるとは……まこと、とんでもない時代になったものよ」
鎧さんは、目の前の景色に。僕たち未来人の進歩に。
すっかり圧倒された様子でそう呟いた。
「でも、それも過去の積み重ねがあってこそだと思うよ? 僕がやってる宿題の内容とか、まさにそうだし」
「む……そうか。それもそうであるな」
僕の言葉に、鎧さんが噛み締めるように言う。
その声音は歓喜に満ちていて、僕もなんだか嬉しくなった。
「あっ! もう電車が来たのです!」
「えっ? まだ時間じゃないけど……」
不思議に思っていると、真っ赤な電車は速度を緩めないまま僕たちの眼前を通り過ぎていった。
……そっか。この駅に止まらないだけで、電車自体はたまに通るんだっけ。
「おおお──っ!」
鎧さんが歓声を上げる。
「なんという速度であろうか! 見事なものであるなぁ!」
ハハハッと笑いながら両拳を握りしめ、天に高く掲げる鎧さん。
その姿は、長い時を一人で耐えてきた大人ではなく、未知に興奮する子供のようだ。それでいて、未来を目撃した者としての歓喜もある。
やがて電車は一瞬のうちに通り過ぎて、電車は小さくなっていった。
「──では、次なる場所へと向かうとしようか!」
「もういいのです?」
電車を見届けた鎧さんが元気よく言って、菊は怪訝そうに問いかけた。
「うむ、構わぬ! 見たい時はまた自分で見に来るゆえな!」
「あ、それもそうだね。じゃ、次に行こっか」
続いて向かったのは、タマのいるであろう駄菓子屋である。
コーラを飲みながら三人で歩き、僕はガラリと駄菓子屋の扉を開けた。クーラーの涼しげな風が頬を撫でて、額の汗を拭いながら中に入る。
店の奥から「ニャー」と僕たちを出迎えるような声が聞こえて、黒猫のタマがやって来た。
「また来たのかニャ、お前た──」
呆れるようなタマの声。しかしそれは途中で止まり、その瞳は驚愕に見開かれる。
「? タマ、どうかした?」
「む? この猫はタマというのか? いや、猫又であるか」
鎧さんも少し驚いたような顔をしてタマを見つめた。
怪訝な僕と菊の視線など意にも介さず、独り言のように続ける。
「……なんとも奇遇であるな。かつては吾輩も、タマという名の黒猫を飼っていたのである」
──まあ、ここまで時が流れればもう生きてはおらぬであろうが。
そう話した鎧さんの言葉に、タマの口がハッと開いた。
「え……まさか──っ」
僕と菊も目をまん丸に見開く。
まさか、そんなことがあるのか。
タマが声を震わせて、鎧さんに問う。
「お、お前……お前、昔はなんて名前だったのニャ……?」
「ふむ、名前か。久しく呼ばれていないが、生前は『前田勘吉』と。そう呼ばれておったな」
鎧さんが、誇るように告げた名前。
その名前は、タマから聞いた昔話で出てきた、もうすでに亡くなっているであろう人物のものだ。タマが五〇〇年もの間、信じて待ち続けたご主人のものだ。
「前田、勘吉ニャ……⁉︎」
タマがあり得ない、といった顔で鎧さんの名前を繰り返した。
僕と菊も、あまりの衝撃に声が漏れる。
「……それって、僕のご先祖さまの……!」
「タマのご主人なのです⁉︎」
「…………何っ?」
鎧さんの被る兜の奥に、眼光が灯った。
そんなはずがない、と思ったのだろう。鎧さんはまじまじとタマを見つめて、タマも信じられないという戸惑いで鎧さんを見つめ返す。
だが、やがて。
「……ご主人? まさか、本当にご主人ニャ?」
タマは大粒の涙を溢れさせて、鎧さん──いや、勘吉を見つめる。
「ま、さか。まさか、お主……五〇〇年もの間、片時も吾輩を忘れずに、帰りを待っておったのか? いや、ありえん……だが、だが……っ」
勘吉は言葉を詰まらせながら、兜の奥の眼光を揺らめかせた。
タマが走り出す。勘吉は素早くしゃがんで、両手を広げた。まるでずうっと昔から、そうしてきた習慣であるかのように。
そしてタマが飛び上がり、勘吉はぎゅうっと大事そうに抱き止めた。
「──ご主人っ!」
やっと届いたのだ。
タマの想いが、自分の主人へと。
「おかえりニャー!」
「……タマッ! タマ、お主というやつは、まったく──!」
満面の笑みを浮かべるタマに、勘吉は呆れながらも嬉しそうだ。
「……ああ、ただいま。吾輩が帰ってきたぞ、タマよ」
「にゃあーっ!」
前田勘吉が亡くなってから、五〇〇と余年。
本来ならば、決してあり得ないはずの再会は、こうして果たされたのである。
「……でも、なんで……勘吉さんは、もうずっと昔に亡くなってる人なのに……」
そう、本来の妖怪とは、妖怪から生まれるものではない。人から生まれるのだ。勘吉もそれを本能的に理解しているからこそ、あり得ないと口にしたのだろう。
それなのに、どうして──。
思わずこぼれた僕の問いに、菊が答えてくれた。
「菊たち妖怪は、想いから生まれる存在なのです。──だからこそ、だと思うのですよ。本当なら叶うはずのなかったタマの一途な想いは時を超えて、勘吉を妖怪としてこの世に舞い戻らせたのです」
「…………」
これはタマが自らの想い一つで成し遂げた奇跡。
猫又になって勘吉を信じて、待ち続けたこと。それが今、ついに実ったのだ。だから、これはきっと、奇跡ではあっても偶然ではない。
「ああ、よかったぁ……」
「……はいなのです」
思わず安堵の声が溢れて、菊も柔らかい笑みで頷く。
タマとそのご主人である勘吉は、もう離れ離れになることはない。これからはずうっと、二人は一緒なのだ。