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11話 稲荷さまの悪戯

 翌朝。


「ううん……」


 僕は真横からの熱を感じて、うめきながら目を覚ました。

 まだ微睡みの中で無意識のうちに抱き着くと、何か抱き枕のようなものがある。僕の身体に柔らかい生きた感触が伝わってきて、「ほう?」と面白がるような声がした。

 あれ、こんなの寝る前にもあったっけ。


「意外と積極的じゃな? まあお主も年頃じゃし、妾は構わんが」


 どこかで聞いたような声。耳元に感じる誰かの息遣い。

 何か変だ、と僕は思って、けれど眠気に負けて瞼を固く閉じる。


「そうじゃ、よいよい。まだ朝食ではないゆえ、もうしばらく眠っておれ」


 僕は優しい声に導かれて、また夢の中に旅立っていく。

 しかし、菊やタマの慌てたような声が心地いい眠りを妨げてきた。


「だ、ダメなのです、陽太!」

「そうニャ、さっさと起きるニャ! ていうか、稲荷さまも何やってるのニャ⁉︎」

「うーん、あと十分……」


 何やら周りが騒がしくなってきたが、それでも眠気には勝てない。

 僕がお決まりのセリフを口にすると、耳元でくかかっと笑い声が聞こえてきた。


「ただこやつを寝かしておるだけじゃ、心配はいらぬ。……とはいえ、起きたらどんな反応をするか楽しみじゃな?」

「お前も性格が悪いニャー……」

「でも、いまだに起きない陽太も悪いのです」


 タマが呆れたように呟き、菊がむっとした声で僕の頭を突いてくる。すると、それを見ていた稲荷さまは悪戯げな声音で言った。


「なんじゃ、菊。嫉妬かの?」

「ち、違うのです!」

「どうかニャー。ニャーにも嫉妬に見えるニャね」


 菊は揶揄う二人に「もう!」と可愛らしく怒り、僕の身体をゆすってくる。


「ほら陽太、いつまで寝ぼけてるのです⁉︎ 早く起きて稲荷さまに抱き着くのをやめるのですよ!」

「ふむ、妾はこのままでも構わんがのう」

「稲荷さまがよくても、見てる菊たちは気が気じゃないのです!」


 菊はそう言いながら、何度も僕の身体を揺さぶっている。僕も次第に目が覚めてきてしまい、思わず顔をしかめて身をよじった。


「うーん、暑い……」


 なんだか汗をかいてしまいそうだ。

 僕は寝心地の悪さにぼんやりと瞼を開け、そこに稲荷さまの幻影を見た。

 梅の花の着物は胸元がはだけて、女性らしい肢体が視界に入る。艶やかな黒髪が頬を伝って布団に垂れて、頭頂部に生えた二つの狐耳が時折ピクリと動いていた。

 なんだ夢か、と僕は瞼をこするが、稲荷さまの幻影は消えない。


「あれっ?」

「くかかっ! やっと起きたかの、陽太よ!」


 ……まさかこれ、本物なの⁉︎

 僕の眠気は一気に吹き飛び、布団から跳ね起きると稲荷さまが愉快そうに笑い声を上げた。僕はたまらず叫ぶ。


「な、なんでここにいるんですか、稲荷さま!」

「む? お主にも心当たりはあるじゃろ?」

「へ? なんの……あっ」


 稲荷さまが怪訝そうに小首を傾げ、僕はふと昨日のことを思い出す。


「そういや、昨日爺ちゃんたちに妖怪のことがバレて……」


 青ざめていく僕にニヤッと口角を上げて、稲荷さまは悪戯げに笑った。


「ま、別にあの二人ならば構わんがのう」

「なんだ、じゃあ脅かさないでくださいよ……」


 僕がホッと安堵の息をつくと、稲荷さまは揶揄いの表情をそのままに言う。


「それにしても、お主はなかなか贅沢じゃな? よもや妾に抱き着いた感想が暑いとは思わなんだ」

「そ、それは寝ぼけてたからで……っていうか、なんで僕の布団にもぐり込んでるんです?」

「まあまあ、そう焦るでない」


 稲荷さまは矢継ぎ早に問いかけた僕をなだめ、代わりにタマが呆れた様子で答えた。


「そんニャの稲荷さまのノリに決まってるニャ」

「……え、そうなの?」

