午後3時。 社内が少しだけざわついて、コーヒーの香りが濃くなる時間。 デスクの向こうで誰かが笑う。 その声に、手元の書類から目が離せなくなった。
午後3時。オフィスに差し込む光が、少しだけ柔らかくなるこの時間が好きだ。
席を立って給湯室に向かうと、ちょうど彼――神谷くんが、マグカップ片手に立っていた。
「佐伯さん、いつもこの時間に来るよね」
振り向いて笑ったその顔が、ちょっとだけ眠たそうで、でも優しい。
私はつい、その目を見つめ返してしまう。
「習慣みたいなものかな。コーヒー飲むと、気持ち切り替わるから」
そう言いながら、私は自分の分を淹れた。
神谷くんとは、同期入社。部署は違うけど、なぜか気が合った。
穏やかで気配りができて、でも真面目すぎてちょっと抜けてるときもある。
そういうところが、気づいたら好きになっていた。
でも彼にとって私は、ただの「同期」だろう。
仕事の話はよくするけど、それ以外は、踏み込まない。
私は、いつもその一歩手前で立ち止まっていた。
その日、彼がぽつりとこぼした。
「……最近、ちょっと疲れててさ。頑張っても、評価されないことってあるんだなって」
思わず言葉が出た。
「私は、見てるよ。あなたがちゃんと努力してるの、誰よりも」
神谷くんは驚いたように目を見開いた後、少しだけ頬を赤くして、うつむいた。
「……ありがとう。佐伯さんがそう言ってくれると、なんか、救われる」
その言葉に、胸の奥が温かくなるのを感じた。
それから、少しだけ空気が変わった。
いつもより近い距離で話すようになって、視線が合うたび、少し照れる。
コーヒーの香りと、午後の静けさ。
私の中で、神谷くんの存在が「特別」になっていく。
まだ名前で呼び合う関係じゃない。
でもいつか、「同期」じゃない関係に、なれたらいいな――
そう思いながら、今日も私はカップを片手に給湯室へ向かう。