13話 座敷わらしは嫌われていた?
それからわずか数分で着物が直ると、菊は嬉しそうに声を弾ませた。
「直ったのです! お婆ちゃん、ありがとうなのです!」
「よかったねぇ。気をつけるんだよ?」
「はいなのです!」
ニコニコと笑う婆ちゃんに、菊も満面の笑みで答える。
綺麗に縫い直された袖を眺めては、その場でくるくると踊るように回っていた。僕はまたどこかに引っかけるんじゃないかと不安になったけど、菊はすぐにハッとして動きを止めた。
そんな菊を見つめるみんなの表情は微笑ましいものを見るような目をしていて、僕もふふっと笑ってしまう。
「さて。じゃあ、もうご飯にしようかね?」
「うんっ!」
ちょうど多めに作った巻き寿司ができたところだ。稲荷寿司もだいぶ冷えてきた頃だと思う。
「なら、ニャーもそろそろ稲荷神社に持っていってやるニャ」
「頼んじゃっていいの?」
「まあ、久しぶりに話でもしようと思ってるから、そのついでだニャ」
タマの提案に聞き返す僕だったが、その言葉を聞いて納得した。
婆ちゃんが容器に稲荷寿司と巻き寿司を入れ、タマの背中に風呂敷で巻きつける。玄関と開けてあげると、ひょいと身軽に外に出て神社に向かった。
そんな菊の騒動もありながら、いつもより少し早めの晩ご飯が始まる。
みんなで「いただきます」と声を揃えて、菊も加わって稲荷寿司に箸を伸ばした。
「んんー! 美味しいのです!」
「そうだろ! 俺が作っとるからな!」
菊が頬っぺたを押さえて叫ぶと、爺ちゃんが得意げに胸を張る。
僕も稲荷寿司を口に運びながら、ふっと表情を緩めた。
「菊がこれを食べられるのも、陽太が見つけてくれたお陰なのですよ!」
「そういや、今まで菊ちゃんはどこにいたんだい?」
婆ちゃんは思い出したように疑問を言い、菊が笑って答えた。
「この家の屋根裏なのです! 奥の部屋にハシゴが隠れてるのですよ!」
「僕がたまたま見つけて、そしたら菊が動いたんだ」
「どうせ見えないと思って油断してたのです……」
僕は頷いてそう続けると、菊が失敗を嘆くように肩を落とす。
「まあまあ、お陰でこうして一緒にいられるんだし」
「はいなのです! だから、菊も後悔はしてないのですよ?」
とはいえ、危険なことだったことに変わりはないわけで。
こうして菊が嘆いているのも、きっと僕が恐怖してしまったらということを懸念していたからだろう。菊やタマもそうだが、妖怪たちはみんな優しいモノたちばかりなのだ。
「でも、なんで屋根裏にいたんだ? 俺ぁここに屋根裏があるなんて聞いたこともなかったぞ?」
「え? あ、そういや、この前もそう言ってたね」
僕は不思議そうな顔をしている爺ちゃんの言葉に思い出し、首を傾げる。
じゃあ、どうしてあんな場所があって、どうして菊はあんなところで忘れられてたんだろう。
菊が巻き寿司に伸ばした手を戻し、悲しそうな顔で俯いた。
「……ある日突然、あの場所に入れられたのです。菊という名前をくれるくらい大事にしてくれると思ってたのに──たぶん、菊は嫌われちゃったのですよ」
顔を上げた菊の表情は悲痛に歪み、泣きそうなのをこらえるような声音だった。
でも、本当にそうなのかな。だって──
「──じゃあ、なんで菊は妖怪になれたの?」
「……え?」
そう。誰かに長い間想われていないと、菊が妖怪になることはないのだ。
なら、菊は誰に大切に思われていたのか。
「あ……じゃあ、菊は嫌われてないのです?」
「うん。きっと、もの凄く大事にされてたんじゃないかな。それはもう、菊が妖怪になれちゃうぐらい熱烈に。……だから、屋根裏に入れられたのにも理由があるんだよ」
「……理由、なのです?」
僕はコクリと頷いて、隣の椅子に座っている菊を真っ直ぐに見つめる。
「そう。まあ、僕にはそんな昔のことはわかんないけど。……でも、きっとあると思うよ」
「……なら、そう思うことにするのです!」
悲しさを振り切って、菊がにぱっと笑った。