「そうなのです! だから起こしてあげてたのに、陽太は全然目を覚ましてくれなかったのです!」

「ごめん、菊」


 僕が頭を下げると、むうっとした顔をしていた菊は深いため息をついて稲荷さまを睨みつけた。


「……まあ、稲荷さまのほうがもっと悪いのです」

「つい揶揄いたくなってしまったのじゃ。すまぬな、菊よ。謝るからそう睨むでない。──しかしまあ、何もなしで許すのも、のう?」


 と、稲荷さまが鋭い眼光を飛ばして僕を見つめる。

 僕はゴクリと唾を呑んで、稲荷さまの言葉を待った。菊が唇をきゅっと引き締めたのに対し、タマは毛を逆立てて警戒を露わにし、稲荷さまを威嚇するように睨んでいる。


「まあ、そう難しい話ではないのじゃ。ゆえに、タマもそう警戒するでない」


 稲荷さまの雰囲気が和らぎ、おどけたように肩をすくめた。

 けれどタマはまだわずかな警戒心を残したまま。


「どうだかニャー? お前の目はそう言ってなかったのニャ」

「ふむ、ならばお主の目も衰えたということじゃな。妾はただ、稲荷寿司を作るよう命じようとしただけ。そう大したことでもあるまい?」

「…………へ? 稲荷寿司?」

 僕はなんだか拍子抜けして、口をポカンと開けて呟いた。

 確かに好きそうだけど、そんなのでいいの?


「む。そんなのでいいのか、とでも言いたげじゃな、お主」

「だって、稲荷寿司なんて稲荷さまの神社にもよく出されるんじゃ……」


 勝手にお供え物の梨をくれるぐらいだ。稲荷さまの大好物だし、よく供えられているはず。


「それはそうじゃが、よく考えてみよ。今は夏じゃぞ? 果物ならばよいが、稲荷寿司なんぞ出してしまえば、たちまち傷んでしまう。──それゆえあやつら、その場ですぐに回収しおって! あれでは妾が食える隙がないのじゃ!」

「……なんだか、やけに感情がこもってるのです」


 稲荷さまは拳を握りしめて恨み言を叫んでいて、菊も少し呆れたように苦笑した。

 どうやらよほどストレスが溜まっているらしい。


「当たり前じゃ! あんなご馳走を目の前にして何も食えぬなど、妾を侮辱しているようにしか感じぬわ!」

「ま、まあでも、別に悪意はないんですよね?」

「むう……それはそうじゃが、あれをやつらが家で食っておると考えるだけで、腸が煮えくり返りそうでのう」


 あ、そんなになんだ……。


「じゃあ、これから作ってあげますから、落ち着いてください。あと、爺ちゃんたちにも今の話をしておきますね。そしたらそういうことも減ると思うので」

「うむ、ぜひ頼むぞ。……しかし、そう考えるとバレたのは悪いことではないのう。むしろ──」

「話が終わったらさっさと帰るニャ、この食いしん坊!」


 僕が稲荷さまにそう言って宥めると、タマはそう言って稲荷さまをあしらった。

 食いしん坊はひどいんじゃと思ったが、いちおう間違ってはいない。

 稲荷さまも反論する言葉が見つからなかったようで、「ぬ、この猫又め……」と恨み言をこぼすだけである。


「……まあ、いいじゃろう。では、のちほどタマに持ってこさせるゆえ、夜までには用意しておくのじゃ! 絶対じゃぞ、よいな! 陽太よ!」

「はい、わかりました!」

「なんでニャーが……まあいいニャ。わかったから早く出て行くのニャ」


 稲荷さまのしつこさが面倒になったのだろう。

 またもタマに冷たくあしらわれ、稲荷さまは少し寂しそうな顔でポンッという破裂音や白い煙ともに消えてしまった。

 僕はホッと息をついて、菊は緊張が抜けたのか尻もちをついた。


「陽太ー、もう朝だよー。……ん? 何かあったのかい?」


 そこに婆ちゃんが扉を開けて起こしに来ると、思わずみんなで肩をビクッと跳ねさせる。婆ちゃんの怪訝そうな声に安堵しながら、僕は「またご飯の時に話すねー」と返した。

 それから菊やタマと顔を見合わせて、笑みをこぼすのだった。

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