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14話 稲荷さまとタマの夜語り

「──来たか、タマよ」


 夕闇の空の下、稲荷神社に響く声。

 わずかにセミの鳴き声も残る中、長い影を伸ばしてタマが薄暗い境内に踏み入った。


「うニャ。お前、なんか今日は偉そうだニャー……」


 タマはどこか弾むような声に顔をしかめ、本殿の前の石段に腰掛ける狐の稲荷を見やる。くかかっと稲荷が笑い、神社に捧げられていた酒瓶をあおり呑んだ。


「まあ、妾はこの神社のご神体じゃからのう」

「しかもまた勝手にお酒飲んでるニャ? またネズミが荒らしたとかで騒ぎになっても知らないニャよ?」


 というのも、昔から稲荷は勝手に神社の捧げものを飲み食いする悪癖があり、時々人間たちの間で騒動になるのである。いちおう稲荷はこの神社のご神体であるため、あながち間違った行動とは言えないのだが。

 それでも騒ぎを起こしていることに間違いはなく、タマは見かけるたびに注意しているのである。


「構わん構わん。その時は適当に夢でも見せて教えてやるゆえな」

「ニャーたち妖怪が人間に混乱をもたらしてはいけないって、言ってる大元がやらかしてどうするのニャ……」


 しかし、稲荷のこういった適当さが陽太を認める寛容さにも繋がっているので、タマとしてもそう強く責められないのが現状だ。


「それより稲荷寿司は持ってきたんじゃろうな?」


 呆れ果ててため息をつくタマに、稲荷が問う。

 タマは疑われたことに不満そうな顔をして、背中の荷物を稲荷に向けた。


「当たり前ニャ。ちゃんと背負ってきたんニャから、お皿ぐらい準備しろニャー」

「わかっておる。ほれ、これでよいじゃろ」


 そう言って稲荷が本殿からお皿を引き寄せてくると、タマの荷物を空中に浮かび上がらせた。容器に入った寿司がひとりでにお皿に並び、すっかり薄暗くなった周囲を青い狐炎が照らす。

 タマには手水舎から運んだ水を出して、稲荷とタマ二人きりの宴会が始まった。


「それにしても、お前は相変わらず甘いやつだニャー。普通、ああいうのは全部忘れさせるものだニャ」

「やかましいのじゃ。それに、タマもわかっておろう? 妾たち妖怪が人間に忘れられてから、もう数十年の時が過ぎておる。今は皆生きておるが、いずれ消えゆくモノも出てくるじゃろう」

「────」


 人間の想いから生まれた妖怪は、基本的に不死身だ。数百年前はそんな妖怪を倒す術もあったが、それらはすでに忘れ去られて継承も途切れているだろう。

 それゆえ、人間の想いから生まれた現代の妖怪が死ぬのは、人間から忘れられた時のみである。しかし数十年もの間、妖怪が忘れ去られた今、彼らは生きていけるのか。

 答えは単純明快。

 そう遠くないうちに、すべての妖怪はこの世から消え去るのだ。

 とはいえ、かつてその道を選んだのは妖怪たち自身であり、稲荷もその決断に異議はないだろう。──たとえ、いつか妖怪たちが稲荷を残して全滅するのだとしても。


「……でも、それを選んだのは──」

「……わかっておる。この神社のご神体であるがゆえ、妾だけは人間たちから忘れられずに生き残ってしまうこともな。じゃが、お主も知っておろう? 妾は、妖怪たちの全面的な味方なのじゃ」


 言いながら、稲荷は稲荷寿司を口に頬張った。

 その味に喜ぶ稲荷に呆れたように笑い、タマは呟く。


「……難儀な生き方ニャね、お前も」

「……ふん。今なお、主人の帰りを待つお主には言われとうないわ」


 稲荷は強がるようにタマに言い、お酒をぐいっと呑み干した。

 若干赤くなった顔で、「それに」と付け足す。


「お主は消えぬのじゃろう? そのためにわざわざ不自然なほど長年に渡って村にい続けておるのじゃろうし」

「まあ、お前が寂しがりだからニャー」


 タマはそう言って稲荷を揶揄い、海苔巻きをはぐはぐと食べる。

 いつしか周囲はすっかり日が暮れて、稲荷神社は真っ暗闇に変わっていた。セミも鳴き止み、代わりに夏虫が涼しげな声を響かせている。

 タマが大人たちの幼い頃からいるという話は、ずっと昔からこの村に伝わるものだ。ゆえに誰もがタマのことを不自然に思い、猫又かもしれないという疑惑はタマが現れ続ける限りずっと続くだろう。

 それが自分のご主人を待つためだけではないことなど、すでに妖怪たちの中では公然の秘密となっていた。

 だから稲荷はタマのことを蔑ろにしないし、そうするものを決して許しはしないだろう。


「あとお前、ニャーたちの全面的な味方って言ってるけど、人間のことも充分ひいきしてるのニャ。──だって、お前はこの神社の神主に育てられたんニャから」

「言うでないわ、この猫又め」


 それきり稲荷は口を閉じてしまったが、その言動はタマの指摘が事実であることを証明している。


「──だから、陽太に希望を持ったのニャね」

「言うでないと言うておろう、アホ猫。……じゃがまあ、否定はせんよ」


 静かで真剣なタマの声音に、稲荷も憎しげな口調をしながらもそう返した。


「あやつは、妾たち妖怪を恐れておらぬ。そして今、その輪はゆっくりと広がっておる。……妾はな、タマよ。ただバカな同胞たちと、やかましい宴会でもできれば、それでよいのじゃ」

「稲荷……」


 タマは稲荷の本音に目を丸くしてから、ふっと口元を緩める。


「……お前もなかなか素直になったものニャね?」

「むっ……」


 タマに揶揄われた稲荷は眉根を寄せ、狐耳をピクリと動かして不機嫌になった。


「ま、そう悩んでも仕方ないニャ。ニャーたちにできるのは、人間たちを信じることだけニャから」


 そんな稲荷に笑いかけ、タマは軽い口調で告げる。

 稲荷はくすりと笑って、海苔巻きに手を伸ばしながら頷いた。


「……それもそうじゃな」


 まだ日中の暑さが残る生温い風に劣らないほどの風が、二人の間を吹き抜けていく。小さな村を騒がす予感を抱きながら、真夏の夜が更けていった。

 村に吹き始めたその熱風が、いったい何を起こすのか。

 その答えを知るものは、まだ誰もいない。

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