すると、それまで思い当たることなんてなさそうだった爺ちゃんが、ハッとして言う。
「……そういえば、座敷わらしの話は俺の叔母から聞いたんだったな」
「爺ちゃん、何か思い出したの?」
「ああ。いや、こりゃあ俺の勘違いかもしれんが……」
爺ちゃんが言い淀むが、菊は真剣な声で即答した。
「それでもいいのです! 菊は、本当のことを知りたいのです!」
「むむ……それなら、わかった」
重苦しい声で頷くと、爺ちゃんは湯呑みのお茶を口にして話し出した。
「もう何十年も前のことだ。俺ぁ親戚の叔母から一度だけ、市松人形の話を聞いたことがあってな? ホントになんでもない、些細な会話だった」
爺ちゃんは、タマにも似たどこか懐かしい目をしている。
僕たち──特に菊はあっという間に爺ちゃんの話に引き込まれて、じいっと言葉の続きを待っているようだ。
「なんでも、自分が幼い頃に、母親から市松人形を買ってもらったことがあるっていうんだ。それはそれは綺麗な赤い着物を羽織ってて、いっつも見つめてたら父親に怒られたんだと」
「……っ!」
「それって菊のことかい?」
婆ちゃんが確認すると、爺ちゃんは首を横に振った。
「いんや、わからん。ただ、俺の子供ん時もそんなもんを買う余裕はなかったし、ただの母親の手作りを勘違いしたって言っとったんだ。いつの間にかどっかに行っちまったらしいし……だが、叔母さんの言葉は事実だったのかもなぁ」
「……確かに言われてみれば、菊を見て怒ってる男の人がいたのですよ。でも売っぱらってやるって言われたから、あんまり好きになれないのです」
爺ちゃんが申し訳なさそうに遠くに目をやって、菊はそう言って苦笑を浮かべる。でも、僕は気づいた。
……ああ、そっか。だから……。
「…………ねえ、菊?」
「ん? なんなのです、陽太?」
不思議そうに僕を見つめる、菊の無垢な瞳。それを見て、僕の疑念は確信に変わった。
そうだ、きっと爺ちゃんの叔母さんは──
「大丈夫だよ、菊。菊は、絶対嫌われてなんかなかったと思う。きっと凄く、凄ーく、大事にされてたんだよ」
「……どうして、そう思うのです?」
爺ちゃんと婆ちゃんも怪訝そうに僕を見ている。
「たぶんだけど、爺ちゃんの叔母さんはかなり無理をして菊を買ってもらったんだ。だから売られそうになったけど、叔母さんはそれが嫌だった」
「…………」
「だから、誰にもバレない屋根裏に菊を隠したんじゃないかな。あの屋根裏は……たぶん、遊んでたら見つけたんだよ。ほら、僕みたいに」
僕がふふっと笑いかけると、菊も僕との出会いを思い出したのだろう。『あ、なるほどなのですっ!』という顔をして、力強く頷いてくれた。けれどすぐにわずかな不安を浮かばせて問いかけてくる。
「な、なら……どうして菊は、そのままにされちゃったのです?」
「それは……まだ歳が低かったとかで、菊を隠してた場所を忘れちゃったんじゃないかな」
もちろん確証があるわけじゃない。
こればっかりは菊には申し訳ないと思って僕が言い淀むと、菊は心底ホッとした様子で明るく微笑んだ。
「なら、菊が嫌われたわけじゃなかったのですね?」
「もちろん。じゃなきゃ、きっと菊は妖怪になってないよ」
僕は菊の無邪気な強さに少し驚きながらも、コクリと頷きを返す。
すると爺ちゃんが「はっはっは!」と豪快に笑った。
「そうかそうか! じゃあ、菊と会えたのは叔母さんと陽太のお陰ってわけだな!」
「そうだね。じゃあ、みんなに感謝だねぇ」
婆ちゃんが朗らかに言い、僕たちはお互いの顔を見てまた笑い合う。
「でも、なんでこの家に屋根裏があったんだろ?」
「たぶん陽太のご先祖さまのお侍さまが、身を守るために作ったのですよ。ほら、タマのご主人も前田っていう苗字だったのです」
「ああ、なるほどね……」
こんなところでタマの縁と繋がってくるとは……。
奇妙なことは続くものだなぁと僕は笑い、菊が持ち上げてくれた巻き寿司のお皿に手を伸ばしてお礼を言うのだった。