16話 鎧さんは仕事人
僕がいつものように宿題をしているリビングでは、ウィーン……という掃除機の音が鳴っていた。
カラカラと回る扇風機をひょいと軽そうに退かし、鼻歌が聞こえそうなほど陽気に掃除をしているその人物は、昨日からこの家の家政夫となった鎧さんである。
動く甲冑が器用に掃除をする光景はなんともシュールで、僕は思わずふふっと笑みをこぼした。
「む? 陽太よ、どうした?」
「ううん、なんでもない。ありがとね、鎧さん」
「これも恩返しの一環だ。それに、他にやることもないゆえな」
「ああ、それもそっか」
なにせ鎧さんは数十年もの間、屋根裏の木箱に閉じ込められていたのだ。
そんな彼からすれば、こういう掃除も面白いのかもしれない。
「でも、爺ちゃんと婆ちゃんもすっごく感謝してたよ。助かってるって」
「そうか! それは何よりであるな!」
はっはっは、と笑う鎧さん。
そう。鎧さんのことを爺ちゃんたちに伝え、驚愕されてから今までの時間。彼は二人の仕事をすべてやり尽くすかのような勢いで家事をしているのである。
さすがに料理は婆ちゃんに教えてもらいながらだったが、畑の野菜の収穫にゴム手袋を装着しての皿洗い、朝食の後は玄関の掃き掃除と、獅子奮迅の活躍をしている。
「久しぶりに動けるようになって、どうにもじっとしておれんのだ! 家事が楽しくて仕方ない!」
「そっか、それならよかったよ」
僕は苦笑しながらそう返すと、菊が呆れた様子で声を張り上げた。
「それにしても張り切りすぎなのです! 菊も手伝おうと思ってたのに、もう全部終わってたのですよっ?」
「ええ……」
「むむっ、それは知らなんだ! すまぬな、菊よ!」
鎧さんは申し訳なさそうに頭をかいた。
これに慌てたのは菊である。ただ軽く愚痴を言ったつもりだったらしい菊は、鎧さんの真剣な態度に驚いて説明する。
「そ、そんなに責める気はないのです! むしろ凄いと思ってるのですよ!」
「む、そうなのか? それはありがたいことであるな!」
「でも、そんなに動いてばっかりで疲れないのです? 鎧さんも、少しは息抜きしたほうがいいのですよ」
そんな菊の言葉に、鎧さんは「ふむ……」と考え込んだ。
その姿にふと思い立った僕は、鎧さんに一緒に休憩しようと提案することにした。
「鎧さん、よかったら一緒にトランプでもやらない?」
「とらんぷ? とは、どんなものであろうか」
鎧さんは怪訝そうに首を傾げた。僕はテレビの下の棚に向かいながら答える。
「数字と模様を使った遊び、かな? あんまり上手く言えないけど、同じ数字を集めたり見つけたりして競うんだよ」
「ふむ……よくわからんが、まずはやってみようぞ」
鎧さんはそう言って掃除機を片付けに行き、僕も宿題を終えた。
ノートを仕舞っていると鎧さんがリビングに戻ってきて、菊が用意してくれたトランプをテーブルに広げる。そのトランプで改めてルールを説明すると、三人でのババ抜きが始まった。
「この数字の書き方はなかなか見慣れぬが、これで合っておるのか?」
「昔は漢数字でしたもんね。ちゃんと合ってますよ」
なんだか日本の歴史の生き証人を見ている気分になりながら、僕はコクリと頷きを返す。菊が無邪気に二枚のトランプカードをテーブルの中央に投げ、右手に七枚のカードを扇上に広げた。
「菊は準備できたのです! そっちはどうなのです?」
「僕も大丈夫! 鎧さんはどう?」
「うむ! 吾輩もできたぞ!」
こうして準備が完了して二人を見ると、僕が九枚なのに対して菊は七枚。鎧さんに至ってはビギナーズラックのせいなのか、わずか五枚しかない。
「鎧さん、菊よりも少ないのです!」
「はっはっは! 天が味方したようであるな!」
菊にうらやましがれて、鎧さんはなんとも愉快そうだ。
「いいなぁ。僕、九枚もあるんだけど……」
「陽太は多すぎなのです。菊でも七枚なのですよ?」
「吾輩は五枚である! これはもう決まったかもしれんぞ!」
肩を落とす僕だが、鎧さんは意外にも容赦なく自慢してくる。うぐぐ、と悔しくなりながらも気合を入れた。
「まだこれからだよ!」
しかし順番決めのじゃんけんをすると、結果は当然のごとく鎧さんの勝ちである。
「まさか鎧さんがこんなに強いとは……」
「吾輩、これでも勝負事は負けず嫌いでな! 昔から散々文句を言われてきたのである!」
「見たまんまなのです!」
はっはっは、と菊の叫びに鎧さんが爆笑する。
といっても、序盤のうちは枚数の多い僕のほうが減りやすい。やがて三枚から四枚と増えてしまい、鎧さんは「むむっ」と言ってトランプカードを凝視した。
「あ、鎧さん。反応がわかりやすいと、誰がババを持ってるかわかっちゃうよ?」
「今は鎧さんが持ってるのです!」
ようやくババを手放せた菊は余裕の笑みで鎧さんを揶揄う。
「ほう、なるほど……これは奥が深い遊びであるな!」
「でしょー……っ」
何気なく掴んだ真ん中を引くと、それはババだった。
反射的に鎧さんの顔を見てみると、得意げな様子だ。やられた、と僕は唇をかみしめて、菊にババだけを突出させた状態で見せる。
「次は菊の番……これにするのです!」
そう言って菊が勢いよく引き抜いたのは、僕がたった今鎧さんから取ってしまったババである。菊はハッとした顔でこっちを見てきて、僕はニッと笑った。
「な、なんでもう戻ってきてるのです⁉︎」
「鎧さんが強すぎるんだよ」
あと、菊が弱いだけってのもありそうだけど。
菊の嘆きに愚痴を叫んだ僕は、余裕そうにこっちを見ている鎧さんを指差した。
「だが、まだ勝負はついておらんのだ。結果が出るまではわからぬぞ?」
「そんなこと言って、勝つ気しかないのです」
「ふははっ、そんなものは当たり前であろう! ほれ、吾輩はあと一枚だぞ!」
菊の憎しげな目に睨まれながらも、鎧さんはその視線をそよ風のように流して笑い出す。
「強っ! 僕、まだ四枚もあるんだけど」
「菊も三枚あるのです……」
僕たちが落ち込んでいるのを見て可哀想になったのか。
鎧さんはふむ、と少し悩み。
「ならば、吾輩はのちほど同じ妖怪である菊に手を貸そう」
「えっ」
「ホントなのです⁉︎」
絶句する僕。しかし菊は大喜びで、僕とは対称的である。
それはズルくない? と思ったが、鎧さんがそう言いたくなるのもわかるので、僕もがっくりと肩を落とすしかない。
なんとか最後の一枚という勝負には持ち込んだものの、あっさりとババを掴まされた挙句に僕の表情でカードを見抜かれるという散々な結果に終わった。
「……なんだかすまぬな、陽太よ」
「そう思うなら手加減してよー……」
テーブルに突っ伏した僕に、鎧さんは申し訳なさそうに言う。
しかし菊はよほど勝ってたことが嬉しいようで、目をきらきらと輝かせていた。
「まあ、菊が楽しそうだからいいけどさ」
「お主、なかなかに器が大きいのだな……」
なんだか負けたような声音で呟く鎧さんがおかしくて、僕は顔を上げてこう言ってやった。
──そりゃあ、鎧さんと違ってね! と。