1話 田舎に行こう!
「あ、そろそろ着くかな……」
ローカル列車の二人席でくつろいでいた僕は、駅の名前を告げるアナウンスに慌ててリュックを背負った。やがて開いたドアから外に出ると、夏の熱気に襲われて「暑っ!」と叫ぶ。
目の前はもう、田舎の古びた無人駅だ。
車掌さんの警笛とともに色褪せた列車は次第に遠くなり、それをぼうっと眺めていた僕はハッと我に返って改札口へと向かった。
駅から外に出ると、いっそうセミの声がやかましい。
冷房の効いていた電車の中とは大違いで、早くも流れ出す汗を腕で拭うと水筒のお茶を飲み、ぷはー、と声を漏らした。
このままじゃ、そのうち暑くて倒れそうだ。
田んぼのあぜ道から周りを見渡してみると、少し離れた場所に『駄菓子屋』という看板があった。あそこならクーラーがついてるはず。
「……よし、久しぶりに行ってみようっと」
もうすぐ水筒のお茶もなくなるし、開いてたらいいけど。
電車の中で飲み過ぎたもんな、と呑気に思いながら僕はその駄菓子屋の前に立った。
「あ、ドア開いてる……」
カラカラ、とドアを開けると、冷房の涼しい風が吹いてきた。
「お邪魔しまーす、おじさんいるー?」
ガタン、トントン──足音か何かの音が鳴って、店の奥から小太りのおじさんが顔を出した。入り口に立つ僕を見て、軽く手を上げてくる。
「おう、陽太か。入ってくるならドア閉めてくれ。中が暑くなっちまう」
「あっ、ごめん」
僕は急いで中に入ると、ドアをぴしゃりと閉めた。
おじさんのほっぺたには畳の跡がハッキリと残っていて、まさに今まで寝てましたと言わんばかりだ。
「なんだ、久しぶりじゃねぇか。帽子はどうした、帽子は?」
「え、持ってないよ。あったほうがいいの?」
「まあ、そりゃあな。そこの麦わら帽子でいいなら、持ってっていいぞ?」
と、おじさんは壁に掛けられた麦わら帽子を指差した。
その隣には虫取り網やカゴも置いてあって、なんとなく懐かしさに目を引かれてしまう。
「え、ちゃんと買うよ。お金持ってるし」
「どうせ買う奴もいねぇんだから持ってけ。……それより、ほれ。お金あるんならラムネでもどうだ? けっこう冷えてるぞ」
おじさんは小さな冷蔵庫からラムネ瓶を取り出して、麦わら帽子と一緒に手渡してくれた。
「あ、ホントだ。じゃあ、これ買おっかな。いくら?」
「百七十円だ。……おう、ちょうどだな」
僕は受け取ったラムネ瓶を一旦レジに置き、ポケットの財布から小銭を渡した。おじさんは手早く数えてレジに仕舞い、また奥の部屋へと戻ろうとする。
「そんじゃ、また何か買うんなら呼んでくれ。俺ぁ向こうでテレビ見てくるから」
「あ、はーい。ありがとう、おじさん」
そんな僕のお礼にまた軽く手を上げて応じると、おじさんは靴を脱いで畳の部屋に戻る。するとおじさんと入れ替わるように赤い首輪のついた黒猫が出てきた。
「なんだタマ。もう行くのか? 外は暑いだろ」
おじさんが振り返って心配する。
ニャーと返事をした黒猫──いや、タマは僕の足元に寄ってきて、じっと顔を見上げてきた。何か言いたいことでもあるのだろうか。
「おじさん。この子、今日はここにいるんだね」
「おう。昔っからあちこちをフラフラしてる野良猫だからな」
やっぱり猫は気まぐれだ。
こんな田舎じゃ車通りも少ないし、あまり危険もないからとタマも昔から近所で放し飼いなのである。
タマの頭を軽く撫でてやると、目を細めて気持ちよさそうな表情をしてくれた。店の奥に向かいながらおじさんが冗談半分に言う。
「タマが嫌がらなけりゃ、そのまま連れてってもいいぞー?」
「あ、ううん。遠慮しとく。僕、さっき戻ってきたばっかりだから、これから荷物の整理しなきゃいけなくて……」
「お? そうなのか。……そういや、都会の中学校に通ってんだっけ」
そう独り言のように呟くおじさん。僕は「よしっ」と呟いて、ラムネ瓶を持ったままドアに向かった。
「じゃあまたね、おじさん。また落ち着いてから来るから」
「おう。またいつでも来いよー」
そんなやり取りをしてお店を出ようとすると、タマも一緒に外に出てきてしまう。
「あれ、タマも来るの? ご飯とかあげられないと思うけど」
ニャ、とタマは短く鳴いて、仕方なさそうに駄菓子屋の中へと戻っていった。
僕の言葉が伝わったのかな。
思わず口元を綻ばせていると、背後から不思議な声が聞こえた。
『──もう行くのかニャ』
慌てて振り返っても、そこにはタマしかいない。
じっと僕を見つめていて、その視線は心なしか寂しそうだ。……いや、まさかね。
僕はドアを閉めると麦わら帽子をかぶり、また田んぼのあぜ道を進んだ。
ふとラムネ瓶のことを思い出し、開封してからひと口飲む。
サイダーの強い炭酸が口の中に広がって、僕は「美味っ!」と小さく叫んだ。
かすかに吹いた風が近くの家の軒先にあった風鈴を鳴らし、チリンチリンと涼しい音が聞こえてくる。僕はさっきよりも軽い足取りになって、祖父母の家を目指した。